投稿日: 2026/03/17

以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

区切り
シュテファン・ミッシェルシュパッハーの『カバラ:錬金術における芸術と自然の鏡』(1616年)より
シュテファン・ミッシェルシュパッハーの『カバラ:錬金術における芸術と自然の鏡』(1616年)より

 このシリーズの前回の記事で検証したように、厳密な歴史的観点からすると、バラ十字会員たちは17世紀初頭になって始めて現れたことになる。我々は果たして、バラ十字会員たちがそれ以前には存在していなかったと結論付けてもよいのだろうか?セディール(Sédir)によると、「バラ十字はヨーロッパの中でのみ、そして17世紀にその名称を持ったのであった。我々はその名称を他の場所で、またそれ以前にもそれ以後にも持っていたのを暴露することはできないのだ。」そして彼はこう付け加えた。「バラ十字は精髄としては、人間が地上に存在してからずっと存在し続けていたのである。なぜならばそれは地球のソウルの非物質的な機能なのだからである。」彼独自の調査の不十分さに気が付き、彼はバラ十字会の本当の起源は、羊皮紙の上には見出すことができないと考えた。なぜならそれは、地球に関するものではなく不可視のものに関していたからである。

  入門儀式に基づく組織の起源についての研究で、客観的な年代順的な局面のみに基づいたものは、歴史法則主義に導く。言い換えれば、その発祥の主として実証主義的および還元主義的観点に導くのである。ではこれは、その本質を見落とす危険性を生じることになるのではないだろうか?つまりその神聖さとの関係をである。ミルチア・エリアーデ(Mircea Eliade)が指摘するように、「宗教の歴史は、最も原始的なものから最も複雑なものに至るまで、数々のハイエレフェニー(hierophanies,秘儀や教義の解説)の蓄積と神聖な実在の諸発現から成っている。」それは入門儀式に基づく諸組織の場合も同じなのである。それらの歴史は、サイキックな体験に根源を持ち、それこそが我々が今ここでこの局面に触れなければならない理由なのである。まさにクリスチャン・ロゼンクロイツがアラブ世界に旅したように、これから我々はこの記事でイスラーム文明へと旅することにしよう。

精神的な系統 (The Spiritual Filiation)

  ルネ・ゲノン(René Guénon)は入門儀式を、人間を超越した存在の源泉からの精神的な影響の伝達であると定義しようと試みた。(とはいえ、彼は人間を超越した存在の源泉に関しては歴史前の古い時代の起源であるとし、不明確なままにしている。)ゲノンは、この伝承には二つの様式があると述べている。一つは不可視から人類に直接降りてくる垂直方式のもので、もう一つは神聖な奥義を入門者から入門者へと繰り返し伝えていく水平方式のものである。入門儀式的組織の歴史を研究する人々のほとんどは、一概に水平方式の系統を思い起こして自己満足するのだが、なぜならそれは、前者のほうは歴史家には感知できないままであり続けるからである。しかしながら、このような手順に従うと、入門儀式的系統の主題をいくつかの証明書や証書を発行する何らかの管理組織の水準に限定してしまうものである。一方アンリ・コルバンのように、垂直方式の伝承のほうを選び、神秘体験、精神的な系統を伝統的な妥当性の基本的基準にする人々もいる。

想像の世界 (The Imaginal World)

  前回の記事の終わりで、クリスチャン・ローゼンクロイツと精神的運動のある創設者たちの伝記との間に存在する類似点に我々は注意を引くようにした。アンリ・コルバン(Henry Corbin)は、同じ人たちに言及し、他に二、三を追加していたが、ポール・アーノルドの説よりはもっと興味深い結論を下した。コルバンは、全く同一の精神的諸体験に注目を引く「原初の心象(primordial images)」の発現を示した。彼はまた、地上のものではなく天上のものである系統の共通の源泉の原理に言及しているが、それは「想像世界(Imaginal World)」にそのルーツがあるのである。コルバンは、その数多くの著作の中でこの「想像世界」の意味を説明しようと最善を尽くしており、特にイスラーム・イランの偉大な哲学者で神秘家のソフラワルディー(Shihaboddin Yahya Sohravardi,1155-1191)に関してのものには熱心に打ち込んでいた。ヘルメスとプラトンとゾロアスターは、このイスラーム・シーア派のプラトン主義者の思想が育まれる上で根源的な影響を与えていた。

