投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2023/04/21

Rishis – A Message from the Heights of the Himalayas
ニコライ・リョーリフ(ニコライ・レーリヒ)By Nicholas Roerich

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オーストラリア誌編集者注

リシ(Rishi)とは、ヒンドゥー教の聖者の中でも特に尊敬を集める、ヒンドゥー教とチベットの伝統的な教えを熟知した師のことです。以下の記事は、1943年6月発行のロージクルーシャン・ダイジェスト誌(訳注)に掲載されたものであり、当時の記事には次の注が付けられていました。

「この記事には、随所に比喩的な表現が含まれており、その真意を把握するために慎重な解釈が求められます。筆者は、チベットの風景を描き続けた世界的に有名な芸術家であり、『大白色友愛組織』(Great White Brotherhood)の使者であると同時にバラ十字会AMORCの会員でした。バラ十字会AMORCの当時の代表(Dr. H. Spencer Lewis)に彼がインドから送った写本に添えられた手紙には、次のように書かれた箇所があります。『雪に覆われたヒマラヤ山脈で、貴兄の聡明な活動の記録が届くことを心待ちにしております。また、ロージクルーシャン・ダイジェストを送っていただければ幸いに存じます。』」

訳注:ロージクルーシャン・ダイジェスト誌(Rosicrucian Digest):バラ十字会AMORCの北中南米担当英語圏本部の雑誌。以下のURLで読むことができる。
https://www.rosicrucian.org/rosicrucian-digest

 いくつもの険しい崖からは、銀色の糸のような滝が神々しくきらめき、光り輝く水しぶきが、永遠の真理が刻まれている古代の碑文であるかのような岩々を優しく撫でていきます。岩はそれぞれに異なり、そこに刻まれた内容も異なっていますが、いずれも、時を超えたひとつの真理に関わる内容です。サドゥ(訳注)が一人、その岩に唇を押し当て、極上の水滴で喉を潤します。ヒマラヤの滴です!

訳注:サドゥ(sadhu):ヒンドゥー教では、修行者は、学生期、家住期、林住期、遊行期の4つの期間を経るべきであるとされる。遊行期とは一定の住所を持たずに托鉢をする期間であり、この期間の僧をサドゥ(遊行僧)と呼ぶ。

古代の聖地であり、巡礼と祈りの地であるトリロクナト(訳注)に至る道を、サドゥやラマ(訳注)が長い列をなして歩きます。さまざまな道からやって来た巡礼者たちがここで顔を合わせます。三叉の槍を杖にして歩き続けた末に、崇高な放浪の旅をなし遂げた者もいれば、竹の杖を手にしている者もいます。杖を持たないどころか、まともな服さえ身にまとっていない者もいます。しかし、ロータン峠(訳注)を覆った雪でさえ、彼らはものともしません。

訳注:トリロクナト(Triloknath):インドの最北のヒマラヤ山中の小さな町のことと思われる。トリロクナス、トリロックナス。ニューデリーから北に約400キロ。後述のロータン峠より北西に50キロ。

ラマ(blama):チベット仏教の僧。

ロータン峠(Rotang Pass):インド北部の町マナリから北40kmにあるヒマラヤ山脈の峠。標高3,978m。

この人たちは、誰もが善良な人なのでしょうか。誰もが気高い精神の持ち主なのでしょうか。たとえそうでなくても、たった一人の高潔な人物がいるだけで、ある〈町〉が時として、聖地とされます。ですから、彼らを問い詰めないことにしましょう。彼らは、この正しい道に沿って歩いているのですから。巡礼者たちは、ここがリシやパーンダヴァ(訳注)の暮らしていた土地であることを知りつつ、歩みを進めます。この地にはヴィアース川(Vyas)とヴィアースクンド湖(Vyasakund)があり、あらゆる願いが叶う場所とされます。さらに、聖仙ヴィアーサ(Vyasa Rishi)が『マハーバーラタ』を編纂した地です。

