石灰岩のコプト十字 - バラ十字古代エジプト博物館のコレクションから
エジプトと古代ギリシャの文化が融合し、発展して生じたコプト文化は、ローマ時代に全盛期を迎えました。エジプトがアラビア人に征服された後も、中世の頃まで、エジプト語の一種であるコプト語が用いられ、コプト・キリスト教が、主な宗教でした。
エジプトと古代ギリシャの文化が融合し、発展して生じたコプト文化は、ローマ時代に全盛期を迎えました。エジプトがアラビア人に征服された後も、中世の頃まで、エジプト語の一種であるコプト語が用いられ、コプト・キリスト教が、主な宗教でした。
この葡萄の房は、アクナトンの時代のもので、現在はアマルナと呼ばれているアケトアテンの都市の遺跡から1920年に発掘されました。バラ十字会AMORCが後援し、エジプト探査協会が行なった発掘作業で出土した遺物のひとつです…
この棺の断片からは、「命の家」で働いていた書記がこの棺に納められていたことがわかります。「命の家」とは、古代エジプトの神殿に付属していた学校や図書館のことで、古代エジプト人は「ペル・アンク」(Perw Ankh)と呼んでいました…
この小さな彫像は、緑がかった灰色の結晶片岩から作られており、高さはわずか24センチメートルですが、古代エジプト文化の重要な時期を示しています。この像が作られる以前の300年ほどの間は、エジプトでは女性の像が作られていなかったからです…