資料室

ラン(蘭)~世界一不思議な花~

Orchids - The World's Strangest Flower

ボニー・ニュートン

by Bonnie Newton

 ラン(Orchid)は、世界一不思議で美しい花で、南極大陸を除くすべての大陸で生育しています。「ラン」(蘭)はラン科の植物の総称ですが、その一部は高温多雨の熱帯の密林で育つ、非常に華やかで優美な花で、開花までに7年を要するものもあります。一般的なランは、ほとんどどこにでも生える、広く知られた丈夫な花です。

 2万8千種にも及ぶラン科は、顕花植物(花をつける植物)の中でも、極めて複雑な最大の科であり、地球上の顕花植物のおよそ7分の1を占めています。ランの多くは、木の高い枝の上や、岩や、古い時代に固まった溶岩に根を張って生育します。数は少ないですが、半水生植物として水の中で育つ種もあります。とても珍しいオーストラリア産の2属は、地下で生育するランです。

 「ラン」という言葉から一般に連想されるのは、華やかな紫色の花かもしれません。また、蜂や蝶や蛾に擬態した花もあります。白鳥や鳩に似ているものもあれば、カエルかトカゲのように見える花もあります。種類は少ないのですが、アラビア数字のような形をした花もあります。

 最も小型のランは指先ほどの大きさです。世界最大のランは、つる性植物で高さ30メートルにも達します。ランの花の色はさまざまで、赤色、オレンジ、黄色、緑色、紫色、茶色、白色、珍しいものでは青色や鮮やかなピンクの花もあります。多くの人が想像するランはラベンダー色のカトレアかもしれませんが、最も多いのは、おそらく緑色と茶色の花です。

 ランは身に着けることもできれば、食べることもできます。香料のバニラは、ラン科バニラ属の植物の種子の莢を熟成・乾燥させたものが原料です。450年ほど前のことですが、メキシコのアステカ族の人たちがランの種子の莢の、良い香りのするかけらをココアに入れて飲んでいるのをスペインの征服者たちが見かけました。こうしてバニラ・プラニフォリア(学名:Vanilla planifolia)がヨーロッパに渡ることになりました。今日ではマダガスカルが、世界のバニラの需要の半分を栽培、供給しています。

タイワン・プレイオネ

 ランの原産種はニューギニアが一番多く、その後にコロンビア、ブラジル、コスタリカ、ボルネオ、ジャワと、インドのヒマラヤ地方が続きます。フロリダ州は、ランの固有種がおよそ90種あることを誇り、米国の各州にも、少なくとも数種の固有種があります。ミネソタ州は州花に、アメリカアツモリソウというラン(学名:Cypripedium reginae)を採用しています。シンガポールの国花もバンダ・ミス・ジョアキムという名のランです。シンガポールの国花のランは、異種間の交配によって作られた栽培種です。病気に強く四季咲きであるという特徴があり、シンガポール独自の混成文化を象徴する花として1981年4月15日に国花に制定されました。

 ランの中でも特に華やかな種類は、熱帯地方原産のものが多いようです。中南米の熱帯雨林や高地には、幻想的なほど美しい花が生育しています。熱帯地方原産のほとんどのランは、木に付着する着生植物で、雨水の中に存在する有機物の微少な粒子から栄養を取り込んでいます。

 シンビジウム属のランは何世紀も前から中国で栽培されていましたが、熱帯のランが初めてイギリスに伝えられたのは1731年のことです。ピンクとバラ色が入り混じった魅力的な花、ブレティア・プルプレア(Bletia purpurea)はバハマ諸島が原産で、イギリス中に広がったランブームの先駆けとなりました。

 19世紀に入ると競争が過熱し、イギリスの園芸家はオーキッドハンターと呼ばれる人々を熱帯地方に送り込みました。ハンターたちは何万株もの植物をイギリスに持ち込みました。ランを種子から育てる方法がまだ発見されておらず、輸送の途中で多くが枯れてしまうため、莫大な数のランが必要とされたのです。

 ヨーロッパの上流階級の、ますます多くの人々が外来植物を育てるようになり、ビクトリア朝の時代には地位の象徴になるほどでした。収集家は植物コンテストで賞を競いました。いくつかの種には大金が投じられました。100万種もの標本のコレクションが知られるようになりました。

