以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

音楽という言語と五感の言語― 感情と情報と癒しを伝える力
The Language of Music
アメリア
By Amelia

本稿は、イタリア系アメリカ人でバラ十字会員でもあった作曲家ポール・クレストン(1906–1985)への追悼を込めて書かれたものです。彼は主要なものだけでも100を超える作品を遺し、そのいくつかはストコフスキー、トスカニーニ、セルといった名指揮者のもとで演奏されました。クレストンはバラ十字会員の読者に向けて、音楽が言語として持つ普遍性について論じた記事を執筆していますので、本稿の末尾にその記事から抜粋した文章を掲載しました。
「言語」(language)という言葉の意味を、私たちは当然のように理解しているつもりでいます。確かにある程度は理解しているでしょうし、少なくとも話し言葉についてはよく知っていると考えています。言語とは、特定の意味を持つさまざまな音を声に出して用いるものだと私たちは認識しています。たとえば「ママ」(mama)という音は、人類が最初に意味を与えた音の一つかもしれません。では、言語の使用、特に話し言葉の使用は、どれほど古くから存在していたのでしょうか。もちろん、このことを正確に知ることはできないのですが、ヒト科の種として私たちホモ・サピエンスが誕生する以前から、特定の言葉を用いた言語的なコミュニケーションが存在していた可能性が高いということが、一部の学者の間で定説になっています。
現代において私たちは、話し言葉や書き言葉を用いて意味のある小さな情報単位を作り、それを組み合わせることで、文、段落、章、本、さらには全集といったより大きな形へと発展させています。こうして得られる複雑で有用な情報は、無数に多くの方法で、私たちが人生を安全に進んでいくための助けとなっています。
では、言葉や文字という形の表現を含まない、情報の伝達手段はあるでしょうか。これについては、どこから始めればいいか迷うほどです。人間だけでなく、動物の間にも、極めて多様な情報交換の手段としての「言語」が存在し、その大部分について私たちはほとんど何も知りません。
人間の場合、たとえば「適切に」相手を見るだけで、微妙で正確なメッセージを伝えることができます。また、手を用いたジェスチャーでも意味が伝えられていて、しばしば、ほとんど意識せずに言葉と組み合わされて、伝えたい意図が強調されています。さらに、嗅覚による「言葉」や「文章」も存在し、相手を見たり相手が話すのを聞いたりしなくても、その人の健康状態を察知することもできます。多くの動物はそのエキスパートであり、残された匂いの痕跡から、近くにいる動物の性質を知ることができます。これらの匂いの痕跡を「言語」の一種だと見なすことはできるでしょうか。もちろん可能です。なぜなら、匂いの痕跡は特定の対象に向けて情報を伝えており、一つや二つの単語のようなものではなく、匂いを残した生きものについての、性別、健康状態、匂いが残されてからの日数などの重要な情報が含まれているからです。
手を使ったジェスチャーは、長い年月を経て手話として体系化され、聴覚障害者が世界と意思疎通をするための不可欠な手段になっています。また、歩き方からも意味が伝えられていて、自分で意識していなくても周囲に伝わっています。たとえば、傲慢な歩き方は、気むずかしい人であることを示唆します。子どもの軽やかなスキップや跳ねるような歩き方からは、屈託のなさ、幸福感、純真さが伝えられます。足を引きずるような歩き方は、運動機能に不具合があることを示すと同時に、他の人たちと対等な条件で人生を歩み続けようとするその人の性格の強さを物語ります。
しかし私たち人間にとって、感情的、深層心理学的な観点から見て、最も重要な言語は、音楽という「言語」ではないでしょうか。何十万年にもわたるホモ・サピエンスの歴史において人間が作り出してきた、感情や心の深層を伝える繊細な手段の中でも、音楽がその最高のものであることには疑いがありません。
音楽に関する文書、特にその芸術面を扱った文書は膨大に存在しますが、それと同時に、徹底的に知的で感情を交えない科学的、数学的探究も存在し、音楽のさまざまなジャンルにおける対称性の形成やその破れを研究しています。外的な自己と、心の深層にある内的な自己との間の、知的にも感情的にも高度な同期という形で音楽は情報を伝えます。それにもかかわらず、音楽が実際に「言語」であるということを私たちが直接意識することはほとんどありません。一方で、音楽について書かれた文書は、知的な用語を使って音楽を説明し、言葉や文や節などによって情報が伝えられます。しかし、それは「音楽という言語」が意味するものではありません。ですから今のところは、音楽に関して文章や講義で伝えられる情報はひとまず忘れてしまいましょう。なぜなら、「音楽という言語」と私たちが呼ぶものは、極めて繊細で、私たちが通常理解している情報交換とはまったく異なるものだからです。

