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数とは何か?【その3】

2020年9月11日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では、何となく空に秋の気配が感じられます。

野原にはトンボがたくさん見られるようになりました。夜はスズムシの音が聞こえます。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

大阪で当会の役員をされている作編曲家の渡辺さんから『数とは何か?』というテーマの第3回の寄稿をいただきましたので、ご紹介します。

 

以前の記事はこちらです。

『数とは何か?』(その1):https://www.amorc.jp/blog/?p=2676

『数とは何か?』(その2):https://www.amorc.jp/blog/?p=2698

▽ ▽ ▽

数とは何か?(Vol.3)

~形而上学における数の概念~

渡辺篤紀

渡辺篤紀

 

前回は、「全体(1)」を「分割」するという考え方について、様々な例をあげて考察してみました。

今回は、この「全体(1)」を構成する「閉じた世界(有限)」と、それとは別の「開いた世界(無限)」について考察してみたいと思います。

らせん状に変形したアンティークの懐中時計

 

■ 閉じた世界(有限)とは?

身の回りにある「閉じたもの」とはどんなものでしょうか?

簡単に言うと、周りと隔てる壁があったり、たとえば時計などのように、ある一定の周期を持つものであると言うことができます。

 

人間も物質的には外界と隔てられた閉じた存在であり、さらに細分化すると、細胞なども細胞壁で隔てられた閉じたものとして考えることができます。

さらに、1個のリンゴなども閉じた存在として考えることができます。

他には、原子、分子なども固有の振動数を持ち、一つ一つが閉じた世界であると言うことができます。

 

■ 開いた世界(無限)とは?

では、「開いたもの」とはどんなものでしょうか?

閉じた世界の反対のものを考えると、それは、隔てるものがなく、一定の周期を持たず、どこまでも果てのないものと考えられます。

 

しかし、無限に広がる「開いた世界(無限)」は、実際に存在するのでしょうか?

 

■ ウロボロス(Ouroboros) ~「有限」と「無限」~

では、「閉じた世界(有限)」と「開いた世界(無限)」を考察するために、それぞれ、「有限」と「無限」に置き換えて、神秘学的な観点から考察してみましょう。

 

下図は「ウロボロス」と呼ばれる、「尾を飲み込む蛇(竜)」の絵です。

 

ウロボロス-自分の尾を噛む蛇

From Wikimedia Commons / Ouroboros / public domain

 

古代文明や錬金術、神秘学においても様々な象徴として用いられていますが、その多くは、「死と再生」や「完全性」をあらわす象徴として、そして「永続性」や「無限性」をあらわすものとして用いられています。

 

下図は、さらに「Α」と「Ω」、「Licht Leben Liebe(光、命、愛)」と書きこまれた興味深い象徴ですが、これは、「ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー」というドイツの哲学者の墓石に刻まれているものです。

 

哲学者ゴットフリート・ヘルダーの墓石に描かれたウロボロス

From Wikimedia Commons / Ouroboros_Herder / Kharmacher / public domain

 

さて、ここで勘の鋭い方はお気づきかもしれませんが、このウロボロスの図は、実は、頭と尾がつながった「閉じた世界(有限)」を象徴するものでもあります。

 

ではなぜ、「閉じた世界(有限)」を象徴するウロボロスが、「永続性」や「無限性」をあらわす象徴となるのでしょうか?

この謎を解き明かす前に、上の図について少しご説明したいと思います。

 

■ 「Α」と「Ω」が意味するもの

「私はアルファ(Α)であり、オメガ(Ω)である」

これは、新約聖書の「ヨハネの黙示録」の中の有名な一節ですが、一般的には、「私(神)は始まりであり、終わりである」と解釈され、神が「始まり」と「終わり」であることが明確に語られています。

そして、この墓碑には、「始まり」と「終わり」をあらわす「Α」と「Ω」の象徴として「ウロボロス」が描かれていますが、その「ウロボロス」の意味するところは、前述の通り「永続性」や「無限性」ですので、一見矛盾しているようにも思えます。

 

そして、これに関連しては、もう一つ面白い例があります。

それは皆さんがよく知っている、神社などにある狛犬です。

狛犬をよく見ると、一体は口を開け、もう一体は口を閉じているのがわかります。

これは「阿・吽(あ・うん)」と呼ばれ、サンスクリット語の真言「aum(a(阿)+hum(吽))」を音写したもので、宇宙の「始まり」と「終わり」をあらわしていると言われています。

まさしく、「Α」と「Ω」と同じ意味を持っていますが、実は、これらは同じ源泉を持っているとも言われています。

 

さて、少し寄り道をしましたが、「有限」であり「無限」をあらわす神秘学的な象徴である「ウロボロス」を、今度は数学的な観点から考えてみましょう。

 

■ 無限とは、どこにあるのか?

