投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2022/08/08


資料室

99枚の金貨

Ninety-Nine Gold Coins

アメリア

By Amelia

ヌール・アッディーンはダマスカスのスルターン(訳注)であり、その名前は「偉大なる信仰の守護者」を意味しており、この世のいかなる人よりも裕福でした。日の出ずる東の地から日の没する西の地にまで、北にそびえる山脈から南に広がる灼熱の砂漠にまで、彼の威光は及んでいました。彼とその偉大な王国に祝福あれと祈ることなしに、彼の名をあえて口にする者はいませんでした。君主アッディーンは、伝説のバビロンの空中庭園と同じくらい美しい庭園と要塞宮殿を所有していたと言われています。この要塞には30年もの間、一人の敵も、彼の強敵であった、モスル(訳注)のアミール(Emir:軍司令官)のマウドゥード(Mawdud)さえ攻め入ろうとしませんでした。

訳注:スルターン(Sultan):イスラム王朝の君主の称号の一つ。「権威」を意味するアラビア語。

モスル(Mosul):イラク北部の中心都市

このスルターンは幸せだったに違いないと誰もが考えることでしょう。並外れた活力と健康に恵まれ、計り知れないほどの富を有し、7人の息子は成人し、18人の娘は皆美しく、4人もの忠実な妻がいたのですから。しかし彼はさらに、絶世の美女であったジャミラ(Jamilah)という女性に密かな思いを寄せていました。彼女はバグダッドのアミールの第二婦人でしたが、彼は彼女をいつか奪い取って妻にしようと企んでいました。

このように、彼は人生に満足を見いだせず、すでに手に入れたものや、これから手に入れなければならないものについて、常に計略をめぐらし頭を悩ませていました。また、自身の帝国を維持する上でさまざまな問題が起こり、心が休まる暇もないありさまでした。しかも、巨万の富を持っていたにもかかわらず、遠く離れた土地のことを気にかけていました。そこには、彼がまだ征服しておらず、この先も手中にすることができないであろう、美しさと高い文化と偉大な富があるのでした。彼はこのような思いに心を沈ませては、挫折とうらやみと満たされぬ思いに駆られました。それは、彼と同じほど欲に目がくらんだ者にしか分からない感情でした。同時代の誰よりも多くのものを手に入れ、世界で最も輝かしい、強力な支配者だと臣民から呼ばれているにもかかわらず、誰にも知られることのない彼の心の中は、手の届かないにものに対する渇望に取りつかれていたのでした

決して手に入らないことが分かっているものを切望することは、ヌール・アッディーンにとってたいへんな重荷であり、これ以上生き続けることなどできないと思われるほどの悲しみでした。自分でも、所有への渇きをなぜ満たすことができないのかといぶかしく思うのでした。なぜ彼は、真の満足を感じることが決してなかったのでしょう? 彼はいつも万人からの注目を浴び、方々の遠隔地からあり余るほどの貢ぎ物を受け取りました。そして、彼に忠誠の言葉を述べるために訪れる人の列は途切れることがなく、彼の富は増える一方だったにもかかわらず、彼の心が安らぐことはありませんでした。彼は、自分の人生には極めて大切な何かが欠けていると感じていたのです。しかし、それが何であるのかが自分では分からず、不幸と不満足という内面の苦しみに苛まれながら、歳月を重ねていました。

ある日、彼はいつもよりもずっと早く目を覚ましました。私室でひとりで祈りを捧げた後、いつもならば20人の奴隷が仕えて沐浴と正装の2つの儀式を行うのですが、まだ早朝であったのでそれを差し置き、衛兵たちの前を気づかれないように通り過ぎて、ふらりと壮麗な庭園へと足を向けました。自然はこの上なく素晴らしく、鳥たちがさえずり、露でしっとりと濡れた庭に、彼の王国の東の端から太陽が昇ってきました。庭を巡る小川はせせらぎ、あらゆる種類の花が咲き乱れ、木々は枝がたわむほど果実をつけていました。しかし、ヌール・アッディーンの心は重く沈んで、周囲の素晴らしい景色は何ひとつ、彼の目に入りませんでした。

