最終更新日: 2026/08/07

まえがき

現代社会に生きる私たちは、インターネットのおかげで世界中の人々と瞬時につながることができるようになりました。しかし、それとはまるで矛盾するかのように、私たちの「心の距離」はかつてないほど遠くなり、社会では分断が深まり、深い孤独感を覚える人も増えています。

日々の忙しさに追われ、ストレスにさらされている私たちが今、心から必要としているのは、他者への、そして他者からの温かい眼差し、すなわち「思いやり」ではないでしょうか。

思いやりは、単なるスローガンではありません。それは、人間関係の摩擦を減らし、社会や組織に心理的な安定をもたらすための重要な要素として、ビジネスの分野でも再評価されています。

しかし、私たちが日常的に口にする「思いやり」や「同情」という言葉には、大きなあいまいさが潜んでいます。

それは、誰かの苦しみを見たときに「可哀想に」と外側から心を痛めることでしょうか。それとも、相手と同じように涙を流し、感情を共有することでしょうか。「思いやり」についての理解があいまいなままだと、私たちは良かれと思った言葉でかえって相手を傷つけてしまったり、他者の痛みを抱え込みすぎて自分自身が疲弊(ひへい)してしまったりすることがあります。

他の人を真に理解し、私たち自身が精神的な成長を遂げるためには、このあいまいな言葉のヴェールを剥がして、明確にとらえ直す必要があります。またこの記事では、人類の歴史と深層心理の観点から、「思いやり」について、わかりやすく解説していきます。

女性の医者が患者の肩に手を置いて思いやりを示している場面

「同情」「共感」「思いやり(コンパッション)」の決定的な違い

次項でご紹介する記事『思いやりの本質』の原題は『The Nature of Compassion』です。「コンパッション(compassion)」という語は、かつては「同情」と和訳されることが多かったのですが、現在では「思いやり」、「慈悲」という訳語が、多くの場合に適切であることが知られています。私たちが他の人の苦しみに出会ったときの心の働きは、大きく3つの段階(スタンス)に分けて考えることができます。

  • 同情(Sympathy:シンパシー)
    • 相手の不幸を理解し「可哀想に」と哀れむ状態です。感情は動いていますが、相手の状況を「自分という別の安全な場所から見ている」という心理的な距離が存在します。
  • 共感(Empathy:エンパシー)
    • 相手の立場に立ち、相手の痛みを「自身のものとして」深く感じ取ることです。「私とあなた」という境界線が薄れ、同じ目線で感情を共有しています。
  • 思いやり・慈悲(Compassion:コンパッション)
    • 苦しみに深く共感した上で、さらに「その苦しみを取り除いてあげたい」という強い願いと具体的な行動が伴う状態です。

この3つを「目の前で子どもがアイスクリームを落として泣いている」という状況を例にとるなら、同情は「可哀想にと思い、ティッシュを渡す」、共感は「一緒にしゃがみ込んで悲しみを分かち合う」、そして思いやり(コンパッション)は「泣き止むよう新しいアイスを買ってくる」、もしくは「より興味深い何かに心が向くように誘導する」という違いになります。

概念同情共感思いやり
英語SympathyEmpathyCompassion
英語の語源ギリシャ語の「共に」+「感情」ギリシャ語の「中に」+「感情」ラテン語の「共に」+「苦しむ」
スタンス外側から相手を気遣う相手の心の中に入り込む共感を行動に移す
ひとことで言うと「お気の毒に」「あなたの気持ちが分かる」「私が助けになります」
同情、共感、思いやりの比較図

次項の記事でバラ十字会のセシル・A・プールが述べているのは、この最も深く、行動を伴う「思いやり」という心の働きです。

記事:『思いやりの本質』 -人類学から見た心の歴史

セシル・A・プール
By Cecil A Poole

以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

区切り
地面に張っている木の根と重ね合わされた手ー思いやりのイメージ

人間を人間たらしめる能力

私たちの言語には、もっと深く理解するべき、ひとつの言葉があります。それは「思いやり」(Compassion)という言葉です。この言葉の意味には、他の人に共感するということや、友情や思いやりを感じるということや、他の人々の苦しみを自分のものとして理解し実感するということが含まれています。

