こんにちは。バラ十字会の本庄です。
今朝の東京の最低気温は、異常気象の影響でしょうか11月末だというのに21度だったそうです。朝の通勤のときにも、何だか生暖かい風が吹いていました。
いかがお過ごしでしょうか。
当会のフランス代表が自身のブログに、「有名人について」という題の文章を投稿していますのでご紹介します。
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記事:「有名人について」
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
遠い昔からあらゆる時代に、有名人と呼ばれる人たちがいました。その中には、生きている間に有名になった人も死後にそうなった人もいますし、良い理由で知られた人も悪名を轟(とどろ)かせた人もいます。自ら手を尽くして名声を得た人も、思いもよらず有名になった人もいます。
しかし現代の社会には、有名人が文化や流行に重要な役割を果しているという特徴があります。このことを確認するためには、新聞、雑誌、ラジオやテレビ番組、そして言うまでもありませんがフェイスブックなどのネットメディアのことを考えるだけで十分です。
これらのメディアは “有名人”の行動や日常を報道することに力を注いでおり、出演者を芸能界という範囲を超えて有名にすることを主な目的にしたコンテンツを制作することさえあります。
名声
名声を望むことは自然なこと、あるいは当然のことなのでしょうか。この問いに対する答えは状況によって異なるでしょう。しかし多くの場合、名声を望むことは、人に認められたいという過度の欲求が反映されたものだと私は思います。
そして、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、この欲求には多くの場合に正反対の2つの原因があります。ひとつは、心がエゴに支配されてしまっているということであり、もうひとつは自分に対する自信が不足しているということです。
名声を求めるということには、大物に見られたい、愛されたい、他の人たちに認められたいなどの願望が表れています。
ある人が幸せであるためには名声だけで十分でしょうか。答えはもちろん「いいえ」です。自分のことを不幸だと語り、実際に不幸な有名人が数多くいますし、悲しいことにその中には、自(みずか)ら死を選んでしまう人さえいます。
名声を得ることをあまりにも強く望んでいる人を、私は個人として気の毒に感じます。というのも、このような人たちからは、自分自身に満足していないという印象、他の人の目に映る自分の姿だけのために生きているという印象が感じられるからです。
自分のエゴを満足させるために名声を望む人には、謙虚さという偉大な徳が欠けています。もちろん、この徳を育むことは、誰かに強制されるような性質のものではありません。しかし、謙虚さを手にしている人のことを大部分の人が高く評価し称賛します。
自尊心や、それよりさらにひどい虚栄心は、心に励ましを与えてくれるような健全な動機ではありませんし、威厳に欠ける振る舞いがそこから引き起こされます。しかし幸いなことに、真に名高い人の多くは、名声を得た後にも謙虚さを失うことがありません。
スター・システム(訳注)
誰もが知っているように、最近はマスメディアによって、名声が計画的かつ不自然な形で作り上げられています。さらに、人の価値が商業的に判断され、その判断では人の長所や才能や能力よりも流行に合致するかが重視されています。
このようなレッテル張りによって、通常の人が一夜にして「スター」の座に上り、外見の崇拝に基づいた「ピポリザシオン」(訳注)と呼ばれる新しい宗教の偶像として祭り上げられます。
バラ十字会員の多くと同じように、私はこの現象をとても悲しいことだと感じています。しかし、私たち自身には崇拝している偶像などないと本当に言い切れるでしょうか。
訳注:スター・システム(le star-system):演劇・映画・プロスポーツなどの興行において、人気の人物を起用することが重視され、企画、宣伝、集客もそれに沿って行われる方式。
ピポリザシオン(pipolization):政治家などのさまざまな有名人が芸能スターのように振る舞い、その私生活が注目される現象。
偶像が存在する原因は、偶像を崇拝する人がいることです。もちろん、さまざまな有名人が評価されることは理解に苦しむような事柄ではありませんし、特にその人が何らかの才能という正当な理由によって認められるようになった場合はそうです。
しかし、それが追従や畏敬や崇拝にさえ変化してしまい、ファンの人たちの生活や幸福感にその有名人が中心的な役割を果しているのを見ると、そこまで行き着いてしまう真の原因は何なのだろうといぶかしく思い、このような風潮が育まれ助長されていることを残念に思わざるを得ません。
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
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ふたたび本庄です。
今回の文章は、かなり辛口だったですね。私が学生だった40年ほど前は、女性アイドルがあまりにももてはやされると「性の商品化」だと批判する人たちがいたように思うのですが、最近はこのような言葉もあまり聞かれなくなったようです。
テレビ番組を見る人の割合も若い人を中心に減っているようですし、コロナ禍が原因で生じている社会の変化にも感じられるように、時代が転換期を迎えているように思います。
下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。
記事:『想像について』
では、今日はこのあたりで。
また、よろしくお付き合いください。
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