  ソフラワルディーは、「想像世界(alam al-mithal)」を純粋な精神的な領域と物質領域との間に位置する次元として提示している。これは神智学的にはマラクト(Malakut,ソウルとソウルたちの世界)として示されており、それは形ある世界と純粋な精髄の世界を仲介する役割を担っている。それはまた、「第八風土」、「エメラルドの都市の国」あるいはフールカリヤ(Hurqalya)であると指摘されている。ソフラワルディーはそれについて、それは精神的巡礼者がその神秘体験の中で遭遇する世界であると述べている。ソウルをこの覚醒レベルへ上昇させる過程を説明するのに、イラニアン象徴学ではクァフ山(the mountain of Qaf)に登ることとして表現されている。これが関連しているのは、人間の霊魂の最も高い中心が山頂になっている宇宙的山以外の何ものでもない。この山頂においては、天の丸天井を緑色に着色するエメラルドの岩を発見するのである。こここそが、聖なる精霊、人類の天使が住むところなのである。スーフィー(Sufís)の思想では、エメラルドは宇宙ソウルの象徴である。また、クリスチャン・カバラにも同様の概念があることは驚きである。例えば、世界のソウルについて議論するとき、ヨハネス・ピストリウス(Johannes Pistorius)はその著書『カバラの芸術について』(De Artis Cabbalisticae)(1587)の中で、最後の天の「緑の境界線」について述べている。またこの概念は、クノール・フォン・ローゼンロス(Knorr von Rosenroth)の『カバラ・デヌーダータ』(Cabala denudata:露わにされたカバラ)の中にも見ることができる。

宇宙の山、クァフ(Qaf)。その頂上は人間の精神の最も高貴な場所であり、天の丸天井を緑色に着色するエメラルドの岩がある
宇宙の山、クァフ(Qaf)。その頂上は人間の精神の最も高貴な場所であり、天の丸天井を緑色に着色するエメラルドの岩がある

真の想像力 (True Imagination)

 「想像世界」は内的な体験と結びついた機能を遂行している。ソフラワルディーによれば、人間はソウルの特別の機能、いわば活動的な想像力によってこの次元に入り込むことができる。パラケルススも同様にこのイマジネーショ・ヴェーラ(imaginatio vera)、真の想像力の機能について述べており、これを単なる空想と混同すべきではないと力説している。カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が示したように、真の想像力は<偉大なる仕事>を理解するための根本的な鍵なのである。さらに、『バラ園』(Rosarium,14世紀)の中では、錬金術的著作は真の想像力によって成し遂げられるべきであると指摘されており、マルティン・ルーランド(Martin Ruland)は、その著作Lexicon alchemiae(1612)の中で、「想像力が人間の中にある星、天体あるいは超天体である」と述べた。ヤコブ・ベーメもまた「想像世界」について、<叡智>が住まう聖なる要素あるいは世界のソウルという表現で述べていたが、ゾロアスター教の聖典にあるスペンタ・アールマイティー(Spenta Armaiti)を幾分思い起こさせる描写である。

 「想像世界」は、アンリ・コルバンが示したように我々にとって特に興味深いのだが、それは神話または大叙事詩の中で、できごとが<展開される>時間のない次元のことだからである。そこは預言者たちや神秘家たちのビジョンが起こる<場>であり、人類の指導者たちが各々の使命を受け取る<場>なのである。またそこは神秘的入門儀式の<場>でもあり、さらには、「文献や公文書管区の中には見られない権威の、「精神的父子関係」の<場>なのでもある。この<想像世界>は物質世界と精神的世界が出会う点であり、それは「ビジョンの地」、「復活の地」と呼ばれているのだが、なぜなら、入門儀式を授かった者たちが、そこで自身の輝く身体を見出すのだからである。(この<光の人>のことは2世紀のアレキサンドリアの錬金術師ゾジムス(Zozimus)によっても語られていた。)このことはソウルとの結婚つまり<完璧な本質>との出会いを可能にするのである。ソフラワルディーにとっては、この精神的な体験に到達する個人はヘルメスの弟子になるのである。

入門儀式的な物語 (Initiatic Narratives)

