以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

エレウシスの密儀
The Eleusinian Mysteries
アルバート・ホフマン
By Albert Hofmann

アルバート・ホフマン(1906-2008)はスイスの化学者で、リゼルグ酸ジエチルアミド(LSD)を初めて合成しその幻覚作用を発見したことで知られています。彼は、薬物を娯楽として使用することを決して支持していませんでしたが、幻覚剤と呼ばれる物質が何世紀にもわたって多くの文化で儀式に使用され、現代では心理学で使用され始めていることについて、その場所や時期や方法を特定するための研究を生涯を通して続けました。この記事が提供するのは、いわゆる「密儀」(訳注)が私たちの現代世界に与える影響と、心の崇高さを探究する手段として薔薇十字団が私たちに遺した遺産についての全体像です。
(訳注:密儀(mystery):ある集団の入門者だけに行われる秘密の儀式。古代ギリシャと古代ローマには秘密の儀式を手段として用いて、入門者に高度な意識状態をもたらす集団がいくつも栄えた。)
デメテルとペルセポネを崇拝するエレウシスの密儀集団は、当初はその地域だけにしか影響力がありませんでしたが、やがてアテナイの市民社会の重要な一部となり、最終的にローマ帝国の時代には、広範な影響力を持つギリシャ全体の制度へと発展しました。ギリシャ全体に影響力を持つというエレウシスの密儀の特徴が、紀元前760年、第5回のオリュンピア大祭(古代オリンピック)の時に示されました。地中海沿岸のギリシャ語圏全域を苦しめていた飢饉を終わらせるために、すべてのギリシャ人が共同で、エレウシスの地の主神デメテルのために生贄を捧げるように、デルフォイの神託による呼びかけが行われたのでした。
エレウシスの密儀で伝えられたメッセージ、つまりこの密儀集団を、古代において最も影響力のある重要なものへと力強く変貌させたメッセージは何だったのでしょうか。この問いに詳細に答えることはできません。というのも、秘密を守るという厳しい戒律によって保たれていた秘密のベールは、何千年もの間、決して取り除かれることがなかったからです。エレウシスの密儀集団がその構成員個人にとって、精神的な基礎としてどのような重要性を持っていたかを知るには、この集団に入門した偉大な人たちの証言を調べるしかありません。エレウシスという土地で、新しい何らかの宗教が広められていたという事実はありません。この可能性は除外することができます。なぜなら、エレウシスの密儀に入門した後、無事に故郷に戻った人たちは、出身地の宗教に依然として忠実だったからです。
ですから宗教の教義ではなく、人間存在の本質や生と死の意味についての啓示が、入門者たちに授けられてきたに違いありません。エレウシスの密儀集団では、入門者が記憶の女神であるムネモシュネ(Mnemosyne)に祈りを捧げることが知られています。神聖な入門儀式の記憶を呼び覚まし、それが鮮明に保たれることをこの女神に祈願し、この入門儀式が人生のすべてを照らし、生き方を変容させる体験であり続けることを願います。エレウシスの入門儀式が参加者に与える影響は極めて強力であったため、入門儀式が人生のハイライト、すなわち入門者の魂と心の中で起こる最も重要な出来事として扱われたのは不思議なことではありません。エレウシスの密儀が古代から現在に至るまで密儀の代表的存在であり続けているのは、秘伝的で崇高な心の英知を伝える影響力が、入門儀式の授与に存在しているからなのでしょう。
エレウシスの密儀に参加することは、外的な見かけだけを検討するのでは理解できない体験です。というのもそれは、一人一人の入門者の心の最も深奥に変容を引き起こすものだからです。このことは、極めて有名な入門者たちの証言からも明らかです。エレウシスの密儀がもたらす恩恵について、古代ギリシャの叙情詩人ピンダロスはこう書いています。
これらの儀式を見て、地底の道を歩む者は幸いである。なぜならその人は、人生の終わりと神から与えられた人生の始まりを知るからである。

