こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京板橋では、朝から強い風が吹いていて、満開になったソメイヨシノから桜吹雪が舞っています。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、ある有名な心理学の実験らしいのですが、4歳の子供に被験者になってもらいます。そして、半面を赤、半面を緑に塗ったボールを用意して、その子供によく見てもらいます。
次に、赤の側の面が自分を向き、緑の側の面が相手に向くようにして、子供に「あなたが見ているのは、何色ですか」と尋ねます。
すると、子供は「緑」と正しく答えます。
次に「私が見ているのは、何色ですか」と尋ねます。すると、子供はたいてい「緑」という間違った答えをします。
それは、相手の立場に身を置くという能力が、通常は4歳よりも後に身につくからです。
子供の心理的な発達は、人類の歴史上の心理的な発達を繰り返すように進むことが知られています。
ですから、人間が相手の立場に身を置くという能力を手に入れたのは、それほど昔ではないことが分かります。
参考記事:『人類と子供の心の進歩の段階』
相手の立場に身を置くというこの能力が基礎になって、人を思いやる心や同情する気持ちなどの、高度な心の働きが生じます。
バラ十字会AMORCのフランス代表が、自身のブログ記事で、思いやりのことを取り上げていますので、以下にご紹介させていただきます。
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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ
記事「人を思いやるということ」
人間が、同胞である他の人に示すことができる最も素晴しい美徳は、思いやりの心ではないでしょうか。
ご存知のように思いやりとは、他の人の試練や苦しみを、自分の試練や苦しみのように感じ、そのような状況にある人に寄り添ったり、気持ちだけでしかできないとしても、苦しみの一部を担おうとしたりすることです。
思いやりという、内面から湧き出てくるこの感情は、助け合いや連帯や友愛として、できるだけ実際の行動に表わされるべきだと思いますし、バラ十字会員の多くは、その哲学に沿って、そうするように心がけています。
思いやりとほとんど同じ使われ方をする言葉に「慈悲」という言葉がありますが、この言葉は、ほとんどの場合に、宗教的との関連で使われています。
その理由は、慈悲ということが、大部分の宗教とその聖典の重要な要素になっているからでしょう。特に仏陀とイエスは、慈悲を哲学の基礎にしました。
「哲学」という言葉を私が使ったのは、慈悲という徳は、これらの宗教の教義の一要素というよりはむしろ、苦しんでいる人や助けを必要としている人たちに向けた振る舞い方の理想にあたるからです。
このように考えると、苦しんでいる他人に慈悲を示し、その苦痛を和らげたり解消したりしようとする努力には、必ずしも信仰が必要とされるわけではありません。ただ、ヒューマニストであること、つまり、あらゆる人の存在を大切に考える人であるというだけで十分です。
ですから思いやりは、人間の他の多くの美徳と同じように、宗教的な感情というよりは、哲学やヒューマニズム(人間尊重の精神)に深く関連しています。
思いやりの心が、人類の間に今以上に広まれば、世界の状況が大いに改善されることは明らかでしょう。
その実現のためには、宗教、民族、国籍、文化や、人と人の間の外見上の違いになっているあらゆる要素とは無関係に、他の人たちの生活、健康、幸不幸が、望ましい状態であるかどうかということが、大多数の人の関心事になっている必要があります。
残念なことに、最近の数年にわたって、多数の国々が経済や社会の危機に直面していることが理由で、過度な個人主義と国家中心主義に多くの人が陥っている傾向が見られ、この両方から、差別や排他主義が生じています。
宗教的な感じを避けるためなのかもしれませんが、一部の人は、思いやりや慈悲という言葉を避け、その代わりに「共感」を話題にすることを望むようです。思いやりということには宗教的な性質があると(誤って)考えているためです。
共感とは、「他の人がどのように感じているかを感知する能力」ですから、それはそれで素晴しいことだと思います。
しかし、思いやりとは、「他の人たちが訴えている苦しみを自分も感じ、他の人の困難を和らげようとすること」であるとすれば、共感よりも具体的で心に響く言葉だと思います。
人を思いやるということには、実際のところ、他の人たちの困難や苦しみや痛みを感じるだけでなく、可能であれば助けようとすることも含まれているのではないでしょうか。
最後に述べておきたいと思いますが、「思いやり」と「あわれみ」を混同すべきではありません。
他の人たちの運命にあわれみを感じるということは、時として、その人に対する優越感の表れであることがあります。他人が自分よりも劣った状態、もしくは低いレベルにあると感じるような場合です。
他の人を心から思いやっている場合には、対等に、心の底から、まるでその状況に自分があるように感じているものです。
ですから、そのことについて何らかの価値判断をしているわけではなく、苦悩を分かち合い、その人を助けたいという心からの望みだけがあります。
バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。
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いかがでしたでしょうか。
何らかの形で、あなたの思索のきっかけになれば、とても嬉しく思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
では、また。
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