 ソウルのこの覚醒のレベルまで到達した霊の巡礼者たちは彼らの内的体験を、一般に象徴的な物語によって語っている。象徴的な物語は、霊の巡礼者たちの運動によって発生した精神的運動の基本的文献になったが、それにはいくつかの特徴がある。まず最初に、アンリ・コルバンが指摘するように、それは一般的な意味での神話ではない。それらの物語はできごとであり、その実在、時間、場所は、日常の歴史の秩序の中のものではなく、むしろ「想像世界」、ソウルの世界のものとして語られているのである。それらはヒエロヒストリー(hierohistory)、言い換えれば、聖なる歴史に関連しているのである。このように、それらは文字通りに理解されるべきではなく、(エマニエル・スエーデンボルグの表現を使えば)「内的感覚」によって理解されるべきなのであり、ただ唯一、錬金術的解釈法によってのみ、その意味を理解することができるのである。そしてそのとき、その深遠さを知覚する境界線上の読者の奥底の中心に触れる光を運ぶ手段になることから、変性の能力を持つに至るのである。さらにこの意味においてこそ、それらは真に入門儀式的物語なのである。それらの文献の中で最も有名なものはヘルメス・トリスメギストスの墓の発見を報じた文献である。

完璧な本質 (Perfect Nture)

  多くの歴史家たちが、ヘルメス・トリスメギストスがイサーク・カゾボン(Isaac Cassaubon)によって、その遺産に異議が唱えられた(1614年)後で消えた、まさにその時、クリスチャン・ローゼンクロイツが現れたと言及している。アントワーヌ・フェーブル(Antoine Faivre)によると、ファーマ・フラテルニタティスが西洋秘伝主義の再創立を表していた。したがって、クリスチャン・ローゼンクロイツの墓が発見された時の様子は、ヘルメスの墓の発見を思い起こさせることに注目することは、興味深いのである。アンリ・コルバンによると、バリナス、あるいはむしろティアナのアポロニウスが書き記したヘルメスの身体の発見の様子は、人間が彼自身のソウル、「完璧な本質」と遭遇したことの象徴なのである。ヘルメスはその手にエメラルドの碑板(エメラルドタブレット)と<創造>の秘密が書かれた一冊の本を携えていた。これらの要素は、自己の奥深くに分け入り、自己を知ることに成功した者は<創造主>と普遍的宇宙の秘密を知っているという概念を思い起こさせるのである。

  バリナスの物語は、ソクラテスが「完璧な本質」について議論している、ピカトリックスの一節から引用されたもののようである。ヘルメスの証しを思い起こさせているこの議論は、叡智の鍵を開ける内的な指導であるところの哲学の精神的実在を表しているのであると指摘している。ピカトリックスの別の部分には、ハーラーンのサビアン人(Sabaeans of Harran)のアストラル儀式に属するとして提示されている祈りを含んでいる。それはヘルメスがアラビア語ではオターアード(Otared in Arabic)、ペルシア語ではティル(Tir in Persian)、ギリシア語ではハルス(Harus in Rhomaic)、ヒンズー語ではブッダ(Buddha in Hindi)と呼ばれていることを明言してヘルメスに誓願している。この人間と完璧な本質との遭遇はまた、ヘルメス錬金術大全の序文であるポエマンドロスの中でも触れられていることも、ここに書き加えておこう。

ヘルメス・トリスメギストスのエメラルドタブレット、ハインリヒ・クンラートの『知恵の円形劇場』より
ヘルメス・トリスメギストスのエメラルドタブレット、ハインリヒ・クンラートの『知恵の円形劇場』より

老賢者 (The Old Sage)

  墓は、あの世へ転化する場所を表しており、ある文献ではそれを「想像世界」への移行と関連させている。墓は、結果的には肉体が霊へと変性する、その復活を象徴しているのである。またカール・グスタフ・ユングにとっては、墓はまた無意識の深みへ降りていくことも表している。二人の達人、クリスチャン・ローゼンクロイツとヘルメス・トリスメギストスの体がそれぞれの墓の中で発見されたが、その両方ともが老人の体である。ユングは神話や物語、あるいは夢の中に現れるこの象徴を、一つの原型「老賢者」(Old Sage)の表現であると分析した。ユングは、人が内的探究の過程である段階に達したときに、無意識が内的人生の中での表れ方を変化させると考えた。そして次に、霊魂の最も奥の中心にある「エゴ」(the Ego,自我)を表す新しい象徴的形態として出現するのである。女性の場合には、それは女祭司か女魔術師として現れ、そして男性の場合には一般的に、入門儀式を授ける年老いた賢者として発現した。ユングはまた、ヘルメスの中に入門儀式の錬金術的過程の原型を見た。ユングはヘルメス-マーキュリーを無意識と関連付けて、それを、統合の過程での主要な重要性の要素にした。言い換えれば、存在の中心である「エゴ」の発見の重要な要素にである。

