以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

ヤーコプ・ベーメ(1575~1624年)
Jacob Böhme
ブライアン・オーブリー
By Brian Aubrey

ヤーコプ・ベーメは、ドイツの哲学者、神秘家、ルター派の神学者であり、1618年から1648年まで続いた三十年戦争に至るまでの過酷な宗教的混乱の時代を生き抜き、真の神秘思想とその実践を推進した偉大な人物です。ベーメは、1575年にドイツのゲルリッツ近郊の村で生まれました。職業は靴職人でした。彼の家は貧しく初等教育だけしか受けていませんが、豊かな学識を持つ近代の思想家の中にも彼から多大な影響を受けたさまざまな人がいます。たとえばドイツの哲学者シェリングは、ベーメを「人類史における奇跡的な現象」と讃え、英国の詩人コールリッジは「途方もない驚くべき人間」と称賛しています。
人間存在の性質に対するベーメの探究、宇宙を支配する法則に関する彼の驚くべき洞察には、人の心を揺り動かす説得力があります。それにもかかわらずベーメは、とても良く知られている人物というわけではありません。彼の著作は緻密で難解なドイツ語で書かれているため、それを読み解く忍耐力と時間があり、彼の壮麗なビジョンを理解できる人はごくわずかです。しかしその努力がひとたび成し遂げられると、そこからは多くの実りが得られます。ベーメの知識の多くは、幾度となく訪れた驚くべき啓示の瞬間から得られたものです。ベーメの著書を読んで後世の人が驚いたように、当時のベーメ自身もこれらの啓示に驚嘆しました。最初の啓示はベーメが25歳の時(1600年)に訪れましたが、この体験について、大学で何年もかけて勉強するよりも多くのことを15分で学んだとベーメは記しています。
これらの体験からベーメは苦心して長大な一連の著作を仕上げ、そこで「永遠の自然」(eternal nature)について詳しく述べました。「永遠の自然」とは、万物の根底に存在すると彼が考えた性質のことで、最も基本的で統一された強力な状態にあります。「永遠の自然」とは、万物の源である7つの基本的な性質が、動的に対立しながら構成されているものであるとベーメは説明しました。ベーメの最初の著作として知られる『アウローラ:黎明』(Aurora: The Coming Dawn, 1612年)では、この7つの性質は下の表のように3つのグループに分けられています。
彼はこれらの性質を、火と光、激怒と愛のような正反対の2つのものの組であると考え、それぞれの性質には反対の性質が存在することが不可欠であると述べました。宇宙にある全てのものは、自己と正反対の性質を持つものとの動的な相互作用を通してしか自体を知ることができないと彼は確信していたからです。

創造的緊張というダイナミックな状態
A Dynamic State of Creative Tension
ベーメは身の回りのあらゆる現象に、この相反する性質の衝突、すなわち光と闇の衝突を見いだし、この衝突が宇宙を動かしていると考えました。しかし永遠の自然の中で、この闘争がより高い次元に上昇すると、そこでは相反するエネルギーのすべてが創造的緊張もしくは創造的均衡というダイナミックな状態に保たれると考えました。彼はこの状態を「勝利に満ちた歓喜」(triumphing joyfulness)と表現しました。それは、息を呑むほど力強く荘厳な「対立するものの一致」(coincidentia oppositorum)において、普遍的な精神(universal mind:宇宙の精神)が自体を喜ぶ姿です。
火と光のダイナミックな調和というインスピレーションに満ちたこのビジョンは、まさに存在の核心であり、ベーメが思想史に残した極めて重要な貢献です。この概念はベーメの心をずっと捉えていたものであり、彼は強いられるように、このことについて何度も繰り返し長い文章を残しています。ベーメは、生命そのものの創造的核心を見抜いたのだという絶対的な確信を得ていました。ベーメ以前のキリスト教神秘主義に、このような概念は見当たりませんが、ベーメがカバラのセフィロトの樹(生命の樹)から影響を受けたことは間違いありません。
ベーメの主要な功績の一つは、世界の創造における「闇」のエネルギーの役割を認め、その重要性を再び強調したことです。闇のエネルギーは燃える火となり、そこから生命の光が生じます。闇のエネルギーがなければ、いかなるものも存在しません。この闇のエネルギーは、永遠の自然においては悪ではありません。ベーメの宇宙観には、本質的な悪は存在しません。あらゆるものは、他のものとの関係においてそれ自体が占める位置からその性質を帯びるとされます。そのため彼は、当時の宗教概念の根本であったキリスト教的二元論を必要としませんでした。排除すべきものは何もなく、ただ単純に変換され、再配置され、調和状態に戻されます。ベーメは、物事が持つ本質的な二面性(対立構造)を否定することなく、それを統合しようと努めました。それは彼の華々しい功績の一つです。
ベーメは実際的な人物であり、形而上学の知識に関心を示したのは、ただ人間を目覚めさせるための手段としてでした。この手段によって人間は「永遠の子」(child of eternity)という真の地位に目覚めるのでした。彼はこの観点から、「永遠の自然」が決定的に重要であると考えました。「永遠の自然」によって人間という構成の優れた部分が作り上げられているからです。聖書に書かれているアダムの堕落というできごとより以前には、古代の最初の人間であるアダムは自身の起源を承知しており、アダムの人生は「永遠の自然」の至福を体現するものであったとベーメは述べています。アダムは完全な健康と幸福を享受していました。彼の洞察力が無知によって曇らされなければ、この完全な状態が続いていたことでしょう。アダムが永遠なる全体ではなく、物質世界の断片化された自然に心を向けたときに初めて、病気と死が生じました。このことによって、アダムを構成していた優れた性質のバランスが崩れました。アダムの堕落は、知覚能力が狭まったことで内面的なバランスが失われた結果です。

