資料室

ライプニッツ - バラ十字の哲学者

Leibniz, Rosicrucian Philosopher

ベン・フィンガー

By Ben Finger

 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz、1646-1716)は、当時のヨーロッパで最も学識のある人物として知られていましたが、幅広い分野で活躍した最後の学者のひとりでした。というのも、個々の分野の発達によって、その後の多くの学問には硬直した専門性がもたらされたからです。ライプニッツの知識について調査し、彼が活躍した広い範囲を知ると、実にすがすがしい思いがします。彼はあらゆる分野の真理を探求しました。そして、彼の洞察の多くが意義を失うことは今後も決してないでしょう。

 いわゆる「理性の時代」(訳注)には、歯に衣を着せぬ批評が目立つようになりましたし、人間の権利を確保するための新たな運動が始まりました。しかし、そのような人道的な運動の基礎になっていたのは、西洋文化の精神的な伝統であり、急進的な合理主義者たちを懐疑主義と無神論に導いた機械論的世界観ではありませんでした。

訳注:理性の時代(Age of Reason):信仰や非合理な主義を否認し、宗教的・社会的・哲学的事柄の批判的研究が優位であった時代。特に英国、フランスでは18世紀にあたる。

 ライプニッツは保守的な合理主義者であり、究極の必然であると考えられる〈創造主/神〉とそれに関連する永遠の真実を軽視することは決してありませんでした。イングランド人とアイルランド人の血を引く自然哲学者であり化学者であったロバート・ボイル(1627-91)が、人生に様々な不幸や悪が存在することと、聡明で善なる神が存在することには、どのようにしたら矛盾なく折り合いをつけられるのかという問いかけを行ったとき、それに対してライプニッツは人間の限界について、次のように彼に指摘しています。

人間が理解できないものによって、人間は混乱する。人間は、偉大な全体の一部しか理解できないからである。

 イギリスの詩人アレクサンダー・ポープ(Alexander Pope、1688-1744)は次のように書いて、ライプニッツと同じ意見を表しています。「自然の全体は、汝にとって計り知れない業のなした作品である。」

 イマヌエル・カント(1724-1804)が範疇(訳注)という観念に至ったのも、ライプニッツに影響を受けてのことでした。ドイツの天才ライプニッツは、他の多くの知恵を愛する人々(哲学者)に影響を与えました。その中にはたとえば、フィヒテ、ショーペンハウアー、ビェルガールド、クーチュラ、ジョン・テオドール・メルツ、ヨハン・エドゥアルド・エルトマン、ウィリアム・ジェームズがいます。ライプニッツは今も、多くの人々から賞賛を受けています。彼が発見した永遠の真理は、決して古くなることがないものだからです。また、彼は徹底した理想主義者でした。

訳注:範疇(category:カテゴリー):カント哲学では、範疇について次のように主張されている。人間は感性という能力によって、時間と空間という形式に従って対象の像を受け取り、次に悟性という能力によって、範疇という形式に従ってその像を概念に変える。カントによれば、4種(量、性質、関係、様態)に分類される12の範疇がある。

 「理性の時代」に生きたこの偉大な人道主義者は、近代的で自由な社会が築かれるための前提を示しました。すべての人には、自分の能力を最大限に発達させる当然の権利があると彼は考えていました。個人の権利を侵害してもよい道義上の理由など、国家はひとつも持っていないと彼は主張しました。彼は、人間の品性を養う方法を示しました。社会制度がうまく機能するかどうかは、人間の品性に左右されるということを理解していたからです。彼は次のように書いています。

もし望ましい行動規範が内面に確立されているならば、慣習や激情によって、魂が善という道から逸らされることはない。

 また、「愛する人たちの幸福に喜びを見いだす正真正銘の純粋な愛」を称賛しています。

 そして何よりも、「話すだけではなく、考えるだけではなく、『真実とは行動である』かのように行動せよ」と彼は勧めています。

『ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ』-ベルンハルト・クリストフ・フランケ画。

 彼の功績が、これらの倫理的な教えを残したことだけであったとしても、その名を不滅にするのに十分であったことでしょう。しかし彼はまた、他のさまざまな分野でも超一流の功績を残しています。民法や国際法、数学(ニュートンとは独立して、彼と同時期に微積分法を発明しています)、歴史学、宗教、経済学、言語学、物理学、生物学、心理学、論理学、天文学、外交、形而上学の分野です。彼はあらゆる分野を総合的に扱う博識な人物でした。

