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人類とコンピュータの戦い-人工知能、自由意志と存在意義の関係

2014年5月9日


 

こんにちは、バラ十字会日本本部の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

東京板橋は、梅雨前のさわやかな時期です。つつじの花が満開になっています。そちらはいかがでしょうか。

 

今年の3月15日から4月12日にかけて、人類とコンピュータの戦いがありました。

といっても、SF映画の話ではありません。将棋で、トッププロの棋士5人と、最も優秀なコンピュータ・プログラム5種が勝利を争ったのです。

週に一度ずつ5試合が行なわれ、結果は1勝4敗で人類側の敗北となりました。

 

 

コンピュータの性能と、さまざまなソフトウェア技術の進歩にはたびたび驚かされます。

たとえば携帯電話で写真を撮るときは、たいていの機種で人の顔が自動的に認識され、そこにピントが合うようになっています。

フェイスブックに人が写っている写真を投稿すると、最近は自動的に誰であるかが判断されて、顔の部分に名前が対応づけられます(タグ付けの提案)。

 

このような技術はたいてい、人工知能プログラムによって実現されています。

面白いことに、人工知能プログラムの多くは、人間の脳細胞の仕組みをまねて作られています。そして、人間が過去に行なった判断をデータとして与えることによって、チューニング(学習によって微調整されること)がされ、なるべく人間と同じ判断ができるようにされています。

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しかし今のところ、コンピュータ・プログラムの判断の精度は、人間には及ばないようです。

先ほどの将棋プログラムでも、人工知能自体の部分は人間に劣るとのことです。しかしコンピュータは、短時間に大量の計算を行ない、結果を記憶し、それを検索して最大値や最小値を求めたりする処理を得意としています。そのため、人間に勝つことができるのだそうです。

 

ですから現時点では、コンピュータ・プログラムで競馬に勝とうとしたり、カラオケマシンの採点が良いからと言ってプロの歌手になろうとしたり、人生を左右するような重要な決断をコンピュータ占いに委ねたりすることは、控えめに言っても、あまり賢い行ないとは言えないようです。

 

しかし、顔を見て誰だかを判断したり、将棋を指したりというような人間っぽいことが、すでにコンピュータでできることから、SF作家でなくても、次のような想像をたくましくしてしまうのは、自然なことではないでしょうか。

今後コンピュータの性能やソフトウェア技術が、今よりもはるかに進歩したときには、人工知能が創造性を得て、バッハのような音楽を作曲したり、ゴッホやセザンヌのような絵を描いたりすることがあるのではないか。

 

このようなことを突き詰めて考えていくと、次のような疑問に行き着くことになります。

思考とは何なのだろうか。芸術を生み出す創造性とは、さらには、生命とは何なのだろうかというような疑問です。

 

神秘学という名前で知られている哲学は、まさに、これらのテーマを長年にわたり研究してきました。

そしてこのことは、生物の進化の歴史という側面からも考えることができます。

 

フランス南部にあるショーヴェ洞窟には、およそ3万年前に生きていたと思われる原始人が、黒とオレンジの顔料で、牛、馬、ハイエナなどの生き生きとした壁画を残しています。知られている最古の洞窟壁画のようです。

ショーヴェ洞窟に古代人が描いた馬の絵

南フランスのショーヴェ洞窟の壁画

しかし、さらに数十万年前にまで時をさかのぼると、人類はおそらく、精神的にそれほど進歩しておらず、創造性を十分に発揮することはできなかったようです。

ですから、46億年と言われる地球の歴史の中では、ごく短い期間にあたる最近の数十万年の間に、進歩によって人類はたいへん貴重な何かを得て、そのことによって創造性を身につけたのです。その貴重な何かとは何だとあなたは思われるでしょうか。

 

バラ十字会の神秘学では、人間の心の進歩の歴史について、細かな検討を行なっています。その結果によると、この貴重な要素のひとつは自己意識、つまりこの世界に自分が存在しているということを理解していることであり、もうひとつは自由意志、つまり自分の意志で何を行なうかを決断して実行できることです。

以前にも書きましたが(記事「人生についてのあるゴリラの意見」)、人間のほか、類人猿、イルカ、シャチ、ゾウ、カササギには自己意識があるそうです。

そして、その範囲は明らかになっていないようですが、人間を含むこれらの生き物の一部に自由意志があります。

 

一方、現在のコンピュータには自己意識も自由意志もありません。ですから、記憶しているデータが同じであり、キーボードやマウスで同じ操作をすれば、必ず同じ結果が帰ってきます。この点から考えると、現在のコンピュータはまだ、極めて複雑になった電卓のような性質のものにしか過ぎません。

それにもかかわらず、人間のことを、高度なコンピュータのようなものに過ぎないのではないかと考える人がいます。

 

そして、その方向に考えを進めてしまって、人間の自由意志は幻想であると思い、最後には、人生には意味がないのではないかという結論を出してしまう人さえいます。

もしも人間のことを、コンピュータと同じように自由意志を持たないと考えてしまうと、人生には意味などないと、どうしても考えざるを得なくなってしまいます。

心の自由があり、自身の決断によって何かを行ない、その結果を体験するということが、人生の意味の基礎になっているからです。

 

コンピュータにとって、コンピュータ自体に存在意義はありません。コンピュータには、何かを体験するための自己意識も、自体の存在理由について自発的に考えるための自由意志もないからです。

一方、人間にとってコンピュータには存在意義があります。先ほどの例に戻れば、将棋のプロの人たちが、コンピュータを活用して研究を行なうことは、すでに当たり前のことになっています。地球の貴重な資源から作られているこれらの機器を大切に活用して、私たち人間は自身の能力を拡大することができます。

 

いかがでしょうか。最後は多少ややこしい話でしたでしょうか。それともあたりまえの話でしたでしょうか。少しでもあなたのご参考になる点があれば、心から嬉しく思います。

 

それでは、また。

 

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