以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。
カバラにおける男性原理と女性原理
Masculine and Feminine Symbolism in Kabbalah
ロイド・エイブラムス博士
By Lloyd Abrams, Ph.D
ロイド・エイブラムス博士は、『バラ十字ジャーナル』(訳注)の編集委員を務めており、バラ十字国際大学の講師でもあります。彼はカバラに関する数多くの連続講義やワークショップを行っています。この記事では、カバラの核心にあたる数々の概念について説明し、それらの概念と、男性原理と女性原理というカバラの記号体系の関係を解説します。
訳注:『バラ十字ジャーナル』(Rose+Croix Journal):バラ十字会AMORCが発行している学際的な国際オンライン論文集。分野は科学、歴史、芸術、神秘哲学、スピリチュアリティであり、特にこれら分野にまたがる論文を募集、審査、掲載している。2004年から現在まで年一回発行。Webサイトは、www.rosecroixjournal.org 。
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10 のセフィロト
物質と直接関係しないスピリチュアルな概念や形而上学的な概念を扱うときには、象徴を用いることや、慣れ親しんでいる日常の体験をたとえとして用いることが役立ちます。カバラとは、「象徴のアルファベットであり、それによって形而上的な世界の(spiritual:物質を超越した世界の)言語が構築される」(脚注2)という説明がされてきました。カバラにおける重要な象徴的用語に、「男性原理」(masculine)と「女性原理」(feminine)という2つがあります。この2つの用語は、人間の男性と女性だけを示しているのではありません。カバラの象徴学では、この2つの用語を比喩として用いて、形而上学的な概念と過程の特徴を理解する基礎として役立てています。
カバラの伝統、特にゾハールやイサク・ルーリア(Isaac Luria, 1534-1572)の教義によれば、〈創造主/神〉の本質は男性原理でも女性原理でもないのですが、神がこの世界に現れたり、この世界と関わったりする方法の一部は、男性原理と女性原理という概念を当てはめることによって互いに区別することができます。さらに、宇宙が創造された過程と、宇宙を存続させている作用は、人間の生殖作用に関係するこの比喩的な用語によって理解することができます。
カバラは、〈創造主/神〉の本質と、〈創造主/神〉からの流出(訳注)と、〈創造主/神〉のさまざまな現れ(manifestations)を区別しています。〈創造主/神〉の本質であり最も高位の側面はアイン・ソフ(Ain Sof)です。この言葉は永遠、無限界、無制約を意味しています。アイン・ソフは、あらゆる種類の思考を超越しています。アイン・ソフは知ることができず、形がなく、無限の単一性であり、男性原理でも女性原理でもありません。アイン・ソフが絶対的な単一性である一方で、世界には、二元性、すなわち2つの対になる性質を持つ、つまり2つの極性を持つという特徴があります。カバラでは、世界のこの特徴の典型を表す記号として、男性と女性を用いています。男性と女性は対比の典型例、つまり対立するペアを表します。人間の性別は、この一般的な特徴の具体的なひとつの表れでしかありません。
訳注:流出(emanation):神から物質世界の万物が創造されたときの、段階的な具体化の過程のこと。
セフィロト
The Sefirot
アイン・ソフは「無限の光」(Ain Sof Or、アイン・ソフ・オア)を流出することによって世界を創造し維持しています。降り注いだ無限の光からは、10個のセフィロトが生じます。それぞれのセフィラ(訳注)は、一連の流出の段階で現れる〈創造主/神〉の異なる性質や働きにあたります。
訳注:「セフィロト」(Sefirot)は、「セフィラ」(Sefirah)の複数形であり、セフィロト全体を構成している個々の要素はセフィラと呼ぶ。
