投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2022/08/08


資料室

イスラムの豊かな精神的伝統

The Spiritual Wealth of Islam

セルジュ・ユタン

By Serge Hutin

全3巻からなる『イスラム哲学の歴史』(Histoire de la philosophie Islamique)は1964年に刊行された重要な作品であり、その第1巻の題名は『最初期からアヴェロエスの死(1198)まで』です。また1993年には、全巻の英語版(the History of Islamic Philosophy)が出版されました。この3部作は、パリ市のソルボンヌ大学のイスラム研究の責任者であり、また、テヘラン大学で毎年教鞭をとっていたアンリ・コルバン教授が執筆しました。この著作は、イスラム教の入門儀式の高度な意味や、その神学や神秘思想の歴史的動向を詳しく理解していた彼が行った、生き生きとした証言です。今日でさえも、この分野について本格的に理解するための、この本を上回る入門書はおそらく存在しないことでしょう。

私の目的は、コルバン教授が示してくれたこの伝統思想の壮大な全景についての、そこそこ妥当ではあるけれども面白味のない概説を紹介しようとすることではありません。そこからいくつかの要素を引き出して、この精神的な伝統が、計り知れないほど豊かなものであるということを、皆さんに実感していただければと思っています。イスラムの伝統的な秘伝思想という財産は、特に西洋世界では、いまだに真価が十分には認められていないのです。

コーランの秘められた意味

The Secret Meaning of the Koran

コーラン

イスラム教は、啓示を受けて書かれた書である『コーラン』を基礎にして成立している宗教です。イスラム教は、アブラハムの宗教と呼ぶことができる宗教としては3番目に、つまり最後に現れました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、すべて「聖典を基礎に成立している宗教」であり、その聖典はいずれも一神論の啓示を扱っています。

聖書と同じように、コーランにも2種類の解釈があり、いずれも完全に正当な解釈です。コーランを読むと、「この世界で生きるための規則と、この世界を超える性質の導き」を理解することができます。つまりコーランには、ひとつには文字通りの解釈があり、もうひとつには秘伝的な解釈があります。しかし、自身の心の深奥から来る確信と宗教的な実践に完全に忠実なイスラムの参入者(訳注)たちにとっては、神が預言者ムハンマドに書き取らせたこの聖なる書の“真の意味”について、問題が生じることは事実上ありませんでした。一方で、イスラムの参入者たちは、自分たちが探究している伝統的な道の外部に、やはり啓発された人たちが実際に存在しているということを理解していました。

訳注:参入者(initiate):宗教や非宗教のエソテリシズム(秘伝思想、後述)の組織に入門し、それを探究している人。

古代ギリシャの思想家たちの高度な知識もまた、「預言という光の奥底」から到来したのだということをイスラムの参入者たちは十分に認めており、このことには、彼らの積極的な寛容が表れています。一方でそれと同時にイスラムの参入者は、ムハンマドがアブラハムの系統の正統な後継者であることにまったく疑いを抱いておらず、それは多くのユダヤ教徒やキリスト教徒の開祖に対する態度と同様です。このような極めて寛容な姿勢の結果、イランとパキスタンのスーフィズム(訳注)の教師の一部は、キリスト教徒やヒンズー教徒がスーフィズムの教団に入門し学ぶことを認めてさえいます。

訳注:スーフィズム(Sufism):イスラム教の神秘思想。スーフィズムの探究者はスーフィー(Sufi)と呼ばれる。

コーランの秘伝哲学的な解釈というまさにその問題に取り組むために、コルバンは、そのために必要な原理について極めて明確に述べています。

 秘奥の(spiritual)意味を示すという目標を達成するということは、秘奥でない(日常的な)意味がそこにあるということを示唆する。そして、秘奥の意味と秘奥でない意味との間には明確な境界が存在するのではなく、おそらくそこには段階があるのであろうということも示唆する。このことから、コーランにはいくつもの意味が存在するという見解に導かれる。