情報伝達手段としての手
Hands as Communicators of Information
先ほど述べたように、現代社会において手話は極めて重要です。手話がなければ、聴覚障害を持つ人々は外の世界と意思疎通する手段を失ってしまいます。すべての高等霊長類において、手話の原始的な形態が活発に用いられている様子が観察できます。私たち人間に極めて近い霊長類である愛らしくて知能が高いチンパンジーでは特に顕著です。チンパンジーが互いに交流する様子を記録したドキュメンタリーを見ると、深い感動を覚えます。そして私たち人間もまた、言葉を話す能力を獲得する以前は、手話に大きく依存していたことが理解されます。
さらに心を打つのは、手をつなぐ、握手するといった単純な行為が、愛情や誠実さを示す表現として、チンパンジーや他の霊長類の間で行われており、それが現代の人間社会にもほとんど変わることなく受け継がれているという事実です。人間は現在でも互いにこの行為を毎日行っています。もし私たちが、20万年前のアフリカのサバンナに数分間タイムスリップできたとしたら、初期のホモ・サピエンスの母親が子どもと手をつないで歩く姿を目にすることでしょう。あるいはさらに、190万年ほど前に登場したホモ・エレクトスの時代にまで時を遡れば、直立して歩く母親が、心から愛する、か弱い子どもと手をつないで歩く姿を目にすることでしょう。
霊長類のこのようなユニークな手の使い方は、私たちが受け継いだ愛情表現の中でも、最も愛らしく美しいものの一つに違いありません。人間が手を用いるとき、多くの場合、意識的に考えることなく自然に行われますが、それでも確かな意味を帯びています。そして今日では、言葉や文字による情報交換の強力な拡張手段になっています。手を使った原始的なコミュニケーションは、私たちが言葉によって意思を伝える能力を獲得するはるかに以前から存在していたことはほぼ確実ですが、それにもかかわらず今でも強力な手段です。

言語としての音楽
Music as a Language
さて、ここで本題に戻りましょう。すなわち、音楽とは言語の一種であり、内的な潜在意識と外的で主観的な意識、さらには客観的な意識の間で、深い感情的な内容や心の奥の内容を伝達する手段であるということです。たとえば、手話の手の動きや、心から愛する人の髪をそっと撫でるような手の使い方のような、習慣になった動きや自然に起こる表現には、客観的な思考のプロセスが介在しません。私たちは、愛する人に何気なく触れるとき、自分が行っていることを客観的に考えることはしません。それらの行為は多くの場合、完全に無意識のうちに、あふれ出る愛情や思いやりとともに行われます。こうした愛の表現は、実に高度で極めて複雑な情報であり、人間という存在の最も深い部分だけが理解し、味わい、喜ぶことができる「言語」です。
音楽もまた、これとよく似ています。私たちは音楽を聴くとき、意識を向けて注意深く聴くこともありますが、多くの場合、具体的にどのような情報が伝えられているのかを考えることなく、心地よい背景音として無意識のうちに受け取っています。音楽から私たちが受け取る情報やメッセージは、それ自体がある種の「言語」を通じて伝えられています。それは、手話が真の言語であるのと同じであり、目の動きやお互いを見つめるやり方、歩き方や他の人の前でとる行動もまた情報を伝達し、それゆえにある種の言語であるのと同じです。
ある生き物から別の生き物に情報が伝達されるのであれば、そこには言語が存在すると言うことができます。そして音楽という言語は、私たちの極めて深い部分、主に潜在意識の領域に働きかけます。何千年もの間、極めてまれで、特別で、崇高でさえある情報を伝えるために、作曲家や奏者によって音楽が奏でられてきました。感情を表現する真の言語は、極めて少ししかありませんが、その中で音楽は際立ったものです。愛する人への優しいまなざしや、気づかっているお年寄りの肩にそっと手を置くような行為もまた言語ですが、音楽が最高のパフォーマンスを発揮したときには、それ以上に圧倒的な力で情報と感情が伝えられます。
オペラや歌曲などの音楽には言葉が伴いますが、そうでない純粋な音楽は、物語を語ることはありません。絵を描くわけでもなく、視覚的なイメージも、詩も、語ろうとする話もありません。しかし極めてまれに、そうしたものが意図せずとも浮かび上がることがあります。それは、ただ純粋に、耳にする音の、えも言われぬ美しさが理由で生じます。音楽が圧倒的に優れているのは、さまざまな感情それ自体を、潜在意識に向けて流れるように表現してくれることであり、それによって私たちは癒され、心に平安と幸せと調和がもたらされます。これは特に、音楽という言語を、耳で聞くどんな言葉よりも正確に理解し納得する人たちに特に顕著です。なぜなら音楽は、他のすべての言語が終わるところから始まるからです。フランスの詩人であり小説家であるヴィクトル・ユーゴーは、こう述べています。
「音楽は、言葉で表せないもの、そして沈黙したままではいられないものを表現する。」
もちろん、音楽だけが常に最高の表現というわけではありません。最高の表現には言葉もまた必要です。歌として表現される言葉は、2つの極めて強力な種類の言語の融合であり、まれにではありますが、私たちが人間として経験できる、最も深く最も崇高な感情と情報の融合へと導いてくれます。しかし、たとえ言葉がなくても、歌がなくても、物語がなくても、すなわち、音楽が純粋に言葉を用いない芸術として表現される場合でも、それはほぼ完全に感情のためだけの言語となり、知的な分析を一切伴うことなく、多くの場合、主に癒しとして存在します。物語も言葉も持たない純粋な音楽は、人間が創り出した極めて偉大な伝達手段であり、この手段によって伝えられるのは、感情と、地上に生きる私たちの心の奥と魂の間で自動的に生成された情報です。純粋な音楽には、インスピレーションだけでなく、サブリミナルな(意識下の)意味や目的も含まれています。ただし、それらはほとんどの場合、和音やリズム、楽器の響きの中に深く埋め込まれており、知的な分析では、体験されるものを十分に正しく言い表すことができません。

