こんにちは。バラ十字会の本庄です。
寒いですね。とうとう今日から、首にマフラーを巻き始めました。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、ちょうど一週間後、来週の金曜日は冬至の日にあたります。
ご存じのことと思いますが、冬至とは、一年のうちで昼の長さが一番短い日です。古代から、太陽の力(陽気、陽のエネルギー)が最も弱くなる日だと考えられてきました。
日本では、ゆず湯に入ったり、カボチャや、小豆の入った冬至粥(とうじがゆ)を食べる風習があります。
一方、先日ニュースで報じられていたのですが、今年の世相を表す漢字として「北」が選ばれたそうです。
その理由は、九州北部豪雨や、北朝鮮問題という暗いできごとだけでなく、競走馬キタサンブラックの活躍や、北海道日本ハムファイターズがたびたび話題になったことや、葛飾北斎展覧会の盛況だそうです。
この2つ、「冬至」と「北」には、古代中国で深い関連があると考えられていました。冬至の日には太陽が、空で最も北寄りのコースをたどるのですが、それだけではありません。
古代中国には陰陽思想という考え方がありました。
この思想では、宇宙の根源のことを、混沌もしくは太極と呼びます。太極からは、まず陰と陽という2つのエネルギー(二元)が生じます。そして、陰と陽から四象(太陽、小陰、小陽、太陰)が生じ、八卦が生じます。これは、自然現象を説明する古代哲学の理論ですが、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉があるように、占いにも用いられます。
陰陽思想では、陰と陽という2つのエネルギーがさまざまに組み合わされることによって、この世にあるすべてのものが存在しているとされます。
一方で古代中国では当時から、暦に十二支が用いられていました。年賀状の準備のために最近チェックされた方も多いと思いますが、今年は酉(とり)年で、来年は戌(いぬ)年というように、十二支は12年のサイクルを表すのに用いられています。
また十二支は、一日の時刻を表すためにも、方角を表すためにも用いられていました。
日本でもごく最近まで使われていたので、怪談の冒頭のお決まりの文句、「草木も眠る丑三つ時」とか、風水で鬼門とされる丑寅(北東)の方角のことをご存じの方も多いと思います。
中国の当時の天文学者は、宇宙の根源である太極を象徴する星が北極星だと考えていました。そう考えられていたのは、中国だけでありません。他の多くの古代文化で、北極星が宇宙の中心だとされ崇拝されています。
天空の他のすべての星がその周りを回るのですから、当然のことでしょうか。
皆さんもご存じの通り、十二支は子(ねずみ)から始まります。そして、十二支が陰陽思想と結びつくと、「子」は始まりにあたることから、陰と陽の始まり、つまり太極を象徴するようになります。
そして、「太極」と「北の方角」と「子」が同一視され、北は神聖な方角とみなされるようになります。中国の皇帝や古代日本の天皇が天子と呼ばれ、都の北にある建物に住んでいたのはそのためです。
古代中国では、月の満ち欠けを元にした暦が使われていました。新月から次の新月までの29日または30日が一ヵ月になります。しかし、一年の基準となる最初の月がいつかを定めなければなりません。冬至は、太陽が力を取り戻し始める日だと考えられたため、一年のスタートの基準にされました。
そして、冬至の日が存在する月が子(ね)月と呼ばれました。その次の月が丑(うし)月、そのまた次が寅(とら)月となります。
「一陽来復」という言葉は、悪いことばかりだった状況がようやく変化して、良いことが起こり始めたときという意味で使われますが、元々は冬至を意味していました。
しかし、一年のこの時点では陽のエネルギーはまだまだ弱く、陰のエネルギーに打ち勝つことができません。陽が陰に打ち勝って春をもたらすことができるのは、3ヵ月目の寅月からだと、古代中国の人は考えました。そこで後の時代に、寅月が新春の始まり、つまり旧暦の一月(正月)とされるようになります。
ちなみに、それから6ヵ月が経つと、陰が陽に打ち勝って秋がもたらされるとされます。エネルギーのこの入れ替わりの際には、この世とあの世が最も近くなるとされています。旧暦の7月にあたり、お盆の起源になっています。
