投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2024/09/07

ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)は、インドの西ベンガル州の州都コルカタ(旧名カルカッタ)に生まれた詩人、劇作家、哲学者、作曲家です。詩集『ギーターンジャリ』でアジア人として最初のノーベル文学賞を1913年に受賞しています。

ラビンドラナートの父デベンドラナートは、インドの伝統的宗教であるヒンドゥー教の熱心な信者かつ研究家でした。ラビンドラナートは彼の14番目の末子で、とても甘やかされて育てられたとのことです。

タゴール家はコルカタの大財閥であり、ラビンドラナートは英国に2回留学しています。しかし、当時の英国の教育は彼の肌に合わなかったらしく、いずれのときも卒業できずに帰国しています。(*1)

ラビンドラナートは1901年に、息子などの教育のために青空学校を創設しましたが、ノーベル文学賞の賞金をこの学校に発展のためにすべて注ぎ込み、この学校は彼の死後の1951年に国立のビシバ・バーラティ大学(タゴール国際大学)になっています。

タゴールは特に詩人として有名ですが、音楽家として2000曲以上のベンガル語の歌を残しています(*2)。インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(人々の意志)はタゴールの作詞・作曲であり、バングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」はタゴールの作詞です。

1905年にインドを植民地統治していた英国は、ベンガルの人々の間に広まっていたインド独立運動の力を削ぐために、ベンガル州をヒンドゥー教徒の多住地域とイスラム教徒の多住地域に分ける法律を出します。

この法律には民族運動支持者の多くが猛反対し、かえってインド独立の機運が高まることになりました。「ひとりで進め」は、この法律の施行と同じ年の1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌です。この時期ラビンドラナートは政治運動に加わっていましたが、暴力や党派争いに幻滅し、1907年に故郷に戻り、瞑想と教育に専念する生活を始めます。(*1)

彼はこの時期に書いたベンガル語の詩集「ギーターンジャリ」を自身の手で英訳し、この英訳詩集が理由で1913年にノーベル文学賞を受賞します。

その後、人間性の重視と国際平和を主なテーマとして評論、詩作を行ったほか、世界中を講演して回りました。そして、1941年に病気で亡くなっています。1947年にインドが独立を果たすと、タゴールは、マハトマ・ガンディーと並ぶ、その功労者と見なされるようになります。

「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌であり、マハトマ・ガンディーや、他の多くの人たちが愛した歌でした。

調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、もともといくつかの種類があるのかは私には分かりません。以下の歌詞はYouTubeチャンネル「Vリリカル」(VLyrical)にアップロードされている、インドの歌手シュレヤ・ゴシャル(Shreya Ghoshal)さんの歌の英訳の歌詞(*3)を筆者が日本語訳したものです。

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

もし皆が口を閉ざすなら。おお、不運な我が友よ、もし皆が、あえて語らないなら

誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら

心を開き、できるだけ大きな声で、あなたの考えをそのままに、ひとりで語れ

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら

もし皆が離れていくなら、おお、不運な我が友よ、もし皆が逃げ出すなら

困難な道に沿って歩いているとき、誰もがあなたを見捨てるなら

道が茨に覆われていたとしても

それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

もし誰も光を掲げないなら、おお、不運な我が友よ、もし誰も光を示さないなら

もし雷雨の暗い夜に、皆があなたの前で扉を閉め切るなら

まさにその稲妻で胸に火を灯し、ひとりで道を照らせ

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め


タゴールの詩をもう一作紹介します。詩集『ギーターンジャリ』に収録されている作品です。(*1)

私はその日が来るのを知っている

――そのときはこの地上を見る私の視力は失われ、生命は無言で暇乞いをして、最後のカーテンを私の眼の上にひくだろう

それでも星たちは夜眺めているだろうし、朝は前と変らずに明けて、時間は海の波のようにもりあがって喜びと苦しみを投げつけるだろう

この最後の時を思うとき、時間の堤は破れて、私はあなたの世界とその投げやりにされた宝を、死の光の中に見る。最低の席というものもなく、一番卑しい生命というものもない。

私が空しく求めてきたもの、私が手に入れたもの

――そういうものはどうでもいい。ただ私に本当に所有せしめよ、私がこれまでないがしろにし、見すごしてきたものを。

(出典*1)


以下に、バラ十字会の研究家が書いたタゴールについての記事を紹介します。

 インドの偉大な詩人で哲学者であるラビンドラナート・タゴール(1861-1941)がまだとても若かった頃、彼の父親はタゴールに、本を置いてヒマラヤの山々に登ることを強く勧めました。細かい経緯は分かりませんが、ヒマラヤの雪に覆われた威厳ある山並みの光景から、この若者は新しい世界観を得ることになりました。

この地で彼は、その後の人生でずっと忘れることなく大切にしたビジョン(vision:理想像)を手に入れました。それは自由な世界というビジョンであり、この世界では愛と理解に、国境よりも深い意味があるとされます。ここでは男も女も兄弟姉妹のように支え合って暮らし、科学者は人々の役に立つために研究を深めることができます。この世界では人を疑う理由などありません。というのも、戦争は人々の友情と愛によって禁止されているからです。

おそらくラビンドラナート・タゴールほど平和を愛し、戦争を憎んだ人は、誰一人としていなかったことでしょう。やがて彼の母国では、彼の名前を誰もが知るようになり、裕福な人々にも、とても貧しい人々にも、彼の詩が知られるようになりました。彼の歌は、人々が集まる街角でも、そして国を遠く離れた隊商(caravan:キャラバン)の列でも歌われていました。世界平和の夢を歌った彼の詩に、無数に多くの人々が心を揺り動かされました。

