投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2024/08/23

以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

区切り

図1:笹山遺跡で発掘された火焔型土器
出典 左:東京国立博物館(2018)、右:国際縄文学協会(2016)

バラ十字会世界大会(2019年イタリア・ローマ)講演
Presentation for the Rosicrucian World Convention
2019 in Rome Italy.

親愛なる世界総本部の代表と役員の皆さま、本部主宰と管区管理役の皆さま、そしてフラターとソロールの皆さまに敬意を持ってご挨拶申し上げます。世界のすべての道が通じているローマで開催されているこのバラ十字会の世界大会で講演が行えることを、心から名誉なことに感じています。

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 それは1982年の梅雨どきの、晴れてはいるけれどもじめじめとした日のことでした。新潟県の十日町市にある笹山遺跡で、経験豊かな発掘者である和田アサさんが丸い形をした土器の周囲の土を取り除いていました。この日は3年間続いた発掘調査の最後の日でした。発掘を指揮していたのは、十日町市博物館の元副館長の阿部恭平さんでした。掘り出そうとしているものが極めて複雑な美しい形をした大きな土器で、ほとんど完全な形を保っていることが徐々に2人に分かってきました。後に和田さんはこう語っています。

「ドキドキ、ワクワクしながら、傷つけないようにしました。全部が出た時は、その美しさに息をのむ思いでした。」(*1)

調査によれば、図1の土器が作られたのは約4500年前で、縄文時代と呼ばれる日本の先史時代にあたります。この土器は上部の装飾が炎に似ていることから、「火焔型土器」に分類されています。驚くべきことに、これほど豊かな装飾が施されているにもかかわらず、火焔型土器は実際に煮炊きに使われていました。火焔型土器のひとつの内部に残されていた焦げた物質を分析したところ、そこには木の実と動物の肉が含まれていたことが分かったのです。火焔型土器は、宗教的な儀式で神聖な食物を調理するのに用いられたと考えられています。

縄文時代は紀元前11,000年に始まり独特の文化が栄えました。この文化が頂点に達したのは紀元前2,500年頃です。縄文文化の最盛期は、たとえばエジプトで第一王朝が成立したのと同じ時期であり、メソポタミアではシュメールの都市国家が栄えていた時期にあたります。

縄文文化は最近、世界中の多くの人の注目を集めています。その理由のひとつは、この文化が10,000年以上と人類の歴史で最も長く続いた文化だからです。またもうひとつの理由は、縄文文化の出土品に芸術的な価値の高いものが数多く含まれているからです。現代の多くの芸術家が、縄文時代の遺物のデザインと装飾から受けた刺激を自身の創作活動に活かしています。

縄文文化の特徴を見ていくことにしましょう。人類の歴史において、遊牧から定住生活への移行が起こったのは、たとえばメソポタミアでは紀元前9,000年、エジプトでは紀元前6,000年、日本では紀元前10,000年でした。このできごとは新石器革命と呼ばれています。

ほとんどの場合、農業の導入によって、定住生活への移行がなし遂げられました。農業によって十分な食物を得ることができるようになり、食物を得るために居住地を変える必要がなくなったのです。しかし日本列島の当時の人々は、定住した後も狩猟採集生活を続けていました。縄文人も米を育てることやクリの木を植えることは行っていたのですが、田畑や水田が組織的に作られることはありませんでした。朝鮮半島の人たちが農業技術を導入したことを縄文人は知っていましたが、大規模な形で農業を導入することをその後10,000年以上拒絶していました。その理由として有力視されているのは、縄文人が農業を自然の神に対するある種の冒涜だと考えていたという説です。つまり縄文人は、自然を征服するのではなく自然と共生することを選んでいました

図2:縄文草創期の土器
出典 左:東京国立博物館(2018)、中央:小林達雄(2013)、右:小川忠博(2018)

