投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2023/02/11


 

資料室

フィロンとプロティノスと宇宙を構成する数

Philo and Plotinus and the Universe of Numbers

ルース・フェルプス

By Ruth Phelps

 

アレキサンドリアのフィロン(紀元前25年頃~西暦50年頃)、ユダヤ人哲学者

フィロンは、紀元前1世紀のアレキサンドリア(訳注)出身のユダヤ人で、初期のギリシャ哲学を用いて旧約聖書を解釈しました。以下は、『創世記』に彼が加えた注釈に書かれている内容です。

訳注:アレキサンドリア(Alexandrian):地中海沿岸にあるエジプトの港湾都市。

フィロンの考えによれば、人間は神聖な部分と世俗的な部分の両方を合わせ持っています。人間の神聖な部分とは、神に似せて創られた原型の姿であり、堕落することはありませんし、地上の物質で創られてもいません。人間は、自分が似せて創られた姿にあこがれます。宇宙的な人間、すなわち人間の神聖な部分には、神の姿が刻印されています。神の性質が染み込んでいると言ってもいいでしょうし、神が署名をしていると言い換えることもできます。宇宙的な人間は、エデンの園に住むようにされ、そこに美徳という樹木を植えて、それを養っています。神は、宇宙的な人間を楽園に受け入れ、地上的な人間、つまり世俗的な人間を楽園から追放します。

地上的な人間とは、創造主が物質を鋳型に入れて創った実際の形を持つ人間です。地上的な人間とは、肉体と一緒になった精神です。その精神は堕落しやすく、神が命を吹き込んではじめてソウルとなります。

宇宙にもまた、2つの性質のものがあります。能動的な原因と受動的な物体です。陽極性の要素つまり原因は、宇宙の精神です。陰極性の要素つまり受動的な物体には、命もなければ動きもなく、宇宙の精神が命を吹き込むことによって、物体は完全な姿つまり世界になります。

目で見ることができ感覚で捉えられる世界は変化を免れることができず、絶えず他のものになりつつあります。ですから、それには必ず起源があります。目に見える世界は知覚を通して知ることができますが、目に見えない世界を知る手段は知性です。そして、目に見えない世界は無限で境界がありません。しかし、この2つの世界は密接に結びついて一体になっています。

モーセは創造主が6日を費やしたと言っていますが、それは、創造に一定の期間がかかったことを意味しているのではなく、世界が存在するようにするためには秩序が必要であり、秩序には数が必要だからです。世界の創造に最もふさわしい数は6でした。それは最初の完全数(訳注)だからです。6は、それ自体の約数である1と2と3の和でもあり積でもあります。6は、3と2という2つの数の積です。ですから、3という最初の奇数(訳注)すなわち最初の男性的な数と、2という最初の偶数すなわち最初の女性的な数の両方を含んでいます。

訳注:完全数(perfect number):約数(それ自体を除く)の総和がその数自体に等しい自然数。6、28、496など。

宇宙を構成する数(イメージ)

古代の数学の多くは、1を特別な数だと考え奇数に分類しなかった。

モーセは、最初の日を第1日と呼ばず、「1の日」と呼んでいます。そう呼ぶことで、単一であるという性質、すなわち「1」であることを表しています。それは、知性によってだけ理解することのできる原型の世界の顕著な特徴です。できあがったものが美しくあるためには、原型が美しくなければなりません。同じように、知覚の対象が完璧なものであるためには、製作者の心の中に、完璧な原型がなければなりません。神は、感覚で捉えられる世界のための、神聖で非物質的な計画を手にするために、原型となる世界を作ったのです。

建築技師が心の中で創造した町は、外の世界には存在しませんが、封蝋に印を押したように、心の中にはしっかりと刻まれています。同様に、知性によってだけ理解することのできる宇宙は、神の思考すなわちロゴス(Logos)の中にしか存在していません。人間は神の観念の中に作られました。世界は神の観念のひとつです。ですから、人間は神の観念のひとつであるとともに、神の観念のひとつである世界全体の一部にもなっています。知性によってだけ理解することのできる宇宙を、神の思考に刻む役割を果たしたのは、神の〈あの言葉〉です。

旧約聖書に記された「はじめに、神は天と地とを創られた」の「はじめに」とは、時間的な初めではなく、数的な秩序つまり順序を意味しています。この場合の順序とは、創造主の実行パターンにあたります。

