資料室

愛を輝かせる技法

The Art of Radiating Love

ジェラール・ライル

by Gerard Lyle

 人の心が抱くことのできる偉大な理想のひとつに、崇高な愛のための経路になるということがあります。私たちの大部分は、まだこの目標に達していませんが、そのような経路となることを学んでいる間にも、できることがあります。私たちは、いかなる困難な状況においても、意図的に、そして自覚しつつ継続して愛を輝かせて、周囲に及ぼすことができます。いえ、むしろ困難に立ち向かっているときにこそ、そのことができます。

 愛、思いやり、寛大さ、忍耐強さなどの肯定的な美徳よりも、怒り、嫉妬、強欲さ、憎しみなどの否定的感情からのほうが、ずっと多くの跳ね返り(splash)が生じるものです。私たちは、心の奥底から真実の愛を輝かせることに、短い時間ならば時として成功することがありますが、真実の愛に必要とされる私心のなさや聡明さなどの資質は、まだ十分に育まれていないかもしれません。長い時間にわたって愛を輝かせること、そしてついには「常に」それができるようになることは、とても飛躍的な進歩であり、人類全体に静かな愛を向ける時間をときどき持つこととはまったく異なります。

 一時的に愛を輝かせている人と全生涯を通じて愛を輝かせている人の重要な違いは、その人の思考や感情の背後にある動機が、どの程度純粋であるかということと、どれだけ深くその動機を理解しているかということにあります。愛と思いやりの違い、人間嫌いと利己的であることの違いなど、似ているようで大きく異なる感情の微妙な範囲を識別することができる人は、ほとんどいません。この繊細な区別に気づかずに、自分が他人に対して親切で思いやりがあると考えてしまうのですが、実際にはその動機は、自分がそう信じることを望んでいるよりも、はるかに不純である場合があります。

 これは、その人に悪意があるとか、その人が不誠実だということを意味しているわけではありません。日常的に意識している外面的な生活において、立派に表わそうと努力している事柄とは対立する、隠された思考や付随する感情を理解して変えるために必要とされる、自己の内面をコントロールするレベルに、その人はまだ達していないということに過ぎません。日々の生活において、思考と感情の背後には、常に微妙な動機があるので、鷲の目で見るように、熱心に自己を監視していなくてはなりません。なぜなら、多くの場合に、隠されたこうした動機が、私たちが行動を起こす原因になっているからです。自分で意識しているような外面的で明白な動機から私たちが行動を起こすことは、あまり多くありません。

 そのため、無条件の愛を輝かせて周囲に及ぼすことから、私たちは簡単に心を逸らされてしまいます。あるいは、なぜ今日は、まさにそのことに取り組まないのかを把握できずにいるのです。そのような“さぼる日”があることは、さまざまな思考と感情の微妙な振動の違いを見分ける識別力を磨く努力をする必要があることを示しています。外側に現れている支配的な感情だけに注意を向けるのでは不十分です。このことを始めるための良い方法があります。他人に対して良いことをしたり親切にしたりしたときや、自分の快適さや都合を犠牲にして他の人を助けたときに、自分の感じた印象だけでなく、相手の感謝の気持ちに注意を向けてみるということです。そして、このようにして他の人を助けたときに、相手が深く感謝しているともし感じないのであれば、自分の“とても善良”な表面的な意図に対立する、より深く微妙な動機が存在することを確信することができます。そして、他の人のために尽くすのは何と名誉なことかと心の底から感じるまで、強い意志と決意で、他の人を助けることに最善を尽くし続ける必要があります。