それでは、縄文人は農業を行うことなく、どのようにして十分な量の食物を得ていたのでしょうか。このことには土器の発明が深く関連しています。図2の写真は人類史上最も古い時期の3種類の土器です。製作時期は縄文時代草創期にあたる紀元前11,000年から7,000年です。土器によって食物を煮ることができるようになり、それが調理の歴史に革命をもたらしました。今まで食べることのできなかった多数のものが食べられるようになったのです。たとえば木の実には、煮てアクを取ると食べられるようになるものがあります。キノコには、煮ることによって毒を取り除くことができる種類のものがあります。海藻の多くは、煮て調理をした後にだけ消化することができます。また貝や魚を煮ると、食中毒の危険を大幅に減らすことができます。

縄文人たちは、春は主に野草を採取し、夏は魚釣りを行い、秋には木の実を集め、冬は狩猟を行っていたことが調査により知られています。彼らは、約60種類の動物、20種類の野鳥、350種類の貝、多くの種類の木の実、昆虫、魚と海獣、海藻と野草を食べていました。それは、多くのミネラルと食物繊維が含まれる極めて健康的な食生活でした。

考古学者の多くは19世紀まで、狩猟採集生活をしている人々が文化的に成熟することはないと考えていました。しかしその後の調査でこのことは縄文人には当てはまらないことが分かりました。縄文人には、芸術的な土器や土偶を作るだけの時間的な余裕がありました。この後で紹介しますが、土器や土偶のデザインを見ると、複雑な象徴体系を持つ自然宗教が当時すでに存在していたことがわかります。縄文人は、ヒスイと黒曜石の交易を日本全体で行っていました。縄文時代の女性はブレスレットやピアス、ヒスイのアクセサリーを身につけ、美しく結った髪を、髪飾りで留めていました。

定住生活を行うメリットは何でしょうか。すぐに思いつく答えは、建物の中に住むことによって、嵐のような悪天候や肉食獣の危険から体が守られるということでしょう。また、ある居住地から別の居住地へ移るためのエネルギーを使わずに済むということでしょう。それらはいずれも事実ですが、しかし最も重要なメリットではありません。最も重要なメリットは、年老いた人が生き続けられるようになったことです。遊牧生活は年老いた人たちにとって過酷な生活です。定住生活によって、種族の中の年老いた人たちがさらに長生きできるようになると、おじいさんやおばあさんには孫たちと話をする十分な時間が得られます。働き手であるお父さんやお母さんは通常仕事で忙しすぎて、子供たちとゆっくり話す時間がないのです。そのため定住社会では、種族の持つさまざまな知識が後の世代に有効に受け渡されるようになります

そのような知識には膨大な数の有益な情報が含まれています。狩猟や魚釣りのための道具はどのように作るか。食べられるものはどの時期にどこで見つかるのか、病気を治したり狩猟のための毒を作ったりするのにはどの野草を用いることができるのか、毒のないキノコはどれか、そしてもちろん、宗教的、道徳的な性質の民話、経験談、教訓なども老人たちの話に含まれていました。

図3:土偶「縄文の女神」
出典 東京国立博物館(2018)

最近、世界中で縄文文化の展覧会が行われるようになり、その遺物の芸術的な価値、特に土器の美しさと土偶のユニークさが高く評価されています。図3の土偶は、約4,500年前に作られたもので、高さは約45センチと、縄文時代の土偶の中で最も大きいものです。この土偶には、「縄文の女神」という愛称が付けられています。どっしりとした角柱の形の脚が特徴的です。両脚がどっしりとしていることは、縄文時代の土偶の多くにみられる特徴であり、病気や他の不幸をもたらすと思われていた悪い霊を踏み潰すことのできる能力をその土偶の神が持っていることを象徴していたと考えられています。

胸の高さからへその高さまで細い溝が掘られていて、体の中心線が強調されています。からだの中心が強調されていることは、縄文時代の土偶の多くに見られるもうひとつの特徴です。ある考古学者によれば、土偶のへそは「生命」を象徴し、土偶の肺は「生命の息」つまり「命を保つための呼吸」を象徴しています。この2つの観念は古代日本語ではいずれも「いき」という同じ言葉で呼ばれていました。この考古学者によれば、縄文時代の土偶の多くに見られるこの線は「息の緒」、つまり「命をつなぐより糸」です。つまり、その土偶の神には生きものの寿命を定める能力があるということを示しています。それは、ギリシャ神話の運命を司る3人の女神が、運命の糸を紡ぐとされていたことに良く似ています。

