資料室

恐れ-それは心の状態か

Fear - A State of Mind?

ジョージ・バレッツァ博士

by George Buletza, PhD

 バラ十字大学で行われた視覚化(訳注)のクラスでのことですが、問題を抱えたある一人の女性がいました。数年前、彼女は夫を亡くしたのです。その時以来、彼女は重篤な記憶喪失に陥り、夫の死以前の自分の人生をほとんど思い出せなくなっていました。睡眠、リラックス、瞑想のいずれを行うことも、彼女には難しくなっていました。くつろぎ始めるとすぐに、思い出が甦ってくるのです。彼女は、思い出がもたらすであろう苦しみをとても恐れていました。しかし、そうした不安にもかかわらず、彼女は視覚化のクラスに参加することを選びました。そして、講義を受けている最中に、恐れに立ち向かう決意をしたのです。

訳注:視覚化(visualization):心の中に映像や音声、味、香りなどをありありと思い浮かべるテクニック。望んでいることの実現などに用いられる。

 ある実習を行っていたときに、彼女は「成り行きに任せる」ことにして、思い出が蘇ってくることに抵抗するのをやめました。あふれんばかりの思い出が次々と押し寄せ、彼女は涙をためて目立たないように部屋を出ました。しかし、ドアの外で立ち止まりました。「駄目よ!」彼女はそう叫んで、足を踏み鳴らしました。「私は人生を恐れに支配させるつもりはないの」。そうして彼女は席に戻りました。再び思い出があふれ出しましたが、今度は涙は出ませんでした。驚いたことに、彼女は過去の人生を目の当たりにしながらも、恐れを感じることがありませんでした。

 この会員の方や他の多くの方々が、何世紀にもわたって実証してきたように、恐れや無知や迷信はある種の心の状態であり、私たちはそれをコントロールし、変化させることができます。古代のバラ十字会員が指摘しているように、私たちの心には、束縛されるか自由になるかという2つの選択肢しかありません。

 人々は今持っているものを失うこと、そして、将来手に入れるかもしれないものを失うことを恐れています。失うものは、権力や地位、形のある所有物、あるいは他の人との関係などの、いずれかであることでしょう。また、命やこの世界、幸せ、快適な現状を失うことを恐れているのかもしれません。私たちは、困難に耐え、努力を続ける能力や、他から認められなくても、ありのままの自分を保つという器量を備えているでしょうか。世の中にある未知のものに対するのと同じように、自分自身の中に存在する未知のものに向き合うことができるでしょうか。私たちには、未知のものや暗黒の恐怖に向き合う不屈の意志があるでしょうか。実は、創造力や想像力や視覚化の研究によって、最も大きな恐怖に出会うのは、自分の心の中だということが明らかにされています。

 ある船医がかつて私に語ってくれたのですが、急降下爆撃を受けている最中に、駆逐艦の艦橋で一杯のお茶を飲んでいた艦長がいたそうです。見張りが「右舷前方に敵機」と叫んだ時、彼は見上げることさえしませんでした。「敵機降下中」と聞いた時に、彼はまた少しお茶をすすって、空にちらりと目を向けました。そして見張りが「爆弾投下」と言ったとき、彼は「取舵いっぱい」と命令し、爆弾が近くに着水したときにお茶を飲み干したのでした。このような自制心により、艦長は部下たちの英雄になりましたが、彼の心の奥に隠された恐怖との本当の闘いを、友人の船医は知ることになりました。艦長が船室で一人で座って、すすり泣いているのを目撃したのです。「鋼の神経」というのが艦長の巷での評判でしたが、彼自身の内面では、やはり「心の奥底の恐怖」に立ち向かわなくてはならなかったのです。

臨死体験

Near-Death Experiences

 臨死体験をした人たちの多くは、平安や愛の思いを感じたこと、そして驚くべきことに恐怖は感じなかったことを報告しています。あるバラ十字会員が、運転していた車が高さ15メートルの土手から落ちた時のことを、時間が止まったと語っています。彼女はこうも言っています。「直観的なメッセージに従ってエンジンを止めること以外、私にできることは何もなかったのですが、恐怖はまったくありませんでした。私が生きていたことと、大したケガさえしなかったことは奇跡でした。警官たちが到着して、私と車、そして土手を見たときには、みんな唖然としていました。」

