投稿日: 2026/01/14

以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

区切り

エジプト~神秘学派の発祥の地
Egypt – As the Cradle of Mystery Schools

アール・ド・モット
By Earle de Motte

エジプトのレリーフ

地中海周辺における入門儀式(訳注)を行なう神秘学派(Mystery school)の発祥の地がエジプトであるという主張に、一部の学者は異を唱えています。しかし、密儀(訳注)の伝統を創案して発展させる役割を果たしたのは第一にエジプト人であったという意見には多数の支持があります。そしてこの伝統は、現代のいくつかの神秘学派に今も受け継がれています。

(訳注:入門儀式(initiation):地中海沿岸諸国の古代宗教や神秘学派の多くは、入門を望む人に対してそれを受け入れるか拒絶するかを定める儀式を行なってきた。この儀式では秘密を守ることや誠実・勤勉であることへの宣誓が求められ、伝統的知識の一部が開示された。)
(訳注:密儀(mystery):特別の資格を持つものや特定の意図を持つものだけが参加できる秘密の儀式。新たな資格を与えることを目的とする。入門儀式やファラオを王に就任させた儀式も密儀の一種である。秘儀。)

幸いにも、紀元前6世紀から西暦3世紀の間に、ギリシヤ・ローマ世界からエジプトを訪れた旅行者の数名の記録が現存しています。これらの人々は、エジプトの密儀について見聞きしたり体験したりしたことを書き残しています。彼らは特にナイル渓谷沿いの文明の発達ぶりについて述べ、神殿や墓やピラミッド、宗教の密儀に関連するその地の建造物について言及しています。彼らの中には、密儀に実際に参加し、特定の神秘学派の入門者として認められた者さえいました。極めて私的な儀式を目撃した人たちや、入門志願者として受け入れられた人たちは、そこで行われたことを口外しないことを誓っていましたが、遠回しな表現を用いてわずかな情報を私たちに伝えています。入門儀式における深く隠された部分について彼らは語らず、ギリシャ文化がまだ若かった時代に「すでに古代」の文化であったエジプトでは、聖職者たちの間に特別の秘密の知識が存在していたことだけを証言しています。作家で講演家のローズマリー・クラーク(Rosemary Clark)によれば…

ギリシャ人が認めているように、ギリシャ文化の密儀の伝統は、エジプトからの借りもの、ないしは文字通りの模倣である(脚注1)。

ディオドロス、アプレイウス、ヘロドトス

ギリシャの歴史家ディオドロス・シケリア(Diodorus Siculus)は、紀元前1世紀にエジプトや「肥沃な三日月地帯」(訳注)の各地を旅しました。後に著した見聞録の中で、彼はナイル川を訪れた11人の著名人を列挙しています。彼らの証言の一部を見てみましょう。

(訳注:肥沃な三日月地帯(Fertile Cre-scent):チグリス・ユーフラテス両河川流域からシリア・パレスチナをへてナイル川河口に至る三日月形の地帯。多くの古代文明が栄えた。)

最初に登場するのは、アプレイウス(Apuleius)という2世紀に活躍したローマの旅行家・作家で、『黄金の驢馬』(The Golden Ass)という小説で知られています。この小説の中で主人公ルキウスは、エジプトで入門儀式を授与され、イシスの密儀に入門し、そこで行われた内容の詳細を明かさないという誓いに縛られていると語っています。しかし、10日間の厳しい準備期間を経た後に深い地下にある聖域へと導かれ、そこで夜を過ごしたという事実については隠す必要を感じていませんでした。夜の間にルキウスは死の門にたどり着き、「自然界の四大元素(の試練)を通過して」この世に帰還することを許されたと述べています(脚注2)。

ボーンズ古典文庫版『アプレイウス著作集』の扉絵。アプレイウスの肖像の左右には、フクロウに姿を変えた魔女のパムフィーレと、黄金の驢馬が描かれている
ボーンズ古典文庫版『アプレイウス著作集』の扉絵。アプレイウスの肖像の左右には、フクロウに姿を変えた魔女のパムフィーレと、黄金の驢馬が描かれている

