ジョー・ヴァン・ダレーン
演劇は、非難されたり検閲されたりする恐れが比較的少なかったため、シェイクスピアにとって、ヘルメス学の考え方を広めるための実に適した手段でした。現代の演劇や映画やテレビといったメディア、あるいはインターネットと同じように、当時の演劇には、複雑な人間の感情や、よく知られている社会の慣習や迷信や、それと同時に大胆で新しい着想といったものが散りばめられており、想像の世界へと観客を誘っていました。
以前の記事(訳注)では、バラ十字会の哲学とシェイクスピアという異才の人の結びつきを示し、この結びつきを取り持ったのは、特にフランシス・ベーコンであると推測されることを紹介しました。ベーコンはバラ十字会員であったことが知られており、演劇やソネット(14行詩)の作家であると同時に、バラ十字会の宣言書『バラ十字友愛団の声明』(Fama Fraternitatis)の著者であると推測している人々もいます。フランシス・ベーコンが、彼に誠実な少人数の作家の集団と協力して、さまざまな演劇やソネットを立案していたというのは大いにあり得ることです。このことが、当時の演劇やソネットに、バラ十字会やフリーメーソンの象徴が登場する理由なのでしょう。
訳注:2014年11月オーストラリア本部発行の『The Rosicrucian』誌第58号に掲載。
ヘルメス学の哲学と技法
Hermetic Philosophy and Arts
エリザベス一世の時代のバラ十字哲学は理想主義を提唱していましたが、そこにはヘルメス学の技法と哲学、錬金術、カバラ、数学、自然魔術の知識が含まれていました。この自然魔術には、直観とサイキック能力と神秘学的なテクニックの活用であると現代の私たちが考える内容が含まれていました。
当時、ヘルメス学の思想は、社会に全面的には認められてはいませんでした。しかし、エリザベス一世は深い理解を示していました。その最大の表れは、バラ十字会員であったジョン・ディー(John Dee)をお抱えの占星術師にしたことです。女王は彼の書庫を訪問するのをたいそう楽しみにしていました。ジョン・ディーの書庫は、オックスフォードとケンブリッジの図書館を合わせたとしても、それより大きいものでした。しかし、エリザベス女王の後継者でありカトリック教徒であったジェームズ一世は、ヘルメス学の思想に、それほど心酔してはいませんでした。彼はアイザック・カゾボン(Isaac Casaubon)なる人物を支援していました。カゾボンは『バラ十字友愛団の声明』が公表されたのと同じ1614年に、自身の著作『聖なる事物と教会の儀式について16巻』(De rebus sacris et ecclesiasticis exercitationes XVI)で、ヘルメス文書が書かれたのが古代であるということに異議を唱えました。彼はその著作で、異教の預言者であるいわゆるヘルメス・トリスメギストス(訳注)を攻撃しています。
訳注:ヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistus):ギリシャ語で「3重に偉大なるヘルメス」を意味する。新プラトン学派の哲学者たちが、エジプトの知恵と書記法の神トートに与えた名前。『ヘルメス文書』と呼ばれる西暦1~3世紀頃に成立した、占星術、錬金術、魔術、哲学などに関する一群の書物はヘルメス・トリスメギストスのものであるとされた。
プラトンの思想とヘルメス哲学とその実践という種子は、かなり早い時期にヨーロッパという大地に蒔かれ、多くの学者と独創的な思想家たちの著作を通して、ゆっくりと広がっていきました。15世紀のイタリアの修道僧であったマルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino)は、必ず為さなければという思いに駆り立てられて、プラトンの著作の翻訳を中断して、ヘルメス・トリスメギストスのものとされる、新しく入手した書籍の翻訳に取り掛かりました。その結果、「コルプス・ヘルメティクム」(Corpus Hermeticum、ヘルメス文書大全)と呼ばれているヘルメス学の主要な文書のうちの2つが世に広まることとなりました。『ポイマンドレース』(Poimander)と『アスクレピオス』(Asclepius)です。この2つの文書は、後に他の人々、特にピコ・デラ・ミランドラ(Pico della Mirandola)、ライムンドゥス・ルルス(Raymond Lull)、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)といった人々に用いられました。彼らはヘルメス学がプラトンよりも古く、より根源的で意義深く、モーセと同等の重要性を持っていると考えていました。