 形而上学について具体的に言えば、ライプニッツは、この分野における重要で新しい体系を構築しましたが、それは、本能だけに従う意識、意志を持った意識、目的を持つ自己意識、そして宇宙意識という各々の発達段階を通過して意識が向上していくという理論であり、意識の進化についての現代の理論と一致しています。彼は自然言語の性質についての経験論的な研究の開拓者であり、普遍的な言語である「普遍的象徴」(Symbolis Universalis)を開発しようとしました。その目的は、人間の思考をより明晰なものにしようということと、国々が統一されることを促そうとすることでした。ですから、ライプニッツは現代の記号論理学の先駆者でした(この記事の末尾の車輪とバラの図の説明を参照)。

 世界市民としての精神を持ったこの哲学者は、東洋と西洋の思想を統合しようとした初期の思想家の一人でした。ヨーロッパの学会に当時紹介され始めた中国の英知に、彼は多大な影響を受けています。

 極めて重要なことですが、ライプニッツは新しい物理学の父でした。17世紀の科学者の多くは、硬い固形の原子や、まったく活動することのない物質の塊が存在すると考えていました。しかしライプニッツは、原子が、活動する宇宙の活動的なエネルギーの中心であると考えていました。また、この新しい物理学では、物質とはエネルギーもしくは力の現れであると考えられ、物質の性質とは、力の場の変化する強さであると考えられていました。現代の物理学者の一部は、過去の物理学者よりもさらに形而上学的な考えを抱いており、時間や空間や物質とは、あるメカニズムによって生じた単なる「基礎はあるが見かけ上のもの」(訳注)に過ぎず、「宇宙を構成している大きさのない実在の要素から生じた、実在性の低いできごと」に還元されるというライプニッツの主張(訳注:後述のモナド論で詳しく説明される)に同意する傾向さえあります。

訳注:基礎はあるが見かけ上のもの(well-founded appearances):ライプニッツによる物質の世界の形容。世界の仕組みという基礎によって、モナド(後述)が知覚するという現象が起こることによって物質の世界があるのであり、物質の世界が実在している訳ではないということ。この事情のたとえには虹がよく用いられる。虹が空に見えるとき、そこに七色をしたアーチ型の橋が実際にある訳ではない。しかしそれは想像でも幻覚でもなく、光の物理的性質や水滴が空中に存在することや人間の視覚のしくみなどが基礎になって、虹がそこに見えている。

シュタッフェルヴァルツェ(ライプニッツが1674 年に発明し、1694 年に完成した計算機の原型)の写真。幅は約67 センチで、四則計算すべて(足し算、引き算、掛け算、割り算)が行える最初の計算機であった。シュタッフェルヴァルツェは2台だけが製作された。

 自然界には絶対的な二元性は存在せず、自然界のそれぞれの領域は完璧に連続しているというライプニッツの理解に、現代の科学は追い付きつつあります。「すべてのものは他のすべてのものと関連している」と彼は述べ、この普遍的な相互関係が理由で、「ある一つの主体(たとえば人間)から、それを結果として生み出したすべてのものを論理的な推論によって明らかにすることができ、宇宙全体でさえも明らかにすることできる」と述べています。哲学者としてライプニッツはこの考えを述べましたが、同じことをテニスンは詩人として指摘しています。そして、現代の科学者たちも同様な主張をしています。

 ライプニッツは人間の意識という壮大な神秘を探り、超感覚的な知覚についての有力な説明を提唱しました。しかし、心理物理学についてのライプニッツの功績についての詳細に触れることは、この記事の範囲を越えていますので行いません。ライプニッツの相対性についての見識は、物理学そのものに対する彼の先駆的な貢献の中でも最も重要なものでした。哲学者のハーバート・ウィルドン・カール(Herbert Wildon Carr、1857-1931)はこのように指摘しています。