まとめ
Summarising
要点をまとめましょう。あらゆる種類の情報の共有は、ほんのわずかな本質的な「言語」を通して私たちにもたらされると考えられます。そしてその「言語」の中で私たちが理解しているのは、ほんのひとかけらにしか過ぎません。それぞれの言語は異なっており、しばしば完全に見過ごされてしまいますが、すべてが私たちの五感、つまり視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のいずれか、あるいは複数の感覚を通して働いています。
なかでも音の感覚は、おそらく最も優勢で、表現力豊かな感覚でしょう。しかし私たちは、自らが多層的な存在であることを忘れてはなりません。最も外面的な軽々しさから、存在の核心に宿る意味と目的の深奥に至るまで、私たちにはさまざまな側面があります。嗅覚と味覚という言語は、すべての感覚の中でもおそらく、最も原始的なものです。どんな犬や猫も、そう教えてくれることでしょう。そして触覚、何かに触れたとき、抱えたり撫でたりしているその物体についての情報を得る能力もまた、私たちの最も深く、最も古い過去から受け継がれてきたものです。そして最後に、視覚という言語を通じて、並外れて複雑で膨大な量の情報が私たちに届けられます。おそらく視覚は、五感の中で最も広範囲で最も有用な感覚です。視覚には多数の言語形態が存在し、それらすべては、私たちの人生観、すなわち人生はどのように展開するのかという信念に適合して変化していきます。
聴覚と視覚に関わる言語、すなわち音声や音の視覚的表現を含む言語は、私たちが日常的に、ほとんど絶え間なく、意識的な方向づけなしに、わずかな努力だけで用いている、極めて重要な言語です。もし私たちが、書かれた言葉、話された言葉、手話による言葉、あるいは美しい音楽に乗せられた言葉を通じて、これほど容易に意思疎通を図ることができなかったとしたら、私たちは極めて不都合な状態に置かれていたことでしょう。そして進化という観点から見ても、最も近い霊長類の親戚たちの発達段階よりも、はるかに劣った存在になっていたに違いありません。
そして最後に、これらの聴覚に関わる言語の中で、具体的に、そして的確に言えば、音楽という言語と、心の最も深い部分の願望や感情を通じて働く音楽の持つ情報伝達能力は、心の崇高さという観点から、私たちが調和の取れた感情を崇高な精神を持つ存在として生きていく上で、他の物理的感覚の言語と同じくらい重要です。
書かれた言葉や話された言葉は、歴史的に重要な情報を扱う際に、最も役に立つ言語です。これらの言葉によって、私たちはこの人生における過去のできごとを思い出すことができ、文字として記された文学を通して、現在の地上での人生よりもはるか以前の、多種多様な過去を疑似的に追体験することができます。こうした言語は、日常の生活において実用的で即効性のある情報を共有するための、論理的かつ明快な最も有力な手段であり、私たちが「成功した生物種」として生活していくために常に必要とされる欠かすことのできない「生活の糧」であると言えます。
きっとあなたも、高度に洗練された繊細な「音楽という言語」を通して、音楽が私たちの日々の生活に癒しをもたらしていることをすでに知っていることでしょう。そしておそらく、それを毎日体験していることでしょう。この文章を終える前に、バラ十字会員であり作曲家のポール・クレストン(1906–1985)が書いた記事から、短い抜粋を紹介します。彼の取り組みは、音楽の技術的な複雑さを知り尽くし使いこなす作曲家ならではのものです。