物思いにふけりながら、彼が何も警戒せずに一人で歩いていると、広大な庭園の中のこれまで見たこともない場所へとたどり着きました。すると突然離れたところから、世界の美しさを讃える男の歌声がかすかに聞こえてきました。「これは珍しい」と彼は思いました。「信仰を持つ人間は歌を歌わないものだし、そもそも、この時間には召使たちは誰もが祈りを捧げているはずだ。庭にいるのは誰なのだ? そして、彼はなぜこんなに幸せなのだ?」。彼はゆっくりと歌声がする方に近づき枝葉の間から覗くと、ボロ布を着たひとりの男が土を掘り返して新しい花を植えていました。領主がいることには気づきもせず、彼は世界の誰よりも幸せそうに見えました。この男にとって、人生は気楽でくつろいだものなのでしょう。彼からは、あり余るほどの喜びと幸せが溢れていました。ダマスカスの偉大なスルターンである私の心の中には悩みしかないというのに、乞食も同然のこの単なる召使いが、これほど幸せでいられるなどということが、どうしてあり得るのだろうか?

スルターンが植え込みを回って、軽く咳払いをして自分の存在を知らせると、ぼろ切れを着たその男は恐れをなしてひざまずき、頭を低く下げながら、すり足で後ずさりを始め、主君の前から離れていきました。この男に興味を抱いたスルターンは、彼に止まるように命じました。あわれな男が恐怖に震えだすと、スルターンは立ち上がるように言いました。そして、この栄養の足りていない哀れな男を、射貫くような目で見つめて、冷笑しながら言いました。

「小作人よ、お前はなぜそれほど幸せなのだ。他の者たちが礼拝している時に、なぜお前は歌を歌っているのだ。」

男は主人を前にして、卑屈なほどの謙虚さで地面を見つめながら、呟くように答えました。

「偉大なる領主様、私はハキームと申す者で、あなた様の領地で働く卑しき下僕に過ぎません。あなたのお情けによって、数ある庭園の中でも最も美しいこの庭で働くという光栄に浴しています。そして領主様のご厚意によって、領主様の所有物であるこの庭園の見事で美しい草木をお育てして手入れする喜びを得ているのでございます。そしてそのお礼に、かぐわしい香りと豊かな実りを領主様のお住まいにお届けしています。私は、自分に与えられた幸せを全能の神に感謝して歌を歌っているのでございます。神はご自身のお創りになられた世界で私が働き、日々の糧が得られるようにしてくださいました。私は妻と子供たちを養うのに十分な収入を得ております。私たち家族にとっては、頭上の屋根と、お腹を満たすだけの暖かい食べ物さえあれば十分です。家族は私の励ましであり、私が家に持ち帰るものを喜んでくれます。だから私はこれほど幸せであり、慈悲深きアッラーを讃えて歌っているのでございます。」

スルターンは下僕の言葉にたじろぎ、彼に立ち去るように手を振って合図をすると、いらいらと彼に背を向けました。下僕はすり足で後ずさりをして、急いで自分の仕事に戻っていきました。そのとき突然スルターンは、全身を甲冑に包んだ衛兵が傍らに立っているのに気づきました。今のやり取りをすっかり見聞きされたと感じたスルターンは動揺しながらも、なぜおまえはそこにいたのか、何を見ていたのかと怒りを込めて問い質しました。衛兵は答えました。

「ダマスカスの偉大なるスルターン様、私がここにおりますのは、あなた様の命をお守りするためでございます。あなた様はお供をつけずにこの庭園にお入りになり、危害を加えるかもしれない見知らぬ者に声をおかけになられました。」

この返答に、スルターンはため息を漏らすと、小声で嘆きました。

「ああ、なぜ私はあの小作人のように満足を見つけることができないのだ。私はありとあらゆる物を持っているというのに、幸せという点では、あの卑しい下僕は私に、はるかに勝っているではないか。これは一体どういうことだ。」