そして彼はさらに、シーア派の第6代イマーム(指導者)のジャファル・サディク(西暦702-765年)の注目すべき言葉を、何ページかを割いて引用しています。

 「神の書」は4つのものからできている。文字通りの言葉がある。比喩的な理解がある。隠れた世界に関連する秘密の意味がある。崇高な精神に関する教義がある。文字通りの言葉は通常の人々のためのものである。比喩的な理解は選ばれた人々のためのものである。秘密の意味は「神の友人たち」に属する。崇高な精神に関する教義は預言者たちに属する。

 以上の文章は次のように解釈することができる。

文字通りの言葉は聞かれることを意図している。比喩は内面的に理解されることを意図している。秘密の意味は観想されるビジョンのためのものである。崇高な教義は、秘伝的なイスラム教の全体の理解に関わる。

エソテリシズム(訳注)が必要なのはなぜでしょうか。その理由は明らかです。スーフィズムの偉大な神秘家であり、ペルシャ人であるアル・ハッラージュ(858-922)はバグダッドの通りで、彼が受け取った大いなる啓示を、軽率にも世俗の人々に公表しました。スーフィズムの師の多くは、神秘体験を多くの人たちと共有することは適切ではないと考えていましたし、この軽率な行動の結果として、彼は11年後に処刑されました。世俗の人々や通常の信徒だけでなく、極めて信仰心の篤い一般の信者でさえも、秘伝的な真実を理解することができないばかりか、そのような真実を公表すると、参入者たちには、大衆向けの信仰や実践を軽蔑している神を敬わない神聖さを汚す者だと見なされる危険が生じます。実際にこのことが、アル・ハッラージュの身に起こったのです。

トルコのコンヤ(Konya) にあるメヴラーナ(スーフィーの詩人ルーミー)の霊廟と有名な緑の塔。彼の死後、1273 年にスーフィーのダルヴィーシュから構成されるマウラウィー教団が設立された。この教団では、神への崇拝かつ瞑想の手段として旋回する舞踏を伝統的に用いる。

訳注:エソテリシズム(esotericism):秘教、秘伝、秘伝哲学、秘伝思想などと訳される。宗教は通常、秘教と公開の教説(exoterics)に分かれ、このうちの秘教は、内陣と呼ばれる少数の人だけが属する集団で探究される。内陣に入るためには通常、入門儀式(initiation)を経て選ばれる必要がある。宗教ではない入門儀式方式の組織も存在し、そこで探究されている思想もエソテリシズムと呼ばれる。語源的には、「心の内側に向かうこと」を意味し、神秘学(mysticism:神秘哲学)とほとんど同じ意味で使われることも多い。

先ほどの引用から、コーランの秘伝的な意味は一つだけではなく、参入者が完全な啓示へと向かう一連の段階に応じて、いくつかの階層的な意味が存在するということが分かります。コーランに区別することのできるいくつかの意味があるということは、人間の集団の内部には、スピリチュアリティに関する序列が必ず存在するということの注目すべき一例です。この序列には3つのカテゴリーがあります。

・通常の世俗の人々。
・参入者になる可能性を持った人たち(それゆえに参入者が接触する必要のある人たち)。
・探究の道における個人的な進歩のレベルに応じて、さまざまな階級に分けることのできる参入者。

参入者の階級

The Initiatic Hierarchy

アンリ・コルバン

伝統的なイスラム教の入門儀式は一般には知られていません。グロテスクに歪曲されているとまでは言えないにしても、いまだに流布されている疑わしい話で扱われているだけです。ヨーロッパでは、ダルヴィーシュ(訳注)やイスマーイール派、アサシン教団(訳注)についての混乱した話を耳にします。イスマーイール派の指導者であるアガ・カーンは、この宗派において、キリスト教の「教皇」とおおよそ同等の地位が与えられているので、世界のメディアが好んで取り上げる人物の一人です。アサシン教団を構成したのは、学者で詩人のオマル・ハイヤームの友人であり「山の老人」と称されたハッサン・ザッバーフ(Hassan-e Sabbah)の信奉者たちであり、堅固なイランのアラムート(Alamut)城砦をモンゴル族が破壊した時に滅ぼされました。

