こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京板橋は台風が過ぎ去ったにもかかわらず、曇り空のはっきりしない天気が続いています。
鹿児島など、大雨のところもあるようですね。どうかお気を付けください。
今回は、山形県にお住まいの友人の山下さんから届いた、法隆寺にまつわる話をご紹介させていただきます。
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記事:『居場所はどこ』
バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦
だいぶん前の話になるのですが、今でもつい昨日のことのように思える楽しい(笑える…?)話です。
時は平成5年11月8日の朝、場所は大阪のホテルの一室です。前日と前々日の土・日曜の二日間、私の所属するバラ十字会の会合がこの地、大阪で行われたのです。最初の予定では翌日、つまり月曜日に帰るつもりだったのですが、せっかくここまで来たのです、京都観光としゃれこもう……と。
さて今日の天気はと窓から外を見れば、外は絹糸のような雨。次に階下に目を移すとそこは色とりどりの雨傘のオンパレードでした。若い時に観たフランス映画『シェルブールの雨傘』の冒頭シーンを思い出し『うわ~良いなあ~。ず~っとここで眺めていようか…』。
しかしそんな呑気な時間はありません。すぐに朝食を食べにレストランに。するとレストラン内には誰も来ていません(会の仲間が何名か同宿していたのですが)。別に気兼ねすることはないのですが何とも落ち着きません…。『しまった、もう少し後から来れば良かった』でした。
食べ終わると直ぐに活動開始です。外は相変わらずの雨でしたので、フロントでタクシーを呼んでもらいました…。ところが、実は私は車の後部座席がどうも苦手なのです。仕事柄(車の整備・販売業)いろんな車の運転席に座ることはあっても後部座席に座る機会が殆んどない(ほぼ全く)といったことが関係しているのでしょうか? とにかく後部座席はどうも落ち着きません(口の悪い友人の説によれば『一種の職業病』…とか)。
そこで採った対策が、運転手さんの『どちらまで』の問いに『一番近くの地下鉄駅までお願いします』でした。ところがその駅からですと京都駅直通便がありませんでした。それでも何とか無事に京都駅に到着。『さて、どこに行こうか』。何気なく駅の構内から外を見ましたら、駅前は車・車・車の大洪水。
思わず、『仕事が休みの時ぐらいは車の顔を見るのは嫌だ、勘弁してくれ、え~い、止めた・止めた!! そうだ法隆寺に行ってみよう』。ということで急きょ予定を変更、奈良線に乗って一路法隆寺駅に。その時、奈良線の車両の乗客は私一人だけでした。これ幸いとばかりに車両の真ん中の席に座ったのですが、広い車両にたった一人というのは何とも落ち着かないものでした。
しばらくして法隆寺駅に到着。意気込んで駅を出た私は一瞬にしてパニック状態に『だ、誰も居ない、人っ子一人、猫の一匹も見あたりません。』
私は駅を降りれば観光客が大勢…といった光景を勝手に予想していたのです。そこで気を取り直して、周りを見て見ました。すると駅舎と棟続きでコンビニが、さらに入り口のすぐ隣がバス停となっていました。
時刻表を見ると法隆寺前行きのバスがあるとのこと。待つことしばし、中型の路線バスが到着しました。しかし出発時刻まではまだ大分時間があります。すると運転手さん、バスから降りてコンビニの店員さんを相手にノンビリと立ち話を始めました。ちなみに私はこういった光景が大好きです(笑)。
しばらくして、『お客さ~ん、出発しますよ~』の声。早速バスに乗り込み、前輪と後輪の中間の位置に着席(バスはこの席が、一番乗り心地が良いといわれています)。するとバスは猛スピードで走り出しました。狭い道を中型とはいえ、そこそこに大きな車体を右に左に大きく揺らしながらの疾走です。
私は必死になって座席にしがみつき『おいお~い。私は法隆寺の観音さまに逢いに行くんですよ~。その他大勢の観音さまの元に連れて行かれるのだけはご勘弁願いますよ~!!』。
しばくして無事に法隆寺に到着(ほっとしました)。停留所は参道のすぐそばでした。ところがここでまたもや『?』です。参道沿いのお土産屋さんの何割かが臨時休業です。これは後から聞いた話なのですが、この時期、観光はシーズンオフなのだそうです(今は大にぎわいと思いますが)。
静かなのは大いに結構とばかりにまずは五重の塔を見学、次に観音像とのご対面です。あった、ありました、白檀が素材の観音菩薩立像(九面観音)です。ガラスケースの中に静かに立っておられました。小さなケースですのですぐ間近で対面することができました。幸い私の他に観光客は誰もいません。ゆっくりと色々な方角から鑑賞させていただきました。
それからしばらく後、私は妙な違和感を感じました、九面観音像が何かを訴えているような気がしてならないのです。気持ちを落ち着けて何も考えずに頭の中に浮かぶ言葉を待ちました。すると突然、声が聞こえて来たような……気が。
『わらわの居場所はここではない』と。九面観音像は元の場所、つまり最初に祀られていた場所に戻りたいと訴えていたのでしょうか?
このことに関しては、最近になり納得の行く答えを見つけることができました。作家で僧侶でもある瀬戸内寂聴さんが自身のエッセイの中で、『仏像は信仰によって守ろうとする方々の元で、それがたとえ雨風をしのぐだけの粗末な建物の中であろうとも、その場に収められていてこそ意味がある』といったことを書いておられます。
同じ意味のことをエッセイストの白洲正子女史も言っておられます。最初は観光が目的の小さな旅のつもりでしたが、いつの間にか“物理的ではなく精神的な居場所”を探し求めての旅となっていたようです。
この後も思ってもみなかった事件(?)が続くのですが、字数も多くなりましたので後半は次回とさせていただきます。
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ふたたび本庄です。
インターネットで調べてみたところ、法隆寺の九面(くめ)観音菩薩像(国宝、写真下)は、白檀の一木造で彫られているとのことです。
右手の数珠(じゅず)も、左手の水瓶も、動く耳飾りも、波打って垂れ下がる衣も、同じ木から彫り出されたことになります。見れば見るほど、信じられない奇跡の彫刻です。
法隆寺 木造観音菩薩像(九面観音)(Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition [Public domain])
下記は前回の山下さんの記事です。
記事:『もう一度会いたい』
では、今日はこのあたりで。
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