 動物もまた、死が近づいたときには恐怖を感じていないようです。追われている動物は、捕食者が近づいてきたときには、とてもおびえているだろうと普通は思われています。逃げたいという衝動が起きるのは当然のことですが、必ずしもそれは恐怖に基づいているわけではありません。少なくとも、人間が考える意味での恐怖ではありません。走っているインパラがライオンに追いつかれ殺されたとします。その動物が強い衝撃を受けたことに間違いはありませんが、それは自然の摂理の範囲内の衝撃であり、脳内“麻薬”の放出が伴います。そのため、苦痛や恐れを感じることはほとんどありません。動物が傷を負ったときには、通常の種類の痛みによって、傷が治るまで活動が抑制されます。明らかにこのことは、生き延びる上で有効です。同じように、理にかなった恐れは生き延びるために役立ちます。しかし、「生物の」世界からすぐに去ることになるような致命的な傷を負った生物に、ひどい苦痛や恐怖が生じるとしたら、そのことに、生存という意味で、どのような価値があるというのでしょうか。絶望的な最期の叫びには仲間に危険を警告する意味がありますが、それ以外にはほとんど価値がないように思われます。そしてこの叫びも、苦痛を伴わない衝撃によって生み出されているようです。

脳のエンドルフィンの効果

Effect of Brain Endorphins

 動物の捕食に関する研究によって示されていることですが、獲物は捕食者に捕らえられるとすぐに、多くの場合、まるで気絶したような状態になります。捕らえられた動物がもがくことはあまりなく、たいていの場合、自身に降りかかった既成事実に抵抗することもありません。そうした動物は実際に、脳内エンケファリンもしくはエンドルフィンと呼ばれているアヘンに似た天然の物質によって麻酔をかけられた状態にあるのであろうと、脳内物質を研究する化学の分野では推測されています。

 たとえば次のような話がその一例です。およそ50年前、レッドサイド少佐はベンガルのジャングルで狩猟をしていました。彼は、流れの速い川をよろめきながら渡っていました。そして、つまずいたときに、弾薬入れが付いたベルトが川に流されてしまいました。彼の仲間たちは、たまたま声の届かない所にいました。弾薬がないまま、目的の方向へ進んでいたとき、大きなメスの虎が忍び寄ってきているのに、彼は気づきました。彼は青ざめ、恐怖で汗をかき、川の方へ後ずさりを始めました。しかし遅すぎました。メスの虎は彼に突進し、肩を咥えると3頭の子どもたちが遊んでいる所へと数百メートル引きずっていきました。レッドサイド少佐は後に思い出して驚いたのですが、虎に捕まるとすぐに、恐怖が消えたのでした。彼は引きずられている間、そして、ときどき母虎と“猫とネズミ”遊びをさせられている1時間ほどの間、ほとんど何の苦痛も感じていませんでした。少佐は、太陽の光と木々、メス虎の目つきをはっきりと覚えており、彼が何とか這って逃げようとするたびに感じた、強烈な「精神的な努力」と緊張感のことも鮮やかに思い出すことができました。そのたびに捕まえられては引きずり戻され、子虎たちはそれを見ながら、遊びのように母親の真似をしようとしていました。彼は絶体絶命であることがはっきりと分かっていましたが、心はどういうわけか「比較的冷静」であり、「恐怖を感じない」ままであったと言っています。彼は救出してくれた人たちに、この体験が「歯医者の椅子に30分座っている」よりも怖くなかったと思うとさえ語っています。

行動と恐怖

Action and Fear

 この種のことはまた、極めてひどいストレスと危険を感じている他の場合にも起こります。そして、果たさなくてはならない役割が能動的であればあるほど、恐れの感覚は少なくなるということが示されています。塹壕でじっとしているのは、「強硬手段を取る」ことや、危険に身をさらすことよりも困難であるということが報告されています。このようなときには、身をさらすような行ないによって、恐れや不安が軽減されるようです。ですから、恐れを誘発するアドレナリンの放出は、心の状態に大きく影響されていると言うことができます。

 恐怖のもう一つの性質に、明確な危機を見定めようとすることが許されている間は、恐怖はあまり大きくなっていかないということがあります。ベトナムに派遣された空軍の司令官がかつてこう述べました。「6ヵ月間の飛行の後に、多くのパイロットが20歳年を取った」。周囲の人々の生命が失われていく一方で、自分の命は神からの贈り物のように救われるという重々しい体験を多くの人が報告しています。そうした報告ではしばしば同じことが伝えられています。つまり、その体験の際には恐怖はありませんでした。

『生命の贈り物』(AMORC 主催のエジプトツアーにて撮影)

 これらの出来事によって示されているのは、恐怖とは多くの場合、否定的な傾向の予想をすることや、何かを避けることや、ものごとを先延ばしにすることからもたらされる、心が制約された状態だということです。恐怖は、精神が作り出している現実のひとつであり、宇宙精神が作り出している実在ではありません。実在の世界には暗黒や恐怖は存在せず、〈光〉(Light)、〈命〉(Live)、〈愛〉(Love)だけが存在します。実在の世界には死は存在せず、“絶え間なく存在し続けようとしている”、常に変化する〈命〉だけが存在しています。私たちの内部に実在しているものは、無くすこともできなければ壊すこともできません。実在の中では、私たちはあるがままの自分であり、それゆえに、実在の世界には、恐れが存在する必要はありません。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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