訳注:ダルヴィーシュ(Dervish):ペルシャ語の「貧乏人」が語源。イスラム教神秘思想の修道者であり、通常清貧を誓っている。

アサシン教団(Assassin):イスラム教イスマーイール派の一派。正統派の秘伝思想を探究する集団であったが、流布された噂により「暗殺者」を意味するイタリア語や英語の単語の語源になった。

コルバンはこれらの話題について、過度に単純化されたすべての印象を正しました。彼は特に、広く流布していたアサシン教団についての、まるで怪奇小説のような凶悪な逸話の多くを、正当な事実に置き換えました。このような逸話は、最初は敵対する勢力によって広められ、その後は、秘密結社を専門に研究している西洋の、自称“歴史家”の人々によって広められたものです。コルバンの書は、スーフィズムについて極めて明確に論じています。スーフィー(Sufi)とはいったいどのような人たちなのでしょうか。彼らは、イスラム教の神秘哲学を信奉する人たちであり、入門儀式方式の共同体を作り、多くの場合、おおむねキリスト教の修道士のような生活をして、さまざまな規定を持つダルヴィーシュの教団に分かれていました。

伝統的なスーフィズムの特徴として、参入者から構成される階級組織が必ず発達するということが挙げられます。過去に目を向けることを続け、イクワン・アッサファの秘密結社、つまり「純正兄弟団」(Brethren of Purity)を例にして説明します。この教団は、アッバース朝の最盛期にイラクのバスラを中心に活動していました。彼らは数学、自然科学、心理学、神学についての52の論文を書きました。この教団の参入者は、年齢とともに発達する精神的な適性に従って、4つの階級に分けられていました。正式な入門儀式を授与されることは、40歳以下では不可能でした。40歳になると、参入者は啓示へ向かう前進を開始します。50歳になると参入者には、”大いなる自然の書”から人間というミクロコズムの心の中に、啓発の光を全体的に受け取る心の準備が整います。あらゆる証拠から見て、40歳と50歳という年齢は、参入者の成熟の特徴を意味しているのであり、一般社会で用いられている世俗の年齢と混同することはできません。40歳もしくは50歳は、参入者が、ダンテのように「大いなる啓示」を受ける準備がようやく整うことを意味します(キリスト教の伝統では、しばしば33歳と言われています)。大いなる啓示は、肉体的成熟とは関係なく、参入者の真の進歩の程度に応じて起ります。

アッバース朝の最盛期に、イラクのバスラにその中心を置いていた「純正兄弟団」、つまりイクワン・サファー(Ikhwan as-Safa)の秘密結社を描いた12 世紀のアラビアの写本。

コルバンの書には、シーア派について詳しく説明されているいくつかの章があります。それは、ヨーロッパの人々にとってスーフィズムよりもさらに知られていない分野です。イスマーイール派は、シーア派内の歴史的に有名な2つの分派のうちのひとつです。シーア派の思想と実践は、真に秘伝的な意味の探究を、熱心に忍耐強く続けるという大局的な観点の範囲内に完全に収まっています。この探究は、イスラム教の啓示と、その結果としてイスラム教の歴史の全体に準拠した、心の崇高さを求める真の探究の道です。しかしシーア派という宗派は、預言者ムハンマドの後の時代に発展したものであり、明らかに世俗的な問題とイスラム教の最高権力に関わる問題が、その誕生の経緯に関わっています。そして、イマーム(Imamate)への信仰、つまり”指導者”であると考えられている個人に対する信仰がシーア派の思想の基礎になっています。イマームは、ムハンマドの死から、物質世界の現在の周期の終わりまでの歴史のすべての範囲において指導者であると考えられています。ムハンマドは預言者たちの時代に終わりをもたらした「預言者たちの封印者」(Seal of the Prophets)であると考えられています。

シーア派の思想が形成され始めた歴史的な時期は、ムハンマド自身が生きていた時代にまでさかのぼります。シーア派は最初期から、スンニ派(原注)とは対照的に、聖人アリーを最高権力者としてイスラム教が統治されることを望んでいました。アリーは、預言者ムハンマドのいとこであると同時に、ムハンマドの娘ファティマの夫、つまりムハンマドの義理の息子です。シーア派では、アリーの死後、イマームは常にアリーの子孫でなければならないとされました。

