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名誉を重んじることについて

2018年5月25日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では、このところ雨が降ったりして、梅雨が近づいてきたことを思わせます。

いかがお過ごしでしょうか。

 

当会のフランスの代表が先週、名誉をテーマにブログ記事を書いています。その中で彼は、フランスでは最近、倫理的であることがあまり重視されなくなった、手本になる人が少なくなったと嘆いています。

 

このところ日本で話題になっているニュースのいくつかにも、同じことが感じられないでしょうか。悲しいことです。

以下に、この記事の翻訳を紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

 

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「名誉を重んじることについて」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

名誉を重んじる(honneur)とはどのようなことかを辞書で調べると、「自分自身や他の人からの、自分への評価が下がることを行わないようにするという道徳的な原則」とされています。

ですから、名誉を重んじることは、「善と悪を判別する良識」にあたる道徳心と深い関係があります。別の言い方をすれば、名誉を重んじることと倫理観には、切っても切れない関係があります。

そして、正直であること、道義的であること、責任感があること、そして敬意を払うことなどを含むその人の倫理観が、名誉を重んじる態度に反映されています。しかし、これらの倫理は、最近ではあまり重視されなくなってしまったように思われます。

このことは、真の道徳教育が足りていないことが理由なのでしょうか。それとも手本となる人が少なくなったのでしょうか。

 

一方で、名誉を重んじることを、自分の評価を高めるような道徳的な価値観に従うということだけに限定して考えるべきではありません。そこには、倫理的に高い水準にある人たちの素晴らしさを理解し、そのような人に高い評価や敬意を示すということが付け加えられるべきだと思います。

実際に、聡明さや知識、努力、功績が理由で、名誉を与えられるべき人が多数います。地域社会の人々から、あるいは国家から、さらには人類全体からでさえ、尊敬と表彰を受けるに値する人たちがいます。

そのような人と知り合う機会があったら、私たちはそれを名誉なことと考えるべきでしょうし、その人と親密に心を通わせることは貴重な体験になることでしょう。有名であろうとなかろうと、そのような人の多くは、生き方の貴重な手本になってくれます。

赤で統一された表彰舞台―月桂冠と王冠

 

ご存じのように、一部の国には、尊敬と名誉に値する人に対して公の表彰が与えられる制度があります。たとえばフランスでは、受彰者の功績の分野と重要さによって、シュバリエ、オフィシエ、コマンドゥールなどの種類のレジオンドヌール勲章があります。

不必要な議論を起こすことを望んでいるわけではないのですが、これらの勲章の選定基準が、はなはだしく適切でないことが時としてあります。

しかしそれでも私は、この制度を好ましいものだと考えています。この世に完全なものなどひとつもないのですし、名誉を重んじるという観念が失われてしまうのを防ぎ、社会的な価値として保つことに、この制度が役立っているからです。

 

名誉を重んじるということは、たびたび話題にされますが、時として別のことと混同されています。名誉が倫理観に基づいておらず、エゴの過剰な反応がそのベースにあるような場合です。

たとえば過去の世紀には、貴族が侮辱されたことを理由に、「汚名をすすぐこと」を求めることが度々あったことが知られています。彼らは、どちらが勝つかがはっきりしない決闘という手段を用いて、自分の名誉を回復しようとしました。

このような極端な場合ではなくても、現代でも、実際には自身の名誉が問題にされているのではなく、エゴが傷つけられたというだけの理由で、より具体的に言えば謙虚さに欠けていることが理由で、さまざまな状況に対して、極めて望ましくないやり方で行動する人たちがいます。

二丁のフリント銃

 

もちろん、実際に不当に名誉が傷つけられるというできごとも少なくありません。

このようなことは個人的な場でも、公の場でも起こりますが、後者の場合には「悪口を言え、悪口を言え、そうすれば必ず何か(の影響)が残る」という言葉の通り、名誉を回復するのが簡単でないことが多々あります。

マスメディアの一部は、単なるうわさや中傷を広めることをほとんど躊躇(ちゅうちょ)しませんが、不当に傷つけられた個人の名誉の回復に努力することに、それほど熱心ではありません。

その理由はまさに、マスメディアで働く人たちの一部が、他人の名誉だけでなく、自分の名誉を重んじる心を時として失っているからでしょう。

そして、報道が適切でないのか、それとも報道された人が何かと引き換えに道徳心を手放してしまったのか、そのどちらであるかを判別するのは常に難しいことです。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

 

△ △ △

 

再び本庄です。

「悪口を言え、悪口を言え、そうすれば必ず何か(の影響)が残る」(Calomniez, calomniez, il en restera toujours quelque chose.)は、フランス18世紀の戯曲『セビリアの理髪師』に出てくるセリフのようです。

 

今日はこの辺で。

では、また。

 

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