資料室

イムホテプと古代エジプトの医学

Imhotep and Ancient Egyptian Medicine

ボブ・コーゲル

by Bob Kogel

 シドニー市にあるロイヤル・プリンス・アルフレッド病院の腫瘍科の庭には、玉座に座っているエジプト人の像があります。それは、4600年前の古代エジプトのイムホテプの像です。では、なぜ現代の医学が、この古代エジプト人に敬意を表しているのでしょうか。

 カナダの内科医であり、ジョンズ・ホプキンズ病院を創設した4人の教授の一人であるウィリアム・オスラー卿(William Osler, 1849-1919)によれば、イムホテプは真の「医学の父」であり、「古代という霧の中からはっきりと姿を現した最初の個人」でした。

 アメリカの考古学者であり、エジプト学者、歴史家でもあったジェームズ・ヘンリー・ブレステッド(James henry Breasted, 1865-1935)はイムホテプについて次のように述べています。

  • 神官としての知恵や魔術、英知にあふれる格言を作ること、医学と建築学において、ジョセル王(訳注)の治世に現れたこの傑出した人物の残した評判は極めて高かったので、その名が忘れられることは決してなかった。
  • イムホテプは植物から治療薬を抽出した。
  • 大小さまざまな彫像が数多く見つかっているにもかかわらず、彼の生涯の詳細については、ほんのわずかしか伝えられていない。いくつかの像では、イムホテプは飾り気のない服を着た普通の人物として表わされている。椅子に座り、パピルスの巻物を膝の上に広げたり腕に抱えたりしている賢者として表わされている像もある。後の時代の彼の像は、神のような顎髭を付け、直立し、王権を示す笏とアンク(訳注)を持った姿をしている。
  • 彼はまた、パピルスの巻物を広げて椅子に座り、体に巻き付けるタイプの長い裾の麻の衣服と、スカルキャップ(訳注)を身に着けた姿で表されている(この記事の表題の写真を参照)。パピルスの巻物は、「命の家」(訳注)の書記者たちが保持していた知識の源を象徴していると解釈することができる。身に着けているスカルキャップは、イムホテプがプタハ(訳注)と同一視されていたことを示しており、聖職者用の麻の衣服は、彼の宗教心が純粋であったことを象徴している。

訳注:ジョセル王(Zoser):紀元前2650年ごろに活躍したエジプト第3王朝の2代目の王。

アンク(ankh):上が輪になった十字の形で、生殖と長命の象徴。アンク十字、アンサタ十字とも呼ばれる。

命の家(House of Life):古代エジプトで神殿に附属していた図書館や学校で、書記者、神官、祈祷師を養成していた。

スカルキャップ(skullcap):聖職者用の、頭にぴったりと合う薄手で縁なしの帽子。

プタハ(Ptah):古代エジプトの神。メンフィスの支配神で、宇宙の万物を創造した陶芸家、鋳物師、建築家であり、芸術の守護神であるとされた。

イムホテプが設計し建設したジョセルの階段状ピラミッド(AMORC 主催のツアーにて撮影)

 人々、歳月、歴史によって、さまざまな伝説が作られ、それは後の世代の人々にとって、象徴的な模範としての役割を果たします。そのような伝説のひとつが、このエジプト人、紀元前2650~2600年ごろに生きていたイムホテプについての逸話です。エジプト第3王朝の時代に、イムホテプは、ジョセル王の相談役の長を務めていました。多くの才能に恵まれていたこの人は、神官、天文学者、医師、建築家でもありました。彼の称号を省略せずに述べると次のようになります。エジプト王の第一書記であり、医師であり、上エジプトの王に次ぐ者、国王の宮廷の管理者であり、貴族の家系に属し、ヘリオポリスの高位聖職者であり、建築家であり、大工の長、彫刻家の長、花瓶作りの長である者。彼の名前のイムホテプは、「心の静けさとともに来る者」を意味します。

 カイロ近郊のサッカラにある有名な階段式ピラミッドの設計は、彼の功績であると考えられています。このピラミッドは6層の壇からなり、世界最古の自立した石の構造物であり、砂漠から60メートルの高さにそびえ立っています。