まさに、ニュートンの物理学の哲学的基礎にある欠陥(絶対的な空間と時間を想定していること)に対するライプニッツの指摘は、物理学の枠組み全体の再構築を求めていた。

 ライプニッツは物理学と形而上学の間の矛盾を解決することに努めましたが、幸運にも、自身の数学的な素養によって、第一原理から世界を理論的に説明する試みを行うことができました。精神の活動を化学や物理の原理だけで説明する機械論(mechanism)は、性質として副次的な重要性しか持たず、すべてのものを数量に還元してしまうことはできないという見解を彼は持っていました。

 世界の活動についての理論や精神についての理論は、数学の拡張だけを基礎にするのではなく、形而上学的な基礎を取り入れなければならない。目的因による説明と動力因による説明は、互いに他を補い合う(訳注)。

訳注:目的因(final cause)と動力因(efficient cause):アリストテレスによれば、あるものが作られることには次の4つの原因がある。質料因(material cause)、形相因(formal cause)、動力因、目的因。たとえば、家が建てられたときに、質料因は建材、形相因は設計図、動力因は大工さんの労力、目的因は住むという目的にあたる。

 この思慮深いバラ十字会員は、世界は至高の知性の作品であり、さまざまな自然法則によって現れていると理解していました。

彼の才能

His Genius

 ライプニッツは1646年にライプツィヒで生まれました。苛烈な宗教紛争であった「三十年戦争」が終わる直前のことです。ですから、彼が自身の大きな目標として、異宗教あるいは異宗派間の相互理解のために活動したことは驚くべきことではありません。

モナドについての理論を説明したライプニッツの原稿。

 彼は若い頃から、まれに見るすばらしい才能を示し、歴史上でも極めて偉大な思想家として名を残すことになります。彼は大学教授の息子であり、そのため、ほんの子供のころから優れた多くの本が身近にありました。プラトン、アリストテレス、ヘロドトス、クセノフォン、リウィウス、キケロ、プリニウス、セネカ、アウグスティヌスなどの著作です。早熟なこの少年は、父の蔵書のすべての本に親しみ、13歳の時に論理学の研究を始めました。彼はその2年後に、ライプツィヒ大学に入学し、そこで古代、中世、近代の哲学を研究し、その関連を明らかにしようと試みました。彼の研究のほとんどは独自のもので、他の誰かの研究を受け継いだものではありませんでした。

 アリストテレスの「実体的形相」、ブルーノの「生ける単位」、中国哲学の「斉同」から、ライプニッツは彼が提唱した「モナド」論の初期の着想を得ました。しかし彼は、最終的にはバラ十字会の英知と伝承を学んだことによって、活動する世界についての理論を発展させることができるようになりました

 ライプツィヒ大学を卒業した後、ライプニッツはアルトドルフ大学で法学の博士号を取得しました。個人的な研究や思索のための時間がなくなるという理由で、彼は提案された教授の職を辞退しました。また、彼は一度も結婚しませんでした。彼は生涯多忙な生活を送っていましたが、常に哲学のために時間を捻出していました。それでも、イギリスのエッセイストであるE.W.F.トムリン(Tomlin、1933-88)は、ライプニッツがあまりにも多くの才能を持って生まれたがゆえに、「彼は一度の人生では、持って生まれたすべてのものを取り出し、整理することができなかった」と述べています。

 この若き思想家はニュルンベルクで一年を過ごし、そこで、ある人にバラ十字会を紹介されました。さまざまな誤解という束縛を一掃するための近代的な努力に、ルネ・デカルトや他のバラ十字会員たちが大きな役割を果たしていたことをライプニッツは知りました。著名なバラ十字会員たちから伝えられた知識から、彼が多くの恩恵を得ていたことは極めて明らかです。バラ十字会での交流によって、彼はボイネブルク男爵と友人になりました。この男爵は、マインツの大司教で選帝侯であったフィリップ・フォン・シェーンボルンの名高い外交官でした。