エリアス・アシュモールの錬金術文学『テアトルム・ケミクム・ブリタニクム』より。「大いなる達人が、錬金術を継ぐにふさわしい息子にその秘儀を授ける。座した老賢者は言う。『聖なる封印のもと、神の賜物を受け取りなさい』」
エリアス・アシュモールの錬金術文学『テアトルム・ケミクム・ブリタニクム』より。「大いなる達人が、錬金術を継ぐにふさわしい息子にその秘儀を授ける。座した老賢者は言う。『聖なる封印のもと、神の賜物を受け取りなさい』」

神の友人たち (The Friends of God)

  アンリ・コルバンは、秀作En islam iranienの最終巻の最後で、いくつかのある精神的運動の創設者たちの伝記や記録の間の類似点を思索している。コルバンは、「神の友人たち」思想、緑色についての概念、諸周期に関する考え方、そして全く同一の精神的体験の啓示の再現などの様々な共通するテーマに着目していた。そこには、オリエントへの航海や、墓の発見や、公認の宗教の外郭に、ある形態の非宗教的あるいは精神的でもある騎士団の精神的運動のプロジェクトを創造する計画等の共通の言及が見られる。

  イスラームのシーア派(Shiite)とスンニ派(Sunni)の相違点の一つは、聖なる啓示(Divine Revelation)の周期についての考え方である。シーア派は、預言者の周期はアダムがエデンの園から追放され、アダムの息子セツ(Seth)が神から聖なる信頼を授けられたとき(天使ガブリエルもこのときセツに緑色の羊毛でできた外套を与えた)に始まったとする。この期間は預言者の封印ムハンマドによって完結された。そして新しい期間が始まった。なぜなら、<言葉>が<創造物>の中で循環し続けたからである。これがワラーヤ(warayat)の周期でありその目的は秘伝が予言の中で明らかにされることであった。それを伝えた人々は騎士として表され、「神の友人たち」(Friends of God)と呼ばれた。これらの存在は、完璧な人間であり、神の真の顕現であり、高位の精神的覚醒を達成した人々であった。彼らは、<創造主>との繋がりを失ってしまったことによる<創造物>の不均衡を一時的に調整するために必要な存在であった。

 イランのスーフィズムを代表する偉人の一人であるルーズベハーン・バクリー・シーラージー(Ruzbehand Baqli Shiraz,1128-1209)は、この点に関してこういった。「それらは<創造主>が今、世界を見ておられる、まさにその目である。また、キリスト教の聖書の福音書の中にも神との聖なる友情の主題が見られる。聖ヨハネは、こう述べている。「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがたを友と呼んだ。私の父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからである。」(ヨハネによる福音書 15:15)

緑の島 (The Green Island)

 「神の友人たち」という表現は西洋に広がり、ルルマン・メーシュイン(Rulman Mersein)が神秘的な放浪者「高地の神の友人たち」に出会った後に設立した団体が、西洋においてこのように呼ばれた。この小さな共同体には、ヨハネス・タウラー(Johannes Tauler)が訪れ、そのまま住みついてしまった。この「緑の島」と呼ばれたところはストラスブールにあった。この名称は秘密の隠れ家で同じく「緑の島」と呼ばれたイスラーム・シーア派が世界の終末の到来を待ちうけているとされる「隠されたイマーム」を思い起こさせる。ルルマン・メーシュインは、修道院の時代は過ぎてしまっている、そして、これまでとは違った新しい形態の構造物が創られなくてはならないと考えた。それは聖職者たちによって創られたものではない新しい秩序の形態になるのであった。また、ルルマンの業績は蝋版に記され、1382年に彼が没したときに墓の中に入れられたことをここに記しておこう。

