投稿日: 2017/09/29
最終更新日: 2022/11/24

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

東京板橋では、昨日まで秋雨が続いていました。今日は久々の晴れ間です。

いかがお過ごしでしょうか。

先日、事務所のすぐそばの、旧中山道にある仲宿の商店街で、手ごろな値段のワインはないかと探していました。すると、楽しげな鬼の絵が描かれたラベルの付いた、クケリという名のワインを見つけました。

クケリというワインのラベル

説明書きを読むと、このワインの産地のブルガリアでは、冬に村の男性たちがクケリと呼ばれる鬼の姿をして、村を練り歩くのだそうです。

その鬼の姿は、東北の「なまはげ」の姿にそっくりで、びっくりしました。

クケリは、顔に仮面をつけたり墨を塗ったりします。体には、羊・ヤギ・シカの皮から作った、もこもこと毛が垂れ下がった衣装を着けます。

そして、腰のベルトには大きな音が出るベルを取り付けます。クケリは、このベルの音や大声によって、家と村から邪気や病気を追い払います。

ブルガリアの奇祭クケリ
ブルガリアの奇祭クケリ

昔はブルガリア全土で見られた風習だそうです。ブルガリアには、古代にはトラキアという国がありましたが、この祭りは、古代トラキアから伝えられた由緒ある行事で、ディオニュソス神を祭っているのだそうです。

そして、ディオニュソス神のお祭りは、ブルガリアだけでなく、ルーマニアやセルビア、マケドニア、ギリシャ、イタリア、ポーランドでも行われています。

一方で、なまはげは、秋田県男鹿市に伝わる伝統行事です。今では大晦日に行われていますが、江戸時代には1月14日か15日に行われていたそうです。

なまはげに似た行事が日本中にあることが民俗学者の調査で知られていて、「小正月(こしょうがつ)の訪問者」と呼ばれています。小正月とは1月15日のことで、旧暦では満月にあたります。

こうした行事では、蓑笠(みのがさ)を着て鬼の面をつけたり、女装をした若者が、夜に村の家々を回って、大声を出し、酒と食べ物をごちそうになったり、餅や菓子をもらったりします。

これらの行事はすべて、無病息災を願い、邪気を追い払おうとする行事です。広い意味では、節分という行事にも同じ性質があります。

男鹿のなまはげ
男鹿のなまはげ

ブルガリアのクケリと日本のなまはげには、このようにさまざまな共通点が見られますが、その背後には、古代人のどのような思いがあったのでしょうか。

レヴィ・ストロースというフランスの人類学者が書いた文章が、このことを考える上で良いヒントになります。それは、クリスマスの起源についての考察です。

一般にクリスマスといえば、イエス・キリストの誕生日を祝うお祭りだと思われていますが、専門家の研究によれば、12月24日の深夜から25日の早朝がイエス・キリストの誕生日だと“定められた”のは西暦4世紀のことです。

キリストは4月19日の夕方に生まれたと書かれている聖書外典があります。

実は、クリスマス祭の元になったのは、古代ローマやケルトの異教の祭りだということが、多くの人類学者に知られています。

自然界が、陰と陽という2つのエネルギーのバランスによって成り立っているという考え方は、古代中国だけではなく古代ヨーロッパにもありました。

そして、陽のエネルギーの源は太陽であり、陰のエネルギーの源は、月(太陰)と大地であると考えられていました。

古代人の考えでは、冬という季節、特に冬至には、太陽の力が一年のうちで最も弱くなります。そのため「この世」と「あの世」の力関係のバランスが崩れて、死者の霊がこの世に侵入してくるのだとされていました。

そこで、仮面をつけて死者の霊を装った異様な姿をした人たちに、贈り物を与えてご機嫌をとり、あの世に戻ってもらうことによって、世界のバランスを取り戻し、村の人を病気から守り、四季の循環を確実にしようとしたのです。

古代のこの習慣を、後にキリスト教は巧妙に取り込み、イエスが誕生して光がこの世にもたらされるということと、太陽のエネルギーが回復して春がもたらさせることを意味的に重ね合わせ、クリスマスという行事ができあがりました。

クリスマスの起源となった古代ローマやケルトの冬至の祭りについてのこの説明が、冬のブルガリアのディオニュソスの祭りにも、そっくりそのまま当てはまります。

ディオニュソスとは、神話によれば、都市国家テーバイの王女セメレとゼウスの間に生まれた神(半神半人)で、ワインの製法と祭りを発明した神だとされています。

ギリシャでは、紀元前8世紀頃までに、ゼウスを中心とする、世界の秩序正しさを説明する、いわばエリート向けの神々が勢揃いし、国家宗教が完成していました。

しかし、あまりにも整い過ぎたものは、どこかよそよそしく信じる気になれず、パワーももの足りないと、多くの人たちが感じていたようなのです。

そして、紀元前7世紀から6世紀頃に、ディオニュソス神への信仰が流行します。この信仰のベースにあったのは、古代の狂乱のエネルギーだったようです。

女性の信者は狂気に陥り、山野で乱舞し法悦を体験したと、古代ギリシャの詩人エウリピデスは書いています。

どうやら、かなりお行儀の悪い宗教だったようですが、この宗教は後の時代に大きな影響を及ぼします。この宗教から、ギリシャ悲劇とオルフェウス神秘学派が誕生したのです。

参考記事:『オルフェウスについて

アメリカのアリゾナ州北部に住む先住民のホピ族も、伝統に従って、ソーヤルと呼ばれる冬至の祭りを行います。

冬から春という季節の変わり目に、村を浄化し、自然界に命が戻ってくることを祝う再生の式典です。この祭りにも、全身黒づくめで黒い兜をかぶった、「マストップ・カチーナ」と呼ばれる異形の存在が登場します。

参考記事:『ソーヤル -ホピ族の冬至祭

さて、先ほどの日本のなまはげも、冬の満月の夜という陰のエネルギーがもっとも強くなる時期に、もともとは行われていました。ヨーロッパ古代の冬のお祭りと、異形の存在、仮面、贈り物、大声、無病息災の祈りという多くの要素が共通しています。

木の包丁を振りかざすなまはげは、子供たちが引きつけを起こすのではないかと心配になるほど恐ろしく感じますが、この恐ろしさは、私たちがなまはげに、古代のエネルギーをそこはかとなく感じるからなのかもしれません。

以上のように、世界中に存在する冬のお祭りには、これでもかというほどの共通点がみられます。

古代人は、陰と陽というエネルギーを、あたりまえのように肌で感じ取っていたのでしょうか。どの祭りでも、毒を毒で制するかのごとく、異形の存在によって邪気を払おうとし、自然の再生と循環を促そうとしています。

不思議なことですね。

まだまだ、このあたりには興味深い話が山ほどあるのですが、長くなりましたので、今日は、この辺りにしておきます。

来週は、このブログはお休みします。

また再来週、お付き合いください。

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