原注:スンニ派(Sunni):コーランを補う、スンナ(Sunna)と呼ばれる伝統的に言い伝えられてきた規範を厳格に守り続けることを望んでいるイスラム教の一派。

十二イマーム派とは、その名が示す通り、アリーから始まる12人の一連のイマームを認めている宗派ですが、イスマーイール派は7人しか認めていません。実際のところ、この2つの宗派の相違は表面的なものです。秘伝哲学的な意味において、この2つの宗派の考え方は多くの点で一致し、互いに補い合っているように思われます。コルバンは次のような見解を示しています。

 十二イマーム派の12という数は、黄道十二宮の星座と象徴的に対応しており(モーセの杖で打たれた岩から12の泉が湧き出したことも同様)、イスマーイール派のイマームの人数である7は惑星天の七惑星(訳注)を象徴している。

訳注:七惑星:火星、水星、木星、金星、土星と、太陽と月。

ムハンマド・ガウト・グワリヤリは、スーフィーのシッタリ派の16 世紀の師であり、写真の著作「ジャワビル =イ・ハムス」(Jawahir-i Khams)の作者である。この題名は「5つの宝石」を意味する。この神秘思想のスーフィーの教団は15 世紀にペルシャで組織され、後にインドで大きく発展した。

目に見える歴史の背景になっている宗教宗派の統治という事柄でさえ、さまざまな秘伝哲学に共通する数の象徴的な意味に沿っています。スンニ派のスーフィズムには、シーア派とは異なる形で、クトゥブ(原注)を頂点とする、非物質的な階級組織という観念が見られます。歴史のさまざまなレベルにおいても、入門儀式を伴う個人の進歩においても、この種の伝統的な観念が、常に役割を果たすということを承知しているべきです。入門儀式を授ける実際の人間は、その使命と役割として、入門者が徐々に次のような存在と接触できるようにしなくてはならないとされていることにも留意すべきです。「非物質的存在」、「哲学の天使」(原注)、自身の個人的な「指導者」、学習者の準備ができた時にだけ現れる「内なる師」です。このことで説明されるのは、伝統的な秘伝思想の文書が、感覚で捉えることのできる日常的な世界のレベルの歴史に基づいていると同時に、コルバンが「形而上史学」(訳注)と呼んでいる観点から書かれているというあり方です。この観点は、神によって地上に派遣された偉大な使者たちの継承という重要な問題に、明白に表れています。

原注:クトゥブ(Qutb):神秘的な柱もしくは軸を意味するアラビア語。

哲学の天使(Angel of Philosophy):シーア派の哲学で広く用いられている用語。

訳注:形而上史学(metahistory):多様な時代を比較して、そこに共通の歴史法則を見いだそうとする立場。

このことに関して、ペルシャのイスマーイール派の詩人で哲学者であったナーシレ・フスラウ(Nasiri Khusraw, 1004-1088)は見事な文章を書いており、コルバンはこの文章を引用しています。

 現実の宗教は、その宗教の観念の大衆向けの側面である。その観念は、現実の宗教の秘伝的な側面である。現実の宗教は象徴的表現であり、その宗教の観念が象徴化されて表される。大衆向けの宗教は、世界の周期的サイクルや時代とともにある永遠の流転の中にある。秘伝的な宗教は、変化にさらされることのない神聖なエネルギーである。

この世界の出来事の経過において、目に見えない決定論が、いつでも目に見える形で現れます。このことを知っていることは、歴史の周期的サイクルについての伝統的な考え方を真に理解するために欠かせません。地上で起こる出来事は、「天上のドラマ」との関係においてだけ説明することができます。地上で起こる出来事は終末のための準備だと考えることもできます。ヨーロッパで良く知られているキリスト教の黙示録の見解と同じように、イスラム教の秘伝思想では、「最後の日」の問題が決定的に重要な役割を果たしています。

5 世紀のヨーロッパで作られた「ゲーベル」の肖像(Codici Ashburnhamiani 1166 , Biblioteca Mediceaa Laurenziana, Florence)