 ライプニッツはボイネブルクとともにフランクフルトへ赴き、そこで法学の教育に関する優れた論文を発表し、そのことがきっかけで、マインツの大司教のもとで働くことになります。法学の素養の高さから、彼は外交官として政治の世界に入り、当時の未解決の案件の多くに関わることになりました。彼はドイツの再建と平和の維持に大きな貢献を果たし、普遍的な神学の理論を基礎にして、キリスト教の諸宗派を再統合しようと奮闘しました。

 ライプニッツはドイツ、イタリア、イギリス、フランスへと旅をし、ニュートン、ホイヘンス、スピノザ、マレブランシュといった著名人と出会いました。パリにいる間に、彼はデカルト主義、つまりルネ・デカルトの哲学を研究し、この哲学のことを「真理の控えの間」(the antechamber of truth)と呼びました。彼の研究には高等数学も含まれており、彼はパスカルの計算機を改良しました。

1716 年3 月の出版に関するライプニッツの手紙。

 ロンドンを訪れている間に彼は、後に王妃(ジョージ2世の妻)となったキャロラインに、神についての自身の理論を教授し、またこの地で最新の科学の発達に触れました。万能の天才として彼は尊敬され、1673年に王立協会の会員に選ばれました。1676年には、ハノーファー(Hanover:ハノーバー)のブラウンシュヴァイク侯の図書館長という控えめな職に就くことを要請され、それを受け入れました。その職にある間に、偉大な哲学者であるバールーフ・デ・スピノザ(1632-77)とともに4週間を過ごしています。

 ライプニッツは、平凡で骨の折れる単調な日常の仕事にも、熱心に取り組みました。たとえば、ブラウンシュヴァイク家の歴史について、事実を確認し記録するために40年の歳月を費やしています。しかし彼は空いた時間を見つけては、自身の哲学体系を完成する作業を進め、ときおり慰みに、ラテン語で短い詩を書いたりもしました。

 ライプニッツは、彼の哲学を多くの人に伝え、それによって王や王妃たちが心を動かされて、大衆の啓蒙に努めるようになることを期待していました。彼は有名な「ベルリン科学アカデミー」を設立しました。ドレスデンとウィーンにも同じような教育機関の設立を計画し、ヨーロッパのすべての首都に、学問の協力のための施設を創ることを提案しました。

 進歩した精神を持つこの指導者は、「科学的スコラ哲学」とも呼ぶべき偉大な哲学を世界にもたらしました。それは、人類の宗教的な英知、神秘学的な英知と科学的な英知が統合されたものでした。唯物論者的な科学者たちは、彼が人々を宗教の正統派的信仰に戻そうとしているのではないかと恐れ、一方で心の狭い聖職者たちは、彼を「信仰を持たない者」と呼びました。悲しいことに、ライプニッツが亡くなったとき、彼はまるで犯罪者のように葬られました。彼の葬儀に参列した宮廷の人々は誰もおらず、ベルリン科学アカデミーも王立協会も、彼が亡くなったことさえ知りませんでした。今では世界全体が、彼の形而上学への貢献と、彼が物質的な分野でなし遂げた功績に対して、ライプニッツを讃えています。カール博士(前出)はこう述べています。

現代の思想にライプニッツが与えた生き生きとした影響は、彼の哲学の原理と方法であり、それには、現代のいかなる哲学者よりも説得力ある表現が与えられている。

彼の哲学

His Philosophy

 ライプニッツには、デカルト哲学の「二元性」もスピノザの「一元論」も受け入れることができませんでした。彼はその代わりに、実在の究極の最小単位が非物質的な精神であると考え、無限に多くの個別の精神、すなわち「モナド」(Monads:単子)から宇宙が構成されていると主張しました。

モナドによる知覚には、無数に多くの発達段階が存在する。あなたが自然界の核心を知ることを許されたとき、さらなる発達段階に進めば進むほどほど、あなたの喜びは大きくなる。あなたは無限へと達する鎖を辿っていくからである。