ここで、古代の人たちの生活を想像して、その悩みは何であったかを思い浮かべてみていただきたいのです。
農業がまだ盛んでなかった時代、人々は、狩猟や採集や漁労によって食物を得ていました。
きっとこの時代の人にとって最も恐怖だったのは、獲物がいなかったり、きのこや木の実が採れなかったりして、飢えることだったのではないでしょうか。
農業が行われるようになった後も、一般の人たちの暮らしは、それほど余裕のあるものにはならなかったと言われています。
ですから、冷害などの天候不順によって収穫が減り、食料が不足することが、何よりも避けたい事柄だったことでしょう。また、多くの人々が集まって暮らしていたので、伝染病も極めて恐ろしい出来事だったに違いありません。
古代中国の人々は、季節が滞りなく循環し、次の年が豊作であるように、また自分たちが健康でいられるように、太陽の再生(生まれ変わり)がスタートする冬至の月(子月)、後の時代の旧暦11月に祭りを行うことが必要だと考えました。
そして、神々に獲物や収穫への感謝をささげ、陽のエネルギーが再生し、病気の原因とされた邪気を追い払ってくれるように祈願しました。
民俗学者の吉野裕子さんによれば、この風習が日本に伝わり、新嘗(にいなめ)祭になります。新嘗祭では、天皇が新米を神にささげ、翌年の豊作を祈願します。国民の祝日の勤労感謝の日の起源はこの新嘗祭です。
ですから、勤労感謝の日は現在は11月23日ですが、その起源は古代中国で冬至に行われていた祭りだったことになります。
調べていて、びっくりしたのですが、世界中の古代文化で、冬至は、同じような意味に捉えられています。
言い伝えによれば、古代エジプトの天空と太陽の神ホルス、ペルシャの神ミトラ、フェニキアの神アドニス、ギリシャの神ディオニュソスはいずれも、冬至の日の前後に生まれたとされています。
つまり、冬至という時期は、太陽と同等の存在とされた神が生まれ変わり、ふたたび力を得る時期だとされたわけです。
そして、これらの神々のための祝祭が、現在の暦の12月21日~28日にあたる日に行われていました。
以前にもご紹介させていただいたことがありますが、ブルガリアでは今でも冬に、クケリという奇祭が行われています。
この祭りでは男性が、顔に仮面をつけたり墨を塗ったりして、体には羊・ヤギ・シカの皮から作った毛が垂れ下がった衣装を着け、腰にぶら下げたベルを鳴らしたり、奇声を発しながら、村を練り歩きます。
この祭りは、ぶどう酒の神ディオニソスに収穫を感謝し、家と村から邪気を追い払う祭りです。
参考記事:『なまはげとクケリについて』
クリスマスは一般には、イエス・キリストの誕生日を祝うお祭りだと思われていますが、この日がキリストの誕生日だとされたのは、専門家の研究によれば西暦4世紀のことだそうです。古代ローマやケルトの冬至の祭りをローマ教会が取り入れ、クリスマス祭が成立したということが、多くの人類学者に知られています。
アメリカのアリゾナ州北部に住む先住民のホピ族は、ソーヤルと呼ばれる冬至の祭りを昔から行っています。カチーナと呼ばれる鬼のようなものに、ホピ族の人たちは仮装します。村を浄化し、自然界に命が戻ってくることを祝う再生の式典です。
参考記事:『ソーヤル』(バラ十字会日本本部AMORC資料室)
以上のように、世界中で冬至は同じような意味にとらえられて、同じような意図の祭りが行われています。
ほんとうに不思議なことです。
ちなみにバラ十字会では、古代ヨーロッパの神秘学派の伝統にならって、冬至の日に世界中で「光の祭典」(Festival of Light)を行っています。この「光」とは、人間の心の深奥に存在する、インスピレーションと良心と啓示の源を意味します。
古代の人々は誰もが、私たち現代人には理解できなくなってしまった何か重要な事実を、肌で感じるように把握していたのではないかと私は想像しています。
それが何なのかは、まだ良く分かりません。新たなことが分かったら、またご紹介させていただこうと思います。
何か情報をお持ちでしたら、ぜひ教えてください。
では、今日はこのあたりで。
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