シーア派では、12番目すなわち最後のイマーム、「時のイマーム」、「五感から隠されているが心の中に存在する」イマームについて語られています。地上というこの領域から消えた「隠れているイマーム」は、それにもかかわらず、高度なレベルに達した参入者には接触することができ、徐々に彼らの心の中の個人的な指導者、内なる師になっていきます。至福の黄金時代が到来するまでは、隠れているイマームは、夢の中だけ、もしくは予言的なビジョンという性質を持つ、個人的な体験の中でだけ見ることができます。しかし現在の歴史のサイクルが終わる時に、最後のイマーム、シーア派の探究者の内なる師は、地上という領域に姿を現します。彼こそが、黄金の夜明け、新時代の到来を監督します。現在の歴史のサイクルの終わりには、西暦872年から隠れた状態で生きているマフディー(Mahdi)、すなわち隠れているイマームが完全な啓示と至高の達成をもたらすとされています。

啓示

Illumination

ゲーベルの実験で用いられた錬金術の器具を示す原稿

イスラム教の入門儀式は、他のあらゆる探究の道と同じように(それらには外的な宗教が伴っていたり、いなかったりしますが)、内なる光が心の中で輝くようになることを意図しています。スーフィズムでは、イスラム教に伝わる啓示の内容を内面化することを目的にしている修行を見ることができます。

探究者は完全な啓示を求めて、預言者ムハンマド自身が体験したことを、特にミュラージュ(Mi’raj)すなわち「昇天の奇跡」の時にムハンマドが体験したことを、想像の中で追体験します。この奇跡でムハンマドの魂はエルサレムまで運ばれた後に、7つの天界を通り、神アラー(Allah)の王座まで上昇したとされます。同じように、スーフィーの神秘家は、コーランの各章の正しい発音を通して、本来の「聖なる書の発音法」の神秘を再び発見することによって、コーランをある意味で内面的に理解しようとしています。

ここまでの話をまとめましょう。コーランの解釈は、実際の歴史で起こる変遷と、ソウル(魂)が啓示を得て解放される経緯の間にある類似に基づいています。たとえば、第95章「無花果」(at-Tin)は驚くべき一例です。それは、シナイ山の頂上に生えているオリーブの木について逸話ですが、イスマーイール派の匿名の著作家によって、次のように解釈されています。

 この章が意味するのは、精神の崇高さを目指す巡礼者が、モーセと同じように、自分自身の本質は、自身の“シナイ山”であることを理解するということである。シナイ山とは、神の顕現した姿である神聖な光が輝くことのできる、心の中の聖域を意味する。

「魂の中の普遍的な魂」(the Soul of the soul)の中で瞑想することができ、心の中で神聖な光を輝かせることができるようになるということは、神秘学という道を歩む巡礼者が見据える目標であり、最終的に啓示が内面で開花する時に達成されます。ここで、神の愛という概念をスーフィズムの核に置くことに主要な役割を果たした偉大なペルシャのスーフィーの師、アブー・ヤジート・バスターミー(Abu Yazid Bastami, 804-874)の著作を引用します。

 私がとうとう、真理を通して真理について瞑想したとき、私は、真理を通して真理を生き、真理のための真理の中に、永遠の現在の中にいた。呼吸することなく、言葉もなく、聞くこともなく、知識もなく、そしてついに、神が、神の知識から引き出した知識を、神の恩寵から生じた言葉を、神の光を手本にした尊敬を、私に伝えた。

私たちの内部に神聖な光を輝かせ、その中に没入すること、これが大いなる啓示です。以下の素晴らしい文章は、ペルシャの神秘家アル・ガザーリー(1058-1111)の著作から、コルバン教授が引用したものです。

 炎の恋人になった蛾は、まだある程度炎から離れている限りは、このオーラの光を栄養として得る。彼を呼び歓迎するのは、到来しつつある啓示の兆しである。しかし彼は、炎が彼を捕まえるまで飛び続けなければならない。彼が炎に達した時、それ以上炎に向かっていくのは彼の役割ではない。炎の方が彼の内部に進むのである。そのとき、炎は彼の栄養ではなくなり、彼が炎の栄養になる。そしてこのことが、大いなる神秘である。かつては逃亡者であった彼が、そのときは自身の恋人になる。なぜなら彼は炎であるからである。そして、このことが彼の完成である。