自身の感情が突然爆発したことを気恥ずかしく思いながら、スルターンは怒りながら衛兵を見つめ、彼を目の前から追い払おうとしたとき、衛兵が落ち着いた声ではっきりと答えました。

「陛下、あの下僕は、生活の中に幸せと満足とを見いだしましたが、あなた様とは異なり、99という苦い果実の味をまだ知らないのです。」

スルターンはこみ上げる怒りを感じながら、その言葉を遮りました。

「何を言っているのだ、貴様は!?」

衛兵は穏やかな口調でこう答えました。

「陛下が昼夜を通して味わっておられる99という苦々しさを、あの召使いに心底分からせるためには、99枚の金貨を袋に入れて、彼の玄関先にこっそり置いておくべきでございます。そうすれば彼はすぐに、陛下の地位にあると言うことがどのようなものであるかが分かるでしょうし、陛下、あなた様もまた大きな教訓を得られることでしょう。」

この横柄な態度にスルターンは怒りで顔を真っ赤にし、短剣を抜いて彼を刺そうとしました。しかし次の瞬間、どうしたことか衛兵は消えていました。音もなく、衛兵はそこからいなくなったのです。あの衛兵は何者だろうとスルターンは思いました。そして、ジン(訳注)がたまたまうろついていた庭園の場所に、自分が足を踏み入れてしまったのではないかと思い、空恐ろしくなった彼は急いでその場を離れ、安心できる宮殿へと急ぎ足で戻りました。誰にも気づかれることなく私室に戻ると、彼はベッドに倒れ込み、あっという間に眠り込んでしまいました。

訳注:ジン(Jinn):イスラムの神話や伝説に登場する精霊。通常は見えないが、人間や動物の姿で現れ、人間に善や悪の力を及ぼすとされる。

数時間後、いつもより遅く目を覚まし、普段通りに奴隷の従者によって沐浴と正装の儀式を済ませたヌール・アッディーンは、早朝にとても重大なことが我が身に起こったのを忘れていませんでした。それが夢だったのか、はたまたジンに魔法をかけられていたのかは彼自身にも分からないものの、その朝の出会いの記憶があまりにありありと残っていたので、謎の衛兵が進言したことを試してみなければという気持ちが高まってきました。そこで、彼は99枚の金貨が入った袋を、その日の夜に庭師のハキームの家の玄関先に置いておくように手配しました。使用人たちはその庭師をよく知っていました。

その夜遅く、ハキームが晴れた夜空を見ようと粗末な家の外に出ると、戸口に置かれた袋が目に留まりました。彼は何が入っているのかと訝しみながら、それを持って家に入りました。妻と子供たちの前で袋を逆さにして広げると、99枚の金貨がばらばらとこぼれ出し、家族から喜びの叫びが上がりました。彼は金貨の枚数を繰り返し熱心に数えました。しかし、何度数えても最後は99。100ではなく99しかないのです。数えるたびに彼の失望が増していきました。「これはきっと何かの間違いだ、一枚がどこかに行った違いない」。「袋に金貨を99枚だけ詰める人などいるものか、ぴったり100枚にするに決まっている」。彼は自分が歩いた場所を再びたどって、落としたのだと思い込んだ金貨を探しましたが当ては外れ、見つかることはありませんでした。そこで、100枚目の金貨が誰かに盗まれたのだと考えました。盗っ人だらけの世の中め! 彼は疲れ切って、とうとうこう決心しました。100枚の金貨“一式“を揃えるまでは休むことはできない。最後の一枚を手に入れる資金を稼ぐために、これまで以上に激しく働くしかないと心に決めたのでした。

翌朝目を覚ましたハキームは、これから果たさなければならない膨大な量の仕事を重荷に感じ、何年かぶりに機嫌が悪くなり、朝のお祈りさえすっぽかしてしまいました。彼は怒鳴り散らすように、怯えた妻と子供たちに用を言いつけると、夜が明けきらないうちに家を飛び出し、スルターンの庭園で仕事に取り掛かりました。

