以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

初心者と奉仕
The Neophyte and Service
レイモンド・アンドレア(1882-1975)
By Raymund Andrea

この記事は、バラ十字会英国本部の元主宰レイモンド・アンドレア著『弟子の技法』(The Technique of the Disciple)の第3章を現在の状況に合わせて修正し要約したものです。
神秘学の道での修練が「厳しい学校」と呼ばれている理由の一つは、日常の行動の動機を逆転させて、個人的でない方に向ける必要があるからです。初心者(訳注)であるあなたは、自分自身のことだけでなく他の人たちのことも考えなければなりません。自己を進歩させるという道に取り組み始めてすぐに、奉仕に身を捧げるという条件を心から受け入れることは、難しいと感じるかもしれません。これは初心者に限ったことではなく、長年にわたって神秘学の道を歩んできた人たちにもしばしば同じことが起こります。
(訳注:初心者:神秘学派を構成する人は、初心者(neophyte:ネオファイト)と参入者(initiate:イニシエート)の2つに分類されることがある。初心者とは、学派に入門することを希望しその準備を整えている人であり、参入者とは準備を終えたことが認められ、入門儀式(initiation)を通して正式に学派の一員になった人のことである。初心者との対照で参入者は、その神秘学派の教えや技法に熟知、熟練している人を意味する。)
このような人たちは、他の人たちの人生に望ましい影響を及ぼすべきだと提案されても、他の人の事情に関心を持つことと自己の進歩の間に、関連を見いだすことができません。神秘の道をかなり進んでからでないと、奉仕という行動原則は、自分には適用されないと考えています。多くの神秘学派で、他の人たちへの奉仕の重要性があまり重視されていないため、このような人たちを責めることはできません。それらの学派はその代わりに、自己の進歩や自己の重要さを高める方法だけにほとんど専念し、個人の能力の向上だけを目的にしています。
もしあなたが物質的な面だけを考えるのであれば、これはある程度正当なことであり、達成も可能でしょう。確かに、他の人たちへの奉仕を特別に考慮しなくても、ある程度の精神的な進歩を遂げることは可能ですが、その進歩は極めて狭い範囲に限られてしまいます。賞賛に値する資質を持つ人であれば、進歩していくうちに、物質的な面だけを重視する限定的な教育にはまったく満足できないと感じる時が来ます。サイキック能力(psychic faculty:超心理学的能力)の発達は、人生に対する利己的な欲求にうまく合致し、実際に不適切に利用されてきました。そのような多くの例が記録に残されています。しかし、魂(soul:ソウル)を進歩させたいと考えるなら、そのような方法では不可能です。この2つの道をよく見比べてみてください。この2つの道は、ある臨界点までは互いに極めて近いところを走っているのですが、それを超えると永久に離れていきます。真の道はこの臨界点で、狭いけれども炎のように輝く奉仕の道へと姿を変えていくのです。
なぜ初心者は奉仕することを学ばなければならないのでしょうか。それは、初心者が切望する内なる師を知ることは、奉仕することによって完成されるからです。初心者としての長い期間を通して、一貫して奉仕をすること、そして効率的に奉仕することを学ぶまでは、内なる師と親密な関係を持つことはできません。しかし、奉仕は必ずしも精神的な性質のものではありません。内なる師の次の言葉にそのヒントがあります。「そうではない。しかし、毎日、毎時間、義務を果たすこと以上に、報われる理由や有益な訓練があるだろうか」。これが内なる師の教えの特徴です。内なる師はあなたを最初の原則に立ち返らせ、あなたが今立っている場所を指し示し、その場所で生産的であるようにと命じます。
