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お金について

2015年6月12日


こんにちは。バラ十字会日本本部の本庄です。東京板橋は、今朝降った雨のおかげで、川沿いに桜の木の香りがたちこめていました。

いかがお過ごしでしょうか。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

「幸せはお金では買えない」という格言があります。この言葉は、どうも意味が強すぎるように感じられるところがあるためか、インターネットで検索すると、反論にあたるさまざまな言葉を見つけることができます。

たとえば、次のように語っている人がいます。

「お金で幸せは買えないでしょう。でもお金があれば、不幸せでいる間も、すこぶる快適に過ごすことができますわ。」(クレア・ブース・ルース、1903-1987)

また、こんな言葉もあります。

「幸せはお金では買えないと言った人たちは、どこで買えばいいかを知らなかったのだ。」(ガートルード・スタイン、1874-1946)

 

いずれにせよ、お金が現代社会の重要な要素であることに間違いはありません。

 

当会のフランス本部の代表であるセルジュ・ツーサンが、自身のブログで、「お金」について書いていますので、以下にご紹介させていただきます。

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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「お金について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

原始時代から人は、その土地の産物や自分の持ち物を他の人と交換したり、忙しい時には、人手を融通しあったりしてきました。そして、そのようなときに便利なように、品物や労働の価値を表わす代替物が生じ、それが発達して現代の貨幣、つまりお金になりました。

誰もが知っている通り、世界のほとんどの国で、お札とコインという形で貨幣が使われています。そして、貨幣にはある価値が定められていますが、政治や経済、そして“市場”の状況によって、その価値が変動します。

物々交換にはどうしても制約があり、常に公平に行なわれたわけではなかったので、お金の発明は、人類にとってどうしても必要なことでした。歴史のとても早い段階に、多様な種類の交換を可能にする、理論的には公平な貨幣システムができあがりました。

 

しかし、お金が発明されてから長い歳月が経つと、人とお金の関係は、理想的な形から、徐々にずれていきました。元々は、取引のための代替物であったのが、貯め込むことを目的とする品物のようなものに変質し、お金を得ることそれ自体が目的となり、道徳に反することをしても、この目的を追求することさえ生じています。

お金は“良い召使い”であるはずだったのに、すぐに“悪い先生”に変化してしまい、人間の性質に見られるある弱点が、かつてないほどあからさまに露わにされています。それは、貪欲さという弱点です。今日の現代社会では、この弱点が最悪のレベルにまで達してしまったことが、あらゆる事柄に示されています。

 

なぜ人間は一般的に言って、これほどまでに貪欲なのでしょうか。考えを進めて、次のように問うこともできます。なぜ人間はいつも、物質的な面で快適に生きるために必要とされる分量を超えて、お金や物を欲しがるのでしょうか。使い果たしてしまう恐れからでしょうか? 所有欲でしょうか? それとも、支配欲でしょうか?

本当の理由を知ることは簡単ではありません。しかし、このような貪欲さが原因で、幸せが十分に感じられなくなったり、長続きしなくなったりする傾向があるということは確かだと言うことができます。

「幸せはお金では買えない」という言葉は良く聞かれます。しかし、最低限の生活を送るために、お金は必要不可欠なものですから、実際のところ、お金が幸せに影響するということは誰にも否定できません。

 

シンガポールのお札とコイン

 

ご存じのように、多くの宗教が、富は人の魂を堕落させ、神から遠ざけてしまうと考えていて、貧しくあることを勧めています。

バラ十字会の哲学の観点から言うと、精神性を向上させるために貧しさが役立つというこの考えには根拠がありません。もしそうであれば、貧困状態で暮らしている人たちの大部分に、目覚ましい精神的な進歩が起こってしかるべきですが、実際には、例外はあるでしょうが、そのようなことはあまり起こっていません。

もちろん、何よりも探求すべきなのは内面的な豊かさであるということに間違いはありませんが、その探求は、お金のことを軽蔑しなくても行なうことができます。

 

この件に関して重要なことは、お金をどのように得るかと、どのように使うかです。もし、不正な方法を用いたり他の人をおとしいれたりしてお金を手に入れれば、その人の魂は実際に堕落します。それは、道徳に反することや破壊的なことにお金を使った場合も同様です。

しかし、正当な方法で金銭を得て、それを建設的な用途に使うならば、お金は、自分と他の人を幸せにすることができます。どのような観念を表わすために「神」という言葉を使うかは人それぞれでしょうが、正当で建設的なお金との関わりに、「神」が異議を唱えることなどあり得ないのではないでしょうか。

 

では、貪欲という悪習から人を救ってくれるものは何でしょうか。私にはひとつしか答えが思いつきません。

それは、物を手に入れるということに幸せを求めるべきではないということ、お金持ちになることそれ自体を目的にするべきではないということを、子供たちに説明することです。ですから、この件に関しては教育に重大な責任があります。

残念なことに、今日の社会では、お金がまるで神のような地位にまで登り詰め、ほとんど崇拝の対象のようにさえなってしまっています。一部の国には、子供たちにお金を限りなく愛し、人生の友と考えるように教える学校さえあるということです。

そのような極端な場合は別にしても、日常の会話でも、公共問題の議論でも、ゲーム番組でも、スポーツやその他でも、お金がますます重要になっているということが否定できません。私には、この傾向がとても残念に思えてならないのです。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

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いかがでしたでしょうか。参考になったと、少しでもお感じいただけた個所があれば、心から嬉しく思います。

それでは、また。

 

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