資料室

ニコラ・テスラは神秘家だったか?

ガストン・バリッジ

1885年に撮影されたニコラ・テスラの肖像写真(スミソニアン協会、アメリカ国立歴史博物館)

 ニコラ・テスラはおそらく、アメリカ史上最も奇妙な人物でした。間違いなく彼は、現代の偉人に列せられます。多くの人は、彼を有史以来の最も偉大な人物のひとりであると思っています。確かに彼は、最も輝かしい発明家と評価されています。アメリカ合衆国政府が彼に認めた特許は115件を数え、他の国々の特許も多数ありました。

 テスラの精神は写真のように正確であり、百科全書のように博識でした。一度情報に目を通したら、何年か後でも、ほとんど一言一句そのままに繰り返すことができました。個々の発明品を、単一体として彼は見ていました。最も細かい部分まで、心の中に完全に描いた後に、その品を実際に作り始めるのでした。記憶を新たにするためのスケッチすらなしに、「考え抜いた」機械や装置を、その何年か後に作ることができました。

 彼は必要とした着想を、あの最高の〈源泉〉から――あるいはどこであれ着想が来たところから――受け取ったり、奪ったり、選択することができただけではなく、それを製作し始める前に、その外観デザイン、三次元的な物質的外装を精神的に操作することができたので、それ以外の準備を全く必要としなかったのでした。彼は試行錯誤をする発明家では、全くなかったのでした。

 このような成果を得るほどに同調をなし遂げていたという事だけで、テスラは真に神秘家であったという結論を出すための堅固な基礎になります。しかしながら、もしそう言われたとしたならばテスラ自身は、そのような結論を真っ先に否定したことでしょう。「人間の精神」は肉体の一部であり、肉体が死んだ時には精神も共に死ぬのであるということを自身が信じていると、何度か彼は明確にしておきたかったようです。しかし自分の述べた事を彼は本当に信じていたのでしょうか?

  たとえば、自身の最も偉大な発明品である交流誘導モーターを可能にした回転する磁界について熟考し、たとえわずかであっても、その「科学」を理解することだけしか彼には出来なかったのでしょうか? それを熟考し、その仕組みを「感じる」ことだけ、それを可能にしている「物理的」効果だけを知ることだけしか、彼にはできなかったのでしょうか?

 「電気」と呼ばれている力を自分の意志に従わせることにおいて、テスラが行なった以上の業績をあげた人はおそらく誰一人としていませんでした。

  しかし彼は決してその力が「何」であるかを知ることはなかったのです! ニコラ・テスラは奇妙な人物でした。しかし、自分が実際に何を操作しているのか、それはどこからやって来るのか、あるいは、――何にもまして――なぜ自分がそれを行なうために選ばれたのかについて決して考えてみないほどに、テスラが奇妙な人間であるとは全く想像できません。どの時代とも同じ様に、当時も世界は明敏な若者で溢(あふ)れていました。

 頭の中で完全に解決できなかった事柄をテスラが恐れていたということはありえるでしょうか? 恐れていたので、それらの事柄をいわば否定することによって、ドアの後ろに隠したのかもしれません。あるいは、若い時に彼は、世の中での科学者としての自身の地位は不確かなものであると、その地位を揺るがすかもしれないものを避けなくてはならないほどに全く不確かなものであると感じたことはあり得るでしょうか? 晩年になって、自分が若い頃に間違っていたことを、心の中にあったすべてを前もって解決することができなかったと認めるのを彼は望まなかったのでしょうか?

 テスラはわざわざ回想録を書いたりしませんでした。そのため、彼が本当に何を考えていたのかについて確実なことは決して分かりません。彼はまた、生きている間に、他の誰かが自分の伝記を書くことを許可しませんでした。そこで〈普遍的流れ〉の栓を何らかの形で空けていたように思える他の人々と同じ様に、テスラは頭に描いていた秘密の大部分と一緒に死んだのです。彼は自分が130歳まで、あるいはおそらくは150歳まで生きると信じていました。80歳になっても、十分な時間があると彼は感じていました。彼は考え深い人であったので、深刻な病と共にベッドで過ごしてきた全ての月日がありながら、たとえ100歳であっても自分がそれまで生きるという考えを、なぜ正しいと思うことができたのかを理解することは容易ではありません。しかしこの点でもまた、ニコラ・テスラは奇妙な人物だったのです。