カバラでは、男性と女性という2つの極性は、アイン・ソフの流れの方向に、つまり、与えるのか受け取るのかということに関係しています。つまり、男性と女性は、〈創造主/神〉の〈無限の光〉を与えるのか受け取るのかということを意味しています。この象徴の意味は、生殖作用からの類推に基づいています。父は、自身の種を母に与えます。母は子宮の中に種を受け取り、種は子宮の中で新たな生命としての形をとります。したがって与えることは男性に、受け取ることは女性に対応しています。しかし別の意味では、それぞれのセフィラは女性と男性のいずれでもあると見なすことができます。先行する高位のセフィラとの関係では、そこから〈光〉を受け取るので女性となり、次の低位にあるセフィラとの関係では、そこに〈光〉を与えるので、男性となります。(脚注3)しかし、全体としてそれぞれのセフィラは、男性原理と女性原理のどちらかに分類されています。父の種には形がなく、まだ分化していません。母の子宮の中で、胎芽は形を取るようになり、さまざまな臓器や手足に分化していきます。したがって、形がないこと(無形)は男性に対応し、形があること(有形)は、女性に対応します。
アイン・ソフから〈無限の光〉が降り注ぎ、セフィロトはその光を受け取り保持する容器として働きます。流出の一連の段階が進んでいくと、容器はいっそう「密度が濃く」なり、〈光〉はよりいっそう覆い隠され、最終的には、私たちの物質の世界で流出が完結します。〈光〉は、あらゆる方向に無限に拡張する傾向がありますが、容器がそれを保持しその境界の中に制限します。したがって、男性原理は拡張に対応し、女性原理は制限に対応します。
カバラの用語では、対となるこれらのペア、つまり互いに補い合う2つの概念は、男性と女性という範疇によって象徴されます。たとえば、与えることと受け取ること、無形と有形、光と容器、拡張と制限といった概念です。
パーツフィム
The Partzufim
パーツフィム(Partzufim:顔)は、〈創造主/神〉のさまざまな側面を擬人化した表現です。それは、セフィロトのさまざまな働きを擬人化しています。イサク・ルーリアは、『ゾハール』の用語と概念を基礎として用いて、パーツフィムという洗練されたシステムを作り、セフィロト同士がどのように関係しているか、また、セフィロトと私たちの世界がどのように関係しているかを詳細に描写しました。(脚注4)
ウィリアム・ブレイク作「日の老いたる者」
第1のセフィラのケテル(Keter:王冠)のパーツフィムは、アリク・アンピン(Arikh Anpin)と呼ばれ、「長い顔」もしくは「大きな顔」を意味します。クリスチャン・カバラとヘルメス・カバラでは、この語はマクロプロソプス(Macroprosopus)というラテン語に訳されています。ケテルはまた、アティカ・カディシャ(Atika Kadisha:太古の聖なる一者)もしくはアティク・ヨミン(Atik Yomin:日の老いたる者)として擬人化されています。
第2のパーツフィムはアッバ(Abba:父)で、コクマー(Chokhmah:英知)のセフィラと対応しています。第3は、ビナー(Binah:知性)のパーツフィムであるイマ(Ima:母)です。コクマーはビナーを〈光〉によって受胎させ、ビナーは、それより下位のすべてのセフィロトを生み出すとされています。アッバとイマは、この考え方を擬人化したものです。つまり、アッバとイマは父と母の性的結合の比喩であり、それによって〈光〉の下方への流れが生じ、下位の7つのセフィロトが生じます。(脚注5)
次のパーツフィムは、ゼア・アンピン(Zeir Anpin:小さい顔)、ラテン語ではミクロプロソプス(Microprosopus)です。「小さい顔」という言葉は、ケテルの「長い顔」と対照をなしています。ある意味では、ゼア・アンピンはアリク・アンピンの低位のコピー、つまり、アリク・アンピンの投影像であると言えます。ゼア・アンピンすなわち小さい顔は、次の6つのセフィロト、ケセド(Chesed:慈愛)、ゲブラー(Geburah:力)、ティファレト(Tiferet:美)、ネツァク(Netzach:勝利)、ホド(Hod:栄光)、イェソド(Yesod:基礎)から構成されています。これらの6つのセフィロトは、創世記の第一章、天地創造の六日間に対応しています。ゼア・アンビンという概念は、アッバ(コクマー)とイマ(ビナー)の性的結合の比喩、すなわちそれよりも下位にあるすべてを生じさせる創造の行為という考え方と一致しています。
5つのパーツフィム
ゼア・アンピンは6つのセフィロトから成っていますが、通常はひとつのセフィラ、ティファレトがその代表とされます(脚注6)。アッバ(父)とイマ(母)の結合によってゼア・アンピンが生まれるので、ゼア・アンピン(ティファレト)は「息子」とも呼ばれています。またゼア・アンピンは、「神に祝福されるべき聖なる一者」(The Holy One, blessed be He)とも呼ばれます。