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話し言葉
Spoken Language
興味深いことに、話し言葉の構成要素を注意深く分析すると、音楽という言語との間に、歴史的、構造的、機能的な類似点があることが明らかになる。ここでは、そのうち歴史的な類似点について簡単に触れておきたい。言語の起源については7つの主要な理論があり、音楽の起源についても同様に7つの理論がある。意味論(semantics:セマンティクス)、すなわち単語の意味の変遷は、和音の使用法の変化と類似している。
言語は、単純なものから複雑なものへ、単音節語から多音節語(訳注)へと進化してきた。同様に音楽においても、三和音(トライアド)から複雑な和音へ、複雑な和音から複合和音(ポリコード)(訳注)へと進化してきた。しかし、話し言葉や書き言葉による言語と音楽という言語との間に存在する、構造的で機能的な類似性について、詳しく考察する必要がある。導入として、偉大な言語学者マリオ・ペイ(Mario Pei)の著書『人間の声』(Voices of Man)からの一節を引用しよう。
(訳注:単音節語(monosyllabic word)は1つの音節から成る単語。man(マン)、pen(ペン)など。多音節語(polysyllabic word)は2つ以上の音節から成る単語で、table(テイブル:ta-ble、2音節)、beautiful (ビューティフル、beau-ti-ful、3音節)、education(エデュケーション: e-du-ca-tion、4音節)など。)
(訳注:三和音(triad:トライアド)は、3つの異なる音から構成される基本的な和音。複合和音(polychord:ポリコード)は、複数の異なる和音(通常はトライアド)を同時に演奏して構成される複雑な和音。)
「すべての言語には、例外なく、それを話す人にとって明確な意味を持つ一群の音素(訳注)が存在する。言語には、行動や概念を示す一群の単語があり、また一群の文法形式がある。そして文法形式には、語尾や語内部の変化によって意味を修飾する主として形態論(訳注)的なものと、あるいは単語は発せられる順序に基づく種として統語論(訳注)的なものがある。言語には、行動や概念を示す語彙があり、文法形式がある。それらは主に形態的(語尾や語内部の変化によって基本的な意味を修飾する)か、統語的(語の順序に基づく)である。」
(訳注:音素(phoneme):ある言語において、単語を区別する機能を果たす音の単位。個人や地域による発音差で、意味上の違いを生じさせないものは同一の音素と見なされる。)
(訳注:形態論(morphology):語形変化や語形成を扱う、言語学の一分野。)
(訳注:統語論(syntactics , syntax):語や句の配置と構造に関する規則性を研究する言語学の一分野。)

言語と音楽の構造の比較
Language and Music
言語と音楽の構造的な対応関係を以下に整理してみよう。
1.言語には音を表す文字や記号があり、音楽には楽音(tone)すなわち音楽に用いられる音を表す音符や記号がある。
2.言語には語源(言葉の起源)があり、音楽には和音の起源がある。
3.言語には単語、語の選択、語順があり、音楽には和音、和声進行(和音の選択)、和音の順序がある。
4.文法とは言語の一部であり、言語の正しい使用を規定する原則を扱う。音楽理論は音楽における文法に相当する。
5.言語における文は、完結した意味を表す関連した単語の集合であり、音楽におけるフレーズは、旋律の自然な区切りであり、言語の文に相当する。
6.言語において声の調子や抑揚は、意味に大きな影響を与え、同様に音楽においても、強弱や音色や抑揚が表現を左右する。
7.最後に、言語における方言は、音楽における民謡やポピュラー音楽のバラード(ballad)に対応し、書き言葉と即興のスピーチは、作曲された音楽と即興演奏に対応する。
言語と同様に、音楽という言語も「伝える」ことを目的としている。言語は、観念を表現して伝達し、情景を描写し、物語を語り、哲学的理論を論じ、感情を引き起こすことができる。一方で音楽は、言葉による助けを伴わない場合、感情や気分だけを表現し伝えることができる。これが、言語と音楽の唯一の違いである。
音楽は、曖昧で秘伝的な言語であると一般的に信じられている。しかし反対に、精緻に構築された偉大な音楽作品の意味は極めて明確であり、そのような特定の感情を十分に表現できる言葉は、ひとつも存在しない。作曲家メンデルスゾーンはこう述べている。
「私が愛する音楽作品によって私に表現される思考は、曖昧すぎて言葉にできないのではなく、明確すぎて言葉にできない。」
△ △ △
音楽という言語は、言葉の言語が終わるところから始まります。音楽は、言葉よりもはるかに広大で、たった一つの和音が、いかなる言葉や類義語でも効果的に表現できない感情を生じさせることがあります。
それこそが、最も謙虚な人間でさえ即座に認識できる、精神的崇高さ(spirituality)をともなう感情です。思考を伴うことなく、存在するすべてのものの源との同調という高みに引き上げられるとき、その瞬間の深い感動はしばしば、生涯忘れることのない体験になります。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。
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第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
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