崇高な瞬間が訪れ、彼は真夜中に太陽(太陽神ラーの象徴)が、暗闇を打ち破って出現するのを目にしました。「あの世の主」であるオシリスが太陽と一体になりました。太陽の日々の死と再生(日没と日の出)という営みは、人間の運命を象徴する比喩にあたります。この段階で入門志願者はオシリス、続いてラーと一体になり、ついには四大元素の試練を通過して再生を果たし、天上の神々と冥界の神々に通じることができました(脚注3)。ルキウスはイシスの密儀への入門を遂げ、その1年後にはオシリスの密儀にも入門を果たしたのでした(脚注4)。

「歴史の父」として知られるヘロドトス(Herodotus:紀元前5世紀のギリシャの歴史家)は、ピタゴラスが、エジプトの神秘学派の生まれ変わりについての考え方に触れて、自身の生まれ変わりについての教義を発展させたのであろうと記しており、ヘロドトス自身がエジプトを周遊した際の体験を次のように回想しています。

サイス(ナイル川河口付近の三角州の西側にあった古代エジプトの都市)で、その名を口にするのも憚られる、ある人物の墓が見つかっている。ある湖の上で夜に、エジプトの民はその人物が受けた苦しみを再現している。彼らはそれらを「密儀」と呼ぶ。私は密儀について、宗教上の理由から公言するわけにはいかない(脚注5)。

この墓とはオシリスの墓です。この出来事は、この地の密儀宗教の入門志願者に与えられる指導と体験において、オシリスの生と死と再生が中心的な位置を占めていたことを暗に示しています。ディオドロスはまた、密儀に敬意を払わなくなった当時の風潮について苦言を呈しながら、密儀に秘められている本来の性質について言及しています。

受け継がれてきた言い伝えによれば、いにしえの時代には、オシリスの死の経緯は神官たちによって秘密にされていた。だが時代が下ると、一部の人々の軽率な行いから、それまでは一握りの人々の間で内密にされていたことが、多くの人によって噂されるようになってしまった(脚注6)。

変容体験の記述

時は流れ、エジプトがギリシャ人とローマ人によって占領されると、このことによってエジプト文明が衰退するとともに、かつて秘密だった内容の一部が徐々に明るみに出るようになりました。次に話題にするのはローマの哲学者イアンブリコス(Iamblichus)ですが、彼は入門儀式の過程について、以前よりも自由に語ることができました。彼は、聖なる神秘劇に用いられる物品や魔術のようなものについて言及し、オシリスの生涯を描いた劇はすべて象徴的な内容のものであったと指摘しています。ですから、特別な知識を探求する者は、儀式や象徴だけを通して、神聖な物事についての秘められた意味と認識を手に入れなければなりませんでした(脚注7)。イアンブリコスはさらに、神官たちはこの世からあの世へと意識を移動させることができ、神々と交信することを通して英知を手に入れていると明かしています。

イアンブリコスより6世紀も前に、プラトン(Plato)は密儀のベールを部分的に「取り除き」ましたが、儀式の詳細を明かすことは避け、密儀が入門者に与える影響について主に論じました。

エジプトの秘密の小部屋で行われるこの神聖な入門儀式の結果として、我々は偽りのない祝福されたビジョン(訳注)を目の当たりにし、清らかな光の中にとどまり、そして自らもまた汚れなき姿になり、牡蠣がその殻に閉じ込められているのと同じように我々を束縛している「肉体」と呼ばれる覆いから解放された。

(訳注:ビジョン(vision):神秘体験の結果得られる、深い洞察や展望を誘発する光景。)

イアンブリコスは密儀の目的を次のように指摘しています…。

…それは、人類が堕落する以前に存在した行動規範(principles)へと人々を立ち返らせることである。

密儀を行なうイシスとオシリスの2つの集団は、その後広く知られるようになり、ローマ帝国全土に広く浸透しました。地中海の他の密儀集団も同様の広まりを見せ、救済を求める人たちの心をとらえようと、さまざまな集団がしのぎを削りました。西暦31年に、ギリシャの著作家であるエメサのヘリオドロス(Heliodorus of Emesa)は、こうした密儀の特異な性質について語り、エジプトの密儀の中には、一般には知られていない知識が含まれており、そのような知識を独占していると示唆しました。彼はさらに、イシスとオシリスの物語には自然界の神秘が隠されており、外部の人には理解できず、ほの暗い光の中で個人的に教えを受け、準備を整えた者だけが理解できるのだと主張しました(脚注8)。