Nobel Prize in Literature

若い頃のタゴール
若い頃のタゴール

1913年にタゴールにノーベル文学賞を受賞するという栄誉がもたらされました。アジア出身の人がノーベル賞に選ばれたのはこれが初めてのことでした。そしてインドの偉大な天才の受賞は、あらゆる方面からの称賛をもたらしました。

ラビンドラナートに惹きつけられた英語圏の読者の中に、インドの人々と同じくらい熱烈な一人の信奉者がいました。それは、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツです。彼は、このインドの詩人の詩集のひとつに序文を贈っています。その中でイェイツは、この著名なインド人の作品を見いだしたときの驚きがいかに大きなものであったかについて述べています。しかし、イェイツがこのことをベンガル人の医師に語ったとき、医師は少しも驚いた様子を見せませんでした。医師は言いました。「私は毎日ラビンドラナートを読んでいます。彼の詩の一行は、世界中のすべての厄介事を忘れさせてくれます。」

1916年にタゴールは、アメリカへの旅をしました。それは、多くの人の思い出に残る旅となりました。彼はどこに行っても多数の人々の注目を集めました。母国の盛装を身につけて歩く、穏やかな眼をした男性は、人々の記憶に長い間留まり続けました。彼は長い茶色のローブをまとい、長老のようなあご髭と、鉄灰色の髪が印象的な人物でした。彼がほほ笑むと、顔全体が人間への深い愛に照らされているように見えました。

1916年の日本への訪問の際も、彼は同じように人々に深い印象を与えました。あるときラビンドラナートは、若い人々のグループに講演をするために招待されました。その少年少女たちは、心を動かされ、そして彼を敬慕するようになりました。というのも彼らは、この礼儀正しい訪問者から、愛嬌(あいきょう)のある告白を聞いたからです。「私のことを怖がったり、私が皆さんに長々と話をするつもりだとは思ったりしないでください。私は、自分が灰色のあご髭と白い髪をしているために、そしてゆったりとした長いインド風のローブを着ているために、いくぶん恐ろしく見えることを存じています。そして外見から私を知った人たちは、私が老人であるというばかげた誤解をして、私に上座を譲り、少し距離を置いて敬意を払ってくださることも存じています。」

「しかしもし私が皆さんに、自分の心をお見せしたら、実は未熟で若いことがお分かりになるでしょう。おそらくは私の前に立っている皆さんのうちの何人かよりも私の方が若いかもしれません。そして皆さんは、私がとても子供じみた人間であるのを知ることでしょう。優れた知恵のある現代の大人が信じているとすれば、きっと恥ずかしいと思われるようなことを私が信じているからです。というのも、私は理想的な人生があることを信じています。また私は、小さな花の中に、その美しさに隠されてはいるけれども、強い命の力が存在していて、その力は、機関銃などよりも強いと信じています。また、鳥のさえずりの中には〈自然〉が自体の力を表わしていて、その力は、激しく続く砲撃の、耳をつんざくような轟音(ごうおん)に現れている力よりも強いと、私は信じています」。

何と驚くべき、そして深く考えさせられる言葉でしょうか。ラビンドラナート・タゴールが、実際にどのような思想家であり、詩人であったのかを、この言葉ほど明らかにしてくれるものはないでしょう。さらに、すべての大国が強力な軍備を築きつつあった時代に、彼は恐れることなく、人間が友愛で結ばれている世界を夢見たのです。

それはひとりの詩人の愚かな夢に過ぎないのでしょうか。おそらく、私たちにそのように信じさせようとする、地位の高い政治家もいることでしょう。しかし、思慮深い人々はよく知っています。もし、美と善が永遠の存在であるとすれば、この偉大なベンガル人の詩人の理想は、必ず実現します。忍び寄ってくる不信感が国々の間に築いた壁は、必ず崩されることになるでしょう。

ラビンドラナートの死が発表されてから70年以上が過ぎました。しかし、彼の声は今も私たちのもとに届いており、むしろ以前よりもはっきりと大きく聞こえます。それはあたかも、国際的な緊張が新しい局面を迎えたこの時代に、彼が特別なメッセージを運んでいるかのようです

彼の詩の多くで、彼は、世界中の「子供たち」と自分を重ね合わせています。彼はいつも、自然や魂に関することを詩にしました。花や山や雲が、そしてあらゆるものが〈創造主/神〉の存在をそれとなく示しています。こんなにも分かりやすく〈創造主/神〉の愛について語った詩人が過去にいたでしょうか。彼の思いを表す詩のいくつかを読んでみてください。そして、あなた自身で判断してください。

・ 私に考えさせてほしい。未知の暗黒を貫いて私の人生を導いてくれる〈一なるもの〉が、あの星々の中にあるかどうかを。
・ 悪は敗北を受け入れることができない、しかし正義にはそれができる。
・ 人が知恵とともに子供らしさを取り戻すことを、神は待ち望んでいる。
・ 瞬間の騒々しさは、永遠の音楽をあざ笑う。
・ ああ我が神よ、全てを手にしながら汝自身を失った人々が、汝自身以外には何も持たない人々をあざ笑うのです。
・ 裕福な人が、神からの恩恵だと財産を自慢するとき、神は恥じる。
・ 神は偉大な王国に退屈するようになるが、小さな花々には決して退屈しない。

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執筆者プロフィール

本庄 敦

本庄 敦

1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。
スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学(mysticism:神秘哲学)の普及に尽力している。
詳しいプロフィールはこちら:https://www.amorc.jp/profile/

参考文献:

*1 タゴール/山室静訳「タゴール詩集」、2004年、グーテンベルグ21
*2 佐々木美佳著「タゴールソングス」、2022年、株式会社三輪舎
*3 https://youtu.be/r94gSTyH2cM?si=9EYORkHgmCRwjHye、2024年9月6日閲覧

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