 12歳の時にテスラは、肺の空気を入れ替える深くリズミカルな呼吸を学びました。それは溜(た)まっていた二酸化炭素を排出し、有用な酸素で肺を刺激することでした。このことで肉体の化学的均衡が変化しました。そのことにより、秘術の実践家に知られているのと似た体験をするように彼の脳は準備されました。

  テスラが行ったすべてのことにより私たちは、彼が独特な思想家であったという結論に導かれます。彼は常に新しい概念に触れようとしていて、一度意識に入った新概念を立証したいと切望していました。未知の現象が起こった時には、後に通常の方法でそれを適用できる場面がないかに常に彼は気をつけていました。特に彼は「誘発作用」、つまりわずかな力を使うという行為が、拡大したり、力の集中を解放したりする作用に興味を持っていました

  このことに関して彼が最初に学んだのは、まだ少年の頃でした。彼は故郷のリカ(旧ユーゴスラビアの一地方)の山でハイキングをしており、そこで雨まじりの吹雪に襲われました。少年たちは雪まみれになって進みました。若かったニコラは手のひらで雪の玉をいくつか作り、それを丘の下に投げました。それらは短い距離を転がり、転がりながら大きくなって、切り株か、落ちていた枝にぶつかって止まりました。それを見ていることは我を忘れるほど面白いものでした。最後のひとつを投げる前までは・・・。

  この最後のひとつには、状況と時刻、場所がすべて揃(そろ)っていました。それは転がっては大きくなり、転がり続けてどんどん大きくなって行きました。山の斜面は長いものでした。雪の玉はどんどん大きくなって行き、落ちていた柴や森のごみを、雪とともに巻き込みました。大きくなるにつれ、そのスピードも急に増しました。大きな玉は小さい木々を折り、スピードのついた巨大な塊の中に巻き込んで行きました。若かったニコラは畏れを持って、呪文で縛られたように、立ちすくんでそれを眺めていました。

  転げ落ちる巨人のような雪の玉が、大きな岩を巻き込んだ時に、畏れは恐怖に変わりました。それはよく育った木々も折り、なぎ倒し、巻き込んで、まるで蛸(たこ)のようになり、ゴロゴロ転がって、踏みつけながら砕いていく破壊の道筋を進みました。

  この怪物は最後には谷底に落ちていきました。その墜落はほとんど地震のような激しさで周囲の山々を揺さぶりました。もし状況が揃えば、〈自然〉は何ができるのかということをテスラは決して忘れはしませんでした

錬金術と啓示

コロラドスプリングスでのテスラの実験所の外観、 45メートルの支柱の先に直径75センチの金属球が設置されている。
(スミソニアン協会、アメリカ国立歴史博物館)

大学時代の始めの頃の一時期、テスラは奇妙な病気に苦しんでいました。けれども、それは病気だったのでしょうか? 肉体的感覚のすべてが極端に鋭敏になり、実際のところ、その感覚と一緒ではほとんど生きていけないほどにまでなっていたのです。数部屋先にある腕時計の音が、重いハンマーが金床を打つ、大きく響き渡る音に聞こえました。

  街の普通の交通の振動が、長く続く地震のように思えました。最も弱い光の一閃は棘(とげ)のようでした。彼の皮膚にごく軽く触れたものが、あたかもとどめの一撃のようでした。彼の脈拍は一分間に150を数えたと思ったら、次にはほとんど脈がなくなったりしました。

  彼のこの症状は、著名な医師の幾人かの注意を引きましたが、誰もテスラに何もできませんでした。彼は間違いなく命を懸(か)けて戦っていて、そしてその相手は目に見えない何かで、それについては誰一人として何も知らないようでした。交流誘導モーターの基礎部分を開発しようと奮闘している時期にこの病気は起こりました。この病気の数ヶ月間、彼は直観的にこの発明の解決にどんどんと近づいているということが分かったのですが、しかしあたかも、自分がべとべとした大きなクモの巣につかまったハエのようであると感じていました。このモーターの問題を考え抜くために生きようという自身の決意によって、死を免(まぬが)れているのだと彼は信じていました。つまり、この子供を生み出さねばならないと彼は感じていたのです。この使命なしには、彼の健康状態を作り出していた特殊な問題も、いわば「額に油を塗られて」特別な人として選ばれることも、彼に起きることは、明らかに無かったことでしょう。

  彼は生きていました。しかし頭に描いた子供は何ヶ月間たっても生まれませんでした。それが生まれた時、それは日暮れ時にやってきました!