詩人のロングフェローはこのように書いています。

「これまでに私が見聴きしてきたことはわずかであるが、そこから私が学んだのは、他の人たちの過ちを、怒るのではなく悲しむということである。」

私たち人間には、他の人の感情を、相手の立場になって理解することができる能力があります。ある人が困難や心配事に出会っているときにもたらされる感情には、他の人の理性に悲しみの感情を引き起こし、思いやりをもたらす傾向があります。

ある人を完璧かつ公正に判断することは、私たち人間にできることではありません。というのも、その人が現在の状況に至った事情のすべてを知ることはできないからです。ですから、判断を下すことよりも、思いやることのほうが適切で重要なことです。思いやりは、すべての人の心に、もともと備わっている特徴であり感覚です。それは、他の人の体験を、自分自身の体験として実感するか、あるいは少なくとも、そのことについての何らかの感情を(いだ)く能力です。

私たちは自分自身に対して混乱を感じたり、悲しみを感じたりすることがよくあります。ですから、他の人のことを気の毒に思ったり、あるいは少なくとも他の人の直面している困難な事情を理解することを、「思いやり」という言葉ひとつで表すことができます。

このように思いやりとは、苦しみや逆境に襲われている他の人に対する、深い共感と悲しみの感情です。思いやりという感情には、しばしば、他の人の苦しみを(やわ)らげてあげたい、その原因を取り除いてあげたいという強い願いが伴います。思いやりという言葉の意味を、最大にまで広げて考えるならば、それは精神的な能力やサイキックな能力を用いることにあたり、この世界とはそもそも、人間の経験の複雑な集合体であるという理解が私たちにもたらされます。自分自身の能力を最大限に発揮して生きていくことを私たちがもし望むのであれば、自分だけではなく、仲間である他の人をも理解しようとする手段として、「思いやり」という能力を、私たちは自ら進んで用いることになります。

ネアンデルタール人の埋葬が教える心の起源

人類学者のローレン・アイズリー(1907-77)は、この意味の思いやりを提唱していた偉大な思想家でした。また、原始人が生き残り、環境を支配するという勝利を最終的に収めるために、思いやりという要素が重要であったことを指摘しています。哲学者でもあり、古生物学者でもあったアイズリーは、原始人とその生活の状況について、数多くの研究を行ないました。そして、ネアンデルタール人についてたびたび述べています。ネアンデルタール人は、現代人よりも、身体も生活の方法も原始的でした。

しかし、彼がさまざまな機会に指摘していたように、「人間」の初期の段階であると考えることができる明らかな証拠が、ネアンデルタール人にはあります。ネアンデルタール人の埋葬の方法について、アイズリーは次のように書いています。

「がっしりとした石のように堅い手で墓を掘り、死者の頭を守るために平らな石を置いた。動物の足や腰の肉が、死者の旅の助けとなるように置かれている。加工された火打石、すなわち黎明期(れいめいき)の人類のささやかな宝物が、愛情を込めて墓に振りまかれている。何千年もの時を超えて、言葉のないメッセージが伝わってきた。『私たちもまた人間だったのです。私たちもまた苦しんだのです。私たちもまた墓が終わりではないと考えていたのです。私たちの顔はあなたがたを(おび)えさせるでしょうが、私たちもまた人間の苦悩と人間の愛を知っていたのです。』」

5万年を経た今でも、埋葬という行為に、何ひとつ変化もなく変更も加えられていないことに思いを巡らせることは重要である。猿を思わせる(ひたい)の下から彼が我々を見つめているとしても、その人間らしい行ないによって、我々は彼が人間であるということを知る。もし今後5万年経っても、涙を流して悲しむことが、人間にまだできるのであれば、そこには、人間らしさが生き残っていることであろう。この点が、とどまることなく激しく進んでいく科学の時代に対して、我々が問いかけるべきすべてである。