それを、あまり魅力的ではないと感じる人もいるかもしれません。もしかしたら私たちは、最初は何か重要なこと、たとえば普通の人が携わっている活動とは違う何かを探していたのかもしれません。あるいは、何らかの形で注目される人物になることを期待していたのかもしれません。精神的な探究の道だけでなく、人生の多くの場面において、このような心の態度は極めて典型的なものです。しかし、ほんの一世代前までは、高潔な心を持つ私たちの先人たちは、このような狭い心にとらわれていませんでした。古代の古典期の文化に属する師たちも、そうではありませんでした。本性を隠し、うわべだけを飾り、過剰に自己顕示する現代の風潮は、彼らにとって何の意味もないことでしょう。彼らは、現実的であり、時代を超えた、控え目な、激励を与えてくれる模範として存在しており、私たちのちっぽけな野心や成果を求める欲求が、真剣に考慮するに値しないものであると教えてくれています。内なる師も古代の師と同じように、奉仕の重要さを教えてくれていますが、当の本人がそれに耳を傾けるようになるのを待たなければならないのは不思議なことではありません。内なる師は、野心や欲求の意識という眠りから私たちが目覚めるのを、次の人生、あるいはさらに先の人生まででも、待たなくてはなりません。私たちは今存在している場所で自分の目を開かなくてはならず、私たちに重くのしかかっている非現実性と誤った価値観という催眠状態を振り落とさなければならないということもまた、不思議なことではありません。
神秘学の道の途上にいる子供のようなものである私たちがこの目覚めの過程において内なる師から示される限りない忍耐を実感すればするほど、師に対する愛情をますます深めていくのは確かなことです。この限りない忍耐は、至高の英知と完璧な慈悲心に基づいた忍耐にほかなりません。時として私たちは、仲間である人間を支配する力が欲しいと考えることがあるかもしれません。もしかしたら、私たちの学習の目的が、注目に値する人物であるという評判を勝ち取ることであるかもしれません。しかしこの態度は、真の達成のための原動力を殺してしまいます。それは禁断の地であり、このような地に足を踏み入れる者は、すぐに幻想の沼に迷い込みます。そのような人が、他の人の魂に影響力を与える指導者になることを望むことができるようになるまでには、長い道のりを歩む必要があります。
肉体的な面と知性的な面では、そのための力を養えば他の人の上位に立つことができますが、精神的な領域ではそうはいきません。精神的な領域では、より強大で純粋な力が必要とされます。個人的な優越感という好ましくない声を、初心者の見習い期間における修練で沈黙させたときに、はじめてそのような力を得ることができます。個人としての声が話している限り、あなたは知性的な領域にいるのであり、その領域から生じているあなたの奉仕は効果的ではありません。それは主に私利私欲によって始動された奉仕であって、奉仕を受け取る人たちは、そのような価値しかないものだと判断することでしょう。

神秘学の道における奉仕とは、あなたがそれを望み、そうする必要があるから行う奉仕です。そのような理想はあまりにも強い自己犠牲の意味合いを帯びていると考えるならば、間違っているのは理想ではなく、目の前の作業に対するあなたの考え方です。ことわざにもあるように「持つ価値があるすべてのものには、支払うべき対価がある」のです。精神的な啓示の道は個人的な道であるため、その道のすべての段階を、自分の手で切り開き、自分の足で踏みしめなくてはなりません。この道は、教師が勝手に作った規定ではありません。受け取るためには与えなければならないというのは、内なる師の領域において、変わることのない条件です。自分のために何かを手に入れ、自分のために生きることを好む人にとっては、これは厳しく屈辱的な条件です。しかし、真の自己認識のための準備段階で満たさなければならない基準に達し、神秘学の道の初心者としての入門儀式を授与されるためには、他に方法はありません。奉仕は進歩に等しいのだという事実を認めなければなりません。
奉仕は必ずしも、神秘学的な性質のものだとは限りません。少し立ち止まって、そのことについて考えてみてください。あなたが、自分の生まれながらの才能を十分に認識したとき、人生におけるあなたの使命が決定されます。自分の才能を認識するまでには、さまざまな分野に取り組みつつ過ごす、何年も年月が必要とされるかもしれません。奉仕の顕著な効用の一つは、奉仕という修練にある特有の力によって、あなたは魂の奥底という領域に導かれ、今までに気づいていなかった能力や、ぼんやりとしか認識できず部分的にしか発揮できなかった能力が開花することです。魂の目覚めは、あなたをさまざまな方向へ、そしてさまざまな人生の歩みへと導くことでしょう。内なる師の弟子たちは、精神的な分野や宗教的な分野だけでなく、政治、社会、経済の分野に携わる人たちの中にも見いだされるということを心得ていてください。