一般に、先史時代の象徴の意味を解読することには困難がつきまといますが、それは縄文文化でも同じです。しかし一部の象徴は、研究者の努力で意味が明らかになっています。特にドイツ人の考古学者ネリー・ナウマンがこのことに大きな貢献を果たしました。ナウマンによれば、縄文人の宗教にとって特に重要な象徴は月とヘビと水の3つです。

図4:土偶「縄文のビーナス」
出典 東京国立博物館(2018)

図4の土偶が作られたのは、およそ4,500年前です。大きな尻と足が特徴的です。頭の上は平たくなっており、そこにらせん形の溝が掘られています。下腹部が突き出ていることは妊娠を示しており、この女神が再生を司ることを象徴しています。この土偶には「縄文のビーナス」という愛称が付けられています。しかしほぼ確実なことに、彼女は金星ではなく月の女神です。ナウマンによれば、頭の上に描かれているらせんは天空における月の運動を表しています。

図5の小さな土偶は神奈川県の勝山遺跡で発見されたものです。左目の下には涙を表すような線が何本か引かれていて、後頭部にはヘビがとぐろを巻いています。縄文時代の遺物には、涙や鼻水やよだれを流したような顔が描かれたものが数多くあります。これらは何を象徴しているのでしょう。ロシアの考古学者ニコライ・ネフスキーは、これらの象徴の意味を解読するヒントとなる、沖縄県の宮古島の人たちに伝わっていた古い神話について報告しています。

図5:勝山遺跡で発掘された土偶
出典 Nelly Naumann(2000)

「それは昔々、美しい宮古島に初めて人間が住むようになった時のこと。お天道様と妻のお月様が、人間は美しい心の持ち主であるので褒美を与え、蛇は心を持っていないので、それを罰しようとした」

「二人は、半ば神であり半ば人であり、光る人という意味の名前を持つアヤリヤ・ザガマに、2つの大きな桶を持って地上に降りるように命じた。一方の桶には、『シリミジ』と呼ばれる〈命の水〉が満たされ、もう一方の桶には、『シニミジ』と呼ばれる〈死の水〉が満たされていた。アヤリヤ・ザガマは、2つの桶があまりにも重かったせいで疲れ果てて、地上に着いたときにそこで眠ってしまった。すると一匹のヘビが現れ、〈命の水〉を浴びてしまった。アヤリヤ・ザガマは、ヘビが浴びた後の水を人間が用いるのは望ましくないことだと考え、人間にはその代わりに〈死の水〉を浴びさせ、ふたたび天に戻った」

「それ以降、ヘビは脱皮して永遠に生きることができるようになり、人間は、限りある命を持つ定めとなった。お天道様とお月様は、事の次第を聴いて激怒し、アヤリヤ・ザガマを月の世界に追放し、そこに永遠に留まっているという罰を与えた。そのため今でも、2つの桶を担いだアヤリヤ・ザガマが満月の中に立っているのを見ることができる」(*2)

私たちは時として、世界の全く離れた場所に伝えられている言い伝えに細部にわたる一致があることに驚かされます。ご存知のように、創世記にはアダムとイブとヘビに関する逸話があります。ある著名な文化人類学者の解釈によれば、この逸話の原型では、エデンの園には生命の樹と死の樹という2本の木が生えていました。そして神はアダムに、生命の樹の実を自分と一緒に食べなさいとはっきりと語ったのです。しかし死の樹を支配していたヘビが、こちらの木の実を食べるようにとアダムをそそのかしたのです。

図6:シュメール文明の境界石の彫刻
出典 Nelly Naumann(2000)

図6は、メソポタミア文明の古代都市シュメールの土地の境界を表す石に描かれていた彫刻のスケッチです。右から順に、太陽神シャマシュを表す記号、三日月の形をしたお椀、美を司る女神イシュタールを表す記号、そして三日月形のお椀から何かを飲んでいるヘビを見ることができます。ある考古学者の報告によれば、シュメールでは、月の神ナンナを崇拝する宗教で、ある種のお椀が儀式に使われていました。そしてこのお椀の形が、後に三日月を表す記号になったのです。別の考古学者の報告によれば、当時三日月はお椀だと見なされており、生命の樹と深く関連するとされていました。つまり、横から見たときに三日月形をしているお椀に入っているのは、命を与えてくれる液体であり、それは生命の樹から得られるのと同じ液体だとされていました。(*3)

