こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京では雨が続いています。今日降れば18日連続だそうです。涼しくて良いのですが、こうも長く続くと、農家の方々のことが心配になります。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日の話題は自由についてです。
人は自分の行動を自由に選べるかどうかということを考えるために、「じゃんけん」を例にしてみます。
まず、右手を前に出してください。これから、あなたと私はじゃんけんをします。
グーかチョキかパーのどれかを出すかを決めて、それから、この文章の先を読んでください。
私はチョキでした。どちらの勝ちでしたでしょうか。
私たちは実際に、手をどれかの形にして出すことができますから、人が自分の行動を自由に選べること、つまり、人に自由意志があるのは明らかなことであるように思えます。
ところがよく考えると、事情はそう簡単ではありません。
自分の心を振り返って、先ほどグーとチョキとパーのどれかを選んだ本当の理由を、完全にはっきりとさせてみてください。難しいですよね。
ですから、私たちは完全に自由であるわけではなく、何か自分では気づいていない理由に影響されて、たとえばチョキを選んだという可能性があることになります。
今後機会があったときに試していただきたいのですが、多くの人数でジャンケンをしていて、なかなか決着がつかないときに、ひと呼吸を置いて、あなたが大きな声でゆっくりと音頭を取ってみてください。多くの人がパーを出すことが知られています。
じゃんけんのような、たわいのない例もありますが、私たちは日常的に、時には深刻な、さまざまな選択を行っています。
そしてその選択のいくつかによっては、大げさに言えば、人生のありさまや、自分と周囲の人の幸せの程度が、時々刻々と変化していきます。
あなたの友人に、ちょっと面倒くさい頼みごとをされたことが、おありではないでしょうか。そのようなときのことを思い出してみてください。断ったにせよ応じたにせよ、あなたがその決断をした理由は、どのようなものだったでしょうか。
その人に喜んでもらいたいと感じたとか、忙しかったとか、頼まれたことが理不尽に思えたとか、行わなければならない別のことがあったとか、さまざまな要素が関係していたに違いありません。
そして、よく思われたいと感じたとか、面倒なことはしたくないと感じたとか、さらに突き詰めれば、人間関係を大切にしたいとか、時間の余裕を楽しみたいとか、大切なことの優先順位とか、意識していたかどうかは別として、欲求や価値観というものに基づいて、行動を決めたことでしょう。
このような欲求や価値観は、その人の生まれつきの性格と、その後の体験や教育や思考によってできあがっています。
私たちは、自分がどのような性格に生まれつくかを自分で決めることはできません。また、どのような体験をするか、どのような教育を受けるかというも、何を考えるかということも、特に小さなときのことを考えれば、自分の自由になることは、ほとんどないのではないでしょうか。
すると、子供のときに、自分の欲求や価値観を自由に作ることができないのですから、その後の体験や教育や思考も、その大部分は、自分で自由に選んでいるわけではないと考えるのは論理的なことです。
そうすると、大人になったとしても、欲求や価値観の多くは自分が自由に作り上げたものではないとすれば、それに基づいて行動や思考が行われるのですから、大人にも自由意志は、ほとんどないということにはならないでしょうか。
ちょっと前のことになりますが、ある親しい人と会話をしていて教えてもらったことがあります。最近の大学生のうち、哲学や心理学に興味がある人の多くが、自由意志があるということは、人間の思い違いだと思っているのだそうです。
正直に言えば、びっくりしました。私自身は、ある事柄に意欲を燃やすとか、道徳的に生きようと努力するということには、人に自由意志があると考えることが欠かせないと思っているからです。
人間には自由意志などないと多くの大学生が思っているのは、おおむね、次の3つのことから導き出されているようです。
1.意志のような心の働きは脳によって作り出される
2.脳は物質からできている。
3.物質は、数式で書き表せるような物理法則に従うので、過去が決まれば未来は決まっている。
一方で、バラ十字会の哲学では、人間には自由意志があるということが決定的に重要な役割を果たしています。
私たちは、自由意志を正しい方法や間違った方法で用いて、その影響を体験し、そこから教訓を得ることによって、内面的に進歩していきます。このことこそが、人生にある最大の意義だとバラ十字会の哲学は考えています。
もちろん、この哲学は固定したものではなく、日々進歩していきますので、100年後にも同じ考え方をしているかどうかは分かりません。しかし、もし人間には自由意志がないということになれば、すぐに全面的な修正を迫られることになるでしょう。
ちなみに、バラ十字会の哲学では、先ほどの3つのうちの1番目が正しくないと考えています。人間の心が成立するためには、物質の脳だけでなく、ソウル(soul:魂)という“宇宙”のエネルギーも必要であり、このエネルギーは数式には従わないと考えています。
ですから、どんな高性能の人工知能を作ったとしても、その機械に魂という宇宙のエネルギーが宿らなければ、そこには心(意識)が生じることはないと考えているわけです。
今まで説明してきたことに深く関連している実習がありますので、ご紹介させてください。
まず椅子に座って、肩の力を抜いて、背筋を軽く伸ばし、十回ほど深呼吸をしてみてください。
次に、思考を静めて、次のことを思い浮かべていただきたいのです。
通常私たちは、自分があり、その外に世界がひろがっていると考えています。
空間があり、物がある場所と、物がない場所があると考えています。
時間があり、過去と未来があると考えています。
上があれば下があり、善があれば悪があり、原因があれば結果があると考えています。
このような対立する要素についての考え(概念)を、すべて捨てたとしたらどうなるでしょうか。
私でもなく外界でもない、ただ、振動の大海が広がっているのではないでしょうか。
そこで、この振動の大海である“宇宙”とひとつになってください。言い換えれば、五感によって知るのではなく、心の奥深くの働きによって、直接すべてを体験するようにします。“宇宙”以外には、あなたも他の何もない、ふたつがないひとつを感じてください。
自分の頭であった場所に、無限の宇宙を感じることができないでしょうか。そこに、涼しい風がそよいでいるような自由を感じ取ることができないでしょうか。
このように感じることを、何回か練習してみてください。
以上の実習は、瞑想のひとつの方法にあたりますが、このちょっとした瞑想からだけでも、忙しく回転する思考と概念から解放されさえすれば、あらゆる理屈を超えて、人は限りなく自由だとは感じられないでしょうか。
人は対立する概念に縛られている結果、竹筒に落ちたヘビのように不自由だと、ある禅師が言っています。そうすると、やや難しくなりますが、私たちが自由を得られるのは、宇宙と同調しているときだけだと言うこともできます。
バラ十字会の通信講座で学ばれていない方々は、以上の説明を読んでいて、なぜ心の奥深くと宇宙には関連があるのだろうか、対立する概念から解放されることと宇宙にはどのような関係があるのだろうかと、疑問をお持ちになるかもしれません。
いずれ、改めてご説明する機会もあると思いますが、次の記事がヒントになります。
参考記事:『心の構造について』
また次の記事は、当会のフランス代表が自由意志について書いた文章の紹介です。
参考記事:『自由意志がもたらす幸運と不幸』
最後はかなり、立ち入った話になりました。
今日は、この辺りで。
またお付き合いください。
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