 イムホテプはサッカラ付近のどこかにある、注意深く隠された墓の中に埋葬されていると考えられています。しかし彼は、砂漠を流れる砂の中で忘れ去られる運命にはありませんでした。彼の名声、特に医者と賢者としての名声は、エジプト人の記憶の中に生き続け、ついには伝説の一部となりました。

エジプトのコム・オンボ神殿の壁に描かれた治療用具(AMORC 主催のツアーにて撮影)

 医学の始まりは魔術と密儀(訳注)です。奇跡的な治療法と魔術の呪文は常に人々を惹きつけてきました。古代文化では、医学と魔術とは密接に絡み合っており、この両方が宗教や他の心のよりどころの一部になっていました。エジプトの人々は、真の医学的知識はすべて、神々から与えられると考えていました。そのため、魔術についての古代のパピルス文書には薬の処方が含まれており、一方で医学についてのパピルス文書には、魔法の呪文が必ず散りばめられていました。魔術と医学は、宗教の実践の一種であったと言うこともできます。

訳注:密儀(mystery):古代のエジプト、ギリシャ、ローマなどの神秘学派で行われていた、特別な資格を持つ者だけが参加することができる儀式。この儀式では、新たな資格とともに秘伝的な知識が与えられた。秘儀、入門儀式(initiation)と呼ばれることもあり、他の文化でも広く重視されていたことが知られている。

 以下は、治療薬を調合する際に、それに“正しい”効力を与えるために唱えなければならない呪文の一例です。「イシスが解放すべきものを、解放してくださいますように。ホルスの弟のセトが父オシリスを殺めたときに、ホルスに対して行ったすべての悪から、イシスがホルスを解放してくださったように。おおイシス、偉大なる魔術師よ、すべての邪悪な赤いものから、神の熱から、女神の熱から、死から、苦痛による死から、私に襲い掛かっている苦しみから、私を解放し、自由にしてください。あなたがかつて、息子のホルスを自由にして解放したように。私が火の中に入り、水から出ていくときに。」

国立医学図書館所蔵のエーベルス・パピルスのあるページ。ここには喘息用の薬品の処方が示されている。調合された薬草の混合物はレンガの上で加熱され、患者が蒸気を吸う。

 エーベルス・パピルスは古代エジプトの、アメンホテップ1世(紀元前1525-1504)の治世に作られた極めて長いパピルス文書です。しかし、その一部は第一王朝にさかのぼると、この文書自体に書かれています。ですから、イムホテプが生きている時代にもこの内容の一部は存在していたと思われます。このパピルス文書は医学について記されたもので、およそ20メートルの長さがあり、108の節から構成されています。このパピルスは、エジプトの神官であり医師であった人たちの医学の知識と技術について、現代の私たちが知ることができる主要な情報源です。このパピルスには多数の病気に対する処方が多数列挙されていて、使用する医薬品や服用量や投与の方法が詳細に記載されています。このパピルスによって、臨床実験、診断、治療がすでにかなりの進歩を遂げていたことが明らかに分かります。さらに、骨格と、骨折を適切に処置する方法についての正確な知識が書かれています。胃と腸の位置と働きや、大動脈が心臓から体のあらゆる部分に通じているという事実も知られていました。エドウィン・スミス・パピルスに描かれている図の一部には、解剖することでしか得られない身体の構造についての知識が示されています。

 数千年前に用いられていた薬物の多くは、現代の調剤の標準的な方法においても重要な位置を占めています。ホメロスが指摘している通り、エジプトの植物には薬草が豊富であり、その薬効が注意深く研究され活用されていたことは明らかです。たびたび述べられている植物由来の産物に、ヒマシ油、アヘン、アロエ、コリアンダー、キャラウェイ、ゲンチアナ(強壮剤)、テレピン油、没薬、ネズ、フェンネル、ヒヨス、アマニ、ペパーミントがあります。遠い古代においても、苦しんでいる気の毒な人々の痛みを和らげるためにアヘンが用いられていたのは興味深いことです。