 他の人を助けるときに、私たちは親しげな印象を装っているものですが、それに伴う自分の思考や感情には微妙な側面もあるということを完全に認識している人は、ほとんどいません。愛と憎しみのような感情の間には明らかで露骨な違いがあるので、私たちは苦痛なほどその違いを感じます。しかし、私たちのほとんどは、それに関連するエネルギーがあまり大きくない場合には、自身の心の奥にある微妙な感情に気づきません。私は、ある人がこう言うのを聞きました。「ああ、私はいつも愛に輝いているよ。そもそも優しい質なんで、自然にそうなるんだ」。ええ、そうですね。私たちの誰もがそんな言葉を聞いたことがあるでしょう。しかし数時間後にはその人が、誰かと腹立たしげに言い争ったり、何かについての不満を訴えたりしていて、どう見ても、愛を輝かせていないことがあります。ですから、真に一貫して愛を輝かせていたいと望むなら、その第一歩として、自分に生じている、さまざまな微妙な思考や感情や雰囲気の違いを、より正確に識別することを学ぶべきです。

 このような思考や感情は、しばしば「バタフライ効果」(butterfly effect)に似ていることがあります。バタフライ効果とは、アマゾンの森林の奥深くで一匹の蝶が羽ばたいたことが、大西洋のちょっとした風をハリケーンに変えてしまうような、ナイフの刃のように鋭い引き金として働くことを指します。微妙で隠れた思考と感情は、蝶の羽ばたきと同じような影響を私たちに与えて、心の奥で働き、私たちの外面的な行動を変化させることがあります。ですから、ありがたいことにそんなことはごくまれだとはいえ、望ましいと思われるある行動が、わずかな違いで過ちになってしまう場合があることを心得ていてください。

 第2のステップは、今いる状況から自分自身を引き離す能力を磨くことです。つまり、さまざまな行為で溢れているこの地上から離れて空中に上昇するかのように、自分が本当は何をしているかを見ます。自分がやっていると思っていることではなく、実際に行っていることを見るのです。「幸せと願望」というバラ十字会の雑誌の古い記事で、マーガレット・マクゴーワンは、感情の完璧さには愛情に満ちた超然さが伴うと説明しています。つまり、「すべてを愛するが、何にも執着しない」ことが伴います。どのような状況にあっても、他の人との関係や感情には、否定的な側面もあれば肯定的な側面もあります。注意を怠ってしまうと、徐々に、肯定的な側面を見過ごし、否定的な側面に注目しがちになってしまうことに私たちは気づきます。どのようなことに関しても、否定的なことと肯定的なことに、どの程度の注意を振り向けるかを選択しなくてはなりません。多くの場合、人はすぐに否定的な面に引き寄せられて、それに共感し、後になって理由を付けて自分の行動を正当化します。判断が偏らない人は、選択する能力を持ち、起きている状況のすべての側面を見ます。大部分の人は、意識して冷静に踏み止まることも、存在する選択肢のすべてを見渡すこともしません。

 私たちが高いレベルの超然さ(無執着)に達することができたならば、意図的にそして継続的に、愛を輝かせて周囲に及ぼす技法の第2の段階を完成させたことになります。識別と超然さという2つの段階がなければ、愛を周囲に及ぼそうとする努力は、時にはなされたり、時になされなかったりする当てにならないものになってしまうでしょう。たとえ、自分は常に愛を輝かせていると本気で信じているとしても、いつでも思い違いであることがあり得ます。

 生活の中で、行動を短時間中断して、自分が外に表している気分や態度を評価したり、日記などにそうした情報を記録したりしておくのは難しいことではありません。そして一ヵ月ほど経った後に、記録を読み返して、愛を輝かせることができた回数と、愛とは言えない態度を表してしまった回数を、正確に比較することができます。そうすることで、自分自身と自分の感情の状態についての貴重な情報を得ることができるだけでなく、愛を意図的に継続的に周囲に及ぼすという技法に、自分がどのくらい上達したかを調べることができます。実際に行う場合は、ただ、記録を最新の状態に保つことを怠らないでください。そして、愛を輝かせて周囲に及ぼすという技法を、自分がどの程度発揮できているかを、定期的にチェックしてみてください。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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