訳注:パーンダヴァ(Pandava):インドの大叙事詩『マハーバーラタ』(Mahabharata)の主役である5人兄弟の王子。

伝説上の話ではなく、この土地にはリシたちが実際に暮らしていました。頂上が氷河に覆われた断崖、ヤク(訳注)が草を食むエメラルド色した放牧地、洞窟、轟音を立てて流れる渓流。リシたちの生活によって、この地のそこここに活気が与えられていました。ここからは、心の深奥に向けた崇高な呼びかけが発せられ、人類はあらゆる時代に、その声に耳を傾けてきました。また、この呼びかけはさまざまな学派で教えられ、多くの言語に訳されてきました。こうした歴史が結晶化して、ヒマラヤの崖に層をなして積み上げられてきたのです。

訳注:ヤク(yak):チベット高地の牛。古くから家畜化され人々の生活を支えてきた。

「ヒマラヤのたぐいまれなる美しさを目の当たりにした時、それを創造した者を讃える言葉を、どこに見いだせば良いのか」とヒンドゥー教徒たちは歌い上げます。グル(訳注)がたどる道の傍ら、リシの暮らす高地、心の旅の巡礼者が歩みを進める峠道には、歴史という宝が蓄えられていて、この宝は、雨季の激流も押し流すことができず、いかなる雷も灰に変えることができません。善へと向かう人たちの旅は、すべての歩みが祝福されています。さまざまな国から訪れた、心正しい人たちの出会いは、いずれも、何と心を揺さぶる物語でしょうか。森の中では、デーヴァダールの木々(訳注)が風にそよぎ、互いの樹冠(訳注)が触れ合います。このように、何であれ最高のものが出会うとき、傷を負わせたり害を及ぼしたりすることは少しもありません。昔は、決闘によって争いが解決されました。しかし現在ではヒマラヤ杉がして見せるように、首長同士の話し合いによって合意がもたらされます。デーヴァダール、神々から贈られた木、なんと素敵な言葉でしょう。この魅力的な名前は、意味もなく付けられたわけではありません。デーヴァダールの樹脂には病気を癒す効用があるからです。ヒマラヤスギやジャコウ、カノコソウやバラ、それらと類似する植物から、リシたちは良く効く薬を作り出します。近年発見された薬をこの地に導入して、こうした伝統的な薬を排除しようとする人もいました。しかし、人々は昔ながらの知識に立ち返ります。

訳注:グル(guru):サンスクリット語で「師」、「指導者」を意味する言葉。

デーヴァダールの木々(devidar trees):デーヴァダールは後述されているように「神々から贈られた」を意味する。ヴェーダの宗教やヒンドゥー教の聖典では、ヒマラヤスギ(Himalayan cypress)などが神々から贈られた木とされている。

樹冠:樹木の上部にあって枝や葉の茂っている部分。

奇跡をもたらす石の逸話はおとぎ話でしょうか? いいえ、皆さんはそれが真実であることも、それをどのようにして手に入れるかもご存知です。紋章の図案に描かれる一角獣は架空の動物でしょうか? いいえ、ネパールには角が一本のカモシカがいることが知られています。聖仙リシの存在は作り話なのでしょうか? 並外れた精神を持つ偉人が、想像の産物でないこともあります。皆さんはこのこともご存知でしょう。

一人の男性が、火傷することなく、たき火を歩いて渡っている写真があります。これは作り話ではなく、ポンディシェリ警察署の所長が撮影した疑う余地のない写真です。マドラス、ラクナウ、ベナレス(訳注)でも同様の火渡りの行が見られると、それを見た人は教えてくれることでしょう。サドゥは赤熱した炭の上を火傷を負わずに歩くだけでなく、すぐ後ろに付き従う自分の信奉者たちを先導します。

訳注:マドラス(Madras):現在のチェンナイ。インド南東部にあるタミル・ナードゥ州の州都

ラクナウ(Lucknow):インド北部のウッタル・プラデーシュ州の州都

ベナレス(Benares)ウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナシー県の県都。ヒンドゥー教の一大聖地であり、インド最大の宗教都市