 ライプニッツは宇宙全体に広がるあるものを見て取り、それを「精神的な活動」、「感情と欲求に類似する何か」と呼びました。活動と変化は単なる延長(訳注)からは得られないため、目的のある調和のとれた世界のための基礎が、物質だけであると考えることはできませんでした。

訳注:延長(extension):デカルトが重視した、近代哲学の基本概念。デカルトは物質と精神はいずれも実体であり、延長は物体の本性であると考えた。スピノザは物質と精神は実体ではなく、神という唯一の実体の2つの属性であると考えたが、やはり延長を物質の本性であるとした。

 ライプニッツの唱えた、非物質的なモナドという概念の起源のひとつは、古代の東洋の教えでした。その教えとは、物体は「虹と同じように単なる現象」であり、一方でそれらの背後にある精神には、部分も延長も形もないという教えです。ライプニッツのモナドは中国の哲学者の言う「斉同」(universals)に似ています。一方でライプニッツの「予定調和」という理論は「道」(タオ)という中国の深遠な概念を思い起こさせます。中国の賢人のように、ライプニッツは現実世界のことを、「連続的に進歩している人間精神が絶えず登っているはしごのようなもの」であると理解していましたが、これは確かに、人間精神についての伝統的で普遍的な内なる英知にあたります。化学者で哲学者でもあるジョン・テオドール・メルツ(1840-1922)はこう述べています。

外部にあるもの、すなわち物質は、人間の思考能力に対してではなく、人間の感覚に対してだけ延長という性質を表現しているということを、ライプニッツははっきりと理解していた。人間の精神には、空間における延長がひとつもないにもかかわらず、その内なる活動は極めて充実している。人間の精神のような内的な存在は、ある新しい次元にあたる。それは、幾何学的な次元ではなく、形而上学的な次元である。精神という実在の本質は、物理的な世界においては空間の一点に限られているに過ぎないが、思考という形而上の世界においては、内なる活動という無限の深遠さを持っている。

生きている鏡

Living Mirror

 ライプニッツが唱えたモナド(訳注)とは、実在の最小単位であり、世界の構成要素(元素)であり、個々の要素が性質を持ちます。彼は、この不可分な要素(モナド)が、すべて同じ性質を持つものだとは考えませんでした。世界の万華鏡のような多様性を説明するために彼が提唱した、世界の基本的要素であるモナドは、他のいずれのモナドとも異なる無限の多様性を持つものであり、現代科学の原子(atom)とは対照的です。ライプニッツによれば、個々のモナドは「縮小された宇宙」であり、それ自体の発達段階と見解に応じて、大宇宙の生ける鏡になっています。精神の活動には無限の発達段階が存在しています。鉱物と植物には眠れる精神の活動があり、動物には夢見る精神の活動、人間には目覚めた精神の活動があります。無意識のレベルにおいても、精神の活動の内容は豊かです。すべてのモナドは、近くにある複数のモナドの状態を反映しており、「モナドの現在は未来をはらんでいる」(訳注)。

訳注:モナド(monad):ライプニッツは死の2年前(1714年)に、自身の哲学の信奉者のために無題の書を残し、その中でモナドという哲学的概念を解説した。モナドとは、森羅万象を構成する要素であり、分割することのできない実在である。モナドとは動物や人間などの精神であると解釈することができ、物体は実在する(実際にそれ自体として存在する)のではなく、モナドによる知覚という単なる現象であるとされる。

各モナドに生じることは、他のモナドの状態と対応関係を保ち、しかも各モナドは「縮小された宇宙」であるため、各モナドは、全宇宙の過去と未来を含んでいることになる。

 おそらくこれが、人間の超感覚的知覚、すなわちあらゆる事物の間に存在する隠された関連を見抜く能力を解明するための鍵です。さまざまな発達段階にあって、モナドは知覚するだけではなく、また、未来に向けた努力をしています。この原理によって、それぞれのモナドは一連の変化を展開します。石は重力によって自動的に動かされます。植物は向日性、つまり太陽に向かう性質を示します。原始的な動物は、主として本能に支配されています。人間の持つ目的は、時には、あるいは多くの場合とさえ言ってかまわないかもしれませんが、完全に意図されたものであり、知識に基づいて意志によって努力して作り上げたものです。