小宇宙と大宇宙
Microcosm and Macrocosm
しかしアダムは、すなわち、創造された世界の最初の人間でありすべての人類の祖先は、再び自らを取り巻く世界の主人になる能力を保ち続けていました。アダムの知識、能力は私たちにも受け継がれ、今は休眠状態にあるものの失われてはいません。この点については、錬金術の思想で特に重視されている古代の考え方、ミクロコズム(microsocm:人間)はマクロコズム(macrocosm:大宇宙)と対応している、すなわち「上のように下にも」(As above, so below)という格言に対するベーメ独自の論じ方を参照すると、さらに理解が深まります。
この考え方はルネサンス思想ではありふれたものでしたが、ベーメはそれに、生き生きとした命と直接的な重要性を与えています。それは哲学者が所有する、自然の法則に対する深い直観的な洞察によるものです。それはまず、ベーメが「署名」と呼ぶ観念に基づいています。「署名」とは、物質世界を生み出す創造のエネルギーがほとばしり出る際に、万物のあらゆる外観と細部に「永遠の自然」がその「痕跡を刻むこと」(署名すること)を意味します。ある対象の「署名」を理解することは、その本質を見抜き、永遠の自然におけるその物体の源が顕在化したものとしてその対象を理解することです。すべての署名を結びつけて啓示という一つの認識にすることは、影響力と関連性の秩序立ったパターンに従って万物が配置され、創造世界という繊細な織物が構成されているのを見ることです。
ベーメの錬金術的な考え方「すべてはすべての中に存在する」(all is in all)、すなわち万物のあらゆる部分には宇宙全体が含まれるという概念は、このことに関連しています。英国の詩人ブレイクが「一粒の砂に世界を見いだし」と詩に書いたように、このビジョンによってベーメは宇宙を理解することができました。ベーメにとって、これは特に重要な概念です。すべての人間の内部には宇宙が含まれているからです。人間の心は常に、超越的な源との結びつきを保っており、この源にはすべての知識が含まれています。自分自身を知ることで、私たちは宇宙のすべてを知ることができます。ベーメの語っていることは文字通りこのことを意味しています。ベーメは直接的な認識を通して、ある様態(mode)の「知」を得ることを想定していて、それをフェルシュタンド(Verstand:理解)と呼んでいます。フェルシュタンドとは、存在する世界の全体を把握することであり、それによって、物質の世界を構成している根本的な法則と個々の詳細の両方を直観的に把握することができます。それは理性(Vernunft)とは対照的です。理性は、創造された世界を部分的にしか把握できず、そのより深い層を見抜くことができないからです。
しかし単刀直入に言えば、このことはゲルリッツの靴職人であったベーメが、人間の啓発に貢献した偉業の一端に過ぎません。ベーメは底知れぬ思想家であり、壮大な予言者でもありました。しかしベーメの人生の道のりは平坦ではなく、正統派のキリスト教信者からたびたび迫害を受けましたが、常に忍耐強く耐え抜きました。たとえば、強制的に町から追い出されたとき、彼は静かにこう言いました。「こうなる他はあり得ないのだから、私は満足している」。時には強気な返答も残しています。敵対する者の一人があざ笑いながら「この愚か者は何に悩んでいるのだ、いつになったら夢から覚めるのか」と言ったとき、ベーメは挑発的に答えました。「さて、さて、これがどんな夢になるか、私たちにはいずれ分かりますよ!」。彼は自分の著作は死後にいったん忘れ去られると考えていましたが、「ユリの時代」に再び見いだされ花開くであろうと述べています。ベーメは、精神的な純粋さの象徴としてユリをよく用いていました。

ベーメ哲学の今日への影響
Impact of Böhme’s Philosophy Today
今日、ヤーコプ・ベーメの時代がついに到来したのかもしれません。アイルランドの詩人イェイツが「心の狭い三世紀」と表現した科学的合理主義の時代から離れ、人間意識の無限の可能性を強調する全体論的な哲学の再発見へと向かう兆しが数多く存在するからです。ベーメは、この変容の時代に新たな風を吹き込む導き手であり模範となる存在です。
この傾向は、物理学において最も顕著に見られるようです。物理学ではこれまで絶対不変であった主観と客観(知る人と知る対象)との区別が崩壊し、世界の見え方を形作る過程に、人間の意識が密接に関わっていることが理解されています。特に興味深いのは、アインシュタインの夢であった統一場理論の実現に向かおうとする断固たる努力です。想像もつかないエネルギーとダイナミズムを持つ「超場」というものの中で、力場と物質場のように、宇宙の創造における対立する要素が共存する超対称性と呼ばれる状態の発見は、統一場理論の探求に向かう大きな前進を意味します。
一部の物理学者は、統一されたこの超場は、最も単純で最も強力な状態にある人間の意識そのものの場であると考えています。これは、「永遠の自然」において、正反対の2つの性質を持つもののあらゆる組が共存するというベーメの説明に驚くほど似ています。いずれの視点でも人間の意識には、畏敬の念を起こさせるような壮大な創造的な力があると考えられています。私たちは自身の衝動、思考、願望に従って自らの現実を築き上げているとベーメは強く主張しています。私たちには創造する力があり、ものごとを変化させる力もあります。
おそらく人類の進化の次の段階では、矛盾と制約を抱えた状態に構成された「一時の自然」(temporal nature)から「永遠の自然」という完全な状態へと、人間の意識の焦点が移行していくことでしょう。この完全な状態では、無数に多くの「署名」、真の「勝利に満ちた歓喜」として、世界がそのすべての価値において体験されます。この飛躍によって、世界中の無数に多くの人たちが十分な進歩と能力を獲得し、それはベーメが啓示によって得たビジョンが実現したことを示すものになることでしょう。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。
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第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について





