皆さんは「神秘体験」という言葉から、どのようなことを連想なさるでしょうか。科学や常識に反する奇怪な現象のことを思い浮かべる方も多いことと思います。
しかし、神秘体験という言葉の本来の意味は、それとはやや異なっており、このことは、神秘学(神秘哲学:mytsicism)と宗教がどのように違っているのかということと深く関わっています。
このあたりの事情について、当会のフランス本部の代表が、自身の人気のブログに記事を書いていますので、その翻訳をご紹介します。
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記事:「バラ十字会の神秘学について」
セルジュ・トゥーサン、バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表
バラ十字会AMORCは神秘学の教育組織ですが、そこに含まれる「神秘」という言葉から、「異常なこと」、「奇怪なこと」、たとえば「魔術のような何か」を連想する人は少なくありません。また「神秘家」(mystique)という言葉からは、現実から逃避して社会に関心を持たず、人里離れたところで幻を追い求めている人を思い浮かべる人がいます。
その場合の神秘や神秘家という言葉は、長い間使い古された結果、その本来の意味からずれてしまったのだと思われます。このいずれの場合も「神秘」とは本来、「人生にまつわる謎」のことを指しています。
ですから「神秘」には、現実から逃避するというようなネガティブな意味合いは本来なく、バラ十字会員の多くが深く関心を抱いている内容を説明する適切な言葉です。
◆ バラ十字思想(Rosicrucianisme)の目標
神秘という言葉の今ご説明した意味から言うと、神秘学とは、人生にまつわる様々な謎を探究することです。このことはまさに、バラ十字思想の目標にあたります。人生の深い意味をより良く理解し、自分自身をより良く知るための情報と哲学を伝える活動を当会は行っています。
自分自身を良く知るということからは、デルファイのアポロの神殿に刻まれていた「汝、自身を知れ!」という格言が思い起こされます。この格言には後に、「そうすれば汝は、宇宙と神々を知ることになるであろう」という言葉が付け加えられました。
この言葉には、神秘学の基本的な目標が明確に表されています。つまり、神秘学が探究しようとしているのは、ある個人に関わることというよりは、すべての人や世界全体に関わることです。
当会で長年教えられてきたことは、人生のさまざまな謎に関連し、人類や世界の全体に関わっているという意味で、神秘学的な性質のものだと言うことができます。
◆ バラ十字会の神秘学
さまざまな宗教では「神秘家」という言葉が、禁欲生活と瞑想と祈りによって“神との合一”を体験した並外れた個人を指すために用いられています。しかしこの意味は、単純化され過ぎていますし、排他的過ぎます。
宗教に属さなくても禁欲的な生活をしなくても、人は神秘体験を得ることができます。さらに言えば、神秘体験は、必ずしも神との合一の感覚だと解釈される必要はありません。神秘体験は極めて主観的なものであり、それを体験した人がその瞬間に持っていた考えや信仰が、その内容に強く影響します。
このことに関連がありますので、“神”とは何かということに関するバラ十字哲学の考えをご紹介しましょう。多くの宗教では神とは、人間に似た姿をした何かであり、人間はそれと一体になることができるとされていますが、バラ十字哲学では、神は人の姿に似た何かではなく、人格を持たない絶対的な知性であり、神秘体験と呼ばれるひとときの間、人は神に心理的に接触することができると考えています。
◆ 神秘体験
バラ十字哲学の考えでは、真の神秘体験は、宗教的な性質の体験というよりはスピリチュアルな性質の心理的な体験です。つまり、神秘体験は印象や感情や直観的な認識なのですが、感覚を通して体験される場合も、思考や感情を通して体験される場合も、日常の経験を超越しているのです。
神秘体験には、様々な内容が含まれますが、ほとんどの場合に、強烈な幸福感、心のすべてが澄み渡ったような感覚、時間と空間を超越しているという感覚が伴います。
神秘体験の多くは、瞑想や潜在意識に働きかける他の実習を行っているときに起こります。そしてそれを体験した人は、自分の身体についての意識をしばらくの間失い、自分が純粋なソウル(soul:魂)になったように感じます。
◆ バラ十字会のスピリチュアリティ
「神秘学」と「スピリチュアリティ」(訳注)にはどのような関係があるでしょうか。この問いに対する答えとして、神秘家は必ずスピリチュアリティを重視しているが、スピリチュアリティを重視している人のすべてが神秘家であるわけではないと言うことができるでしょう。
バラ十字会員の多くは神秘家であり、世界に存在するのは物質的な要素だけではなく、ソウル(soul:魂)や、先ほど述べたような意味の神が存在すると考えています。さらに言えば、バラ十字会員の多くは、神が存在するという信念を単に持っているというよりは、宇宙や自然界や人間に働いている様々な法則を神の表現だと考え、そのような法則についての学習を行っています。
一方で、宗教信者の多くはスピリチュアリティを重視していますが、そのことに関して必ずしも学習を行うというわけではなく、しばしば、信仰という範囲に“自分自身を限定”しています。
誤解を避けるために申し上げますが、私はもちろん、宗教信仰のことを深い尊敬に値するものだと考えています。しかし、以上のことから神秘学は、信念と知識が結びついたものだと見なすことができます。そのため、私は神秘学のことを、スピリチュアリティを重視する最高の形だと考えています。
訳注:スピリチュアリティ(spirituality):一般的には「霊性」や「精神性」と訳されるが、様々な意味に用いられる。バラ十字思想では、心の深奥にある、善良さ、美しさ、崇高さとパワーというような意味で用いられている。
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
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日本本部の本庄です。
現在は、推理小説、秘密、謎などという意味で用いられているミステリー(mystery)という言葉ですが、辞書で調べるとその語源は、「入門した人」を表すギリシャ語の「マステス」(mustēs)であり、そのさらに語源は、「目や口を閉じる」を意味する「ムアイン」(muein)でした。
つまり、ミステリーのおおもとの意味は、秘密を守ることを誓約して学校(古代ギリシャの神秘学派)に入ったときに、そこで教えられる人生についての知識であったと推測されています。
下記は、前回のセルジュ・ツーサンの記事です。
参考記事:「ソウルメイトについて」
では、今日はこのあたりで。 また、よろしくお付き合いください。
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