記事:『空海・行基・役行者 ~地域伝承の三つの型~』

私の自宅の近くのお寺に、「空海が〇年間ここに滞在した」という由緒書きがありました。
多忙を極める空海が、果たして地方の山寺に数年間も滞在することができたのかという疑問もあり、空海の足跡を調べていました。すると、その中で、同じように伝承の多い人物が他にも浮かび上がってきました。
それは、「役行者」(えんのぎょうじゃ)と「行基」(ぎょうき)です。
そして、その三人を調べていくと、このような伝承・伝説には、あるパターンがあることが分かってきました。

古代の超人、空海
空海の伝説や伝承を調べていくと、とんでもない数の伝承・伝説があることが分かります。
水や温泉に関するもの、お寺の創建・開山に関するもの、親切にした家に報いがある話など、実にさまざまです。
それらを見ていくと、空海という名前よりも、「弘法水」や「弘法井戸」など、「弘法大師」の名の方がよく使われているようです。
しかし、空海は承和2年(835年)に62歳で入定しましたが、生前は「弘法大師」とは呼ばれていませんでした。
実は、「弘法大師」と呼ばれるようになったのは、入定から百年近くたった延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢(かんげん)の奏上によって、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(しごう)が贈られて以降のことです。
それ以降、空海を弘法大師と呼ぶことが広まっていくのですが、もし空海が生前に行った事績であれば、「空海が〜した」という形で伝わっている方が自然にも思われます。ところが、実際には多くが「弘法大師が〜した」という形で伝承されています。
このため、各地の空海伝説は、空海本人の全国行脚の記録というよりも、後世に広まった弘法大師信仰が、地域ごとの事情に応じて形を変えたものと考えるほうが自然です。
こうした伝説の中で語られる名が、生前の「空海」ではなく、死後に贈られた「弘法大師」であることからも、民衆の間では「霊としての弘法大師」が広く浸透していったことがうかがえます。伝説は、史実の断片というより、各地の人々が土地の由来や霊験、教訓を語るために、弘法大師の名を借りた結果であると思われます。
また、空海は実際には中部地方より東へは行っていないと考えられていますが、東日本の各地にも、空海が発見したとされる温泉や井戸があります。
こうしたことから、これらの伝承は、空海本人の事績に、後世の高野聖や密教系修験者の地方活動が重なって形成された可能性が高いという説もあります。

民衆のヒーロー、行基
行基の伝説としては、仏像霊験、来訪譚、祟りや加護の話のほか、各地に「行基開基」とされる寺も非常に多くあります。
しかし、行基は、歴史上においても、橋・池・布施屋・寺院建立など、民衆救済や社会事業に結びついた僧として記憶されていて、そのため、寺院創建・土木・民衆救済の聖者として伝説化しやすかったようです。
ざっくり言えば、行基伝説の中心は、村や交通や暮らしを整える僧というイメージで、空海のような全国的な「水・温泉型」ではなく、「インフラ整備型」の伝説・伝承が各地に残っています。
だからこそ、「この橋は行基が」「この池は行基が」「この寺は行基開基」といった話が多くなりやすいのでしょう。
そして、こうした伝説・伝承も、「高僧が作った」→「行基が作った」という流れで、空海と同様に、各地の人々が土地の由来などを語る上で引用されていったようです。

異界の聖者、役行者
役行者(役小角)は、葛城・吉野・熊野などの山々で修行した、修験道の開祖として位置づけられており、金峯山寺も役行者が開いた修験道の道場として知られています。
そして修験道とは、日本古来の山岳信仰が神道・仏教・道教などと習合して発達を遂げた、日本独自の宗教で、それゆえに、役行者の伝説・伝承も、さまざまな験力(超人的能力)に関するものが多いようです。
奈良県西部から大阪府にかけての地域には、金峯山寺以外にも、役行者開創を伝える寺院が数多く存在します。
『続日本紀』の文武天皇3年(699年)の条には、役小角が伊豆国へ流罪になったという記述があることから、役小角が実在の人物であったことが分かります。
しかし、役小角の伝説・伝承や超人的なイメージも、空海や行基と同じように、修験道や山岳信仰の発達とともに、後世の人々によって形成されていったもののようです。
つまり、役行者の伝説は、山・岩・洞窟・鬼・呪力と結びつきやすく、人里の井戸や温泉を掘り当てるというよりも、「険しい山を支配する霊能者」として語られやすいようです。

地域伝承の三つの型
役行者
奈良や吉野・大峯の案内でも、役行者は修験道の創始者として説明されています。
そのため、その場所が山・岩・行場・修験道と強く結びついている場合、役行者の名前が乗りやすいといえます。
行基
その場所が池・橋・用水・道・古寺であれば、行基の名前が乗りやすいようです。
行基は、国交省や研究資料でも、池・溝・橋・道などの土木事業を民衆とともに進めた僧として説明されており、後世の村や寺が古い橋や池の由来を語るときに、その名は非常に使いやすかったのでしょう。
空海
その場所が井戸・清水・温泉・巡礼・高野山系の霊験と結びついていれば、空海の名前が乗りやすいようです。
特に、「弘法水」は全国で約1500か所、弘法伝説全体では5000以上ともされ、空海本人の行動範囲を超えて広がっています。空海は高野山開創という強い実像に加え、後世の弘法大師信仰が全国へ広がったことで、生活世界の細部にまで伝説が入り込んでいったようです。
表でまとめると…
| 役行者 | 行基 | 空海 | |
| 基本イメージ | 山岳修行・呪験の祖 | 民衆救済・公共事業の僧 | 密教の祖・万能の霊験僧 |
| 中心の舞台 | 山、峰、岩場、洞窟、修験道の行場 | 村、農地、水利、交通路、古寺 | 村の水場、温泉地、霊場、遍路道、高野山 |
| 地域社会が託した役割 | 異界を鎮める、山を聖地化する | 暮らしを支える、共同体を整える | 霊験を与える、水をもたらす、巡礼を導く |
| 信仰ネットワーク | 修験道、吉野・大峯・葛城 | 奈良仏教、行基菩薩、古寺縁起 | 真言宗、弘法大師信仰、高野山、遍路 |
| 語られやすい動詞 | 修す、籠る、開く、感得する | 築く、架ける、掘る、施す | 湧かす、治す、封じる、歩く、開く |
| 史実の核 | 山岳修行者としての伝承的始祖 | 公共事業・救済活動の実績 | 真言密教の祖、高野山開創、讃岐ゆかり |
| 後世の拡張先 | 全国の山岳霊場 | 古い橋・池・寺の由緒 | 弘法水・温泉・巡礼・霊験譚の全国展開 |
| 典型的な一文 | 「この山は役行者が開いた」 | 「この池は行基が築いた」 | 「この井戸は弘法大師が湧かせた」 |
となります。
そして、ひとことでまとめると、役行者は「山を聖地にする人」、行基は「地域を造る人」、空海は「地域に霊験を与える人」であり、
水の空海、道の行基、山の役行者と言えそうです。
ふとした空海伝説への疑問から調べ始めたものでしたが、見ていくうちに、多くの伝説・伝承がこの三人の超人的な人物へ集約されていくという、面白い結果が見えてきました。
しかし、これは、史実と伝承の対立ではなく、地域社会の記憶の残し方の違いによるものと考えることができます。
皆さんの地域には、どのような伝説・伝承がありますか?
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執筆者プロフィール
渡辺 篤紀
1972年9月30日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部下部組織(大阪)役員。ベーシスト。 TV番組のBGM、ゲーム音楽の作編曲のほか、関西を中心にゴスペルやライブハウスでの演奏活動を行っている。