日本の林に咲いたキンラン(絶滅危惧種VU)

 オーキッドハンターたちはアメリカ大陸、アジア、アフリカの熱帯地域を踏み歩きました。ライバルよりも先に、人々が手に入れたがる種を探し出そうとして、彼らは陰謀と賄賂の世界に足を踏み入れていきました。彼らは、赤痢や熱病や、毒ヘビに咬まれるリスクや、敵対的な原住民といった危険にさらされました。中には現地で命を落としたハンターもいました。

 アンデス地方では、滝のような雨に襲われ、ずぶ濡れになり、幾晩も肌寒い夜に野宿をすることもありました。山道は険しくて狭く、ジャングルの下草を踏み分けて進むのは極めて困難なことでした。

 ランの収集の草分けであった人々の一部は、ランそのものへの興味から外れて、大規模な事業へと乗り出しました。宣教師チャールズ・P・パリッシュは、ビルマ(現ミャンマー)のランを研究して、多くをヨーロッパに持ち帰りました。数回にわたる壮絶な冒険の後、1876年に特に美しい種類のランを発見し、莫大な数の株を採集して、2頭のゾウで運び出しました。ところが、モールメイン(当時の英領ビルマの中心都市)に戻る途中、突然ゾウが積み荷を投げ出して踏みつぶしました。ほとんどがペシャンコになるまで潰され、結局イギリスに持ち帰ることができた株はごくわずかでした。

 19世紀の中頃、イギリス人の外科医ジョン・ハリスはランの花を分析して、交配の方法を提案しました。ハリスの助言に従って園芸家ジョン・ドミニーは、1856年にエビネ属の2つの種の間の交配に成功し、新しい花が誕生しました。それ以降、ランの愛好家の多くが、希望する色や大きさを選んだり、自分の好みに合わせてランの品種改良をしたりすることができるようになりました。今世紀の初めごろには、ラン愛好家の主な興味の対象は交配種に移りました。今日では10万種もの交配種が存在します。

ラン科カトレア属の栽培種

 1904年にフランスの植物学者ノエル・ベルナールは、他の大部分の種子とは異なり、ランの種子には発芽に必要な栄養分がほとんど含まれないことを発見しました。自然界では、ある微細な菌類がランの種子に侵入することによりランは発芽します。米国の植物学者ルイス・クヌーセン博士は1922年に、この菌の唯一の働きは、構造が複雑な澱粉質を単糖類に変換することであることを発見しました。クヌーセン博士は、各種の栄養素が配合された寒天の培地に単糖類を添加し、その中にランの種子を蒔きました。種子は発芽して、丈夫な苗に生長しました。こうして今では菌は不要となり、誰でも種子からランを育てられるようになりました。ランの苗を育てる確実で簡単なこの方法により、ランの栽培は一変しました。

 教育機関や研究組織の多くには、優れた植物標本館があります。世界中にある大規模な植物標本館のいくつかには、100万種以上のランの植物標本があり、新種のランを鑑定することができます。ロンドン近郊のキュー(Kew)にある王立植物園には、世界中のラン科植物の生息地から集められた何千もの保存標本があります。このキュー王立植物園はアジアとアフリカのランを専門的に扱っており、特にヒマラヤのカトマンズ盆地や他の低地で採集された標本を多数所有しています。ハーバード大学の世界的に有名なオークス・エームス・ラン標本館では、世界中の栽培者や収集家から送られてきた花の鑑定を研究者たちが行っています。

 ランの需要のピークは、イースター(復活祭)とクリスマスです。ランの中でも特に人気があるカトレアは、米国市場では年間2億本も販売されています。カトレア属は、1820年代のイギリスのラン収集家ウイリアム・カトレー氏にちなんで命名されました。東南アジアの国々からは、ヨーロッパ向けに毎日数千本のバンダ属の交配種が航空便で出荷されています。ハワイのある栽培園には、毎日3万本ものバンダ種の切花を生産する能力があり、その多くが世界中に輸出されています。

 ヨーロッパと米国本土の栽培園からは、世界中のほとんどの国にさまざまなランが輸出されており、皮肉なことに、その多くがランの原産国に届けられています。このようにして、美しいランが世界中の家庭に異国情緒を運んでいるのです

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