投稿日: 2016/10/14
最終更新日: 2022/11/24

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋は秋晴れです。ひんやりとした空気がすがすがしく感じます。

そちらはいかがでしょうか。

さて、書店に精神世界のコーナーが作られたり、スピリチュアル、スピリチュアリティという言葉が、ひんぱんに使われたりするようになってから、もうずいぶんと月日が経ちました。

しかし、この2つの言葉が、正確には何を意味しているかを説明することは、それほど簡単なことではありません。

この2つの言葉の元になっている「spiritual」(スピリチュアル)という英語は、「人の心のもっとも深奥にある、善良さと美しさと素朴さと、そこにあるパワーについての」というような意味合いで使われていることが多いようです。

そして、「スピリチュアリティ」(spirituality)はその名詞ですが、精神性を重視したり、内面の向上を目指したりする傾向を意味しています。

スピリチュアリティ-イメージ図

スピリチュアル、スピリチュアリティという言葉は、社会的な現象としてだけでなく、健康やQOL(Quality of Life:生活の質)を研究する専門家からも注目されています。そのきっかけは、少し古くなりますが、1988年にWHO(世界保健機構)で、健康の定義を次のように変えることが提案されたことでした。

「健康とは、単に病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、スピリチュアルにも、そして社会的にも、すべてが満たされた動的な状態にあることをいいます。」

(Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. )

(「スピリチュアルにも」と「動的な」が以前の定義に追加された。)

英語のスピリチュアルは「精神的」と訳されることも多いのですが、ここでは「精神的」と「スピリチュアル」が、別のものとして2つ含まれています。「精神的」は、考えたりする知的な活動を主に指すのに対して、「スピリチュアル」は、感情や信念、信仰などを指しているようです。

先日、バラ十字会AMORCのフランス代表が、スピリチュアリティについてブログ記事を書いていますので、その翻訳を以下にご紹介させていただきます。

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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「スピリチュアリティについて」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
Serge Toussaint

世界中の大部分の国で、宗教の勢いが衰えています。宗教原理主義がいまだに生じるような国々でさえも、この傾向は変わらないようです。大部分の人たち、特に若い人たちは、もはや信仰を持たず、宗教生活を実践していません。

しかし、これらの人がすべて、無神論者でありスピリチュアルな(精神的な)探究を行なっていないと考える必要はないと思います。むしろ、宗教とスピリチュアリティを区別して考えることが重要なのではないでしょうか。

宗教には、誠実な信者に提供しているさまざまな尊い要素があると思いますので、私は宗教のことを評価しています。しかしそれでも、感情的な意味でも理論的な意味でも、現代人のものの見方や意識のレベルに、宗教は、もはやそぐわないのではないかとも感じています。

21世紀初頭という現代の状況に直面している人たちの、人生の意義についての問いかけに答える力を、宗教はもはや失っているのではないかと思います。

小説家のアンドレ・マルロー(André Malraux)はかつて、次のように述べました。「21世紀は、宗教ではないスピリチュアリティの時代になるか、さもなければ存在しなくなるでしょう」。

彼が言いたかったことは、ひとつには、20世紀の間ずっと強まり続けていた、物質だけを過度に重視する傾向が打破されるであろうということです。そして第2に、内面的に充実した人生を過ごすための「知」を尊重するという意味でのスピリチュアリティが、宗教に取って代るであろうということです。

アンドレ・マルローの写真
アンドレ・マルロー(1901-1976)

内面的な満足を得るためには、神を信仰するだけでは十分ではありません。大部分の宗教が、神のことをある種のスーパーマンのようだと考え、人の喜びと悲しみの取り分や人の運命を、神が自分だけで定めるとしている状況では特にそうです。

このような神を信仰するだけでは、人に意識の向上はもたらされません。ですから、宗教信者のうちの少なくない割合の人が、他の宗教の信者や無宗教の人も含めたあらゆる人が尊重されるべきだとは考えていないようです。

バラ十字哲学の考えでは、神は知性、意識、エネルギー、もしくは力であり、このうちのどの言葉で呼ぶかにかかわらず、あらゆる生き物、可視の世界と不可視の世界の両方に含まれるすべてのものの源泉です。そして、神は人の知性を超越していて、人が完全に想像することも理解することもできません。

言い換えれば、世界や自然界や人間の中に働くさまざまな秩序と法則に神が表れており、神それ自体でなく、その表現である秩序と法則だけを、人は学んだり尊重したりすることができます。

実際のところ、これらの秩序と法則を学び尊重することが、真の意味でのスピリチュアリティだということができ、それによって、人は豊かさと内面の満足を手に入れることができます。

世界や自然界や人間の中に働く秩序と法則や、その源が存在することを否定し、物質だけがこの宇宙に存在すると考えるのでは、人は幸せにはなれません。なぜなら、たとえ気づいていないとしても、スピリチュアリティは人にどうしても必要な要素だからです。

人に命を与えているソウル(soul:魂)が、スピリチュアリティを食物のように必要としているのです。このことが理由で、物質的に豊かな多くの人が内面の満足を感じることができず、心にぽっかりと穴の空いたような空虚感を抱えています。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

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今回ご紹介したかったことは以上です。スピリチュアル、スピリチュアリティということについて考えるときの一助にしていただければ、心から嬉しく思います。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

ではまた。

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