一方、スルターンはその夜ほとんど一睡もせず、不幸から解放されることをひたすら祈っていました。そして夜が明けないうちに、再び誰にも気づかれずに庭に入りました。朝露に濡れ、鳥たちのさえずりに囲まれながら、彼は昨日あの庭師に会った場所まで行きました。庭師は今朝もそこにいました。ところが今度は神を讃えて歌うどころか、日々の労働の重荷を呪っていました。ハキームは、自分の金貨を盗んだ泥棒と世の中のことを激しく恨みながら毒づいていたのです。今や彼は、手に入れそこなったたった一枚の金貨を買えるだけのお金を稼ぐために、丸7年もの間、昼も夜もなく働き続けることを強いられているのでした。

ダマスカスの偉大なスルターン、ヌール・アッディーンは沈んだ心とともに踵を返すと、静かに宮殿に向かって歩き始めました。幸せだったこの下僕が、あくせくと働かなくても今後は一生快適に暮らしていけるだけの大金を手にした後に、これほど不機嫌で不幸になってしまうことなど、どうしてあり得るのだろう? つい昨日までとても幸せで満ち足りていたハキームが、あれほど十分な財貨を手に入れた後に突如として変わってしまったことが、スルターンには信じられませんでした。

突然、彼はすぐ近くに人の気配を感じました。ぎょっとして見ると、甲冑に身を包んだあの衛兵が、またもすぐ隣にいるではありませんか。衛兵は挨拶さえせずに、まっすぐに彼の目を見つめてこう言いました。

「ヌール・アッディーンよ、十分な富を持ちながら、この世界が自分をだまし、最後の一枚の金貨を巻き上げたと思い込む者に何が起こるかをお前は見た。お前の金貨を受け取る以前の幸せなど忘れ去ってしまうほどに、あの最後の一枚さえあれば自分が計り知れないほど幸せになると、ハキームは信じたのだ。彼は99の果実の苦さを味わった。その味を知る者は、もはやお前ひとりではない。ダマスカスのスルターンよ、知るがよい。心から謙虚になって、感謝しなければならないことがどれほどあるのかを理解すれば、わずかなものしか持っていなくとも、幸せに包まれて生きることができる。お前が不幸であった理由は、さらに多くのものを常に求め、すでに持っているものに決して感謝しなかったことである。今日からは、自分の持っているものがどれほど多く、お前の王国に暮らす他の人々の持ち物がどれほど少ないかを考えよ。お前のあり余るほどの富を、それを最も必要としている人に惜しみなく与えよ。」

これを聞いたとたんにスルターンは、崩れ落ちるように両ひざを地面につき、衛兵の軍服の裾に手を伸ばし、それをしっかりと握りしめると、静かにすすり泣きました。それは、己のこれまでの強欲さに対する後悔と、心の渇きを癒してくれる答えがとうとう見つかったという喜びからのことでした。どうすれば幸せを手に入れられるかをついに悟った彼は、貪欲だった過去の人生の償いをするチャンスがまだ残されていることを感謝しつつ、慈悲深きアッラーを讃えました。しばらくすると、衛兵は両手をスルターンの頭の上にしっかりと置いて、大きな声でこう言いました。

「立つのだ、ダマスカスのスルターンよ、ヌール・アッディーンよ。心の平安とともに自身の道を進むがよい。常に正しき道を歩め。」

スルターンは立ち上がり、彼を見つめる衛兵の瞳に底知れぬ静けさを見て取ると、短く礼を言い、身を翻してその場を立ち去りました。ヌール・アッディーンは、この出会いを境に以前の状態に戻ることはなく、それまでには想像もできなかったほどの幸せと心の安らぎを手に入れました。

衛兵はというと、彼の姿を二度と見た者はいません。伝説によればこの忠実な衛兵こそ、人の心の偉大なる守護者であり、すべての人の中で最も聡明な人とされるコルドバの賢者ムスタファに他なりません。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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