古代ローマの政治家キケロもまた、エレウシスの密儀が彼の人生に光をもたらしたことを証言しています。
アテナイは数多くの神聖なものを生み出したが、しかし、これらの崇高な密儀に勝るほど崇高なものはひとつもない。これらの密儀によって、私たちはより優しくなり、野蛮で粗野な生活から、より文化的な生活へと進歩した。それによって、より喜びに満ちた生活を送るだけでなく、より良い希望を持って死ぬことができるようになった。
始まりと終わり、誕生と死が一貫したものであること、人間存在が全体的なものであり、そこは永遠に存続する生産的な基礎があることを、しばしば入門者たちはビジョン(訳注)の中で体験しました。それは、言語を超越しており、永遠であり、無限であり…、比喩によってだけ表現することのできる「神聖なるもの」との出会いであったに違いありません。エレウシスの密儀の体験が、闇と光、恐怖と至福といった対立を通して、何度も何度も描写されていることは印象的です。このような二面的な性質は、エレウシスについて述べたアエリウス・アリステイデス(訳注)の記述などにも見ることができます。
私の中に存在するあらゆる神聖なものの中でも、最も畏敬の念を抱かせるものであり、最も光り輝くものでもある密儀を、マルクス・アウレリウス皇帝は、人類に対する神々の配慮を顕現させる贈りもののひとつだと考えていた。
(訳注:ビジョン(vision):世界の本質を見通す視覚的な啓示体験。)
(訳注:アエリウス・アリステイデス(Aelius Aristides, 117-181):ローマ時代のギリシャの弁論家。)
このことから私たちは、現代の問題を考えるように導かれます。それは、今日盛んに議論されている問題にも関連しています。それは、個人の内面的な精神生活に対する新たな洞察を得るために、意識を変容させる作用のある薬物を使用することは、倫理的、および宗教的に擁護されるかという問題です(注)。
(注:バラ十字会は、精神探究のために薬物を使用することに反対しています。)
もし、キケオン(水、大麦、天然物質で主に作られた古代ギリシャの飲み物)の中に、意識を変容させる作用のある薬物が含まれていたという仮説が正しく、それを支持する十分な論拠があるとすれば、エレウシスの密儀は、精神的および実存的な意味においてだけでなく、人生の謎に対する神秘的な洞察を得るために意識を変容させる作用のある化合物を使用するという物議を醸す問題という点でも、現代と関連があることになります。

個人と環境の分離
Separation of Individual and Environment
エレウシスの密儀に極めて強い影響力があり、それが長い期間存続していたことによって、この密儀が深遠な精神的な必要、魂の切望に応えるものであったことが示されています。ニーチェの視点を採用するならば、ギリシャの精神は、その起源から切り離された現実の意識によって特徴づけられていました。古代ギリシャは、自己が最も慣れ親しんでいる日常生活という活動世界である外界から、自己を一時的に切り離すという体験が始まり、育まれた場所でした。
ここでは、個人と環境を意識的に分離することが、他の文化よりも早く発達しました。この二元論的世界観は、ドイツの医師で作家のゴットフリート・ベン(Gottfried Benn)によって「ヨーロッパ運命神経症」(European-destiny neurosis)と呼ばれました。この世界観はヨーロッパの精神史の進行における決定的な特徴であり、西洋では現在でも強く影響しています。
外界と向き合い、世界を物質として客観視できる自己、つまり外界を対象として観察する精神は、西洋の科学研究が出現するための前提条件でした。この客観的な世界観は、科学的思考の最古の文書である、古代ギリシャのソクラテス以前の哲学者たちの宇宙論にも明らかに見ることができます。自然と対立する人間という視点によって、自然を強力に支配することが可能になりました。この視点は、17世紀の哲学者デカルトによって初めて明確に定式化されました。それによってヨーロッパでは、自然に関する完全に客観的で定量的な科学的調査が発達し、物質世界の構成に関する物理と化学の法則を説明することが可能になりました。その発見によって、自然とその力の、それまでは存在しなかった利用も可能になりました。
その結果、現代生活のほぼすべての側面が工業化、技術化され、人類の中の少数の人たちは、これまでほとんど想像もできなかったような快適さと物質的幸福を手に入れました。しかし、そのために私たちはどれほどの代償を払ったでしょうか。その過程で、自然環境は世界中で壊滅的なまでに破壊され、私たちは今日、何百万年もの間経験したことのない地球規模の生態系の危機に直面しています。
物質的な結果よりもさらに深刻なのは、この進歩が与えた人の心へのダメージであり、それが極端な物質主義的世界観をもたらしています。個人は、すべての存在の精神的で神聖な基盤との絆を失っています。無防備で避難場所もない一人ぼっちの人間は、無情で混沌とした物質主義的で危険に満ちた世界に、孤独に向き合っています。しかもこの世界は、自分のゲームで頂点に立とうと躍起になっている、エゴに突き動かされた権力者たちに支配されています。
この二元論的世界観は、現代において破滅的な形で現れていますが、先ほど述べたように、古代ギリシャにおいても、その種子がすでに明白に現れていました。古代ギリシャの天才は、アポロンの庇護のもとにある外部の物質世界を、その崇高な美しさにおいて見るという癒しを求めました。色彩豊かで歓びに満ち、官能的でありながら痛みをも伴うアポロン信仰の世界観は、無我の酩酊状態に陥いるディオニュソスの密儀を体験することによって補完されました。

