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臨死体験について

2016年2月5日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。立春も過ぎ、暦の上ではもう春ですね、いかがお過ごしでしょうか。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

日本本部の事務所の近くに、河津桜の木が何本かあります。今朝見ると、早くも三分咲きでした。桃色の花の蜜を求めて、ふっくらとした薄緑色のメジロが集まってきていました。

河津桜とメジロ

 

この河津桜の木々から石神井川を隔てた向こうには、帝京大学病院があります。とても大きな病院で、救急車が毎日何回も到着します。夜にサイレンが聞こえると、今、救急隊員の方が忙しく働いているのだろうかと、時として想像をたくましくしてしまうことがあります。

 

昔よりも、救急医療の技術が格段に進歩したため、心肺停止のような重大な危機から生還する人の割合がずいぶんと高くなったとのことです。とても喜ばしいことですね。そしてこのことに伴って、いわゆる「臨死体験」と呼ばれるできごとの報告が世界中で増えています。

 

バラ十字会のフランス本部代表のセルジュ・ツーサンが、1月21日に自身のブログで、臨死体験について書いています。今回はその翻訳をご紹介させていただきたいと思います。

 

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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「臨死体験について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

ご存知かも知れませんが、臨死体験に関心を寄せる科学者の数が、ますます増えつつあります。というのも、このような体験をした世界中の何千もの人たちの証言を無視することが、もはやできなくなってきているからです。

 

ほとんどの事例で、体験者の語ることは良く似ています。病気や手術が原因で、「回復が望めない昏睡状態」もしくは「臨床的に死と判断された状態」になってしまった人が、自分の体から脱出したように感じ、体が横たわっている部屋の外で行なわれた会話を聞いたり、離れた場所のできごとを目撃したりします。

次に、この世ではない別の世界に惹きつけられるように感じる瞬間が訪れ、光でできたトンネルをくぐり抜けると、以前にこの世で知っていた、愛する人たちがそこで待っています。

光のトンネルと出口

 

ますます多くの科学者が、臨死体験に関心を寄せるようになっていることは事実ですが、大半の科学者はいまだに懐疑的であり、この体験は、脳内で作り出された印象にあたると考えています。つまり、死後の世界や魂の存在を示している訳ではなく、単に生理的な現象であると考えています。

 

しかし、次のような疑問が生じます。自然界では、理由なく起こることは何もなく、自然が私たちをだまそうとすることもありません。では、自然の一部である人体に死が訪れようとしているときに、死とは、存在そのものが完全に滅ぶことではないという考えが強められるような体験が、なぜ意識に生じるのでしょうか。

また、別の疑問を感じる方もいらっしゃることでしょう。臨死体験をした人の多くは、人生についての考え方が劇的に変わり、内面生活を重視し、すべての人を尊重する生き方をするようになるのは、一体なぜだろうかという疑問です。

 

さて、臨死体験をした人のさまざまな報告で、その患者が横たわっていた部屋の外で、会話が行なわれていたり出来事が起こっていたりして、それをその患者が聞いたり見たりしたという点に戻ることにしましょう。

私の考えでは、この報告が示しているのは、人間の意識とは、物質からなる身体の中でだけ起こっている現象ではないということです。また、人間の意識というものが、脳だけによって作り出されているのではないということも示しています。

 

というのも、臨死体験には、脳が働いていなかった(脳波の波形が平坦だった)事例も多くあるからです。このような場合、たとえば長時間にわたる複雑な手術の後に、その手術の手順、使われた器具、手術室の隣にはどのような部屋があったかなどを語ることができる患者が多くいるということは、どのように説明できるのでしょうか。

少なくともこれらは、感覚器官を超えた知覚にあたり、いくつかの説が唱えられていますが、現在の科学では、このような事例を説明することができません。

 

「死」(death)という言葉には、破滅、終わり、消滅という意味が伴っています。神秘学的な比喩を使ってご説明するならば、臨死体験とは、「死」という不適切な語で呼ばれている“扉”の前にある「控えの間」にあたるということが、私には明らかに思えます。

つまり、バラ十字会員の多くは「死」という言葉よりも「転化」(transition:状態が変わること)という言葉を選びますが、臨死体験は、転化と呼ばれる段階的変化の最初の段階にあたると私は考えています。

 

この最初の段階では、魂(soul:ソウル)が体を徐々に離れ、周囲で起こっているあらゆることを鋭く知覚します。しかし臨死体験では、魂は転化のプロセスを最後まで進んで体から完全に離れてしまうのではなく、体と(時として荒々しい仕方で)再び結びつき、脳の活動を含む一連の生理活動を再開させます。

そして、死という状態から意識を取り戻したように思われる当人は、この体験の間に見たことや聞いたことを記憶していて、それについて語ることができます。

 

バラ十字哲学の視点から言うと、意識とは魂が表わす性質であり、脳の働きだけによって意識が生じているわけではありません。

臨死体験で、魂が体を一時的に離れているときには、脳神経と感覚器官の働きを使わずに、その人はものごとを知覚しています。それだけでなく魂は、時間と空間と物質の限界を超えて、物質からなる眼や耳が知覚することのできない現象を見たり聴いたりすることができます。

つまり臨死体験では、死後の世界へと通じる扉を通過した後に生じる非物質的な状態を、一時的に経験していることになります。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

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いかがでしたでしょうか。この記事に書かれていた見方には、もしかしたら、あなたの考えと異なる部分があったかもしれません。それでも寛容の精神を示していただき、何らかのご参考や、熟考のテーマにしてくだされば、心から嬉しく思います。

それでは、また。

 

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