第10番目のセフィラ、マルクト(Malkhut:王国)のパーツフィムはニュクバ(Nukva)、「女性」です。ニュクバはまた、花婿すなわち連れ合いであるゼア・アンピンの「花嫁」とも呼ばれています。マルクトは物質世界に住んでいる〈創造主/神〉の姿なので、シェキーナー(Shekhinah:「住む」を意味するヘブライ語)、「神の現れ」(Divine Presence)とも呼ばれています。
ですから、男女で対になっているパーツフィムが二つあります。一つはアッバとイマ、つまり父と母で、この2つが結合することで、それより下位のセフィロト、ゼア・アンピンとニュクバが生じます。ゼア・アンピンとニュクバ、つまり息子とその花嫁が第2の対ですが、この2つが結合することで、〈創造主/神〉の光とその祝福が私たちの世界に流れ込みます。
ゾハールの比喩的な描写では、ティファレトとマルクトの結合によって人間のソウル(soul:魂)が誕生します。そして人間のソウルは、物質界の夫と妻の結合によって生じた肉体へと降下して結びつきます。
シェキーナーは連れ合いであるティファレトと結合すると、勢いよく流れ出るイェソドという川からソウルが生じる。下からのシェキーナーの情熱に刺激されて、ソウルの流れがシェキーナーの中に流れ込む。(脚注7)
「そしてエデンからひとつの川が流れ出て、園を潤した」(『創世記』2:10)。男女の結合によって、もちろんそれは超越的な意味においてであるが、ソウルが到来し、人間に生命が吹き込まれる。『創世記』のこの文章は、次のような意味だと推測される。エデンの川とは生命の川、もしくはソウルの川と同じ意味であり、この場合、エデンとは天上のエデンであり、聖なる婚礼が行われる場所だと理解すべきである。一方で川によって潤される園とは、地上にある婚礼が行なわれる場所である。花婿と花嫁が結合する瞬間、すべてのソウルが天上の川から到来する。(脚注8)
聖なる一者とシェキーナー
The Holy One and His Shekhinah
このシステムでは、ティファレトとマルクトの関係が、私たちの世界の状態に決定的な影響を与えています。「神に祝福されるべき聖なる一者」とシェキーナーは、性的結合によって一体となり、それによって私たちの世界に流入する〈創造主/神〉の光と祝福が増加します。しかし彼らが互いに顔をそむけると、光の流入と祝福が減少し、私たちの世界で悪の影響が力を増します。人間の行動は、これらのパーツフィムの活動に影響を与えます(ヘルメス文書には、このことを示す次の格言があります。「下と同じように、上もそうある」)。人間の罪のある行動によって、聖なる一者とシェキーナーは、お互いに顔をそむけるようになります。私たちが戒律(commandment)を守り、神の意志と調和して生活すれば、聖なる一者とシェキーナーが、見つめ合って結合するように導くことができます。(ヘブライ語聖書の最初の五書(モーセ五書)であるトーラーには、613の戒律があります。)
世界は最初に創造されたとき、真の楽園であった。なぜなら、祝福された聖なる存在とシェキーナーが「見つめ合って」、コクマーとビナーのように継続的に抱き合って結合していたからである。このようにして、創造主の祝福が、このシステムを通して妨げられることなく勢いよく流れ下ってきて、シェキーナーの「主人」のすべてに流れ込み、理想的な状態になった下位の世界の「宮殿」にも同様に流れ込んでいた。しかし、まさしくアダムとエヴァの罪が、この原初の調和をかき乱した。エデンからの追放以来、ティファレトとマルクト、すなわち祝福された聖なる一者とシェキーナーの結合は、継続的なものではなくなり、人間の行なう善行と違反のどちらが多いかに左右されて、時々起るだけのものになった。(脚注9)
ティファレトとマルクトの調和した関係は、一般的には「イフッド・カドゥシャ・ブリーク・フ・ウ・シャキンティ」(Yihud Kudsha Berikh Hu u-Shekhintei:「神に祝福されるべき聖なる一者」と神の現れの一体化)と呼ばれており、世界の望ましい状態のために欠くことのできないものである。聖なる2つの力の結合が達成されているときにだけ、アイン・ソフ(無限の一なるもの)から生じた流れが、低位の世界にまで伝わることができる。原罪によって乱されたこの調和は、通常の罪全般によって調和が乱された時と同じように、諸々の戒律をカバラの方法で遂行することによって回復させることができる。(脚注10)
創造主と人間(特にカバラの研究家)は、聖なる男性と女性が互いに見つめ合うようにし、宇宙の統一性を回復する仕事を分担して行っている。その仕事の結果、光が宇宙全体を再び照らすようになり、生命の水が聖なる女性を通して流れ、下位の世界全体が育まれ維持されるようになる。(脚注11)