  他人物の、タウラー、エックハートそしてスーソー(Suso)を取り巻いていた一団を作っていた人物たちは「神の友人たち」と呼ばれていた。スーソーの弟子たちは、「永遠の叡智の友愛組織(Brotherhood of Eternal Wisdom)」を組織することを企ててさえいた。ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエもまた、「神の友人たち」の表現を彼の著作、『聖霊の栄光のさや』(The Sheath of the Glory of the Spirit,1616)の中で使用した。彼の著作には、コンフェシオ・フラテルニタティスからのおびただしい数の引用が繰り返されていた。ここで述べた人物や団体の思想によれば、「神の友人たち」の名称は、普通「選ばれた人」、「人類の案内役」を示し、啓示体験と共に生きていた人々のことであった。

フラバルティス (The Fravartis)

 「神の友人たち」の概念は、イスラーム世界では精神的騎士道精神(Spiritual Knighthood)と重なる。さらには、テンプラー騎士団が作り上げた連携関係を持つイスマーイール派のダーワト友愛組織(the Ismaelian Da’wat fraternity)は、騎士道精神を標榜する組織の様相を呈していた。シーア派教理の中には、「聖典の三大宗教」に共通する騎士道精神の考え方まで見られる。アンリ・コルバンによると、「精神的騎士道精神」のような考えは、イラン・イスラム前の宗教であるゾロアスター教の中に根付いていたものであった。それは<創造>の最初の瞬間について言及しており、フラバルティス(Fravartis)と呼ばれるある特定の存在の人々に、世界の調和を取り戻す任務を与えている。この概念については、紙面に限りがあるので十分に議論できないが、人間の入門儀式的本質、人間の「完璧な本質」、そして人間が神秘的体験を通じて再獲得するあの「光の人」の概念にしっかり結び付けられているのである。

  この種の体験を生きていた人々、つまり啓示を受けた人々~この言葉の最も高尚な意味において~は、精神的入門儀式による指導者、エリヤに出会っている人々である。イエメンに源を発するスーフィの伝統によれば、ケズルー・エリヤ(Khezr-Elijah)はオワーイシ(owaysi)に入門儀式を与えた人であり、オワーイシは地上の師を通してではなく、精神的な体験を通じて入門儀式を授かった弟子たちである。そのような弟子たちには、オワイス・アル・カラニ(Oways al-Qarani)、イブン・アラービ(Ibn Arabi)、ハーラージ(Hallaj)などがいる。ケズルー(クヒリドKhird)またはアル・クハディール(al-Khadir)、あるいはインドではクワハラジャ・クヒドゥル(hawadja Khidr)としても知られている)は、しばしばヘルメス・トリスメギストスあるいはセツと比較されていることをここに記しておくのも有益であろう。古代の伝統によると、彼は天の海と地の海が接する場所に住んでいる。そして彼のマントは、生命の泉の水を浴びてから緑色になったと言われている。ケズルーこそは他ならぬ、「完璧な本質」、「知識の天使」~言い換えれば人間の最も光り輝く本質、その「内なるマスター(主宰)」の名称なのである。この経験が精神的騎士道の流れをくんで生きていた人々に入らなくてはならなかったのであった。

精神的騎士道 (Spiritual Knighthood)

  我々が論じてきた様々な人々の中に、精神的騎士道の軌跡をみることができる。フローリスのヨアキムが原始キリスト教精神のもとに修道院組織の設立に着手した時代(12世紀)のころには、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ(Wolfram von Eschenbach)はドイツでキリスト教思想とイスラーム思想に共通する騎士道精神の考えを発展させた。エッシェンバハのパルチファル(Parzival)は、それに基づいてリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がパルジファル(Parsifal)を書いているが、トレドでKyot le Provencalが入手していたアラビア語の文献から引き出されたものである。この聖杯伝説の翻案は、イラン語の原本によるものである。パリチファルの中に出てくる聖杯は、「聖霊」の鳩が降下した宝石であることを理解することは驚くべきことである。ある伝承は、それは聖杯の杯が彫られたエメラルドを意味していると述べている。

  ここで述べられている様々な「神の友人たち」の伝記の調査は、彼ら全員が同様の精神的体験を体験して共通の精神的系統につながっていると我々が考えることを勇気づけてくれる。この考えは、アンリ・コルバンを熱中させ、この主題で彼の傑作、En Islam Iranienを終わらせている。コルバンは、同じ系統の力が太古の時代に突入して、エイブラハム伝統のすべてに共通する騎士道の概念がイスラーム・シーア派の中に起こるようにしたと信じていた。それは西側世界で全キリスト教的な騎士道の概念を発生させ、これがキリスト教、イスラーム教両思想の騎士たちを結びつけたのであった。これらの人々の中に、東洋と西洋の秘伝主義思想の支持者たちに共通する企画を見出せないだろうか?ここに「我々の西洋の伝統すべてにとっての、最も貴重な精神的秘密」を観察することができるのではないだろうか?この精神的騎士道には終末論的な目的があり、天地創造の始まりから、世界に<光>を取り戻す暁の到来のために働いてきている「預言者たち」、「選ばれた人たち」、「導き手たち」、「入門者たち」を一つに固く結んでいるのである。

