まえがき
以下の文章を読むと、エジプトの古代文化が完全に断絶した理由を、日本の古代文化との対比で理解することができます。
エジプトに見る文明の断絶

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。
年末にいろいろな特番を見ていると、エジプトの都市カイロの近郊に大エジプト博物館(GEM: Grand Egyptian Museum)が2025年11月1日に正式にオープンしたというニュースが目に入ってきました。
エジプト、ピラミッド、ファラオ、ツタンカーメンなど、考古学ファンなら胸がときめくワードが満載の博物館です。
その館内には、案内表示や説明パネルの多くに日本語が併記されていますが、これは、総工費約1440億円のうち日本政府が842億円を円借款として支援したほか、収蔵品の保存・修復にも技術協力しているからだそうです。
この博物館は、2002年の建設表明から実に20年以上がかかって建設されました。

ピラミッドの謎
エジプトと聞いて真っ先にイメージするのはピラミッドではないでしょうか?
私もそうですが、なぜ、どのように作られたのか、詳細は未だ不明な部分が多く、それゆえに古代に対するロマンがかきたてられます。
古代はもとより、中世から現代にかけても、エジプトにはいわゆるエジプト人が住み続けていますが、なぜ、ピラミッドの作り方やその意味などが継承されていないのでしょうか?
それらを調べていくと、日本にも共通する、なかなか面白い事実が浮かび上がってきました。
エジプトの歴史:何が継承され何が滅びたか
エジプトの歴史を大まかに区切ると
- 先王朝時代(紀元前3000年以前)~
- ギリシャ風のプトレマイオス朝(紀元前332年~紀元前30年)
- ローマの支配(紀元前30年〜4世紀)
- ビザンツ時代(4~7世紀)
- イスラム征服以降(7世紀~)
- オスマン帝国(中世、近代)
となり、DNA的には現代のエジプト人と古代のエジプト人につながりはあるものの、支配層の入れ替わり、使用言語の変遷などが断続的に起こりました。
しかし、ローマが支配していた時代までは神殿祭祀も続いており、イシス信仰などはローマ全域に拡散し、この時代、古代エジプトの宗教はまだ生きていました。

ビザンツ時代(4~7世紀):宗教と文字の滅亡
ビザンツ時代以降、コンスタンティヌス帝のキリスト教公認、テオドシウス帝による異教禁止(392年)により、古代エジプトの宗教が公的に禁止され、神殿の閉鎖、神官制度の消滅、ヒエログリフの使用停止などが起きました。
そして、ギリシア語・コプト語が主流になり、キリスト教(コプト正教会)が定着して「宗教と文字の断絶」が起き、この断絶が「ピラミッドの意味が後世に継承されなかった最大の理由」となりました。
ここで「古代エジプト文明」は制度的に完全に終了しました。
イスラム征服以降(7世紀〜):文化の滅亡
641年のアラブ軍による征服により、アラビア語・イスラム文化が支配的になり、エジプト人(コプト)は被支配層になり、古代遺跡は石材として再利用、もしくは「謎の異教徒の遺跡」扱いとなり、古代エジプトは完全に「異文化の遺産」となりました。
その後:中世〜近代初期
マムルーク朝 → オスマン帝国の支配などにより、ピラミッドや神殿は存在するが宗教的な意味は完全に失われ、伝承もほぼ残らず、「意味を失った巨大遺構」となりました。
近代(19世紀〜)
1798年のナポレオンのエジプト遠征によりエジプト文明が再発見されました。
そして、ロゼッタ・ストーンの発見により、19世紀にシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功し、2000年ぶりに古代エジプトが「復活」しましたが、これは継承ではなく、「考古学的再構築」となりました。
これらの流れを整理すると、
→ ローマ支配により政治的な死
→ キリスト教化で宗教的な死
→ イスラム化で文化的な断絶
が起こりました。