「祝福された聖なる一者とその花嫁のシェキーナーの結合」は、キリスト教カバラでは、宗教生活の第一の目標とされ、戒律のすべては実質的に、この努力の一部であると見なされていた。(脚注12)
カバラを実践する人は、折々に習慣として戒律を遂行するだけでは十分ではなく、適切なカバナーを持たなければなりません。カバナーとは精神的意図のことで、上位の領域に影響を与えるための精神集中ができなくてはなりません。戒律を実践する前に、必要な意識的な意図と集中力を得るため、カバラを実践する人は次の言葉で始まる祈りを唱えます。「聖なる祝福された一者とその花嫁のシェキーナーの一体化のために」。(脚注13)
神の名前の結合
Uniting Divine Names
10のセフィロトのそれぞれは、次々と起こる神からの流出の各段階における、神の性質の現れを象徴しています。そして各セフィラは、それぞれが〈創造主/神〉の異なる名前を持っています。ティファレトに付けられている神の名前は、テトラグラマトン(神を表す4文字)であり、4つのヘブライ文字、ヨッド・ヘー・ヴァヴ・ヘー(英語では通常YHVHと表されます)から構成されています。マルクトに付けられている神の名前はアドナイ(Adonai)で、アレフ・ダレット・ヌン・ヨッド(ADNY)の4文字から構成されています。この2つの神の名前が適切な集中した意図(カバナー)とともに結合されると、神への祈願として働いて、ティファレトとマルクトが結合します。つまり、「神に祝福されるべき聖なる一者」がシェキーナーと結合します。
YHVHとアドナイ(Adonai)という名前を結合するために、それぞれの名前の数値を足し合わせる方法があります。ヘブライ語のアルファベットのひとつひとつは数も表しており、ヘブライ語の単語はひとつひとつが、構成する文字が持つ数値の合計と等しい数値を持っています。カバラのゲマトリアと呼ばれる解釈の方法では、2つの単語や文言は、どのようなものであっても、合計の数値が等しければ、そこには深い関連があり、ある意味で同等であるとされます。YHVHの数値は26、そしてAdonai(ADNY)の数値は65です。この2つの名前の数値を合計すると、91が得られます。ヘブライ語の言葉、「アーメン」(アレフ・メム・ヌン)の文字の数値の合計も91になります。この2つの数値が同じであることを心に留めていれば、正しい意図(カバナー)を持って、祈りや祝福の最後に「アーメン」と言った場合、その人は心の中で、神の名前YHVHとアドナイ(Adonai)を結合していることになり、神への祈願によって聖なる一者とシェキーナーを結合させていることになります。
YHVHとアドナイ(Adonai)の名前を結合させる別の方法は、これらに含まれる文字を使って8文字の名前を作ることです。それぞれの名前から交互に一つずつ文字を取り、すべての8文字を並べて新しい名前を作ると、象徴的にティファレトとマルクトを結合したことになります。祈りや祝福の最後に正しい意図をもって「アーメン」と言うならば、合成された8文字の名前が内的に視覚化され、精神内で唱えられ、神への祈願として働き、聖なる一者とシェキーナーの結合が引き起こされることになります。
この8文字の名前には2つの種類があります。上位の領域からの下降である祝福のためには、最初にYHVHから文字を取り、次にアドナイ(Adonai)から取ります。下位から上位へと賛美を送るカディシャ(Kadisha)と呼ばれる祈りのためには、最初にアドナイ(Adonai)から文字を取り、次にYHVHから取ります。
ペンタグラマトン
The Pentagrammaton
『マルティニズムの光』
(伝統マルティニスト会の教本)の
表紙に描かれたペンタグラマトン
キリスト教カバラでは、ヘブライ文字のシンを、テトラグラマトン(YHVH)の中央に挿入して、5文字の名前(ヨッド、ヘー、シン、ヴァヴ、ヘー)を作ります。この名前は、イエスのヘブライ語の名前イェシュアー(Yeshua、もしくはYeheshua、もしくはYehoshua)の別の綴りであるとされます。この5文字の名前はペンタグラマトンと呼ばれ、イエスの秘密の名前であり、「奇跡を生じる言葉」だと考えられていました。(脚注14)
シンは、ヘブライ語の「シェキーナー」の最初に来る文字なので、シェキーナーを象徴的に表すために使うことができます。また、シンの文字の形は3本のロウソクを置いた祭壇の形に似ています。そのため、バラ十字会では〈創造主/神〉の現れを象徴する、3本のロウソクを置いた三角形の台を「シェカイナー」と呼んでいます。シンとYHVHを組み合わせて、カバラにおけるイエスの名前(Y H Sh V H)を作ることは、それゆえに、ティファレトとマルクト、すなわち祝福された聖なる一者とその花嫁であるシェキーナーの結合、超越的な存在である創造主と、この世界の創造主の現れを統一する、もうひとつの方法であると考えることができます。