ピコ・デラ・ミランドラは新プラトン学派の人間であり、クリスチャン・カバラの信奉者でした。彼は自身の有名な演説原稿『人間の尊厳について』を、ヘルメス文書から採った次の一節で始めています。「人間は、何と偉大な奇跡であることか…。人間は、崇敬され栄誉を与えられるに値する存在である。なぜなら、人はあたかも一体の神であるかのごとく、神の性質を身につけることができるからである」。ローゼンクランツとギルデンスターンに話しかけるハムレットの次のセリフ(第2幕第2場)が作られるときに、ピコのこの言葉が影響を及ぼしたのであろうと考えられます。
「人間は、何という傑作であろうか。
理性は何とも気高く、能力は無限である。
その姿と動きは明確で、賞賛に値する。
振る舞いは天使のごとく、
理解力は、一体の神のようである。
この世の美であり、
動物たちの手本である。」
ヘルメス文書によって、思想と芸術には新しい活力が与えられ、伝統的なキリスト教の教えには、解釈をしなおすという可能性がもたらされました。しかし、神学と哲学が、心地よく共存することはありません。というのも神学は、救済はイエス・キリストを通してもたらされると主張する一方で、ヘルメス哲学は、救済が個人の努力によってもたらされると主張するからです。ヘルメス学には、この世の人生で人間に神のような状態を取り戻させる力があるとされ、そのためこの学問は、人類の救済をなし遂げるための鍵であると見なされてきました。ヘルメス学のこのような見方は、神秘的直観(gnosis:グノーシス)を通じて真の自己を発見することを促します。そしてこの直観には、自然界の正体を見抜くことが含まれています。ヘルメス学の目的は、自然界の営みを手本にすることによって自然と調和することであり、真の自分自身を発見し、そのことによって神を見いだすことです。ヘルメス学は教育の一種であり、この教育では、物質の世界にいる間に魂を発達させる試み(experiment:実験)が重視されます。
劇場と観客
The Theatre and the Audience
エリザベス1世時代の演劇は、とても融通のきく娯楽媒体でした。基本的に役者は舞台の上で演技をしますが、場合によっては市場の空き地や、個人の庭や、誰かの邸宅や酒場の部屋でも演技をしました。シェイクスピアの36の戯曲の大部分は、ある劇場の定められた舞台で上演されたのではありません。シェイクスピアが所有していた劇場であるグローブ座で上演された戯曲は、全体のうち半分以下でした。多くは他の劇場で上演され、屋根付き劇場のブラックフライヤーズ座や、王室の行事の際には宮廷でも上演されました。
この時代は実験的な時代でした。役者の動きや声、いくつかの小道具や限られた機械装置や、もしあれば入り口の扉などを使って、一階の座席や二階の桟敷席の観客の注目を集めなくてはならず、しかも、ハムレットやリア王のような、過ちを犯しがちな人間の感情とドラマを描き出さねばなりませんでした。多くの役者は、乱雑で洗練されていない路上での上演で腕を磨いていました。しかし、役者の社会的な地位はあまり高くなく、劇作家もたいして評価されていませんでした。女性が役者になることを許されていなかった時代だったので、少年や若い男性が女性や少女の役を演じました。たとえば、この地上で考えられる限りの気品を備えた徳の高い女性や、想像が及ぶ限りで最悪の意図を持った、みだらで下品で、悪に支配された女性を演じました。
いずれにせよ、工夫を凝らした言葉によって役者は、ほら吹きやクマいじめ(訳注)が好きな人々から、言葉に込められた感情に敏感な人や音楽を高く評価する人まで、幅広いたしなみを持った人々に複雑な世界を伝えました。
訳注:クマいじめ(bear-baiting):杭につないだクマに犬をけしかけて闘わせた英国の過去の見世物。
劇中のヘルメス学的なテーマ
Hermetic Themes in the Plays