この文章には、あらゆる参入者の修行の目標を見いだすことができます。偉大なペルシャの詩人スフラワルディー(Sohravardi、1155-1191)は、人間の魂は、その「西の追放」の闇から、つまり現世の事柄から自身を引き離して、光が到来する東へと進まなければならないと語り、自身が真の参入者であることを示しました。自己を自覚するというまさにその行ないによって、人間と光は、互いに結びつき、ひとつの存在になります。そして「バラ十字」という言葉のまさにその意味において、バラ十字の状態の恩恵を体験するのだと言うことを知っていてください。

錬金術

Alchemy

 イスラムの国々では、錬金術が栄えました。一人だけ名前を挙げると、ヘルメス思想を「バランスの学問」であると定義したことで讃えられている、第6代イマームのジャファル・サディクの教え子であった名高いジャービル・イブン・ハイヤーン(Jabir ibn Hayyan、西洋では「ゲーベル」)を挙げることができます。

実際のところ、すでに現れている実体と、潜在状態にある実体のそれぞれに存在する関係を発見するということが錬金術の課題でした。コルバンが正しく指摘しているように、物質的なものにも、精神的なものにもこの作業が適用されました。

 それ(訳注)は、魂それ自体に戻りつつある魂に起こる変容であり、身体の変化に影響を及ぼす。魂こそが、この変容が起きる場所である。

訳注:錬金術で生じる変容

錬金術は、人間の全体的な変容についての驚くべき秘密とともに、シーア派の内部でも、それと同じ程度にスーフィーの教団でも、数多くの参入者に知られていたことに疑いはありません。イスラムのヘルメス思想は、錬金術の伝統的な系列に属する、重要な潮流のひとつでした。

アンリ・コルバンは自身の注目すべき著作『崇高な肉体と天上の大地』(Corps Spirituel et Terre Céleste)で、次のことを明確に示すことに成功しています。すなわち、参入者が歩む探究の道における、つまり人間自身の内部に神を再発見することへと向かう精神の巡礼の旅における各段階を示すものであると見なさなければ、錬金術の作業を理解することは不可能だということを示しています。このことが、イマームのジャファルの以下の教えの正しい意味を理解する唯一の方法です。

 人間の姿は、神が、自身が創造したものが正しいものだと確認するための最高の証拠である。人間は、神が自身の手で書いた書物である。人間は、神が自身の英知を通して建設した神殿である。それは、あらゆる宇宙が集められたものである。

シーア派の第6代イマームの以下の言葉は、あからさまで率直な宣言です。

信仰を持つ人の心の中のイマームの光は、光を放つ太陽よりも明るい。

そして、参入者の修行と秘伝思想の鍛錬のすべてにあてはまる黄金律を、イスマーイール派のある人物の次の言葉の中に見いだすことができます。

自身を知る者は、自身の“主”を知る。

若いある男性と対話するペルシャの神秘家アル・ガザーリー(1058-1111)

イスラム教の参入者とキリスト教の参入者の間にあった交流は、多くのページを割いて説明するのに値する事柄です。しかし、ここでは次のことを記しておくことだけに留めましょう。テンプル騎士団と、いわゆる「アサシン教団」を結成したイスラム教徒の間に交流があったことは、疑問の余地なく確認されています。そして、「ダムカルの賢者」から光を受け取ることになったというクリスチャン・ローゼンクロイツの伝説的な逸話(訳注)も思い起こすべき事柄です。秘伝思想のあらゆる伝統的組織が、指導者レベルで会合を行っていただけでなく、お互いに影響を与え合っていたということもまた、議論の余地のない事実です。

訳注:「バラ十字友愛組織の声明」(Fama Fraternitatis, 1614)には、クリスチャン・ローゼンクロイツが、アラビアのダムカル(Damcar)もしくはダマスコ(Damasco)という土地にいる賢者たちの噂を聞いて、その地を16歳の時に訪れ、歓迎されて、アラビア語、物理学、数学を習得したという逸話が書かれている。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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