イシスとオシリスの2つの秘儀は、その後広く知られるようになり、ローマ帝国全土に広く浸透した。地中海の他の密儀集団も同様の広まりを見せ、救済を求める人たちの心をとらえようと、さまざまな集団がしのぎを削った
イシスとオシリスの2つの秘儀は、その後広く知られるようになり、ローマ帝国全土に広く浸透した。地中海の他の密儀集団も同様の広まりを見せ、救済を求める人たちの心をとらえようと、さまざまな集団がしのぎを削った

プルタルコスの啓示

アプレイウスのエジプトの秘儀の体験談に匹敵するものとして、プルタルコスの『イシスとオシリスについて』があります。エジプト文学の中でこの著作ほどオシリス神話の全体像を詳細に書き表したものは存在しません。おそらく、この神話が広く知られており祝祭で頻繁に扱われていたので、文字で残す必要はないと考えられたため、これ以外の記録は作られなかったのではないかと思われます。プルタルコスは、さまざまな情報源から取られた断片的な逸話を一つの物語としてまとめました。

しかし私たちの現在のテーマにとって特に重要なのは、オシリスの密儀の神話的な枠組みについてプルタルコスが詳細に述べているということではなく、これらの密儀の性質について、他の重要な点に触れていることです。プルタルコスは、生者の魂であろうと死者の魂であろうと、肉体から抜け出て、目に見えないいわば影の世界を旅しているときに受ける印象は、まったく同じであると書いています密儀の「力」であるネテル(訳注)を軽視すべきではなく、密儀を単なる穀物の生育周期(種まきと収穫の循環)を再現した劇であると考えるべきではいと彼は考えていました。彼はまた、密儀を通して魂が解き放たれる喜びに比べれば、思考や夢によって神々と接触することには限られた価値しかないと打ち明けています。

(訳注:「ネテル」(neteru:Neterの複数形):現代の古代エジプト学者の解釈によれば、当時の神官たちが持っていた観念のひとつであり、唯一の神から発する様々な影響のことを意味する。その源である唯一神「ネター」(Neter)は、限定的な性質を全く持たないので、直接知ることは決してできず、影響であるネテルを通してのみ知ることができるとされる。)

密儀は、人間の唇からは語られることのない天上の美を、飽くなき憧れの念をもって見つめるすべを与えてくれる。

プルタルコスはさらに、さまざまな寺院の奥まった場所に、目立たぬように造られた、式服に着替えるための部屋があり、その壁には碑文が刻まれていたと伝えています。その碑文は、静寂と隠遁のために俗世から離れる必要を示していました。神聖な壁画や象徴的な言葉の存在もまた、自分が神の面前にいるという驚きの念を一層かき立てたことでしょう。

入門儀式で最も重要なのは、オシリスの生涯を描いた神聖な劇が志願者たちの内面に衝撃を与えることであった。志願者たちは、自ら進んで疑似的な死を体験し、感覚を鎮しずめ、世俗的なエゴの働きを一時的に停止させる
入門儀式で最も重要なのは、オシリスの生涯を描いた神聖な劇が志願者たちの内面に衝撃を与えることであった。志願者たちは、自ら進んで疑似的な死を体験し、感覚を鎮しずめ、世俗的なエゴの働きを一時的に停止させる

証言の再構築

エジプトの密儀について見聞きし、時には参加することさえ許されたギリシャ人やローマ人の訪問者たちが書き残した、密儀に関する部分的な開示と、驚嘆の表現のおかげで、私たちは神秘学派の性質を、もはや漠然とした印象ではなく、はっきりした姿で捉えることができます。彼らより後の時代に、壁に刻まれたりパピルスに書かれたりしているエジプトの文書が研究され、入門儀式が行われたさまざまな建物の構造や配置が綿密に調査されましたが、それらを参照しなくても、神秘学派の全貌を知ることが十分に可能です。

入門志願者に求められる心の準備と訓練、儀式の時期や所要時間、さらには儀式を執り行うヒエロファント(hierophants:最高位の神官)の能力や高度な知識についても、ギリシャ人とローマ人が言及しています。入門儀式で最も重要なのは、オシリスの生涯を描いた神聖な劇が志願者たちの内面に衝撃を与えることでした。それは、人間であることの本質とその究極の宿命を入門志願者に伝えることを意図していました。象徴的な記号と比喩的な言葉を用いることは、より深いレベルで理解させるために不可欠な手段でした。