  それはブダペスト市で起こりました。1882年の穏やかな2月の午後の事です。テスラは友人と都市の公園をぶらついていました。日没の光が街を照らしました。雄大な雲のオーケストラが、色のシンフォニーを大きく奏でていて、それが最高潮に達しました。テスラはゲーテの『ファウスト』の一節を友人に暗唱して聞かせているところでした。彼がその一節を最後まで暗唱することはありませんでした。というのも、壮麗な彩りから、あるものがやって来たからです。テスラは立ち止まり、口をぽかんと開けました。光が彼の目を満たし、空の光のように燃え上がりました。そして、誘導モーターの問題の答えがやって来たのです! テスラはそれを細かい部分まで完全に見ました。個々の部品は正しく役に立つものでした。コイルは正確で、連結の図は完璧でした――そして人類への最も大きな恩恵のひとつが、テスラの心に永遠に刻み込まれました。この数秒の間に、ニコラ・テスラは人々を車輪の上に乗せることを可能にしたのでした!

物質的成果

 その装置の実際に動作する試作品を、現実に製作する時間と設備を彼が見出(みいだ)したのは一年以上も後のことでした。下絵も、スケッチも、いかなる種類のメモ書きもなく、テスラが一つ一つ最初の試作品を組み立てたのは、ストラスブール市の機械店でした。様々な部品について考え抜いていたために、それらが合うことが彼には分かっていました。すべての部品が完成し、彼は組み立て始めました。それらのすべてはぴったりと合いました!今日(こんにち)製造されている誘導モーターの全てと同じように、彼の装置はスムーズにどちらの向きにも動きました。

  1892年にテスラは、『高周波数、高電位の交流についての実験』という題名の講義原稿を書きました。1904年には、この講義は本の形で出版されました。53ページから58ページにおいて彼は「電線1本のモーター」と「電線なしのモーター」についての情報を、照明用の真空管と低圧管の様々なデータとともに述べています。今日のネオンサインは、テスラの初期の仕事の成果であり、X線についての私たちの知識の多くもそうです。

  私たちが音楽と呼ぶ振動の分野で倍音が重要な役割を演じているように、テスラは初期の実験でワイヤーのコイル、すなわちインダクタンスが、交流電流の場における調和振動(倍音)に反応することを知りました。特定の波長用に巻かれたコイルで実験を行い、実験室の他のいくつかのコイルもまた反応し、別のものはしていないことを彼は見出しました。調査により、反応しているコイルには、彼が作動させていたコイルと特定の関係があることが示されました。この関係は調和振動の波長である事が発見されました。

  現代の幾人かの研究者は、〈宇宙〉に含まれている振動、適切な調和的関係にある振動に同調する方法をもし会得すれば、〈宇宙〉のエネルギーという源泉の栓を空ける事が可能であると信じています。そしてこれらの振動的な調和的関係においては、物理的なものと形而上学的なものとが明らかに、初めて手を結ぶ事ができるのです。このことから再び私たちは、おそらくは自身が考えていたより以上に秘教的問題にテスラが接近していたことを見出します。

  テスラはコロラドでの実験で何をなし遂げたのかということに関する完全な話は一度も発表されていません――そして決して知られる事はありません。それはテスラとともに去りました。しかしながら彼自身は、地球が強く帯電していて、自然には地球をそのような帯電状態に保つ何らかの神秘的な方法があるという事に完全に納得していたという事が知られています。このことから、地球が巨大な発電機であり、そのエネルギーを使用する事ができると主張してきた人々は、私たちがそう信じるのを喜ぶ人達もいるでしょうが、「不注意な人々」ではなかったし、今もそうではないことが明らかとなるでしょう。ことによると、大地に差し込まれた棒の先に設置された適切な共振装置によって、不体裁(ふていさい)な電柱とその上の電線はいらなくなるのかもしれません!

