バラ十字会日本本部の本庄です。こんにちは。お盆が過ぎて、夏の暑さもそろそろ峠を越える時期ですね。いかがお過ごしでしょうか。
さて、お子さんや知り合いの子供さんに、「哲学って、何?」と聞かれたらどう答えますか。
この質問には専門家も頭を悩ますようです。
今回は、当会のフランス代表のセルジュ・ツーサンが自身のブログで、この問いへの答えを分かりやすく書いた文章をご紹介させていただきたいと思います。
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ
記事「哲学について」(A propos de la philosophie)
哲学のことを、文学や歴史や政治学などを広く研究しているごく小数の人のためのものだと、多くの人が考えています。そして哲学者とは、専門の学者か、そうでないとしても、読書と思索に多くの時間を費やす特殊な人であり、社会や政治にまつわる公開討論会などで、いつも意見を求められるような人だと考えています。
もちろんそのような哲学者もいらっしゃいますし、そのような方々の優秀さや能力を過小に評価するわけではないのですが、哲学者とは、聡明な生き方を求め、そのために考えることを習慣にしている人だととらえた方が、適切な場合が多いようです。
事実、「哲学者」(philosopher)という言葉は、ギリシャ語の「フィロソファス」(philosophus)に由来していて、この語は元々「知識への愛」を意味していました。そして、この場合の知識とは、抽象的な情報や、文化や学問に関することだけを指しているのではありません。
突き詰めて言えばこの知識とは、ある意識の状態にあたり、人の魂の中にある高貴な美徳が目覚めた人の意識状態です。
神秘学という立場から見ると、哲学者とは、忍耐、謙遜、寛容、思いやり、非暴力などの美徳が、判断や行動に表れている人のことです。
そして、あなたも同じ意見ではないかと思いますが、極めて知性の高い人や高等教育を受けた人の一部にも、このような資質が目覚めているというにはまだほど遠い段階にいる人がいて、いらだちや高慢さ、心の狭さ、恨み、荒々しい言葉や行ないを傾向として残しています。
これとは対照的に、ご存知のように、知性や教養という面で特に秀でてはいない人の中にも、英知とさえ呼べるような聡明さを示す人がいます。
ですから、スピリチュアリティ(精神性:spirituality)と哲学には、切っても切り離せない関係があるように私には思えます。なぜなら、スピリチュアリティを重視するという考え方の基礎にあるのは、すべての人に魂が宿っていて、この魂自体にある美徳を目覚めさせることが人生の目的だという考え方だからです。
つまり哲学者とは、この語の最も気高い意味において言えば、精神性を重視し、生き方の手本になることを目指して必死に努力している人を指すことになります。
このように考えると、知性面だけで優れている人や、物質以外の存在を認めない人は、いくら膨大な教養や学識を身につけていても、真の哲学者と見なすことはできません。もしある論者が、自身の著作や発言、立場、見解にかたくなに固執する傾向を示しているのであれば、なおさらそうです。
遠い過去、特に古代ギリシャ時代のことを考えてみてください。この時代、大部分の哲学者は精神性を重視する人たちでした。言い換えれば彼らの大部分は、この世には〈絶対なる存在〉の影響が表れており、人には魂が宿っていると考えていました。
このようなギリシャの哲学者の中でも特にピタゴラスは、「哲学」(philosophy)という言葉を用い始めた人であり、バラ十字会員の多くはこのピタゴラスのことを偉大な師として尊敬しています。
バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著書であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。
いかがでしょうか。参考になったと、あなたに少しでもお感じいただけたなら、心から嬉しく思います。
それでは、また。
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