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作られた現実という罠-消費社会について

2014年8月29日


 

バラ十字会日本本部の本庄です。東京はこの数日、すっかり涼しくなり、夕方には虫の音が聞こえます。いかがお過ごしでしょうか。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

すこし過激な見方なのですが、私たちは、ロールプレイングゲームに夢中になっていないとしても、バーチャルリアリティ(仮想現実)、つまり、他人が仮に作り出した現実にどっぷりと浸かって生活をしているという意見を、ある本で目にしたのです。

そしてそれは、多くの社会学者に共通する意見のようなのです。いったいどういうことなのでしょうか。

 

時代を1929年にまでさかのぼります。歴史で、世界大恐慌が起こった年だと教わった方も多いことだと思います。これらの社会学者の意見によれば、この頃を境に、アメリカやヨーロッパや日本などの先進国の社会はすっかりと様子が変わってしまったのだというのです。

T型フォードという車をご存知でしょうか。アメリカのフォード・モーター社が作った自動車です。

T型フォード

T型フォード

黒いボディーを必ずしていて、値段が安く、とにかく頑丈にできていて、一度買えば、何年も乗り続けることができ、1910年代に爆発的に売れたとのことです。

この車に代表されるのですが、当時は、自動車やミシン、電気掃除機など、実用的な商品が、合理化された工場で次々に安い値段で作り出されるようになり、どんどんと普及していきました。

当時、物を買う目的は、生活を便利にすること、楽にすることだったのです。ですから、たとえば車種を選ぶときにも、他の人がどんな車に乗っているかということを気にする人はほとんどおらず、重要なのは、馬力、積載量、燃費、信頼性などの性能だったのです。

 

ところが、世界大恐慌が起こると、このような商品だけでは、産業が成り立たないことが分かってきます。生産に対して、需要が少なすぎたのです。

そして、車で言えば、ゼネラルモーターズ社のシボレーに象徴されるような、新しい商品が出現します。

シボレー・コルベット1954

シボレー・コルベット (1954)

つまり、様々な色のモデルがあり、デザイナーが作り出した美しい形を持ち、豪華な内装をしていて、ドアを閉めたときの音も、高級感を感じさせるように設計されています。

しかも、新しいモデルが定期的に発売され、そうすると、まだ乗れるにもかかわらず、古い型の自動車は旧モデルと呼ばれるようになります。

 

自動車以外のあらゆる商品にも、デザイン、流行、ファッション性、ブランドという要素が加わるようになります。

ある商品が作り出されると、その品物が、上品であるとか、斬新であるとか、フォーマルであるとか、あるいは、スポーティーであるとか、個性的であるとか、本物志向であるとか、そのような意味が繰り返しメディアによって宣伝されるようになりました。

悪い言葉で言えば、消費者は、無限の欲望をあおり立てられるようになったのです。

商品の価値を作り出すのが、工場ではなく、メディアになったのです。また、企業の主な仕事は、生産ではなく、ブランド作りと宣伝になりました。

このような社会では、物を買うことの主な意味は、生活を便利にすることではありません。そうではなくて、あるモノを所有することが、自分のイメージを表現する手段になっているのです。

そして、他の人がどのようなタイプのモノを持っているかと言うことが、買い物をするときの重大な関心事になってきます。

 

私は、ブランドにも流行にもあまり興味がないので、そのような風潮とは関係がないと、あなたはおっしゃるでしょうか。私もそう思っていました。

しかし、ほんとうにそうでしょうか。たとえば、私の家には、かなり多くの服がしまわれています。その中には、もう着なくなってしまった服もずいぶんとあります。あなたは、いかがでしょうか。

日本では、今後服を一着も買わなくても、平均すると20年ほどは困らないほど、人は服を大量に持っているのだそうです。

それは、服に、自分自身を飾る記号としての意味があるからではないでしょうか。

たとえば、何かの集まりなどで、ご自分と同じ服を着ている方がいらっしゃれば、特に女性であれば、あまり快くは思わないかもしれません。

日本では、ビジネスシーンではやはり、ネクタイを締めていることが、特に初対面では、信頼を得るためにいまだにかなり重要です。このような高温多湿な国であるにもかかわらずです。

しかし、このいずれも、暑さ寒さに適応し、体を守るという衣服の元々の機能とは、まったく関係がありません。

このような事態を説明するためには、服やネクタイに、記号としての強い意味が込められていると考えるしかないのではないでしょうか。

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現在では、メディアが発信し続けている意味付けによって、私たちのあらゆる買い物が影響されています。

ですから、消費者としての私たちは、極論をすればメディアの作り出した仮想現実に合わせて、主体的でない選択をして、自分の欲求を満たしたつもりになっているのではないでしょうか。

そして、その際には、その個人が本来持っている、美的感覚、調和に対するセンスはほとんど役割を果たしていないのかもしれません。

もし個人の主体的な感覚が重要であれば、たとえば服や車を買うときには、他の人がどのようなタイプのものを持っていようと関係がないはずです。

社会によって、モノは意味漬けにされてしまい、私たちには自分の求めるものが、主体的な判断ができなくなっているように感じられます。

最近では、小さな子供までもが、それこそ、ランドセルどころか鉛筆を買うときにさえ、それがどこのブランドなのかを気にしています。

 

これらのことを、管理されたナルシシズムと呼ぶ学者もいます。

どうなのでしょうか。このような社会学者の見方は極端すぎる意見なのでしょうか。

私は、この分野の専門家ではないので、はっきりとした意見をいうのははばかられますが、どうも、かなり的確な分析なのではと感じるのです。

 

そして、もしそうであれば、ここは、私たちが普及に努めている神秘学(mysticism:神秘哲学)に出番があります。

というのも、神秘学で学ぶもっとも重要なことは、自分の心の奥の声に耳を傾けることだからです。

私たちの内面には、人間として自然な、美的感覚、バランス感覚、道徳感覚が誰にも備わっています。ただ、耳を傾ける習慣が無ければ、その声はだんだんと聞こえなくなってしまい、私たちは、外部に影響されるままに主体性を失ってしまうのです。

 

いかがでしょうか。あなたには、定期的に自分の心の奥の声に耳を傾ける習慣がおありでしょうか。そのためのテクニックをご存知でしょうか。バラ十字会は、それがあらゆる人にとって、自分の人生を支配するための重要なキーポイントだと思っています。

以上、社会学者のかなり過激な意見のご紹介でしたが、あなたに少しでも興味深く思っていただけたなら、心から嬉しく思います。

 

それでは、また。

 

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