創造主は、形のない天と目に見えない地と、大気と虚空を作りました。神は大気を闇と呼び、虚空を深淵と呼びました。次に、神は水という実在、生命の息吹、光を創りました。光は7番目にあたります、ですから順序は次のようになります。

  • 1. 形のない天
  • 2. 目に見えない地
  • 3. 大気すなわち闇
  • 4. 虚空すなわち深淵
  • 5. 水という実在
  • 6. 生命の息吹
  • 7. 光

 光は、精神によって太陽と星々が識別されたときの原型パターンでした。目には見えないこの光は、精神によってだけ理解することのできる、〈神の言葉〉の具体化です。光は闇から分離されましたが、それは、不調和の代わりに平穏をもたらすためでした。以上が第1日の作業でした。

 第2日に、神は天すなわち大空を創造しました。これは知覚で捉えることのできる世界の最初の部分です。第3日には陸と水とを分け、それぞれを地と海と名付けました。神は地に秩序を与え、草と種を持つ草と木を茂らせよと地に命じました。

第4日に、神は天に秩序をもたらしました。4は完全な数です。なぜなら、1から4までの数を足し合わせると10になるため、4は10という完成された数の基礎だからです。10は、1、2、3、4、…という数列の節目となる数です。4という数には音楽的な調和が含まれています。2つの音からなる和音には、完全4度、完全5度、オクターブ(完全8度)という特に調和した3つの音程があり、いずれも4に関係しています。

さらに、1は点に相当し、2は線に、3は面に、4は立体に相当します。したがって、4は立体という性質を持つ最初の数であり、知性ではなくて感覚によって捉えることができる形ある実体を表す最初の数です。3は三角形を表しますが、もう1点を加えた4からは、三角形を底面とする三角錐が生じます。さらに、4は最初の平方数、つまり、同じ数字を2回乗じて作ることのできる最初の数です(2 x 2 = 4)。以上のようなことから、4という数は、正しさ、平等、協和を表しています。

4は、天と地の創造の始まりでした。なぜなら、四大元素や四季がそこから生じるからです。神は、太陽と星々に、大空にいることを命じました。大地に光を届け、しるしとなり、季節を定め、さらに1日、1ヵ月、一年という時間の尺度として役立たせるためです。

第5日に、神は死を定めとする生きものを創造しました。その理由は、生きものが5という数に関係しているからです。最初に創ったものは水中の生きものでした。生きものが命を持たない物体と異なるのは、5つの感覚があるということです。

第6日に、神は地に動物を生じさせるよう命じ、最後に人間を創りました。モーセは「人間は神の姿に創造された」と言っていますが、この「姿」とは身体の形ではありません、それは精神のことでした。人間の精神は、原型である宇宙の精神に似せて作られています。人間の精神は、宇宙の精神に対応しています。人間の精神は世界を見ます。しかし人間の精神自体は見ることができません。人間の精神は、感覚で捉えられる世界を超えたところに目を凝らし、知性だけで捉えられる原型の世界を求めて努力します。

6という数が天地創造の完成のために適していたため、神は7日目を、自身の威厳に相応する聖なる日と定めました。ですから、7日目は世界中で祝日とされています。7という数は2通りに用いることができます。単位を表す1を7回加えることによって、10までの範囲にある通常の7を得ることができます。10を超える7を考えることもできます。それは、1から開始して、ある数を1乗、2乗、3乗していくことによって作られます(訳注)。たとえば、ある数が2の場合は、1, 2, 4, 8, 16, 32, 64 となり、ある数が3の場合には、1, 3, 9, 27, 81, 243, 729 となります。このような数列の7番目の項は、3乗でもあり2乗でもあります(64は4の3乗で8の2乗、729は9の3乗で27の2乗)。3乗(立方)は物質的なものに対応し、2乗(平方)は非物質的なものに対応します。

