投稿日: 2023/05/08
最終更新日: 2023/05/09

バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

当会は思想の自由を尊重しつつ、神秘哲学、人生哲学、形而上学、心の深奥の探究にご興味をお持ちの方々に、長い年月を経て検証され伝えられてきた知識を、通信講座、雑誌、講演などの形で、世界87ヵ国でご提供しています。

以下は、当会の日本語圏本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

マヤの神官と創造神イツァムナー(The Mayan Avatar Itzamn)

コニー・ジェイムズ(Connie James)

メキシコ、ユカタン州のチチェン・イッツァにあるククルカン神殿のピラミッド
メキシコ、ユカタン州のチチェン・イッツァにあるククルカン神殿のピラミッド

メソアメリカの世界では、長い歴史を通して、神とも人間とも見なされる存在が現れてきました。よく知られている例のひとつは、メキシコ中央部のケツァルコアトル(Quetzalcóatl)です。ケツァルコアトルは、多くの人にとって神話の世界の象徴的存在ですが、人間として描かれることもあります。しかし、神とも人間とも見なされたのは、ケツァルコアトルだけではありません。

メソアメリカとは、メキシコ中央部からコスタリカ北部にかけて広がる中央アメリカの文化圏です。この地域には、深遠な宗教的伝統を持つ魅力的な文化が数多く存在していましたが、それらは、比較的最近になってようやく再発見されるようになりました。この記事の舞台であるユカタン半島は、メソアメリカ世界の一部です。ユカタン半島は、「チクシュルーブ・クレーター」(Chicxulub crater)のある場所として多くの人に知られています。このクレーターは、ユカタン半島の地下に埋もれた隕石衝突跡です。チクシュルーブの名は、現在このクレーターの中心にある町の名前にちなんで名付けられました。

このクレーターは、直径が10〜15キロほどの大きな小惑星もしくは彗星が、地球に衝突してできたものです。衝突の時期は、6600万年弱ほど前の「K-Pg境界」(訳注)として知られている地質年代と正確に一致します。この衝突によって生じた全世界におよぶ壊滅的な破壊が、恐竜の絶滅の原因になったという理論が広く受け入れられています。またこの時には、地球上の動植物の75%が突然絶滅しました。

(訳注:K-Pg境界(ドイツ語:Kreide Paläogen Grenze、英語:Cretaceous Paleogene boundary):中生代白亜紀と新生代古第三紀の境目を表す地質学の用語。)

ですから、この地域は地球の歴史において重要な役割を果たしたことになります。ずっと後の時代に、メソアメリカのこの一帯は、世界の歴史において、極めて重要な文化圏になりました。15世紀から16世紀にかけてこの地がヨーロッパ人に侵略される以前に、ここで興り衰退した驚異的な文明について、私は長年研究してきました。ヨーロッパ人の侵略は、先住民に壊滅的な影響を及ぼし、世界からは、精神性の高い数多くのユニークな文化が失われました。近年になってようやく、ユーラシア大陸やアフリカ大陸で生まれた文明とはまったく異なる、この世界で育った複雑な文化を、私たちは再発見しています。この地の先住民の言語は、その歴史のほとんどの時代において、主な2つの方言に分類されます。ユカタン半島北部のマヤ語族ユカテク語(Yukatek)と、半島南部のマヤ語族チョル語(Ch’olan)です。マヤの言葉は、単語の最後の音節にアクセントが置かれます。

この記事では、マヤの長い歴史の中の一時期をスナップ写真のように描いてみましょう。現在では、マヤの記述の多くが解読できるようになったので、この世界の人々がゼロという数を知り、それを活用して複雑な暦を構成して用いていたことが知られています。驚くべきことに3種類の暦がありました。1つ目は260日の暦で、2つ目は365日の暦です。3つ目は長期暦と呼ばれ、紀元前3114年の想像上のある日からの経過日数に基づいています。さらに、未来の数百万年もの期間を表す独自の用語もありました。そのような用語は、現代の私たちでさえ持っていません。このように、マヤには互いに関連し合う3種類もの暦があったのですが、私たちはまだ1つの暦しか持ち合わせていないのです! 古代ギリシャのように、マヤには多くの都市国家が存在し、各都市に住む「神聖なる領主」(Divine Lord)によって統治されていました。最新のデータによると、都市は星座の配置を写し取るように建設され、都市同士は、スター・ウォーズのような抗争を繰り広げていました。

サク・ニクテと呼ばれるプルメリアの花
サク・ニクテと呼ばれるプルメリアの花

グアテマラのペテン(Petén)地域にある通称ラ・コロナ(La Corona)というマヤの小都市を例にしてみましょう。ラ・コロナの古典期マヤ語での名称は、「白い花」を意味するサク・ニクテ(Sak-Nikte)で、プルメリアの花を意味することが知られています。これは、ソウル(soul:魂)の遠回しな表現でもあります。マヤ文明の大都市であったカラクムル(Calakmúl)のもともとの名前はオクス・テトゥーン(Ox Te Tuun)でした。これは3つの石の場所という意味です。同じ名前がオリオン座にある3つの星(訳注)にも付けられているということを知るまでは、何の変哲もない名前のように感じられることでしょう。オリオン座にある3つの星は「3つの石が置かれた炉床」だと見なされ、トウモロコシの神(Maize God)が天空のこの場所から出現し、現在の世界を創造したと考えられていました。このように、マヤの言語には、比喩的な表現と秘められた意味が豊かに含まれています。そして、私たち現代人は、それを理解し始めたばかりなのです。