数学的には、無限とは、どこに存在するのでしょうか?

 

砂浜の砂の数は無限でしょうか?

夜空の星の数は無限でしょうか?

 

結論から申し上げると、無限ではありません。

これらは、途方もない時間が掛かったとしても数え上げることができ、たとえ膨大な数であっても無限ではありません。

これは、数えられるものに関して言えば、本当の意味での無限というものは存在しないとも言えます。

 

では、無限とは、どこに存在するのでしょうか?

実は、数直線上の「0」から「1」の間に無限は存在しています。

少し数学的な表現になりますが、この「0」から「1」間には、1/2、1/3、1/4などの整数比で表せる「有理数」が無限に存在し、さらに整数比であらわすことができない√2や√3などの「無理数」が無限に存在しています。

 

もう少しわかりやすく言うと、「0」から「1」の間は、「無限に分割」することができる、と言うことができます。

たとえば、「0」から「1」の距離が1cmであるとすると、物理的に無限個に分割することは難しいように思いますが、この「0」から「1」を、第一回目でご説明した「全体(1)」として、あるいは、この宇宙全体とすると、これを無限個に分割することは、どこまでもミクロあるいはマクロな世界を考えれば、可能なように思えます。

 

これを少しまとめると、

● この世界にある数え上げることのできるものは、無限ではない。

● しかし、ある有限な塊は、無限に分割することができる。

となり、さらに簡潔に言うと、「有限」の中に「無限」が存在する、と言い換えることができます。

 

では、最初の「ウロボロス」の絵を再び見てみましょう。

 

ウロボロス-自分の尾を噛む蛇

 

「0(頭)」から「1(尾)」までの「有限」をあらわすシンボルでありながら、その「連続性」によって「永続性」をあらわし、さらに「有限」に対して「無限」がどこにあるのかを、とてもシンボリックにあらわしています。

 

では、他の例を用いながら、「有限」の中に存在する「無限」について考察してみましょう。

 

■ 「キャンバス(有限)」の中の「無限」

たとえば、1m×1mのキャンバスの中に絵を描くことを想像してみてください。

 

Q:このキャンバスのサイズは、言うまでもなく「有限」ですが、このキャンバスに描かれる絵は「有限」でしょうか? 「無限」でしょうか?

A:キャンバスのサイズは「有限」ですが、そこに描かれるはずの絵は「無限」の広がりを持っていると言えます。

 

Q:1台のピアノから生み出される音楽は「有限」でしょうか? 「無限」でしょうか?

A:ピアノという存在自体は、一つの閉じた「有限」のものですが、そこから生み出される音や音楽は「無限」の広がりを持っていると言えます。

 

さて、「有限」と「無限」の関係性が、おぼろげながらにも見えてきたでしょうか?

 

では、これを人間に置き換えるとどうなるでしょうか?

 

Q:人間は「有限」でしょうか? 「無限」でしょうか?

A:人間は、物質的には一つの閉じた「有限」なものですが、そこから生み出されるもの、その精神が生み出す思考や創造性は「無限」の広がりを持っていると言えます。

 

いかがでしょうか?

私たちは、「無限」の中に「有限」が含まれているかのように思いがちですが、実はその逆で、どうやら「有限」の中に「無限」が存在し、これは、以下のように「肉体」と「精神」に置き換えることもできそうです。

 

人間は、物質的な「体」という限界を持ってはいるが、非物質的な「精神」が生み出す創造性には限界はない。

 

では、次回は、数とその象徴性に迫るために、エジプト学の異端児でもあり、「シンボル主義者」である「シュヴァレ・ド・ルービッチ」の思想などをご紹介したいと思います。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

実は、本年中に当会から、図形と数についてのある翻訳書を出版しようとしているのですが、その本の著者によれば、図形や数が持つ象徴的な意味は、時代や文化が異なっても、かなり共通性があります。

たとえば、文化が異なっても、正方形は大地や生活、有限、迷いを象徴し、円は、天空や神、無限、悟りを表わします。西洋でも東洋でも、7はおおむねラッキーな数とされます。

 

さて、近い将来か、はるかに遠い未来のことかは私には分かりませんが、人類が、文明を持つ他の星の生きものに遭遇したとします。

 

使っている言葉や文法はおそらく大きく異なるでしょうが、通訳によって意思疎通ができたとすると、人類の数学者も、異星人の数学者も、きっと1+1が2であることや、平面に描かれた三角形の内角の和が180度であることには同意することでしょう。

 

では、数の象徴的意味についてはどうでしょうか。

異星人は、7をラッキーな数と考えるのでしょうか。

 

無益な想像かもしれませんが、このような疑問は、「普遍」とは何かということに関連しているようにも思えます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

またお付き合いください。

 

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