ニーチェは『悲劇の誕生』(1872年)の中で、ディオニュソスの密儀の世界観について次のように書いています。
あらゆる原始人や部族が聖歌で語っている麻薬の影響を通して、あるいは、自然のすべてが喜びで満たされる春が力強く近づいてくることを通して、ディオニュソスの密儀の興奮が起こり、それが激しくなると人々は完全に我を忘れてしまう(中略)。ディオニュソスの儀式の魔法によって、人と人との絆が再び結ばれるだけでなく、疎外され敵対され征服されていた自然が、放蕩息子である人類との和解を再び祝うのである。
エレウシスの密儀は、神をたたえる式典や祝祭と密接に結びついていました。その本質は癒しをもたらし、人間と自然との分断を超越させるものでした。それはまた、創造主と被造物との間の分断を取り払うものだと言えるかもしれません。これがエレウシスの密儀の真の偉大な目的でした。その歴史的かつ文化的な影響、ヨーロッパの精神史への影響は、はかり知れないほど大きいものです。エレウシスの密儀において、理性的で客観的な精神によって分断され苦しむ人類は、神秘的な全体性の体験の中に癒しを見いだし、それによって人々は、「永遠の存在」が不滅であると信じられるようになりました。
この信仰は、象徴は異なるものの、初期キリスト教にも受け継がれました。それは、福音書のいくつかの箇所に契約として記されています。、中でも『ヨハネの福音書』(14:16-20)では、イエスが弟子たちに別れを告げるときにこう言っています。
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は、真理の御霊です。(中略)その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
しかし、創造の二元性によって規定され、自然から疎外された宗教性を備えるようになったキリスト教会は、古代のエレウシスとディオニュソスの精神的遺産を、完全に消滅させてしまいました。キリスト教の信仰という範囲においては、特別に祝福された人たちだけが、自然発生的なビジョンの体験によって到達した、時間を超越する慰めをもたらす実在体験について証言しています。しかしこの体験は、古代のエレウシスの入門儀式を通して、数えきれないほど多くの人々が得ていた体験なのです。カトリックの聖人たちが得たウニオ・ミスティカ(unio mystica:神秘的合一)や、ヤコブ・ベーメ、マイスター・エックハルト、アンゲリウス・シレジウス、アビラのテレサ、フアン・デ・ラ・クルス(十字架のヨハネ)、トーマス・トラハーン、ウィリアム・ブレイクなどの著作に記されている忘我のビジョンの体験には、明らかにエレウシスの密儀の入門者たちが到達した悟りと密接な関係があります。

二元論的世界観を超越する
Transcending the Dualistic World View
一面的、合理的、物質的な世界観に苦しむ人類を癒すことができる、神秘的な全体性の体験にある根本的な重要性を、今日では禅宗などの東洋の宗教の信奉者だけでなく、心理学や精神医学の先端にいる人たちも強く主張しています。さらに重要なことに、医学界だけでなく、私たちの社会のより広い範囲、キリスト教会の聖職者からなる小集団においてさえも、二元論的世界観を克服することが、西洋文明と文化を癒やし、精神的に再生するための前提条件であり基本的な一歩であると考えられています。
公式のキリスト教会の教義は二元論的な世界観に明らかに対応しているため、そのような刷新の余地はありません。むしろ私的なグループや団体こそが、現在の知識と意識のレベルにふさわしい、世界を包括する体験の必要性と憧れを満たそうと試みています。ヨガ、瞑想、自己発見など、あらゆる種類のワークショップや講座が数多く開かれていますが、それらはすべて意識の変容や拡大を目的にしています。現実の二元論的な概念に基づく学術的な精神医学や心理学から、トランスパーソナル心理学という新しい方向が生じました。この新しい分野では、個人が癒しや全体的な体験を得るのを支援するさまざまな手段が模索されています。ますます多くの人々が、瞑想を通して安心と心の避難所を求め、より深いレベルの実在体験へと前進しています。
これらのグループの一部や私的な領域で、意識が変容した状態を作り出すための薬理学的補助として、薬物が使用されているのは偶然ではありません。そしてもちろんそこには、エレウシスで用いられていたという仮説が関連しており、現在でもアメリカ先住民のある部族が使用しているのと同じ種類の薬物が関係しています。
これらは向精神薬(個人の精神に作用する医薬品)であり、サイケデリクス(psychedelics)あるいはエンテオゲン(entheogen)とも呼ばれ、その最も顕著な現代の代表はLSDです。ギリシャの人々は「神の薬」という意味のファーマコテオン(pharmakotheon)という呼び名を使っていました。この種の向精神薬は中毒を起こさず、人間の意識だけに限定的に作用するという点で、モルヒネやヘロインのようなアヘン剤とも、コカインのような覚醒剤とも異なります(注)。
(注:これは筆者の意見であり、バラ十字会の見解ではありません。)