植物の生長、潮の満ち干、海の浅瀬にいる生きものたちの活動、人間の体や心の健康、そして人間が生まれる時刻や死ぬ時刻に、月が大きな影響を与えていることを古代の人たちは知っていました。太陰暦では、毎月の下旬に月は欠けていき、最後には見えなくなります。そして3日が経つと、月は空の反対側に現れ満ちていきます。縄文人を含む世界中の古代人が、この現象を月の死と誕生だと考えたのは自然なことです。そのため世界中のさまざまな古代文化で、人々は月のことを命と再生と不死を司る神であると考えました。

図7:八ヶ岳山麓で発掘された土器
出典 東京国立博物館(2018)

この2つの土器(図7)は、八ヶ岳山麓の遺跡から発掘されたものです。ナウマンによれば、へりに小さな穴が空けられているこの2つの土器は、野生のブドウとはちみつからぶどう酒を作られるために用いられました。この小さな穴によって、発酵のための酸素が供給され、発酵で生じたガスが外に出ることができます。左の土器の側面には、ヘビの装飾を見ることができます。右の土器の側面には人の姿があり、右手を上げ、左手を下げています。上げた手と下げた手はそれぞれ、月が満ちていくことと月が欠けていくことを象徴していて、それぞれの手の3本の指は月が見えなくなる三晩の夜を象徴しています。

先ほど述べたように、縄文時代の宗教を理解するために特に重要な象徴が3つあります。それは月とヘビと〈命の水〉です。ナウマンはこう述べています。

「月すなわち月の神は、〈命の水〉を所有している神である。つまり、貴重な液体である〈命の水〉とは、月の神の涙であり鼻水でありよだれである。縄文人たちはこの〈命の水〉を、土偶の目や鼻や口からしたたり落ちている水として表現した。この貴重な液体はお椀に集められる。そして、三日月はこのお椀の形を表している。ヘビは、〈命の水〉をかつて飲んだことがあるので、古い皮を脱ぎすてて、新しい姿に生まれ変わることができ、月と同じように、命を再生する能力を持っているとされた」

「頭でヘビがとぐろを巻いているこの土偶は、おそらく月の神を表している。また、ヘビが側面を這っている中央の土器は、中に〈命の水〉をたたえるための容器であったことはほぼ確実である。しかしこの世では、ほんとうの〈命の水〉は得ることができない。そのため、ヘビで飾られたこれらの土器には、〈命の水〉の代わりになる地上の代表品、つまり酒が満たされる。八ヶ岳山麓で暮らしていた縄文人は酒を造る方法を知っていて、作られた酒をこのような特別な種類の土器に蓄え、宗教の儀式に用いたことはほぼ確実である」(*4)

現代の日本の風習やお祭りの多くにも、縄文文化からの影響を見ることができます。月見と呼ばれる秋の風習もその一例です。月見では、米で作った団子、栗の実、酒、そしてススキの穂が月の神に供えられて、自然の恵みに対する感謝が表されます。多くの日本人が、コオロギの音色に耳を傾けながら、晴れた夜空と満月を心静かに楽しみます。

この講演の最初に紹介した火焔型土器(図1)の象徴的な意味は、まだ完全に解明されたわけではありません。しかし、火焔型土器が作られた時期は紀元前3250年から紀元前2470年と、火焔型土器が出土する地域に寒冷化の気候変動が起こった時期と一致していることが最近の研究により分かってきました。それまでこの地域はシカ、イノシシ、クマなどの動物と、さまざまな野草という豊かな食物に恵まれていました。しかし寒冷化の影響で木の実と植物の種子が減り、それらを食料にしていた動物たちも減少しました。冬には3メートルもの雪が積もるようになり、この地の縄文人たちは食糧の不足に悩まされるようになりました。