巨大なテスラコイルがテスラの周囲で数百万ボルトの放電をしている間、彼は平気で読書をしている。(バーンディ図書館)

  コロラドでテスラは、電力が電線なしで送受信できる事を明確に確認しました。彼は実際に、このことを40キロ以上の距離でなし遂げました。大地は強く帯電しているという事実とこの事実を結びつける時、大地、ないしは〈宇宙〉、あるいはその両方に利用可能なエネルギー源があるという可能性を指し示す考慮に値する証拠となります。

  もしニコラ・テスラが、自身の周囲の神秘にちょっと触れただけなのでないという証拠を、さらに必要とするのであれば、ジョン・J.オニールの著作、『有り余る天賦の才、ニコラ・テスラの生涯』(Prodigal Genius, the Life of Nikola Tesla)の316~317ページに見出す事ができます。科学者についてかつて書かれたうちで、最も美しい物語のひとつがここに明かされています。それは胸がいっぱいになる、心の奥底に触れる物語です。

白い光

 テスラはニューヨーク市のハトを愛していました。自分の食費さえ削って、何年もハトにえさを与えていました! 彼が住んでいたホテルでは、彼の部屋の窓は常に開け放たれ、お気に入りのハトが飛んで入り、ハトのために彼が特別にこしらえた巣で休めるようにされていました。お気に入りたちの中でも、特に一羽のハトをテスラはとても可愛がっていました。彼女は純白で、羽の先だけが淡い灰色でした。テスラはどこに行っても、このハトは自分を見つけるのだと言いました。テスラがそのハトに会いたい時は、ただ呼ぶだけで、彼女はどんなに離れたところにいても常にやってきました。テスラはこの鳥を愛していましたし、彼女も自分を愛しているのだと信じていました。自分が彼女を飼っている限り、自分の人生に目的があるように彼は感じていました。

  テスラは次のような話を伝えています。ある晩、彼がいつものように部屋の暗がりに横になり問題を考え抜いている時、このハトが開いている窓から飛んできて、机の上に止まりました。彼女が自分に何かを望んでいる、ある重大な事を自分に伝えたいと思っているのが分かったと彼は言っています。彼はベッドから起き上がり、彼女のところへ行きました。

  テスラが彼女を見るやいなや、彼女が来て伝えたかった事が何なのかを悟りました。彼女は死にかかっていました。彼女の目を貫く強い一条(いちじょう)の光からこの事が分かりました。その光は強かったと彼は述べています。それはまばゆい、白い点のように輝いていました。その光は、彼が実験室でかつて作り出したどんな光よりも力強かったと彼は言っています。

  そのハトが死んだとき、テスラの人生から何かが失われました。この瞬間まで彼には、着手した事はすべて、その計画がどれほど野心的なものであったとしても、完全になし遂げるであろうという感覚が常にありました。しかしこの瞬間を経験した後に彼には、自分のライフワークが完了した事が分かったのでした。そして、終わってしまい戻らぬように思えました!

  彼は毎日、ハトを養い続けました。彼はその中に何かを、あるいは誰かを探しているようでした。このことについて尋ねられた時、彼はこう答えただけでした。「結局、誰が教えられるのか…

  ニコラ・テスラは生涯のほとんどを一人で過ごし、亡くなりました。1942年の最後の数ヶ月間は、ほとんどの時間をベッドで過ごしました。彼の精神は明晰でしたが、肉体的には弱く見えました。彼はホテルの従業員たちに、何かをお願いするまでは邪魔をしないで欲しいと言いました。1月5日の火曜日の朝に彼は、メイドを部屋に入れて整頓をするように頼みました。それから、邪魔されたくないので、部屋に誰も入れないでくれと頼みました。ニコラ・テスラはそれ以外には何も言いませんでした。知られている限り、それが彼の最後の言葉でした。

  1月8日の金曜日にメイドが彼の部屋に入り、彼が死んでいるのを発見しました。

 警察が呼ばれました。検視官の判定は、テスラが前日の晩、1943年1月7日に自然死したという事でした。FBIの関係者がやってきて、部屋の金庫を開けました。調査のために書類が持ち去られたと記録されています。テスラは戦争を起こす可能性のある秘密の発明を続けていたと思われていました。

  第二次世界大戦のために、ニコラ・テスラの死は小さなニュースになっただけでした。それ以後の混乱のため、彼はほとんど忘れ去られました――しかし全くというわけではありません。沈んでいく陽の目もくらむほどの光から、テスラの最も偉大な発明と業績が始まりました。ハトの目のまばゆい白い光から、その業績の終わりがもたらされました。さて、ニコラ・テスラは神秘家だったのでしょうか?

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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