訳注:正の数のゼロ乗は1、1乗はその数自体であるとされる。

10までの範囲にある、第一の種類の7は、1と2と4から作られていると考えることも、6と1から、5と2から、4と3から構成されていると考えることもできます。4と3の組み合わせは偉大な調和を表しています。なぜなら、3は面に相当し、4は内部がある立体を意味するので、3と4からできている7は、面と内部を持つ立体図形を象徴する最初の数だと考えることができるからです。7が10以下の他の数と違っている点が一つあります。ある数に2という数を掛けることは、子供を産むことを象徴します。8は4に2を掛けて作られますが、8に2を掛けると10以下の数にはなりません。4は2に2を掛けて作られ、2を掛ければ8ができます。しかし7は、いかなる数に2を掛けても作られませんし、2を掛けても10以下の数にはなりません。このことは、他の一桁の数にはあてはまりません。

そのため7は、ゼウスの頭から生まれた処女神アテーナー(訳注)の象徴であると考えられています。ピタゴラス学派の人々は、7のことを「宇宙の支配者」と呼んでいます。なぜなら、生殖によって両親から生まれたわけでもなく、何かを生むわけでもなく、7は静止を意味しているからです。創造には動きが必要とされますが、7は創造することも創造されることもありません。

訳注:アテーナー(Athena):ギリシャ神話の女神。知恵、工芸、豊穣、戦術の女神。ローマ神話のミネルバにあたる。

知性によって捉えられる世界では、7は運動がないことや、熱情がないことを意味します。感覚によって捉えられる世界では、7は惑星や月を動かす力を表します。1から7までの数を足し合わせると28になりますが、28は完全数のひとつであり、月の満ち欠けの周期の日数でもあります。月の周期は、7日ずつの周期が4つあるという計算によっても導くことができます。人間の成長は7年ごとの周期に分かれていると考えることができます。

1という数は、非物質的な性質を表します。2は物質を表しており、物質のように分割することができます。3は、幅、奥行き、高さという3種類の寸法がある立体を表します。6は動物に関係している数です。動物は、前後、左右、上下の6方向に動くからです。以上のことは、数の象徴的な意味に関する特に重要な点です。フィロンは当初、4が立体を表し、3は面を表すと言っていました。3点によって三角形が作られ、4点によって、三角形を底面とする三角錐が作られるからです。しかし先ほど述べたように、彼は後に、3が立体を表していると述べました。このことには別の理由があります。立体には3つの次元があるからです。

原型と実際の形の関係は、印鑑や朱肉と、そこから作られる印影の関係に似ています。つまり、フィロンは、印鑑や朱肉が図柄を作り出しているのと同じように、原型のパターンが、個々の物体もしくは実際の形に関係していると述べています。反対の方向から述べるならば、個々の物体のそれぞれには、知性によってだけ把握することのできる源、つまり原型があり、それがフィロンの学説の基礎、彼の見解の特徴になっています。

神は単一です。なぜなら、生きものは、さまざまな物が合成されてできていますが、神はそのような合成物ではないからです。私たちの一人ひとりは、多様性を持つ個人ですが、神はモナド(単一)であり、優れているとか劣っていると比較することのできる何かが、他に存在するわけではありません。

プロティノス

Plotinus

 星々は、文字のように、絶えず天空に己自身の署名を残している。
この世にあるすべてのものは、しるしに満ちている。すべてのできごとは、調和して連携している。すべてのものは、互いに依存している。
すべては、ともに息をしている。

プロティノス

 プロティノスは、西暦205年に生まれ270年に没した新プラトン学派の哲学者です。彼の家族や出生地はよく分かっていませんが、ギリシャ文化の中で育ちアレキサンドリアで学びました。西暦244年に彼はローマへ赴き、その後の生涯を、哲学を教えて過ごしました。彼の著書『エンネアデス』(Enneads)は6巻からなり、各巻は9篇からなります(訳注)。

訳注:「エンネアデス」という語は9篇集を意味する。

 

プロティノス著『エンネアデス』。原語であるギリシャ語で1580年に出版された初版本。

プラトンと同じように、プロティノスは数を2つの種類に分けました。第一の種類は、算術的で幾何学的な数であり、地上と、感覚によって把握される世界に関連しています。第2の種類の数はソウルの働きを表し、それゆえに、数それ自体と呼ぶことができます。

彼の哲学によれば、一なるもの、宇宙の精神であるヌース、宇宙の魂(soul)であるプシュケーが、宇宙の3大要素(triad)にあたります。これらは、自然の理法にも人間にも存在していますが、物質世界や物質としての人体には存在していません。この3大要素に物質を加えたものは、宇宙の4大要素(tetrad)と呼ばれます。