パルジヴァルの姿はキリスト教の観点からの精神的騎士道の概念を表現している
パルジヴァルの姿はキリスト教の観点からの精神的騎士道の概念を表現している

世界のそれぞれの時代  (The Ages of the World)

 多くの伝統が人々を<神の計画>に関して完全に啓発させる<聖なる啓示>は、今後何千年にもわたって行われるのであると主張している、この観念はユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の中に見られる。ユダヤ教では、この世界は今後わずか6000年しか存続せず、その終末には、エリヤが救世主(メシア)の到来の前に世界を浄化するために再来すると示されている。このエリヤの再来は、聖書の福音書の中にも繰り返されている(マルコ伝9:12、マタイ伝14:11)。この預言はまた、フローリスのヨアキムによって、<三位一体>をなす三人の人物の間に<聖なる啓発>の周期を割り当てられた12世紀を特徴づけている。ヨアキムは、<父と子>の時代の後に第三の<啓発>の時代が差し迫っていると発表したが、これは<聖霊>の時代であり、そしてエリヤの再来によって特徴づけられるのであった。そして聖ペテロ教会は、聖ヨハネ教会に取って代わられるのであった。これら、周期と新たな教会の出現についての考え方は、内的な宗教を説いた神秘主義の諸運動に相当な影響を与えていた。アンリ・コルバンは、これらの諸運動に携わった人物として、12世紀と13世紀のヨアキム思想者であるヴィラノバのアーノルド(Arnold of Villanova)、コーラ・ディ・リエンツィ(Cola di Rienzi)、バラ十字会員のヤコブ・ベーメ(Yacob Boehme)、シェリング(Schelling)、フランツ・フォン・バーダー(Franz von Baader)、ニコライ・ベルジャーエフ(Nicolai Berdyaev)などを挙げている。これらの理想は、ルネッサンス時代のキリスト教カバラ思想者パラケルスス、『ナオメトリア』のサイモン・ステューディオン、一連のバラ十字宣言書、マルチネス・ド・パスカリ(Martinez de Pasqales)にも大きな影響を及ぼしたことをここに強調しておきたい。

パラクレート(聖霊) (The Paraclete)

 アンリ・コルバンが示しているように、〈啓示〉の概念は、周期として間隔があったが、イスラーム文化の中でも重要な役割を演じている。さらに彼は、カラブリア修道士(Calabrian monk)の、世界の三つの時代に関する理論と、イスラーム教シーア派のヘクサエメロン(hexaemeron、創造の六日間)の理論との間にかなりの親近性が存在していると主張していた。ヘクサエメロンの原理は、フローリスのヨアキムがその説をまとめる一世紀も前に、イランの哲学者ナスィーレ・ホスロー(Nasire khosrow)によって明らかにされていた。彼は<天地創造>の六日間と六つの大宗教(シバ教(Sabaizm)、バラモン教(Brahmanism)、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の発祥を対比した。これらのどの段階も、<聖なる>ものへと導く新しい<光>をもたらす預言者の到来を示していた。しかし、これらの六日間は「宗教の暗い夜」であり、第七日目のみに、すべての啓示の精神的で秘伝的な意味が明らかにされるのだった。イスラーム教では、この主題を数多くの文献の中で発展させている。例えば、存在と叡智のハイエラルキー(階層)の各段階の例証を預言者の中に知覚したイブン・アラビーの『予言者たちの叡智』(The Wisdom of the Prophets、11世紀)や、神秘状態を象徴化したものを知覚したマフムード・シャベスタリー(Mahmud Shabestari)など。セムナニ(Semnani、14世紀)としては、預言者たちを存在の七つの微妙な中枢と関連させている。