『ロータス(蓮)』(1933 年)
ニコライ・リョーリフ作、ニューヨーク市
ニコライ・リョーリフ美術館所蔵。

ベナレスを流れるガンジス川で、ひとりのサドゥが神聖な座法で、水の上に座っています。組み合わせた両足の膝から下は水面に覆われています。川沿いには人が群がり、修行僧を見て驚いています。別のサドゥは、たくさんの鉄釘の先の上に、まるで柔らかなベッドであるかのように横たわっています。彼の顔には、苦痛や不快の色は少しも浮かんでいません。また、地中に生き埋めにされて何日も過ごすサドゥもいれば、さまざまな毒を体に取り入れながら害を受けないサドゥもいます。空を飛ぶことができるラマや、「トゥンモ」(訳注)の技を用いて、体内に熱を起こし、雪や山中の氷河の上で身を守るラマが、こちらにいるかと思えば、「死の一瞥」をその眼で加えて、狂犬を殺すことのできるラマが、あちらにはいます。ブータンから来た高い地位のラマ僧が、チベットのツァン地方に滞在している時に語った話ですが、あるラマ僧が、ヤルンツァンポ川(訳注)を無賃で渡らせてほしいと渡し守に頼んだのです。抜け目のない渡し守はこう答えました 。「あんたがお偉いラマ僧だってことを証明できたら、すんなり向こう岸までお連れいたしましょうとも。あそこを走り回っているのは、悪さばっかりしやがる狂犬なんですがね。あいつを殺っちまってもらえますか?」。ラマ僧は彼に何も言わずに、犬を見つめ、片手を上げて二言三言つぶやきました。すると、犬はぱたりと倒れて死んでしまったのです! ブータンのラマ僧が、己の偉力を明かしたわけです。チベットやインドでは、これと同じ「殺生眼」とか「カピラ仙人(訳注)の眼」の話をよく耳にします。

訳注:トゥンモ(to-mo):体温を自在にコントロールする技法。

ヤルンツァンポ川(Tzam-Po):中国のチベット自治区を西から東に貫くように流れる大河。

カピラ仙人(Kapila):インド六派哲学のひとつサーンキヤ学派の始祖とされるが詳細は不明。人類の始祖マヌの末裔、創造主ブラフマーの孫、ビシュヌの化身ともされる。王の馬を奪ったとして6万人の軍勢に攻撃され、ひとにらみで全員を焼き殺したという伝説がある。また、仏陀生誕の地はカピラバストゥと呼ばれ、一説にはカピラの弟子たちが築いたとされる。

17世紀にカトリックの聖職者の当局が発行した地図には、シャンバラという国の名が記されています。アントワープで印刷されたその地図や、ポンディチェリーの警察署長の写真や、ラマ僧たちによるその他の証言など、ある偉大な「知識」についての断片的な逸話が、あらゆるところに見られます。

訳注:シャンバラ(Shambhala):インド仏教の経典の一つ『時輪タントラ』に登場する伝説上の仏教王国。

火の上を歩いたり、水の上に腰を下ろしたり、空中を浮遊したり、釘の筵に横たわったり、さらには、毒を飲み干したり、眼力で相手の命を奪ったり、平然と地中に埋められたりといったことが人間に可能であるならば、偉大な「知識」に由来するこれらの能力のすべてを合わせ持つ人がいるかもしれません。そうであれば、卑金属を金に変容させる際の妨げも乗り越えられるかもしれません。これは、はるか未来の夢物語でありません。今、まさにこの場所で、ミリカン博士(訳注)の宇宙線の調査も進行中です。

訳注:ミリカン(Robert Millikan、1868-1953)米国の物理学者。素粒子の電荷に最小単位(電気素量)があることを発見。宇宙から地球に降り注ぐ粒子に宇宙線(cosmic ray)という名を付けた。高エネルギーの宇宙線の中には、元素を変容させる作用をするものがあることが知られており、チベットの高地が観測場所に選ばれることが多い。

『治癒者、聖パンテレイモン』
(部分、1931年)ニコライ・リョーリフ作、
ニューヨーク市ニコライ・リョーリフ美術館所蔵。

しかし、先ほどのような能力をすべて備えているとしても、それだけではリシと呼ぶことはできません。リシの中でも、偉大な精神の持ち主であるヴィシュヴァーニ師(Sri Visvani)は素晴らしい講話を行います。道を究め、善を説くこの精神的指導者の語る言葉には、多くの人が心からの崇拝を寄せています。彼は次のように語っています。

「思想家、賢者、予言者に従う指導者を持つ国家は幸いである。リシたちの言葉を、着想の源にする国家は幸いである。リシは、慣習や因襲や大衆におもねることなく、ただ真理にのみ頭を垂れる。リシは人類の偉大な反逆者である。彼らは、現代に見られる『快適さへの信仰』(comfort-cults)を引き裂く。彼らは、過去に順応することを拒む偉大な人たちである。慣習に追従することでなく、真理こそが彼らの行動指針だからである。今日の我々に必要とされるのは、宗教、政治、教育、社会生活のいずれにおいても、この反逆精神なのだ。」