サイケデリクスと意識の拡大
Psychedelics and Expansion of Consciousness
LSDは特に、戦争と物質主義に反対し、意識を拡大しようとする1960年代の運動で重要な役割を果たしました。実際のところ、幻覚剤、サイケデリクスなどと呼ばれるこの種の薬物は、特定の内的および外的条件のもとでは、全体的な体験であるウニオ・ミスティカ(神秘的合一)をもたらすことができます。これらの物質の使用が世界的に禁止される以前は、この効果は学術的な精神医学の分野で、精神分析や精神療法の治療を薬理学的側面から補助するために用いられていました。
神聖な薬物とも言えるこれらの化合物を有意義に使用し、好ましい精神的体験を得るための前提条件としては、外的な環境とその実験を施される人たちの精神的な準備が挙げられます。メキシコのアメリカ先住民は、LSDに似たクリスマス・バインの種子をオロリウキ(ololiuhqui)と呼んでいます。そして、浄化されていない人、つまり断食と祈りによって儀式の準備をしていない人が服用した場合、その薬物が狂気を引き起こし、死に至ることさえあると考えています。
何千年にもわたる経験に基づくこの賢明で慎重な使用方法は、私たちの社会の多くの人々がサイケデリクスを使用し始めたとき、残念ながら考慮されることはありませんでした。そのため、精神の崩壊や深刻な事故につながることがありました。そのため1960年代に正式な精神医学においても、この種の薬物の使用が禁止されるようになりました。
さまざまな準備と関連する儀式が最適であったエレウシスの密儀では(中央アメリカの一部の先住民族の集団では、この条件が満たされており、今でもシャーマンの管理下で使用されている)、この種の薬物の有意義で好ましい活用が見いだされていました。この観点からすると、エレウシスの密儀とこれらの先住民の集団は、まさに私たちの社会の手本になる可能性があります。
最後に、もう一度根本的な疑問を提起しておきたいと思います。なぜエレウシスの密儀でこのような薬物がおそらく使われたのか、そしてなぜ今日でもアメリカ先住民のある部族が宗教的儀式の最中に使っているのかという点です。そして、なぜキリスト教の典礼では、そのような薬物の使用がまるで重要でないかのように、ほとんど考慮されないのでしょうか。その理由は、キリスト教の典礼では天に座している神の力が崇拝されており、それは個人の外にある力だとされているからです。それに対してエレウシスの密儀では、個人の最も内奥にある存在の変容が追求され、存在の根底を見通す体験が体験者をミスタエ(初心者)、エポプタエ(参入者)、イニシエート(入門者)へと変化させました。

現代の手本としてのエレウシス密儀
Eleusis as a Model for Today
個人の内面における変容が、今日再び進行しています。物質偏重主義を克服し、自然界との関係を再構築するための前提条件として、包括的な意識という方向に私たちが変容することが必要であり、それを社会や国家に任せてしまうことはできません。変容は、ひとりひとりの人間の中でのみ起こるのであり、そのようにしか起きません。
このような変容をもたらす神秘的なビジョンに自然に到達できるのは、ごく少数の恵まれた人たちだけです。そのため人類は繰り返し道を探し求め、より深い知覚と体験を呼び起こす方法を進歩させてきました。その第一の方法が、瞑想のさまざまなテクニックです。瞑想は、出家や隠棲という外的な手段によって補助することができます。これらの手段は隠者や砂漠の聖人たちが採用した道です。また、断食や呼吸のコントロールなどの身体的な実践によって補助することができます。神秘学的で無我の意識状態を引き起こすために特に重要な補助となるのは、明らかに、極めて古い時代に発見されたある種の植物性薬物を用いることです。これまでの議論で、その使用は宗教的な儀式の範囲内で進めなければならないということを私は明確に述べました。
さまざまな手段や方法によって非日常的な意識状態を引き起こすことができるという事実は、神秘体験を得る能力がすべての人の心に備わっていることを示しています。それは人間の精神性の本質の一部です。それは、その個人の外的な社会的地位とは無関係です。ですからエレウシスの密儀では、自由人である男性と女性だけでなく、奴隷も入門儀式を受けることができました。
エレウシスの密儀は現代のモデルになることができます。エレウシスの聖域のような多くの人を集めるセンターによって、現代の多くの精神的な潮流を団結させ強化することができます。これらの潮流はすべて同じ目標を掲げています。その目標とは、個々人の意識を変容させることによって、より良い世界、戦争のない世界、環境破壊のない世界、すなわち幸せな人々の世界のための条件を作り出すという目標です。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。
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第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
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