シェイクスピアの劇は、歴史や神話をテーマにしたり、また人間の心の奥底にあるものを扱っています。観客の注目はユーモアと悲哀に集まりました。劇には、愛と裏切りや結婚と殺人というテーマが含まれていました。話の舞台設定は、キリスト教の世界であることも、古代ローマ、古代ギリシャ時代であることもありました。観客は、いわゆる異教の世界の魔女や、精霊や幽霊や、妖精やニンフたちに魅了されました。劇中で一貫して示されていたのは、人間とは過ちを犯しがちな存在ではあるけれども、自分自身の運命を受け入れて、偉大な自己理解に至ることができるということであり、この考え方は、完璧にヘルメス学に一致しています。ここで、ヘルメス学の考え方がよく表れている劇の例をいくつか挙げてみましょう。
『恋の骨折り損』と『ペリクリーズ』
Love’s Labour’s Lost & Pericles
初期の劇のひとつ、実験的な時期であった1590年ごろに上演された『恋の骨折り損』には、ヘルメス学の〈光〉についての観念と、教育の目的についての考え方を見てとることができます。この考え方は、フランシス・ベーコンが主張した教育の目的を思わせます。この劇では3人の登場人物が国王とともに、学業に専念する3年の間は、女性に目をくれることなく、切り詰めた生活を送ることを誓います。しかし、知識という光の探求は、もし目的を見失うならば暗黒へと向かうことであり、もし愛という情熱の炎とともに行なわれるのでなければ役に立たない行為だと、この劇では見なされています。つまり、光と命と愛はともにあらねばならないのです。
ちなみに、ロンドンでフリーメーソンが公式に開始されたのは1707年であり、フリーメーソンの会員たちはフランシス・ベーコンがその設立に貢献したと考えていました。フリーメーソンの合言葉の多くが、『恋の骨折り損』の中に散りばめられており、『マクベス』の一部も、フリーメーソンの入門儀式の様子を反映していると述べている人たちがいます。
『ペリクリーズ』は1608年ごろの後期の劇ですが、古代のさまざまな国が背景になっています。ペリクリーズの妻のセイーサは娘のマリーナを嵐の海の船の上で出産し、そのときに仮死状態に陥ります。彼女は棺に入れられ、海に流されました。しばらくして棺は、エフェソス(訳注)の海岸に流れ着き、セリモンのところに運ばれました。セリモンは物理学を研究し、深い知識を持つ医者としての評判と地位を得ていました。彼はエジプトの医術の本の一節を読んで奮い立ち、彼女を死から甦らせる覚悟を決めました。(このことは『ペリクリーズ』とヘルメス学のつながりを示す証拠のひとつです)。居合わせた人々は、神の手助けによってセリモンが奇跡を起こしたと考えます。音楽の魔術こそが、神が手助けをした理由であり、医術をそれまでに見たこともない性質のものに変えたのでした。ペリクリーズはもちろん妻が死んだと考えていたので、妻と離ればなれになり、その後に、娘が将来の教育のためにタイアの支配者のクレオンに託されたときに、娘とも離ればなれになりました。娘のマリーナは「音楽という学問」の研鑽を積み、「神のひとりのように歌う」人と語られるようになります。
訳注:エフェソス(Ephesus):現在のトルコのイズミル(Izmir)の南方にあった古代都市。世界の7不思議のひとつとされるアルテミスの神殿があり、初期キリスト教の中心地であった。
さまざまなできごとの後に、ペリクリーズとマリーナは再び出会い、ペリクリーズの病を癒やすためにマリーナは、自身が会得していた「聖なる医術」を用いるように説得されます。最初にマリーナは歌い、次に彼に話しかけ、それによって2人は、互いに父と娘であることに気づきます。ペリクリーズがこう尋ねたところで劇はクライマックスに達します。「しかし、この音楽は何なのだ」。しかし、ペリクリーズに聞こえているこの音楽は、他の人には聞こえません。驚いたことに、彼はこう言っています。「天球の音楽だ。聞け、わがマリーナ…。この、たぐいまれなる音楽を。おまえには聞こえないのか…。私には聞こえる。最も荘厳なこの音楽が」(訳注)。このときついに、彼は安らかな眠りを得ることができたのです。その後に彼は、女神ディアナの神殿に保護され、そこで世話を受けていた妻と再会します。
訳注:天球の音楽(music of the spheres):宇宙は7つの天球からなり、創造主を讃える音楽を永遠に奏でているとピュタゴラス学派の人たちは考えていた。
劇場の慣習では、死者の甦りというテーマは驚くべきものではあるけれども、問題なく許容できる範囲の内容であったようです。しかしもちろん、正統派のキリスト教の信仰からすれば、それは冒涜的な行ないと隣り合わせでした。ヘルメス学との関連としては、死者の甦りというエピソードは、ヘルメス学の研究家たちが持っていたテウルギー(訳注)の知識と能力を表わしています。