〈一なるもの〉からの流出において、それぞれの原理はそれ自体に留まる一方で、そこから生じたものは、流出以前よりも下位の存在になります。しかし、宇宙のソウルと宇宙の精神との間に隔たりはなく、宇宙の精神にも〈絶対なるもの〉つまり〈一なるもの〉との間に隔たりはありません。

原型の世界とは、神の創造の際の精神です。光が、太陽から生じて太陽の周りに放出されるように、〈一なるもの〉は2つの要素になります。〈一なるもの〉から、ある永遠の存在が生じますが、それは〈一なるもの〉自体よりも下位の存在です。それは宇宙の精神です。〈一なるもの〉は、自体に次ぐ存在として宇宙の精神を生み出します。他のすべては、宇宙の精神であるヌースから生じ、宇宙の精神自体は、絶対である〈一なるもの〉から生じます。第3の要素は宇宙のソウル(魂)で、これは宇宙の精神の似姿ですが、宇宙の精神よりも下位の存在です。創り出されたもの、すなわち生じたものは、それが生じた源を必ず探し求めます。言い換えれば、あらゆるものは、〈一なるもの〉に必ず戻ろうとします。宇宙の精神は〈一なるもの〉の似姿であり、仲立ちを介することなく直接に〈一なるもの〉を目指します。しかしソウルは宇宙の精神の似姿ですから、自体の源である宇宙の精神を待ち望みます。したがって、宇宙のソウルが〈一なるもの〉、すなわち〈絶対なるもの〉に達するには、至高の精神である宇宙の精神を仲介にしなければなりません。数は、生きものから生じたのでもなければ、宇宙の精神から生じたのでもありません。数に秘められている力は、〈絶対なるもの〉の中に存在していました。宇宙の精神は、自ら動く数であり、生きものは存在を与えられた数です。数は生きものより先にすでに存在しているものであり、数は、物に量がある原因です。物には統一性がありますが、それは物が〈一なるもの〉の部分だからです。人間は数を知っていて、数えることができるので、物が持つ量という値を理解することができますが、そのためにはまず、数が存在していなければなりません。

 

プロティヌスがモデルだと推測されている白大理石の頭像、オスティア・アンティカ(ローマの西方)で発見された。Anonymous Unknown author [Public domain], via Wikimedia Commons。

物は統一体であるか複合体であるか、どちらかです。それが複合体であるならば、それより先に存在している統一体の後に生じます。複合的な性質が、統一という性質に加えられます。たとえば、軍隊は大勢の人間から構成された複合体です。統一性が劣るもの、すなわち統一の程度が低いものほど、数が多く多様になります。このことは、感覚で捉えられる世界にも、知性で捉えられる世界にも当てはまります。この種の統一性は、すべての等級の世界に存在しますが、〈絶対なるもの〉との絆があります。実在は、物質の世界に現れる場合でも、宇宙の精神に由来します。同様に、知覚可能な事物の中にある統一という性質も、宇宙の精神に由来します。人間の知性はこのことを知っています。なぜなら、数について何の経験をしていなくても、数についての知識を持っているからです。

個々の物は、数によって神から生じます。神は、単数と複数という両方の性質を持ちます。神は、単一の精神であるため「1」という数そのものです。同時に、多くの部分から構成されているという点で複数という性質を持ちます。神は自体のすべての部分を知りつつ、自体から、それらの部分に相応する数を創り出します。言い換えれば、原型となる数と決まった手順に従って神は創造を行います。このような数は、原初の数、神聖な数、絶対的な数だと言うことができます。それらは本質的な数であり、本質を意味する数です。別の見方をするならば、本質とは数なのです。ソウルは本質です。したがって、ソウルは数です。

生きものは、統一性を持っていますが多様性も持っています。生きものの統一性は、〈絶対なるもの〉には及びません。しかしそれは、単なる複合体とは、まったく異なります。〈絶対なるもの〉の統一性と比べれば劣りますが、単なる複合体と比較すれば、そこには、より高度な統一性があります。