「二進法の算術についての解説」(1703-1705)には、ライプニッツの二進法が説明されている。

 ライプニッツは「延長は単に現在の状態を表わすだけであり、決して過去も未来も表さない」ことから、この普遍的な意図と努力がモナドにあると想定する必要があると考えました。また彼は、延長を性質とする世界(物質の世界)の現象のすべては、「基礎はあるが見かけ上のもの」であるとしました。ライプニッツは、真の究極の実在は精神であるとし、宇宙は、様々な発達段階のモナドからなる階層構造として理解できると考えました。この発達段階は、最も重要でないモナドから始まり、神のモナドで終わります。神のモナドは、システム全体を構成し各階層に分けて秩序を与えます。モナドの間には、物質的な相互作用はひとつ存在しません。なぜなら、モナドは非物質的なものだからであり、モナドの共存と相互の連絡は、神の理性による組織化、すなわち「予定調和」によって統制されています。モナドの変化はそれ自体の内的原理から生じます。

 ライプニッツは「裸の」モナドと「ソウル(魂)を持つ」モナドを区別しています。知覚が明確で記憶を伴っている場合に、彼はそのモナドにはソウル(魂)の活動があると述べています。動物は動物という発達段階にあるソウルであり、単純な意識と本能によって活動しています。人間は思考するソウルであり、下等な動物とは次のことによって区別されます。必然的に定められている永遠の真理についての知識を持つことと、完全に意識された理解と目的に沿って行動する能力を持つことです。ライプニッツは「人間の最も高い目標は、神の理性的な愛を実践できるようになることである」と語っています。

 バラ十字会員であったこの哲学者は、最も高い望みを持つことによって、人が誤りに導かれることは決してないと私たちに教えてくれています。たとえ最善の努力が失敗したように思えても、善が実際的な目標であることと、善がもたらす生き生きとした影響を疑うべきではありません。なぜなら「神こそが、善なる計画に成功がもたらされるべき、ふさわしい時とふさわしい場所を知っている」からです。

 ライプニッツは博士号の取得に取り組んでいた20歳の時に、さまざまな概念を組み合わせる技術についての小論(De Ars Combinatoria, 1666)を書いた。それはラモン・リュイ(Ramond Lully、1232-1316)の学問的な業績に修正を加えたものであった。ラモン・リュイは、正義や勇気などの抽象的な概念を表すための、普遍的な表意文字からなる言語を構想していた。ライプニッツが作り出そうと試みたのは、さまざまな概念を、数的な性質によって分析する普遍的な方法であった。彼は後に、この小論の数学的未熟さについて告白しているが、ピタゴラス学派やカバラに類するようなこの構想を、その後も決して放棄しなかったように思われる。それは、秘伝哲学的で普遍的な言語によって、自然界と人間と神についての神秘を見抜くという構想であった。

 「普遍的な方法」という彼のこの主張の大部分は、現代の立場から見ると過度に非現実的なものに思えるが、次のことは事実である。すなわち、彼はこの構想によって微積分学の発明に導かれ、ライプニッツ自身の見解では「形而上学と神学の真の方法」の発見に導かれた。したがって、論理の働きについてのライプニッツの考え方を詳しく調査することは、哲学へのライプニッツの貢献を理解するために最も重要な事柄である。あらゆる概念(あるいはそれを表す記号)は、単純な観念の組み合わせであるという理論を視覚的に表すために、彼はこの車輪の図を用いた。可能と不可能、そして対立する2つのものの組み合わせを表す柱が、円の周囲に配置された単純な観念を結び、車輪の中を十字と筋交いに走っている。それらはギリシャ哲学の四大元素とともに表され、多くを物語るかのように、図の中央にバラが配置されている。

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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