訳注:テウルギー(theurgy):エジプトの新プラトン学派の人たちが、魂を高次の世界に回帰させるために行なっていた技法。
リア王
King Lear
おおまかに言えば悲劇とは、ある登場人物が、真実を追い求めつつ高潔さを保とうとする気高い探求の途上で、自分の行なったことによって、知らず知らずのうちに道を外れてしまうというストーリーです。シェイクスピアの『リア王』は、そのような複雑な悲劇の一例で、自身の決断が結果的に自身を狂気へと導いてしまいます。しかしこの狂気の中で、彼は自分の過ちをはっきりと見つめ、理解するようになります。
劇の冒頭でリア王は、まるで自分の私有財産であるかのようにブリテン王国の行く末を定め、誰の意見も聞くことなく、3人の娘、ゴネリル、リーガン、コーデリアに王国を譲り渡そうとします。彼は自身の気まぐれな望みを満足させることに慣れ過ぎており、娘たちが自分への愛情をあからさまに表わしてくれることを期待していました。そのため、2人の姉がやっていたようなおべっかを父に使うことを、末娘のコーデリアが拒絶すると、彼女を勘当してしまいます。彼のこの行為によって運命の歯車が狂い始め、リアは自身の運命をコントロールすることができなくなってしまいます。
劇の冒頭のこの部分から、コーデリアと再会する最後の場面まで、リアは、さまざまな屈辱を味わって苦しみます。そして、激怒の感情の嵐の中で、ついには狂気に陥ることに身を任せてしまいます。身ぐるみをはがされて、彼は王から乞食になります。王から乞食へのリアのこの変遷は、錬金術における金属の変成を思わせます。運命の車輪は、エゴ(外面的な自己)の人生から、アイデンティティ(自己規定)の死を経て、内なる自己の新しい人生へと展開していきます。コーデリアとエドガーとケント(訳注)は、錬金術の硫黄、水銀、塩にあたり、その作用によってリアの変成が始まることになります。姉娘のゴネリルとリーガン、そしてエドマンドは酸を表しており、リアから外面的な自己をはぎ取る役割を果たします。リアはコーデリアを勘当したときに、自身の心の中の医師にあたる、内なる英知を“殺した”のだと理解することができます。ちなみに、コーデリアは「心臓」を意味する古語に由来しています。最後にリアは、コーデリアが真に自分を愛してくれていたことを知ります。
訳注:エドガーはリア王の重臣グロスター伯爵の長男で、義弟エドマンドの策略によりグロスター伯爵に勘当される。ケント伯爵はリア王の忠臣で、コーデリアに味方したために追放されるが、後に変装して再びリア王に仕える。
この劇では、テウルギーの側面にも触れられています。ケントやエドガー、道化師、そしてコーデリアは、高次の意識を思考や行動にどのようにして反映するかをリアが理解する手助けをしています。この物語の結末は、できごとを「サイキックな視点から見る」という一例になっています。リアは最期のときに、コーデリアの遺体を抱いて現れ、そのかたわらに崩れ落ちて、次のように言います。
「犬や馬やネズミが生きているのに、
なぜお前は息をしていないのだ。
お前はもう戻ってこない。
決して、決して、決して、決して、決して。
どうかこのボタンをはずしてくれ、
ああ、ありがとう。
これが見えるか。彼女を見てくれ、
見てくれ、その唇を。
ほらそこだ、そこを見てくれ。」
(リアは息を引き取る)
この場面には、コーデリアの体から口や鼻孔を通して魂(psychic body:サイキック体)が離れていくのをリアが見たことが表わされています。体と魂の分離を、古代のギリシャやビザンティウム(訳注)でも人々は、このように考えていました。変成された進歩した気質と、魂の新たな能力を得て、彼は死に臨みます。彼は愛と謙遜の大切さを学び、内面の意識を広げるために、利己的な態度を捨てるプロセスを耐え忍んだのです。
訳注:ビザンティウム(Byzantium):ローマ帝国の東部の都市。西暦330年にコンスタンチノープルと改名され、ローマに代わって帝国の首都となる。現在のイスタンブール。
テンペスト(大あらし)
The Tempest