なぜ「完全に断絶した」のか?
他の文明と比べてエジプトが特殊なのは、王権・宗教・文字が三位一体であることであり、どれか一つが失われると全体が崩壊する構造となっていました。
それに加え、高度な宗教的な意味などは、神官を含めごく限られた者にしか伝えられていなかったため、支配層や言語が変わると、「宗教の強制切断+文字の消滅」が起き、文明が断絶しやすい構造を持っていました。
そして今、大エジプト博物館で行われていることは、発掘や文字の解読などによる文明断絶の復活であると言えるかもしれません。
縄文文化が断絶した理由
日本に置き換えて考えてみましょう。
今現在、縄文文化について、宗教祭祀や文化の正式な伝承は残っておらず、発掘物による状況証拠しか残っていません。
文字がなかったということもありますが、渡来人などによる文化の上書きにより、弥生時代、古墳時代にわたって王権や宗教祭祀などに変更が生じ、縄文時代の土偶などの意味は、おそらく早い時期に不明になっていたのではないかと思われます。

古墳文化がうっすらと生き残った理由
しかし、それよりも後の時代の古墳については、その意味や由来など、失われたものも多いのですが、その存在は、今もうっすらと残っています。
結論的には、日本は「意味を一つに固定しない宗教・権力構造」だったため、完全には断絶せず、「うっすら」と残ったのではないかと思われます。
逆に、エジプトは、意味を固定しすぎて、切られた瞬間に完全消失し、日本は、意味が曖昧で、切られても死ななかったと言えます。
これは、権力・宗教・墓制の「結びつきの強さ」が違ったためだと思われます。
エジプト
- ・王=神
- ・ピラミッド=死後再生の宇宙装置
- ・墓・宗教・政治が完全一体
- → ファラオ制度が終わる=意味が消滅
日本(古墳)
- 天皇=神そのものではない
- 古墳=祖霊、権威の象徴、共同体の中心、境界標識など、意味が多層的
- → 一つの意味が死んでも、他が残る
そして、文字の依存度の差も大きかったと思われます。
エジプトでは、意味は文字と儀礼テキストに強く依存し、ヒエログリフが読めなくなる=思想の消滅となります。
日本では、古墳の意味は、口承、祭祀、地名、慣習に分散され、文字が消えても完全には死なない構造を持っていました。
文字に関しても、古事記は「和漢混淆文」、日本書紀は「漢文」で書かれており、使用される文字体系も、万葉仮名、平仮名、片仮名など、文字文化も多層的になっており、文化が完全には失われにくかったとも思われます。
そして、このように考えると、古事記、日本書紀、万葉集などは日本におけるロゼッタ・ストーンのようなものであるとも言えます。

まとめ
日本は王統が「断絶しなかったことになっている」ため、実態は変質したとしても物語としては一本であり、「古墳=誰かの祖先の墓」という感覚が残存していましたが、エジプトでは完全に「異文化の遺産」となってしまいました。
そして、面白いことに、日本の神道も、宗教としては「上書き耐性」が異常に高いものでもあります。
エジプトの「多神教」は、「一神教」によって完全に否定される構造ですが、日本の神道は、「多神教」のようで「一神教」のようでもあり、教義なし、経典なし、教祖なしで、否定される「芯」がありません。
日本でもそれぞれの時代においても文化的な断絶は見られますが、古代からの上澄みがうっすらと残っており、これは世界的に見ても非常に珍しいことなのかもしれません。
エジプトでは4世紀から断絶が起こり始めましたが、それと入れ替わるように、徐々にヨーロッパ大陸ではエジプトを背景とする錬金術や秘教的な思想が台頭し始め、後のイスラム教では同様にスーフィーなどのイスラム教の神秘学(神秘哲学:mysticism)が発展していきましたが、このスーフィーは、エジプト神秘学がイスラム化したものであるという説もあります。
これらの流れは、エジプトで途絶えようとしていた神秘学を秘密裏に伝承させようとする意図があったのかもしれませんが、それについては今後、研究していきたいと思います。

付記:カイロ郊外の大エジプト博物館が話題になりなしたので、あるバラ十字会員がカイロで体験した風変わりなエピソードについての記事を紹介します。
参考記事:『あるバラ十字会員のエジプトの話-あなたは何をお探しなのですか?』
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執筆者プロフィール
渡辺 篤紀
1972年9月30日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部下部組織(大阪)役員。ベーシスト。 TV番組のBGM、ゲーム音楽の作編曲のほか、関西を中心にゴスペルやライブハウスでの演奏活動を行っている。





