ヘレナ・デュモン(Helena Dumont)
チェルケス人は、北コーカサスのチェルケス地方にルーツを持つ民族であり、19世紀にロシアがコーカサスを征服したとき、多くの人が難民として故郷を離れました。チェルケス人は、アディゲ族(Adyghe)とカバルダ族(Kabardian)という民族から構成されています。北西カフカス語族には多くの言語が含まれますが、そのひとつであるチェルケス語が彼らの言語です。チェルケス人の多くは、トルコ語やアラビア語や、他の中東のさまざまな言語を話しますが、これは彼らがオスマン帝国の地にロシアによって追放されたためです。チェルケス人の多くは、現在もトルコとその隣国のイランに住んでいます。チェルケス地方の先住民の信条であったハブゼ(Habze)が、揺りかごから墓場までのチェルケス人の行動規範に組み込まれて、彼らの行動に指示を与え彼らの価値観や世界観を形作っていました。この記事では、このハブゼについて簡単に見ていきたいと思います。
宗教
Religion
アミニズムは北コーカサス地方のすべての人々にとって、おそらく最も古い宗教であり旧石器時代にまでさかのぼることができます。それは、生物と無生物のすべてに魂が宿っているという信仰です。アミニズムという考え方では、自然界のすべてのものは生きていると見なされ、新石器時代になると、アミニズムから私たちが多神教とおおまかに呼んでいる信仰が生じました。
チェルケス人の伝統宗教はハブゼ(Habze)と呼ばれていました。これは、哲学的かつ宗教的なシステムであり、このシステムによって個々の人の価値観が洗練され、ある個人と他の人の関係、個人を周囲の世界の関係、個人と「高次の心」(Higher Mind:ハイアー・マインド)との繋がりが促されていました。ハブゼは一神教であり、唯一の最高神タシュクエ(Theshxwe)を崇拝する明確な信仰システムです。タシュクエは省略してター(Tha)と呼ばれることもあります。
紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて黒海の沿岸にギリシャ人が入植し、文化の混合が起きました。興味深いことに、イオニア地方の都市国家ミレトスは、紀元前6世紀にはすでに海洋に支配を拡大し黒海の東海岸に6つの植民地を持っていました。都市国家ミレトスは、自然哲学者と呼ばれるタレス(紀元前624~546年頃)、アナクシマンドロス(紀元前610~546年頃)、アナクシメネス(紀元前585~525年頃)の故郷でした。これらの植民地の奥地にチェルケス人が住んでいました。古代ギリシャの思想がチェルケス人の信仰にどの程度の影響を与えたのかを知ることは困難ですが、この2つには類似している点があります。その後のチェルケス人の歴史を見ると、彼らの民族の宗教にはキリスト教とイスラム教との交流がありその影響を受けています。
ハブゼ
Habze
ハブゼという言葉は、秩序や広大さや宇宙を意味する単語と、言葉や話を意味する単語の2つに由来しています。それは、チェルケス人の古くからの宗教、哲学、世界観に付けられている名称であり、その意味は文字通りに訳すと「宇宙の言語」もしくは「宇宙の言葉」となり、ダルマ(訳注)という概念に相当します。
(訳注:ダルマ(Dharma):語根「dhr」(保つ)から生じたサンスクリット語で本来は「保つもの」を意味したと考えられる。「法」という中国語に訳された。原始仏教におけるダルマの意味は多義的であり、法則・正当・基準、教説、真実・最高の実在、経験的事物を意味した。)
ハブゼの信仰体系は、もともと口頭で伝えられていたチェルケス人のナルト(Nart)叙事詩からその名前が取られています。この叙事詩は、何世紀にもわたってチェルケス人の価値観の形成に大きく影響してきました。ソビエト連邦の時代には、この地域でイスラム教の衰退が進み、特にチェルケス人の間ではそれが顕著でした。ソビエト連邦の崩壊とともに1990年代には、民族主義の台頭と文化の独自性を尊重する気運から、ハブゼの復活がチェルケスの知識人に支持されるようになりました。また最近では、ワッハーブ派(訳注)とイスラム原理主義に対抗する勢力としてハブゼが支持されています。
(訳注:ワッハーブ派(Wahhabism):ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(1703~92)を始祖とするイスラム復古運動。)
ター神
The god ”Tha”
