資料室

自分が死んだと思った日

The day I thought I died

バリー・ヒル

by Barry Hill

 2007年の夏の初めごろのことです。私は何週間も前からずっと気分がすぐれなかったのです。ちょっとした咳から始まり、すぐにインフルエンザの典型的な症状が現れてきました。私は40代の半ばでしたが、自分の知る限り健康に関して特に問題はなく、ここ何年もインフルエンザに罹ったことはありませんでした。実際のところ、それ以前の体調が最高の状態だったので、いつものように週末のサイクリングに行けないことを腹立たしく思っていました。まるでぬいぐるみにでもなったような感じで、階段を上がる力がほとんどありませんでした。

 ありがたいことにインフルエンザは数日で良くなり、体調は完全に快復しつつありました。そのとき、私の妹とその子どもたちから、郊外のコーヒーショップで落ち合おうという招きを受け、喜んで応じたのです。妹の子どもは男と女の3歳の双子で、この子たちの無邪気さとのびのびしたところが私は大好きで、愛情の特別なきずなを感じていました。2人の性格はとても違っていましたが、どちらも明るくて活発で生命力に満ち、とりわけ素晴らしいことに、お互いに対して気遣いと優しさを持っていました。

 コーヒーとパンを注文する順番待ちの列が長かったので、双子たちが、店の中にいた同じ年ごろの子どもたちと知り合いになれるようにと、妹がひとりで気長に列に並んでいました。私の席の隣に座っていた家族の2人の子どもは、最初は妹の子どもたちとはまったく知らない同士だったのですが、はにかみながらも親しみを込めた表情としぐさで交流を始めて、数分のうちに長年の親友のようになっていました。それは素晴らしい光景でした。なぜ大人たちは同じことができないのでしょうか。小さな子どもたちはいともたやすく知り合えて、あっという間に友だちになれるのに、大人の間では戦争やいさかいや不幸なことばかりです。もし私たちがもう一度小さな子どものようになれるなら、紛争を永久に消し去るなんていうことは、いかにも簡単なことに違いありません。

 コーヒーショップは人でいっぱいで、話し声や笑い声で賑やかでした。リラックスして楽しげな雰囲気に満たされ、心地よい音楽が流れていました。 私は、ふたたび最高の状態で人生を体験することができていることに対して、そしてとりわけ、今とても良い体調であることに対して、突然わき上がってきた感謝の気持ちに圧倒されていました。そして、快適なソファに座り、その場の雰囲気に心を満たされながら、軽く頭を後ろに倒し目を閉じていました。私が意識を失い、すべてのものが急に止まったのはその時に違いありません。私は何が起きたのかを覚えていませんし、自分がどのようにして意識を失ったのかも思い出せません。しかし、急に静かになったのに気づいたことは、しっかりと覚えています。

 私は落ち着いていて、何の不快感もありませんでした。ただ一つ、とまどったのは、そのとき見た、方向が定まらないような光景です。私はお店にいる人たち全員を、まるで彼らの頭上のとても高いところから見下ろしているかのようでした。私は澄んだ青空の中、何百メートルも上空にいて、店の中で起きているすべてのことを見通せるかのようでした。しかし同時に、普通の会話を続けている人たちを地上から見てもいたのです。しかしすぐに状況は一変しました。そして今度はすべてが鮮明になりました。もはや私は同時に2つの場所にはいませんでした。私は天井のすぐ近くに違いないと思われる場所から、店にいる人たち全員を見下ろしていました。私は、あたかも自分が彼らの前にいるかのように全員を見ており、すべての人たちとすべての物事を同時に見ていました。そしてその光景には、ソファの片端に丸まるように沈み込んでいる自分自身も含まれていました。いつもと変わりない様子の人たちを、とても鮮明に私が見つめている間、静寂が続いていました。

 私には時間の感覚がなかったので、これがどのくらい続いたのかは分かりませんでした。私が何らかの意味で「行ってしまった」とか、何かが違っているという感じはありませんでした。心臓麻痺が原因で、少なくとも6分間、私が臨死状態にあったということを聞かされたのは、この後かなりたってからのことでした。私は自分自身がソファの片側に寄りかかるように、前屈みに座っているのを、ある一点から細部まで見ていましたし、私の頭の位置からは不可能なはずの角度だったのですが、私の周りに立っている人たちが、私を見下ろしているのも見ていました。その後はすべてが空白になり、私が目を覚ましたのは3日後、店からわずか1ブロック離れたところにある病院の集中治療室でした。