バラ十字会の米国本部の殿堂の中央に置かれたシェカイナー、カリフォルニア州サンノゼ市のバラ十字公園内
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脚注
1.カバラというヘブライ語を英語のアルファベットを用いて表記する合意された方法はない。そのため、他の著作からの引用文においては原著の綴りをそのまま使用したので、綴りの不一致によって混乱しないように読者の皆さんにお願いする。
2. Henrietta Bernstein, Cabalah Primer: Introduction to English/Hebrew Cabalah (Marina del Rey: DeVorss & Company, 1984), 17.
3.16世紀のカバラ研究者R・モーシェ・コルベドロ(R.Moshe Cordovero)によれば、流出(emanation)の全過程は、セフィロトに次々に起る一連の受胎と誕生であると説明することができる。この過程は、根本原因(Causa Causarum)から始まって最後のセフィラで終わる。
4. Hayyim Vital, The Tree of Life: Chayyim Vital’s Introduction to the Kabbalah of Isaac Luria. Volume I: The Palace of Adam Kadmon, trans. Donald Wilder Menzi and Zwe Padeh (New York: Arizal Publications Inc., 2008).
5.7つの低位のセフィロトは、コクマーとビナーの結合から生じ、それより高位のセフィロトの「息子たち」であると一般に考えられている。Idel, “Sexual Metaphors,” 210.
6.これら6つのセフィロトを代表するためには、ティファレトを使用するのが適切だと思われる。ティファレトは、確かに6つのセフィロトの中央に位置している。また、生命の樹の図において、ティファレトは他の5つのセフィロトと径で直接につながっている唯一のセフィラである。ティファレトは6番目のセフィラであり、テトラグラマトンの3番目の文字ヴァヴ(Vav)は6という数値を持つので、ティファレトはこの文字に対応する。
See Vital, Tree of Life, 60.
7. Daniel C. Matt, trans., The Zohar: Pritzker Edition. Vol. III (Stanford: Stanford University Press, 2006), 274.
8. A. E. Waite, The Holy Kabbalah: A Mystical Interpretation of the Scriptures (New York: Citadel Press, 1995), 392-393.
9. Arthur Green, A Guide to the Zohar (Stanford: Stanford University Press, 2004), 75.
10. Idel, “Sexual Metaphors,” 207.
11. Green, Guide, 52.
12. Ibid., 130.
13. S. P. Berg, The Kabbalistic Daily Prayer Book: Siddur T’filah L’ani For Weekdays (New York: Yeshivat Kol Yehuda Press, 1999), 31.
14. Moshe Idel, “Introduction to the Bison Book Edition,” in Johann Reuchlin, On The Art of the Kabbalah: De Arte Cabalistica, trans. Martin and Sarah Goodman (Lincoln: University of Nebraska Press, 1993), xix. G. Lloyd Jones, “Introduction,” in Reuchlin, Art of the Kabbalah, 17. Reuchlin, Art of the Kabbalah, 77 and 353.