志願者たちは、自ら進んで疑似的な死を体験し、感覚を鎮め、世俗的なエゴの働きを一時的に停止させます。それが突破口になり、彼らの内的な自己は別の領域へと旅立ちます。無意識という影の世界を満たしているあらゆる要素や影響力を通過しながら、苦痛を目の当たりにしたり、実際に味わったりします。旅を終えた内的な自己は肉体に帰り着き、通常の意識状態に戻ります。別の世界でのこの体験には、恐怖の瞬間を味わったり、「祝福されたビジョン」を目にしたり光を浴びるといった体験や、肉体や感覚世界の誘惑から開放されるという感覚が含まれています。

入門儀式を統括する神官

目撃者たちは時に、入門儀式を執り行う神官に備わっていた「魔術的」な力について、畏敬の念をもって語っています。紀元5世紀の新プラトン主義の哲学者であるプロクロス(Proclus)は、エジプト魔術の原理について徹底的に調査した人物ですが、神官が入門志願者の意識状態を変容させる能力について言及しています。明らかに、ヒエロファントたちは「そこ(別の世界)に行き」戻ってきたことがあるのであり、目に見える世界と見えない世界が互いに関係を与え合っていることを十分に理解していたのですこのような経験を通して、彼らは自らの能力を磨いていたのです…。

…それは人間の行動の動機を変化させ、劣った性質に神の美徳を集中させる力である(脚注9)。

超心理学と古代秘伝思想に精通していた著作家のマレー・ホープ(Murray Hope)は、エジプトのヒエロファントには特殊な能力が備わっていたと考えています…。

それは、催眠術のような技術を用いて脳の背後にある隠れた意識に入り込み、意識の奥深くに達する能力であり、そうすることで「微細身体」(subtle vehicles:肉体とは別の精妙な非物質的身体)に繋がることができると考えられる(脚注10)。

しかしホープ自身も、この点には議論の余地があることを認めています。

入門儀式を遂行するという任務はすべての神官に委ねられていたわけではありませんが、それは当然のことです。なぜなら、どれほど進歩した宗教であろうと一般的な聖職者というものが存在しており、特定の儀式や組織を維持するための職務を遂行するために特別に任命された者たちが別に存在するからです。神官階級の中には、入門志願者のような初心者が高度な精神的状態に達するプロセスを促進することができる熟練者もいました。3世紀のローマの哲学者イアンブリコス(Iamblichus)は、このプロセスを入門志願者の側からではなく神官の立場から記述しています。

神官たちは、聖職者としてのテウルギー(訳注)を通して自らの物質的な意識状態を、宇宙の本質を理解できる状態へと上昇させることができた。

(訳注:テウルギー(theurgy):神的秘術、新プラトン学派の人が主に行った神の助けを得ようとする呪術。)

彼らはまた、この知識と能力を使って、神秘学派への入門を望む初心者の意識状態にも、同様の変化を起こすことができたと考えられます。体験することは同じだったのです。それを魔術と呼ぶかテウルギーと呼ぶか、ある人の意識の超心理学的な(psychic)操作と呼ぶかはともかく、入門を許された国外からの来訪者たちは誰もが、エジプトのヒエロファントたちがその技術に長けていることを認めていました。ですから、彼らが非物質的なレベルで働く因果の法則について知っていて、その知識を「奇跡的な」方法で応用することができたという結論を出しても良いように思われます。

神官階級の中には、入門志願者のような初心者が高度な精神的状態に達するプロセスを促進することができる熟練者もいた
神官階級の中には、入門志願者のような初心者が高度な精神的状態に達するプロセスを促進することができる熟練者もいた

神官によってコントロールされていた入門儀式

「魔術」という言葉に含まれる神官の力がどのような性質のものなのかは、儀式の目撃者たちの証言と、極めて間接的に表現された葬祭文書しか拠り所のない私たちには、正確にはわかりません。しかし現代の神秘家ポール・ブラントン(Paul Brunton, 1898~1981)は、入門儀式の過程とその結果引き起こされる意識の変化は神官がコントロールしていたと論じており、その論旨には説得力があります