 最初、私は自分の身に起こったことについての記憶がまったくなく、起き上がろうとするのを何度も止められました。自分が心臓発作を起こし、6分以上の間、臨死状態にあったと知らされたときに、自分に永続的な脳の損傷が生じている可能性が高いことを私は知りました。しかしそれはまったく起こっていませんでした。私は自分がまだ生きていること、見たり聞いたりすることができ、少しは動くこともできることに、ただただ感謝していました。人生がまさに終わろうとする体験をすると、それが、あまりにも貴重で魅力的なものであることが分かります。まだここにいることを、私はどれほど幸せに感じたことでしょうか。

 強い鎮静剤の影響で、私は再び眠りに落ちました。そして次の日の早朝、再び前回と同じような鮮明さとともに目が覚めました。コーヒーショップで起こったことについての記憶が、すべて絵を見るように細部まで戻ってきました。私はすべてが止まってしまったときまでの、あらゆることを思い出しました。しかし今度は、この静かな早朝は普段とはまったく違うこと、この日が私の最後の別れの日と定められているのだということが分かりました。部屋の中のいくぶん高いところから、私は見ていたのですが、2人の看護師が部屋の中に駆け込んできて、照明がつけられ、彼らの後からすぐに一人の医師がやってきました。そして私はただちに部屋から運び出されました。すべてが再び止まったのはその時です。

 私はもう一度心臓発作を起こし、今回は前の発作よりも重症でした。私が命拾いをし、今日この文章を書くことができているのは、ひとえに医師と看護師の方々の懸命な努力のおかげです。バイパス手術が施され、12時間たってようやく目覚めたとき、すべての記憶が鮮明でした。そして、その記憶は今でも鮮明です。

 私は死んだのでしょうか? 2度も? 私には分かりませんが、医師たちは私が死んでいたということ、そして幸運にも2度の心臓発作から生還したという意見を譲りませんでした。私は確かにこれまで体験したことがなく、そして今後も決して体験しないであろうことを体験しました。身体から抜け出し、ものごとを見たという感覚です。おそらく過去に他の人たちも、死につつあるときにこのような体験を無数にしたことがあるのでしょう。私が生と死の中間の状態で得た感覚は、完璧な静寂の感覚であり、そこには喧騒も、心を悩ますことも、焦りもまったくなく、ものごとはそうなることが決まっているように展開していくものだということと、どこかある場所、ある時に、その“場所”が存在していて、そこでは、過去に親しかった人たちが、ついに私がやってくるのを気長に待っているのだということを、ただ受け入れるだけでした。

 しかし私は、「そうなることが決まっている」という表現が、私の場合にはどのようなことを意味するかを理解することができます。つまり、この一連の出来事のすべての瞬間が、私に対して、そのように起こることが定められていたのだと考えています。というのも、このできごとは私にある変化をもたらし、そのおかげで、自分がはるかに望ましい人間になることができたと私は信じているからです。この出来事以降の一日一日は貴重な贈り物となり、その経験がもたらした私の精神と心の中の望ましい変化は、計り知れない恩恵と解放になりました。コーヒーショップのソファで前のめりになっている自分を見て、そして専門家の意見では、すでに私が臨死状態であったときに、再び自分自身と病院のスタッフを見たことから、そしてまた、この2つの光景に伴っていたこのうえない平安と静寂によって、私は生命が死を超越しているということを確信しました

 私の職業は科学者ですし、合理的に考えれば、それが単にひとつの信念に過ぎないことはわかっています。しかし、このうえなく鮮明で深い平安を感じる2つの体験によって、強烈な印象をもって与えられた信念であるので、それを単なる空想だとして退けることは私にはできません。この2つの体験から、年を追うごとにますます、ある考えに強く惹きつけられていくようになりました。私が最終的に永遠に旅立つとき、その行き先は、自分が行くことを定められている場所であり、その行き先は、自分が愛し、慈しんでいる、そして、望ましいと知っているすべてのものごとの、まさにその本質に満たされた場所だということを私は確信しているのです。私の生涯が終わるとき、人生が私に与えてくれたさまざまな体験に対して、特に死とはどのようなものかということに対して、あるリハーサルが与えられたことに対して、私は限りない感謝の気持ちとともに旅立っていくことでしょう。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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