 12世紀に、シーア派の神智学者たちは「ヨハネの黙示録」と福音書に偏重する傾向があったが、彼らはジョハナイト(Johannaites、ヨハネの黙示録を信奉する人々)であった。さらに彼らは、第12番目のイマームの出現(復活)を聖書でヨハネが告知したパラクレート(Paraclete)、すなわち聖霊になぞらえた。ヨーロッパでバラ十字運動が開花していた17世紀に、イスパハーン(Ispahan)(古代のアスパダーナ、現在のイランのイスファハーン市)のシーア派の学校では、すでに「隠されたイマーム(12番目の)」はサオシュヤー(Saoshyan)、すなわち救世主であるとされていた。これは、ゾロアスター教によると、第12番目の千年紀の終わりに、<創造>を原初の<光>に戻すために到来するのであった。

ヒエロヒストリー (Hierohistory)

 ニコライ・ベルジャーエフとアンリ・コルバンは、キリスト教徒とイスラーム教徒の両方が祈願していた、ここで述べた啓示の周期は、年代的段階としては理解されないかもしれないことを示した。これらは歴史ではなく、学者たちがヒエロヒストリー、つまり聖なる歴史と呼ぶもので、その出来事は直線的に次世代へと継承され<ない>のだとされていたのである。それらの枠組みはソウルの世界、ハイエレフェニーの世界におかれているのである。このように、彼らはこれらの期間は敵視的な期間ではなく、人間の内的発展の段階に関連していると感じているのである、ここに述べた歴史的な事実は、我々を啓発する意図を持つ発現からなる聖なる歴史の出来事を歴史的にまとめたものではないのである。さらに、ある人々はまだ啓示の第一段階にいるにもかかわらず、「第8風土」、「想像世界」を体験した他の人々は、すでに<聖霊>の時代に生きているのである。なぜなら彼らは、内的な体験を通して「神の友人」になっているからである。

  真正の入門儀式的組織は、そのような発展に導いてくれる。組織の設立者たちの神秘体験は、一本の精神的騎士道の木の幹につながっている枝の一つ一つのように複数の団体を発生させている。例えば、ジャン・パプチスト・ウィレーモス(Jean-Baptiste Willermoz)は、「高くて聖なる組織」と語った組織は、世界の始まりに起源をもっていたと言っていた。近代のバラ十字運動に関する限りでは、バラ十字会は、不可視の組織、すなわち大白色友愛組織と呼ばれているものの単なる可視の領域での発現であるとされている。この関係において我々は、その源泉を探究すべきなのである。

 この起源については、文書によって証明することは全くできないし、このような概念は合理主義的な歴史家に反駁されることを我々は理解しなければならない。秘伝主義と入門儀式的精神的運動の起源への新鮮な視点が必要であるとするミルシア・エリアーデの流儀のほうが、合理主義の歴史家の気をより少なく動転させることになろう。この観点においてアンリ・コルバンの研究は、非常に貴重なものであることは、その研究自体が証明しているので、それこそがこの記事の中で彼の著作についてかなり言及してきた理由なのである。彼の思想はクリスチャン・ローゼンクロイツの伝記を予見力のある物語として読むことを想像させてくれ、そのイメージの中にエメラルドタブレットを発見することができるのである。それは精神的な体験について語っており、<創造>の秘密を明らかにしてくれる「完璧な本質」との出会いなのである。それはかつて存在した人の伝記ではなく、「想像世界」に戻った「特定の個人」の歴史であり、その「想像世界」とはアンリ・コルバンが入門儀式的継承の源泉でありうると熟考していた世界である。このようにして、ファーマ・フラタナティスは、原初以来<世界の光>を再びもたらすためにひそかに働いていた友愛組織に参加するように激励している入門儀式的物語の伝統の中でのその役割を果たしているのである。

  ここで我々は、ミヒャエル・マイアーがバラ十字思想はエジプトとバラモン教の霊性と、エレシウスとサモトラケの神秘儀式と、ペルシャのマギと、ピタゴラス学派とアラブ文化に由来を持っていることを述べた時に何を言おうとしていたのかを理解することができるのである。しかしながら我々は、入門儀式的運動の起源は歴史を超えていて、ヒエロヒストリーの枠組みにぴったりはまり、読まれていることは単に書類の中にあるのではなく、ソウルの世界の中にあるということを感じ取ることができるのである。たしかニュートンは、その錬金術の著作の中で、真の真実は神話と寓話と預言の中に具体化していると言っていなかっただろうか?

次の記事へ:化学の結婚|バラ十字会の歴史と神秘(第8章)

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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