入門儀式という体験の背景にある原理とは何なのでしょうか…。

…それは、人間の一般的で世俗的な性質が、深いまどろみの中で一時的に麻痺し、日常は気づかれることのない心理学的あるいは超心理学的な性質が、ヒエロファントが知る方法によってだけ覚醒させられるということであった。意図的にこのようなまどろみの状態に陥った者は、傍から見ると肉体的に死んでいるかのように見えるであろう。実際に神秘家たちは比喩的な言葉を用いて、この状態のことを「墓に降りて行った」とか「墓に埋葬された」と表現していた。

こうして肉体の活力が奪われ、感情と欲求の力が一時的に鎮められると、入門志願者は地上のすべての物事に対して真の意味で死んだ状態になり、その間彼らの意識、魂は一時的に肉体から離脱します(脚注11)。このような状態においてのみ、志願者は精神の世界を見たり、神々や他の様々な非物質的存在の姿を目にしたりするようになります。彼らは無限の時空を旅しながら、真の自己を知ります。最終的に彼らは通常の世界に戻りますが、変容を遂げて精神的に再生し、どちらの世界の秘密も携えた者になります。

現代の神秘家ポール・ブラントン(1898-1981)は、入門儀式の過程とその結果引き起こされる意識の変化は神官がコントロールしていたと論じており、その論旨には説得力がある
現代の神秘家ポール・ブラントン(1898-1981)は、入門儀式の過程とその結果引き起こされる意識の変化は神官がコントロールしていたと論じており、その論旨には説得力がある

入門儀式の秘密の小部屋

意識の変容を促す雰囲気を生じさせるためには、物質的な環境が果たす役割も決して小さくありませんでした。古代の著述家たちは、祭礼が催された地名は書き残していますが、その地にある神聖な建築群の内部に人目を避けるように作られた、入門儀式が実際に行われた正確な地点については、はっきりとは語っていません。しかしローマの歴史家アミアヌス・マルケリヌス(Ammianus Marcellinus, 西暦330-400年)は、その存在についておおまかに述べています。

古代の密儀に精通した人々は、その知識を通して大洪水の到来を予言し、神聖な儀式の記憶が失われぬようにと、あちこちに地下通路や複雑な避難場所を築いたと伝えられている(脚注12)。

このような散在する情報に加えて、現代の考古学者によるその後の発見や、発掘された建造物の状態やそれについての理解といったものが、私たちに大きな手掛かりを与えてくれています。入門儀式は地下や人目につかない部屋、広間、廊下などで行われ、その壁には神聖な文字で書かれたメッセージや、それに関連した絵図が刻まれていました。これらは、神話の語りと神官の魔術がもたらす劇的な効果を高めるうえで背景的役割を果たしていました。

エジプトの神殿に刻まれた神聖幾何学に関する著作で知られるルネ・アドルフ・シュワラー・ドゥ・ルビッチ(Rene Adolphe Schwaller de Lubicz)は神殿そのものが建築学的・空間的な関係を通して、秘伝哲学の教えを暗黙のうちに伝えていたと主張しています(脚注13)。一方、ローズマリー・クラークは、エジプトの秘伝思想に関する独創的な著作の中で、デンデラ(Dendera)、エドフ(Edfu)、アビドス(Abydos)の各都市にある神殿には、地下聖所と屋上礼拝所が存在したと指摘しています。

…これらすべては、人生の移り変わりと人間の内面の変容を記念して後世に伝える場所であった(脚注14)。

彼女は宗教的な式典のうち特定のものが「密儀」や「秘密の儀式」(secret rites)と呼ばれるものであることを明らかにしています。それらの式典は、神殿の選ばれたメンバーによって執り行われていました。彼らは神秘劇や手の込んだ式典や儀式を行なうことに携わり、神々の領域であるネテル(neteru)に入りつつある魂を保護し変容させるために呪文を用いていました。

エジプトのルクソール(古代エジプト時代の都テーベ)にあるインヘルカウ(Inkherkhau)の墓の壁画。神官たちが献酒を行う葬列が描かれている。
エジプトのルクソール(古代エジプト時代の都テーベ)にあるインヘルカウ(Inkherkhau)の墓の壁画。神官たちが献酒を行う葬列が描かれている。