バラ十字会という友愛組織の歴史を研究すれば、そのような目覚ましい例の多くが見つかります。彼らの影響は、文学、芸術、科学、教会、国家、神秘的な啓示、神秘学における業績など、文明世界の全体に見ることができます。それゆえに、初心者である私たちは、奉仕の道について偏見のない心で修練に臨むべきです。そのようにして学んでいくうちに、結局のところ初心者である私たちに、奉仕の道が最適であることが明らかになります。奉仕という訓練を進めると、確かに起こることがひとつあります。それは、あなたが最も得意とすることがより顕著に発揮されるようになり、成熟していくということです。さらに、さほど時間をおかずに、あなた自身が満足し、世界にとって価値ある方向に、自分の能力を適用する道筋と手段を見つけることになります。
奉仕が高度な進歩の鍵であることが、これほど強調されているのを目の当たりにして、失望の影にとらえられて、ここで立ち止まる人もいるかもしれません。そのような人たちには、ただただ、深く同情するしかありません。結局のところ、私たちの多くは、個人として何かを手に入れるという、希望に満ちた野心を持って学習を始めます。しかし私たちひとりひとりは、今、不変の思考原則と行動原理から構成されている技法という厳密な科学の領域に足を踏み入れつつあることを忘れてはなりません。不変の思考法則を、重要ではないとして無視することはできません。神秘学の道における奉仕という行為は魂の力を開放してくれます。
成長は、学習し、さまざまな資料の内容を吸収することだけで達成されるわけではありません。運動選手は、解剖学の詳細な研究や、身体の発達についての考察によって作られるわけではありません。運動選手は、それらの情報を筋力トレーニングや科学的な身体作りに反映する必要があり、達成したい身体能力に合わせたさまざまな精神的調整も行う必要があります。それは神秘学の初心者も同じであり、あなたも、そして私も同じです。私たちが知り、扱おうとしている力は、私たちの中にあり、私たちの周囲にも存在しています。私たちに必要なのは、こうした莫大な力を利用するための鍵です。そしてこの力は、積極的に活用しようとするあなたの意志の呼びかけを待っているのです。
驚くべきことに、信念は私たちの進歩と力の活用に大きな役割を果たしています。私たちが自分の深いところにある本質に気づいていれば、緊急時やストレスが多いときに、進歩のための多くのヒントを得ることができます。状況が許す限り、どのような形であれ奉仕するという着実で継続的な努力は、精神的な生活をどれほど詳細に研究するよりも、はるかに多くのことを私たちに教えてくれます。ある人が困っているときに自信を持って立ち上がり、それに応えるために魂本来の力を発揮するまでは、あなたは、自分に何ができるのかはまったくわからないでしょう。神秘学の道には、熱意の乏しい初心者のための居場所はありません。人生の要求には、熱意に乏しい人に対応する余裕はありません。
神秘学の道においては、行動が必要とされます。怠惰な人たちが十分なもてなしを受け、人生に夢を見られるようにしてくれる団体は数多く存在します。そうしたものはそれを必要とする人たちに任せて、私たちバラ十字会の学習者は、それとは距離を置かなくてはなりません。そうすることで初めて、あなたは世の中において、何らかの形で役に立てるようになり、他の人たちがあなたという模範を見習うようになります。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。
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第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について