複数であることは統一性からの逸脱です。無限とは限りなく進んだ複数性であるので、無限は悪を意味します。複数であることは、自己完結した状態を保てないことから生じます。複数であるものが失ったのは、1として保持していた統一性です。複数であることにあたる拡大を追い求め、結局崩壊してしまうのは、聡明さを欠いた行いです。善と美を手に入れるためには、統一性を追求し、意識を内面に向け、自己を探求しなければなりません。

プロティノスは、星々のことを、天に書き込まれた文字にたとえました。それぞれのしるしの間にある関係を理解できれば、占星術の基礎を築くことができます。すべてのものは互いに関連しています。その原理は〈絶対なるもの〉の中に存在し、〈絶対なるもの〉の部分である世界に現れています。それぞれの部分は一つの原理から生じ、その働きにおいて、〈絶対なるもの〉の一部である他の部分と連携しています。

宇宙の精神、すなわち第2の要素は、〈一なるもの〉と別々ではなく、それと連携しています。ですから、精神が複数あるということは、一つの中心の中に多くの中心点があるようなものです。精神は、複数であると同時にひとつです。外に目を向ければ、見えるのは数多くのものです。内面を見つめると、見えるのは統一です。

宇宙は、〈一なるもの〉すなわち〈真正なもの〉のコピーです。〈一なるもの〉には空間が存在せず、境界も限界もありません。〈一なるもの〉とはプレローマ(Pleroma)、すなわち満ち足りたもの、もしくは全体であるものです。

人間はその一部が、宇宙の精神であるヌースの一部であり、また人間の別の一部は、宇宙のソウル(魂)の一部であり、人間のさらに別の一部は、感覚で捉えられる世界の一部です。それらのそれぞれが、より高次の宇宙という領域と繋がっているので、人間はすべての領域の各部分から構成されています。人間のソウル(魂)こそが、星々や太陽や万物という複数のものをひとつにします。

 

プロティノスの石棺の蓋板に彫られた大理石のレリーフ、西暦260~280年、ローマ文明

人間は統一を見いだすために、自分自身の精神を内面に向けなければなりません。プロティノスは、円周と中心という錬金術の比喩(訳注)に類似したたとえを用いています。ひとつの〈原理〉があり、その中にソウル(魂)のすべての中心が集合しています。円という幾何学図形は、その中に統一もしくは原型を保持しているもの、すなわち神を表す象徴として用いられます。しかし、円が円周によって囲まれるように、この円はその円自体に囲まれています。

訳注:「神は無限の球である。その中心はいたるところにあり、その円周はどこにもない」というフランスの哲学者パスカルが記録した言葉のことだと思われる。

まとめ

Summary

創造の過程に関するフィロンの提唱した数の象徴的意味についてはすでに概説したので、ここでは、創造の各々の日について補足しておきます。

  • 1. 知性によってだけ理解することができる精神の世界
  • 2. 天空
  • 3. 地と水
  • 4. 天に秩序が与えられた
  • 5. 水の中の生きものと空を飛ぶ生きもの
  • 6. 家畜、地の獣、人間

原型と実際の形に対応して表れる二元性を以下の表にまとめます。

 原型  実際の形
 活動的な原因  受動的な物体
 天上の人間  地上の人間
 精神的  肉体的
 不可視の世界  可視の世界
 知性によって
捉えられる世界
 創造された世界
 印鑑  印影

プロティヌスの提唱する3大要素は以下です。

  • 1.統一性
  • 2.宇宙の精神、すなわち第2の要素であるヌース
  • 3.宇宙のソウル、すなわち第3の要素であるプシュケー

 人間と自然界は、物質的でもあり非物質的でもあります。人間と自然界の非物質的要素とは、統一性、宇宙の精神、宇宙のソウルです。

人間と自然界は次のものからなる:

  • 非物質的要素(次の2つ)
  • 精神
  • ソウル
  • 物質的要素

 多様性とは統一性を欠いた状態です。あるいは統一を保つことができないことです。数は、絶対的な〈一なるもの〉の中に潜在的に存在します。数の第1の種類は、地上にある実際の形に関連します。数の第2の種類は、ソウルの働きであり、数そのものです。

 感覚で捉えられる、現れている物の中にある統一性は、宇宙の精神であるヌースの統一性です。人間は、自身の内部に存在する〈神の精神〉を通して統一性を手に入れます。そのためには精神を内面に向けることが必要です。

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