症状と治療法が刻まれているエドフ神殿の医学の壁(AMORC 主催のツアーにて撮影)

 エーベルス・パピルスには、血管系のことが詳しく解説されていて、心臓の働きに異常が生じたときの全身への影響についても書かれています。また、心臓は「すべての器官のうちで最初のものである」と述べられています。血液が循環するらしいということも示唆されていて、脈拍は知られていましたが、心臓が実際にポンプのように活動していることは理解されていませんでした。一方で、脈拍と心臓の関係はよく理解されていました。エーベルス・パピルスにはこう書かれています。「心臓に病気がある時は、その働きは不完全になる。そして、心臓から出ている血管は活動的でなくなり、血管の活動を感じることができなくなり、血管は空気と水で満たされてしまう。」

 建築の達人の息子として生まれたイムホテプは、医学と魔術の道に入り、医学的な指示を集めた文書を学び暗記しました。彼の訓練はさまざまな神殿で行われ、神官であると同時に医師である人々から指導を受けました。彼は神官としての知恵、天文学、魔術について学び、こうしたさまざまな分野の知識を日常的に医学の現場で活用しました。

 その後、イムホテプはファラオの相談役の長となり、エジプトで最も重要で知識のある医師として有名になり、ファラオを担当する医者に任命され、国で最高の地位の医師になりました。彼は優れた博学な医師の一人として、病人と苦しんでいる人々の体と魂のために尽くしましたが、そのことを彼は自身の栄誉だと考えていました。抜きんでた医師としてのイムホテプの生涯は、エジプトで決して忘れ去られることはなく、何世紀も後のグレコローマン時代においても、何千人もの人々がフィラエやメンフィスにある彼が祀られた神殿に、病気が治ることを願って訪れました。フィラエのイシス神殿には、治療術とイムホテプに捧げられた小さな礼拝所があります。この礼拝所は紀元前380年頃、つまりイムホテプの時代から2200年後に建設されたものであり、壁にはイムホテプの像が彫られており、神として祀られています。

イシスの神殿にあるイムホテプの礼拝所、イムホテプは医学の神として描かれている(AMORC 主催のツアーにて撮影)

 イムホテプは、学者としても不朽の名声を残しています。医学、魔術、天文学、建築学、数学、哲学について彼の知識は、おそらく彼の時代の最高峰のものでした。ちなみにイムホテプは、書記者を守護する聖人だと考えられており、書記者たちは何世紀にもわたって、仕事を始める前にイムホテプの像に水差しから奉納の酒を注ぎかけていました。イムホテプは格言を作って一般の人たちに英知を分け与え、その格言は、エジプトの後の世代の人たちに語りつがれ尊ばれました。彼の優雅で詩的な格言は、歌の形をしているものが多く、経験によって教えられる人生の哲学が反映されていて、そのテーマは哲学から日常にまでわたる幅広いものでした。人々の間で好まれた歌の形式の格言のひとつには、人生は短くて不確実なものであること、そして私たちは、人生を楽しみ今日という日を最大限に活かしながら、今という時を生きるべきであるという見解が示されています。このようなイムホテプは、ローマ時代になっても詩歌の達人として記憶されていました。

 古典文明が崩壊した後の数世紀の間、彼の名前は忘れられていました。19世紀の初頭にシャンポリオンがエジプトのヒエログリフを解読した後に、世界最古のこの文明に新たな光が投げかけられたことで、イムホテプの重要性がようやく再発見されました。今日、イムホテプは文明の建設者として、人類の歴史の初期の偉人の一人として、歴史上の偉大な人物の殿堂に再び名を連ねています。

参考文献
A History of the Ancient Egyptians by James Henry Breasted
Imhotep: Physician and Sage by Robin Thompson FRC
Papyrus Ebers, 99, I.
Edwin Smith Papyrus
Egyptian Mythology, W. Max Muller
An Account of Egypt by Herodotus
Popular Stories of Ancient Egypt, G. Maspero

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

このページのTOPへ