ハブゼの宗教ではター神(Tha)を至高の神と考え、この神が宇宙を創造したと考えています。ター神が最初に現れたとき、この神は〈言葉〉を、つまり〈宇宙の法則〉を創りました。これは原初のひな型であり、ここから万物が自然に生じて「内なる法則」に従って展開していきました。この考え方からは、古代エジプトのメンフィスの宗教が連想されます。メンフィスの宗教では、プタハ神が世界を創造するために〈言葉〉を発したとされていました。人間が啓示(enlightenment:悟り)を得るということは、ター神の法則を理解することにあたります。ター神は自らが創造した万物の中に遍在(omnipresent)している、つまりあらゆる場所に存在しています。チェルケス人の宇宙観を表す文書では「ターの心は宇宙のいたるところに散らばっている」とされています。
チェルケスの人々の神への賛歌では、ター神は「すべての者が問いかけるが、何も問い返さないお方」、「存在しないものを生み出すお方」、「すべての者が望みを託すが、誰にも望みを託さないお方」、「贈り物を与えるお方」「神々しい驚くべき業」、「天と地が動くことを許すお方」と表現されています。すべてものがひとつであり、ター神と一体であるとされます。物質として現れているこの世界は絶え間なく変化しています。しかしそれと同時に、そこには常に揺るぎなく存在し続ける基盤があります。この基盤とは、世界の元になった原理と世界の法則です。
常に変化する世界とその基盤は回転する車輪にたとえられます。車輪は常に変化し続けていますが、その中心にはハブ(hub)があり、車輪はハブの周りを回転しており、ハブは静止したままです。ター神は宇宙の法則の創造者であり、宇宙の法則は神の表現であり、この表現によって人間にさまざまな法則を理解する機会が与えられ、人間は神に近づくことができます。ター神は日常生活に介入することはせず、すべての人には選択の自由があります。ター神は形を持たず、常に宇宙のすべての場所に存在しています。「ターの心は宇宙のいたるところに散らばっている」のです。この世界で生きる人間の目標は魂(soul:ソウル)を完全にすることであり、それは敬意を保つこと、思いやりの心を表すこと、無償の援助を行うことによって達成されます。また、これらの行いが戦士のような決断力と勇気を伴うと、その人の魂は、一点の曇りもない祖先の魂に加わることができます。
ター神への礼拝や祈りは、「ターへの請願」と呼ばれる儀式を通して表され、祈りが言葉として語られたり歌として歌われたりします。儀式は特別な場所で行われ、それは多くの場合、建物や神殿ではなく神聖な森や木立の中でした。儀式が行われる場所は、木づちの形の象徴、つまりタウ十字の象徴で示されます。タウ十字とはアルファベットのTの字の形をした十字で最高神を象徴しています。儀式を行うのは、多くの場合に家族や共同体や村の長老たちです。儀式や行事を執り行う司祭は、多くの場合、チェルケスの文化において鍵となる重要な人物であり長老ですが、結婚式やその他の儀式で責任を担う人物である場合もあります。儀式を行う司祭は、生活のあらゆる面でハブゼの規則を常に厳密に守らなくてはなりません。ハブゼは、人々が互いに尊重し合うこと、とりわけ責任感や規律や自制心に基づいており、チェルケスの人々の道徳的な価値観の根本を形作ってきました。
ハブゼはチェルケス人の不文律としての役割を今も果たしていますが、過去には厳密に整えられて厳守されていました。勇気と信頼と寛大さがすべてのチェルケス人に教えられることが、ハブゼによって求められています。貪欲さや所有欲や富や虚飾といったものは、ハブゼの規範では恥ずべきものとされます。チェルケスの人々はハブゼに基づいて、もてなしの心を特に重視しています。客人は迎える家族の客人であるというだけでなく、村や一族全体の客人であると見なされます。敵対する者であっても、いったん家に迎え入れられた場合には客人と見なされ、他の客人を同じようにもてなすことが神聖な義務とされます。
チェルケス人はまた、歓迎する側の主人のことを客人の奴隷のようなものと考え、主人は客人のあらゆる必要と希望に応じるのが当然のこととされます。客人はどんな場合でも働くことは許されません。それは、家の主人にとって重大な不名誉だと見なされるからです。チェルケス人は、誰かが部屋に入ってきたら立ち上がり、その人のために場所を空け、会話では、他の誰よりも先に話すことができるようにします。年長者や女性の前では、敬意を込めて会話し行動することが必要不可欠であるとされます。女性がいるときには言い争いは中止され、客人の前で家庭内の論争が続けられることは決してありません。女性は、争っている家と家に仲直りをするように求めることができ、その求めには必ず従わなくてはなりません。
チェルケスの人々には賞賛に値する人生観があるだけでなく、私たちの遠い祖先が世界や宇宙をどのように理解していたのかということについて、数多くの考えさせられる材料があります。
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