『テンペスト』は1611年に上演された、シェイクスピアの最後から2番目の劇であり、ヘルメス思想のテーマが明確に表れているという点では、ある意味で彼の遺作だと言うことができます。この劇は、船舶アドミラル号が難破し、ロンドンのヴァージニア会社の西インド諸島への冒険が失敗した2年後に上演されました。フランシス・ベーコンと他の多くの人々が、この会社の重役を務めていました。舞台の設定は、アドミラル号が難破したバミューダ(Bermuda)を思わせる、「ヴェックスト・ベルムーゼス」という島です。
バラ十字会員で魔術師であったジョン・ディー(John Dee)がモデルであるとされている主人公のプロスペローが、きわめて想像力に満ちた世界の扉を開くこの作品では、自然界と自然魔術が重要な役割を果たしています。シェイクスピアは観客に、自分たちが夢中で生きている現実は夢以外の何ものでもないこと、それゆえに、この劇は結果として夢の中の夢でしかないことを思い起こさせます。この劇は陽気で空想的で、夢のような性質であるために、ヘルメス学によって手に入れることができる能力を持つ、神秘的で不可思議な魔術師が主人公であることが、とてもふさわしく思われます。
とても重要なことは、プロスペローが四大元素を支配しているということです。劇中では、音楽の用い方の例がいくつも挙げられています。他の人をなだめて眠らせたり、落ち着かせたり、真実を喋らせたりするために音楽が用いられます。また、人々の目の前に宴会のごちそうを出現させるためにも音楽が使われます。しかし、雷鳴と稲妻によって、このごちそうは消えてしまいます。この劇では、ものごとのはかない性質が強調され、観客は、現実世界の真の性質と戯れることになります。
プロスペロー:「我々は夢と同じ
材料で作られており、
我々のはかない人生は、
眠りとともに完結する。」
プロスペローは罪から人を救い出す役割を担っており、劇中では、ヘルメス思想の魔術師が誇張された人物です。しかし、私たち人間が自身の航海をうまく進めていくためには、自身の心の奥底が命じていることに従うべきであるということが示されています。この劇は、入門儀式を思わせる巡回の旅を描いています。一行は、裏切りという世間によくある状況が原因でミラノを追い出され、ある島にたどり着きます。そしてその島は、いかなることも可能にする想像力に満ちた場所でした。出発した場所に再び戻る前に、その島では、登場人物たちの心の変成と、和解がなし遂げられます。
プロスペローは魔術師のままでいることはありませんでした。彼は普通の人間になるために魔力を手放します。おそらく、それでよかったのでしょう。シェイクスピアは、ヘルメス学の技法に限っていえば、神をも恐れぬ傲慢さに近い思いを持っていたのでしょう。一方で、晩年の戯曲『リア王』と『テンペスト』には、謙遜と、人間であることの大切さが表わされています。ハムレットはこう語っています。「何を言う! たとえクルミの殻の中に囚われているとしても、このハムレットは、自分のことを無限の世界の王だと思うことができるぞ。悪い夢さえ見なければだが」。このセリフは、人の性質には、限りない自信と能力と権力が自分にあるのを思い浮かべるという一面があることを示しています。
一方プロスペローは、自分が命に限りのある人間だということを知っています。そしてこの劇によって、シェイクスピア(もしくはフランシス・ベーコンと彼の小さな作家グループ)は、ヘルメス学の考え方とその技法を伝えるための手段として劇を用いるという使命を完了したのです。そしてその目的は、そんなこととは夢にも思っていない観客の感受性を、それまでに体験したこともない想像への旅を通して、人の偉大な可能性へと目覚めさせることでした。これは、ヘルメス哲学とその技法という、偉大な内面の教育を反映しています。またそれは、戯曲『お気に召すまま』の次の有名な一節にも反映されています。
「全世界はひとつの舞台であって、
すべての男女はその役者に過ぎない。」
2016年はウィリアム・シェイクスピア没後400周年にあたり、バラ十字会の第3の宣言書、『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』が公表されてから400年目にもあたります。ですから、シェイクスピアとバラ十字会の伝統の間には、広くは理解されていない豊かな結びつきがあるということを、おそらく以前より多くの観客が認める年になることでしょう。
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第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について