何と目の醒めるような言葉でしょうか! すべてのリシが火渡りしたり、生き埋めにされても死なない技法を追求したりしていたわけではありませんが、リシは誰もが、世界の役に立つために、心の深奥に関わる何らかの分野に全身全霊で取り組んでいました。そして誰もが、優れた技を身に付けた菩薩(Bodhisatva)として、新たな成果を人類の進歩に付け加えていました。彼らの一人ひとりが、洗練された美しい世界を再び構築するという厳粛な誓いを、自分自身の言葉で表明しています。

ある一人のリシの人生の記憶を、町全体を挙げて保持している都市があります。善のための誘導灯、雷防止装置もしくは砦として、リシたちは立ち上がったのでした。彼らは国籍も宗教的信条も年齢も様々に異なりましたが、誰もが、「万人が救済され至福の地に達する」ことを目指していました。

火の上を歩いて来る者も、石の船で漕いで来る者も、はたまた、竜巻に乗って来る者もいましたが、リシたちは常に〈善〉に駆り立てられていました。リシたちは、山の頂上から、川沿いの高地から、あるいは人知れぬ洞窟から、名も無き人たち、よそ者たち、激しい労働にあえぐ人たち、病人や障害者たちに向けて、絶えず祈りを送っていました。名もなき旅人を救うために白馬を送り出したり、名もなき船乗りたちを祝福したり、夜の町を守っ たり、リシたちは万人のための光の柱として、まっすぐに立ち、不平を言うこともなく、情熱の炎が消えてしまうこともありませんでした。リシ同士は、他を非難することも、互いに不信を抱くことも、相手に屈することもなく、永遠なる須弥山(訳注)の頂上を目指して登り続けていました。

訳注:須弥山:ヒンドゥー教や仏教で、世界の中心にあるとされる想像上の山。山頂は神々の住む世界とされる。

私たちの前に、カイラス山(訳注)へと至る道が延びています。この山は、チベットの数々の書物で15の驚異のひとつであるとされており、別名「鐘の山」(訳注)と呼ばれています。山頂を目指す者は、細く鋭い尾根に沿って登らなければなりません。ネズの木々が途絶えたはるか上方、黄色と白色の山ひだが途絶えた上空に、その山頂はそびえ立っています。そこは、パドマ・サンバヴァ(訳注)がかつて歩いた場所とされ、歴史ある修道場ガンド=ラ(Gando-La)にその記録が残っています。多くのリシもそこを歩きました。この山に「鐘の山」という名前をつけた人は、この山が、一切衆生のための鐘、つまりすべての者を救済する鐘、普遍的な善の鐘であると考えたのです。ここにリシたちが暮らしていたのは、普遍的な善のためでした。山道でリシ同士が出会っても、互いに相手に次のように尋ねることはありません。どこから来たのか? 東からか、西からか、南か北か? 答えは明らかです。彼らは善から来て善へと向かうのです。高い境地に達した洗練された情熱的な心は、善がどこにあり、何の中に見つかるのかを知っています。

訳注:カイラス山(Mt.Kailas):チベット自治区南西部にある山。標高6714m。シバ神が瞑想している山として、ヒンドゥー教徒の信仰の対象になってきた。チベット仏教では須弥山になぞらえられている。

鐘の山(Mount of the Bell):宇宙の根源的音とこの山は響きあうという伝承がある。

パドマ・サンバヴァ(Padma Sambhava):チベット古派密教の始祖とされる。グル・リンポチェ、オギェン・グルとも呼ばれる。

ガンド=ラ(Gando-La):詳細不明。

あるとき旅の商人たちの間で、あるリシや、また別のリシに、どのような能力が備わっているのかという議論が湧き起こりました。すると一人の白髪の巡礼者が、この上なく美しく輝く雪の峰を指さして、こう言いました。「この峰々の優劣なんぞ、どうしてわしらにわかろうか。手の届かぬ峰々の輝きを讃えて頭を垂れることだけが、わしらにできることなのじゃ。サティヤム、シヴァム、スンダラム!」(真実、愛、美)

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