春が来たとき、当時の人たちの喜びはどれほど大きかったことでしょう。土器を飾っている炎のような突起は、春に雪解け水から立ち上る水蒸気のようであり、地面から姿を現す新しい草の芽のようでもあり、自然界が春に発する活力を表わしたものであると多くの学者が考えています。縄文時代の人たちは、これらの土器を用いて儀式のための食べ物を調理し、自然に対する自分たちの感謝を表し、自然界の再生する力が再び豊かな食物を与えてくれることを祈ったのだと考えられます。

私たち現代人、特にいわゆる“先進国”と呼ばれる国々で暮らしている人たちは、地球の生態系に与えるダメージを最小にするライフスタイルを見いだすことが、必要かつ緊急な課題であることを知っています。私たちは天然資源の消費量を減らさなければなりませんし、自然の再生力の範囲内に自分たちの活動を制限しなければなりません。

縄文文化の研究者の一部は、この課題を解決するためのヒントが縄文文化に見いだされると考えています。たとえば縄文人の村の多くは、栗の林に囲まれていて、人々はそこから十分な食料を得ることができました。しかも栗林は、人間の活動が自然界に与えるダメージを減らすための緩衝地帯の役割を果たしていました。

もうひとつの例が、琵琶湖のすぐ近くで暮らしていた縄文人についての、ごく最近の研究から得られています。注目すべきことにこの地の縄文人は、エコトーン、つまり湖の周りの湿地帯を細心の注意を払って守っていました。そのようにすることで、大量のフナを捕ることができ、フナを発酵させて作る保存食を十分に蓄えることができました。

私たち現代人も、湿地帯を守ることの重要性に気づいており、たとえば水鳥の多様性を守るためのラムサール条約には多くの国が批准しています。しかし現代人が湿地帯を保護する動機よりも、縄文人の視野ははるかに広いものだったということが分かっています。湿地帯を保護することが、湖や川の生態系の再生力を保つために決定的に重要だということを縄文人は知っていたのです。

現代人と縄文人の間にある大きな違いに今や私たちは注目せざるを得ません。現代人は大量消費社会に暮らし、自然を征服するための貪欲な努力を続けてきました。一方で縄文人は、謙虚に自然と共生する道を選んでいました。そして自分たちの活動によって引き起こされる生態系へのダメージを最小限にするために、あらゆる手段を用いていました。

また、現代人の多くは、現代科学が自然を深く理解できるようになったと考えています。そして有機化学や遺伝子工学などの応用の数々が、自然を変えるために軽率に用いられています。実際のところ、これらの分野は分析的で部分的な面を扱っているため、生き物たちからなる自然界の複雑なシステムを全体として理解するために最適であるとは言えません。しかし縄文人は、現代人よりも自然をより良く理解できる有利な立場にいました。縄文人は、極めて長い期間にわたって自然現象を観察し続け、そこから得られる知識を蓄積していましたし、自然の本質を見通すことができる鋭い直観を持っていたからです。直観の鋭さは、狩猟採集生活に頼って暮らしている人たちの典型的な特徴です。

この講演の締めくくりを申し上げます。縄文人は私たちに持続可能なライフスタイルの一例を示してくれています。それは、実際に1万年も続いたライフスタイルです。もちろん私たちにはこのお手本のすべてをまねることはできません。現代の状況は当時の状況と大きく異なるからです。しかし、人類が今後も確かに存続するために必要な基本的な態度を縄文文化は私たちに教えてくれています。それは、自然に対する畏れと感謝の気持ちです。ご静聴ありがとうございました。

脚注:
1. 2016, 特定非営利活動法人 国際縄文学協会, 『JOMON』, vol.5
2. 1971, Nikolai Aleksandrovich Nevskii, Tsuki to Fusi, Touyoubunko, Heibonsha
3. 2000, Nelly Naumann, Japanese Prehistory, p.122
4. Ibid., p.224-225
5. 2018, 東京国立博物館, 他, 『特別展-縄文』
6. 2013, 小林達雄(監修), 『縄文の力』, 別冊太陽-日本のこころ212, 平凡社
7. 2018, 小川忠博, 『新版 縄文美術館』, 平凡社

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