(訳注:オリオン座にある3つの星:オリオン座の外側の四角形を構成する星のうちの右下のリゲルと左下のκ(カッパ)星、そして中央の三つ星のうちの一番左にあるζ(ゼータ)星。この3つの星はほぼ正三角形に並んでおり、その中央には、まるで炉床の火のように見える赤紫色のオリオン大星雲がある。)

ユカタン半島の地図

マヤの歴史は長い期間に及び、はるかに進んだ生活への扉を開いた数人の先導者が出現したことが知られています。彼らは政治的な意味での指導者になりましたが、おそらく神秘学的な意味でも傑出した人たちでした。イッツァ族のサマ(Zamá)もその一人です。サマは、現在のメキシコのキンタナ・ロー州南部のバカラル地方にあたる土地に住んでいたマヤ人を、ユカタン半島の中心部へと導きました。

西暦525年にサマは、後にチチェン・イッツァ(Chichén Itzá:イッツァ族の泉のほとりの意味)の名で知られるようになるウク・ヤブナル(Uuc Yabnál:7つの大きな家の意味)という、その後ユカタン半島北部で最も強大になった都市を築いたと言われています。しかし、『チラム・バラムの9つの書』によると、西暦10世紀に2回目の移住が行われたのであり、現在イッツァの名が付く都市は、サマが築いた場所ではありません。サマが築いた都市は、今日ではチチェン・ビエホ(Chichen Viejo、旧チチェン)として知られており、その場所で今も当時の都市の痕跡を見ることができます。

メキシコ、チチェン・イッツァ遺跡の戦士の神殿の概観
メキシコ、チチェン・イッツァ遺跡の戦士の神殿の概観

サマは神官であり、おそらく王でもありました。移動の途中で見つけた場所に彼は名前を付け、今日までそれらの地名は、伝統的な言語でユカタン半島内に残されています。サマは、絵文字を用いた書記法を教えたとも伝えられていますが、絵文字が最初に書かれたのは、サマの時代より何世紀も前であることがわかっています。サマはまた、農業にも多大な貢献をし、今日ではリュウゼツランやエネケンと呼ばれる植物などの特性に関する知識を持ち、医療やその他の目的で用いていたと伝えられています。

サマは処女から生まれたと言われています。彼の影響力は絶大で、後の時代に、最高神フナブ・クー(Hunab Ku)の化身と見なされるようになりました。フナブ・クーは「唯一なる神」を意味すると解釈されています。サマは死後も、多くの都市で崇拝されました。中でもイサマル(Izamál)はサマが亡くなった場所とされ、巡礼の地になりました。イサマルのピラミッドはサマを称えて建てられたものであり、ほとんどのマヤのピラミッドがそう推測されているのと同じように、実際にサマの遺体が安置されていたと考えられています。

イツァムナーのブロンズの彫刻像(1939 年)、アメリカ議会図書館、ジョンアダムスビル、ワシントンDC。
イツァムナーのブロンズの彫刻像(1939 年)、アメリカ議会図書館、ジョンアダムスビル、ワシントンDC。

サマへの信仰は、エク・バラム(Ek Balám:マヤ語族ユカテク語で「黒いジャガー」もしくは「星のジャガー」の意味)などの他の都市でも盛んになりました。エク・バラムは先古典期から後古典期まで(紀元前1000年〜西暦900年頃)のマヤの王国の首都でした。サマは、モトゥル(Motúl)でも崇拝されていました。モトゥルという名前は、グアテマラで現在はティカルと呼ばれている同名の巨大都市にちなんで名付けられたのだと思われます。モトゥルはその全盛期には最も強大なマヤの王国の1つであり、カラクムルと競い合っていました。サマに対する信仰は、時とともに著しく広まり、彼はマヤの神々の中に取り入れられて、創造神イツァムナー(Itzamná)になりました。また彼は、「神聖なる領主」がこぞって信仰していた人格神、マヤの古典期の神カウイル(K’awiíl)とも同一視されるようになったと思われます。

これは、サマがマヤの世界全体の神として認識されるようになったということであり、極めて重要なことでした。サマは、あるいはここからはイツァムナーと呼ぶべきでしょうが、マヤの文化の創始者とされ、人々にトウモロコシやカカオの栽培、文字、暦、医学を教えたとされていました。また、現在のグアテマラ市の北西に位置するグアテマラ高地に暮らすキチェ族(K’iche’)の神話と歴史を詳細に記した有名な書物『ポポル・ヴフ』(Popol Vuh)にも、創造神の一体として登場します。考古学の専門家による著作の一部では、D神(god D)として知られている神と同一視されています。

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