科学の時代において文明を存続させる鍵

私たちが生きている科学の時代の未来がどのようなものであるかは、思いやりの心を、人が心に保ち続けられるかどうかに左右されると、アイズリーが考えていたことが、この引用文からはっきりと分かります。私たちが涙を流して悲しむことができる限り、そして、自身の幸せだけではなく、他のすべての人々の幸せも考えに入れるということから生じる感情を示すことができる限り、現在の文明は存続することができるでしょう。私の見解では、「思いやりこそが人類の未来を開く鍵」です。

すべての人が思いやりを表すことができる限り、間違いなく人類は、これからも進歩し続け、いまだかつてない素晴らしい功績をなし遂げるために、そして、より洗練された状態を手に入れるために努力し続けることでしょう。バラ十字会の神秘学と人生そのものから学びを得るのと同時に、思いやりは、自身の進歩を表わすことができるための、極めて重要なひとつの鍵であるということを心に刻んでおきましょう。人類の進歩が継続し、文明が存続し安定していることを望むのであれば、生きもののすべてに対する哀れみの心である思いやりを表わしたり、それをもとに行動する能力を、私たちは決して捨て去ったり、失ったりしてはなりません。

区切り

現代の私たちが実践すべき「自分への思いやり(セルフ・コンパッション)」

まずは自分自身の心を満たすことが重要

人類の未来を開く鍵である「思いやり」ですが、現代社会を生きる私たちは、他者に向けてこの力を発揮する前に、まず「自分自身に向けること(セルフ・コンパッション)」を忘れてはなりません。

多くの場合に私たちは、他人の失敗には「大丈夫、次があるよ」と優しくなれるのに、自分が失敗すると「なんてバカなんだ」「自分はダメな人間だ」と、驚くほど厳しい言葉を投げつけてしまいます。この脳内で響く厳しい声を「内なる批判者」と呼びます。

他者の苦しみを取り除くためには、自分自身の心が枯渇していないことが前提です。

暴走する「内なる批判者」と、どう向き合うか

もし強い自己批判の声が聞こえたら、以下のような実践を試してみてください。

  1. 親友テストを行う: 自分が失敗して落ち込んでいる時、「もし、私の最も大切な親友が全く同じ状況だったら、私は今の自分と同じ厳しい言葉をかけるだろうか?」と問いかけます。親友にかけるであろう優しい励ましの言葉を、自分自身に向けてあげてください。
  2. 人間の共通点に思いを向ける: 「生きている限り、苦しみは誰にでも訪れる」「私だけがダメなわけではなく、誰もがこういう失敗を経験する」と、自分の状況を独自なものだと考え過ぎる傾向を手放します。

まとめ

相手への思いやりも、自分への思いやりも、同じひとつのエネルギーです。自分自身を深く理解し、許し、慈しむことができる人だけが、真の意味で他者への深い思いやりを実践することができます

自分自身の内面を理解し、心の平穏と精神的な成長を育む道のりは、一生を通じた探求です。バラ十字会AMORCでは、古代から受け継がれてきた普遍的な英知を通じて、人生の真の目的に目覚めるための実践的な学びをご提供しています。

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参考文献

Eiseley, Loren, “Neanderthal Man and the Dawn of Human Paleontology” in The Quarterly Review of Biology, Vol. 32, No. 4, 1957

執筆者プロフィール

セシル・A・プール(1907-1989)

バラ十字会AMORC世界総本部の元副代表、元財務役。カリフォルニア科学アカデミーでも長年活躍し、1969年にはこの団体の終身会員に選出された。哲学、形而上学、神秘哲学に関する多数の著書を出版している。

本庄 敦

1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。 スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学の普及に尽力している。 詳しいプロフィールはこちら↓
https://www.amorc.jp/profile/

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