これらの神秘劇の様子は、石棺やウナス王(Unas)のピラミッド内部の小部屋に刻まれたりしています。王を就任させるときだけに行なわれる式典の痕跡が、カルナック(Karnak)神殿とルクソール(Luxor)神殿にはっきりと残っています。エドフ神殿では、密儀を見た者に対してその内容を口外することを一切禁じる命令文書が発せられました。秘伝哲学の研究家であったルイス・スペンス(Lewis Spence)は20世紀初頭に次のように記しています。プトレマイオス朝時代のエドフ、デンデラ、フィラエ(Philae)の神殿で…、

秘儀が行なわれた部屋が発見された。これらの部屋は、人目に触れにくく一般の立ち入りが禁じられている神殿の一角に設けられていた(脚注15)。

彼は、フィラエ神殿を例にしてこう述べています。

…そこにはオシリス神を祀る小さな神殿が立っていた。建物の屋根には2つの小部屋が設けられており、プロナオス(訳注)のアーキトレーブ(architrave:扉の化粧縁)には式典の内容がヒエログリフで刻まれていた。

(訳注:プロナオス(pronaos):神殿のもっとも神聖な部屋(naos:ナオス)の前にある入り口の間。)

神秘学派の典型的な建築様式といえば、アビドス(Abydos)に立つオシレイオン神殿(the Osireion)が真っ先に挙がります(脚注17)。この神殿は、地下ホールとして設計され、水をたたえた地下室、屋根を支える10本の柱、その他の構造上の細かい工夫が施されています…。

…これらの構造は、神話に描かれている死と再生を通したオシリス神の変容の過程を象徴している(脚注18)。

リュシー・ラミー(Lucie Lamy)は、神殿の寸法と比率について述べていますが、そこに5と2の平方根が用いられていることを発見しました。これらの数は再生と復活を表します(脚注19)。神話と建築は一体になり、入門志願者が冥界に下降し、オシリスとの同一化を果たすための実際の舞台になったのです。

ここまで見てきたことから、次のような結論が導き出せるでしょう。第一の結論として、当時の目撃者による報告、それに続く現在に至るまでの研究、そして入門儀式が行われた現場を直接調査した情報によって、古代エジプトの秘儀の伝統の深奥にまで迫る洞察を私たちは得ることができました。第二に、エジプトは地中海の古典文明に先立つ存在であり、かつそれらの文明と接触していたことから、ギリシャ、ローマ、そして中東における神秘学派の思想と実践の大部分は、エジプトの地を源泉としていたに違いないと言うことができます。

アビドスにあるオシレイオン神殿の遺跡。神秘学派の典型的な建築様式で、地下ホールとして設計され、水をたたえた地下室を備えている
アビドスにあるオシレイオン神殿の遺跡。神秘学派の典型的な建築様式で、地下ホールとして設計され、水をたたえた地下室を備えている

脚注
Endnotes
1. Rosemary Clark, The Sacred Tradition in Ancient Egypt, Llewellyn, 2000, p. 19
2. Brunton, P, A Search in Secret Egypt, Arrow, 1965, pp. 175-6
3. Spence L, The Mysteries of Egypt, Kessenger, (undated, originally published 1929), p. 226
4. Brunton, op. cit.
5. Quoted in Lamy L, Egyptian Mysteries: New Light on Ancient Knowledge, Thames & Hudson, 1989, p.66
6. Quoted in Leadbeater C, Ancient Mystic Rites, Quest, 1986
7. Lamy, op. cit., p. 66
8. Baigent M, The Jesus Papers, Element, 2006, p. 172
9. Hall M, The Lost Keys of Freemasonry, Penguin, 1976, p. 24
10. Hope M, Practical Egyptian Magic, Griffin, 1986, p. 168
11. Brunton, ibid.
12. Quoted in Murray Hope, op. cit., p. 10
13. Ozaniec N, The Elements of Egyptian Wisdom, Element, 1994, p. 62
14. Clark, op. cit.
15. Spence L, The Mysteries of Egypt, Kessenger, (undated, originally published 1929), p. 210
16. Ibid.
17. これは、セティ1世神殿の裏手にあり、現在もほぼ完全な形で残っているオシレイオン(オシリス神殿)のことであり、そこから1キロほど離れた場所にある、これよりはるかに古く、現在では砂漠の砂の中にわずかな遺構と壁の基礎の輪郭だけが残るオシレイオンとは別のものである。
18. Ozaniac, op. cit., p. 66
19. Lamy, ibid.

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