こんにちは。バラ十字会の本庄です。
早くも11月ですね。体が温まる鍋やおでんが恋しい季節になってきました。
いかがお過ごしでしょうか。
きのう、テレビのニュース番組を見ていて知ったのですが、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本が、2019年の本屋大賞のノンフィクション部門など、数々の賞を受賞しています。
この本の著者はブレイディみかこさんで、家族で、イギリスで暮らしています。
本の主人公は、日本生まれの彼女とアイルランド人の旦那さんの間にできた、今では中学生の息子さんです。
彼女が番組のインタビューで、息子さんのエピソードをひとつ紹介していました。彼の中学校の期末試験で「エンパシーとは何か」という問題が出たのだそうです。
ちょっと説明を付け加えると、英語の共感に当たる言葉には、「シンパシー」(sympathy)と「エンパシー」(empathy)という2つの似た語があります。
このうちシンパシーは、同調するように相手と同じ感情を体験することを意味し、エンパシーは、相手の自分とは異なる感情を想像して、それを自分の感情のように体験することを意味します。
アイルランド人のお父さんに、「で、おまえ、なんて答えを書いたんだ」と聞かれて、息子さんは「自分で誰かの靴をはいてみること」と答えたのだそうです。
英語の慣用句では、相手の立場に立つことを「誰かの靴をはいて」(be in someone’s shoes)と言います。彼は当意即妙にこの慣用句を用いて、この問題を切り抜けたというわけです。
イギリスの素晴らしい教育の質と、生徒の素晴らしいレベルに驚かされますが、それだけでなく、考えさせられるエピソードです。
世界中で、異なる宗教・文化の人たちが共存して暮らすようになった現代では、自分の想像力を駆使して、他人の靴をはいてみることを、誰もが心がけなければならないのではないでしょうか。
さて、シンパシーもエンパシーも感情の一例ですが、バラ十字会フランス本部代表のセルジュ・ツーサンが、先日、自身のブログで感情について書いていました。その記事の日本語訳をご紹介させていただきます。
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『感情について』
“A propos des sentiments”
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
ある辞書で「感情」という語を引いてみると、「喜怒哀楽の状態」であると、雲をつかむような定義が書かれていました。
感情という語は、愛や思いやり、共感、喜びなどの「肯定的感情」のことも指しますし、憎しみや嫉妬、恨み、恐れなどの「否定的感情」のことも指します。
私の考えでは、感情とは、思いと心の状態の変化の組み合わせであり、それは好ましい働きをすることも、好ましくない働きをすることもあります。
先ほどの例で言えば、愛という感情は、人がそれを体験しているときには、好ましい思いと美しい心の状態の変化が伴いますし、反対に憎しみからは、好ましくない思いと心の状態の変化が生じます。
私たち人間は、あらゆる瞬間とは言わないまでも、毎日感情を体験しているので、感情というものが実際に存在することは疑いようのないことです。
感情の一部は肯定的であり、人間にとって有益に働きますし、反対に、否定的で人間を傷つける感情もあります。人の本能は明らかに、肯定的感情の方を好みます。その理由は否定的感情が、心にとって毒のようなものであり、健康を害する影響を及ぼすからです。
否定的な思いと感情が生命の働きに影響を与えると、さまざまな程度の場合がありますが、体に不調をもたらすということに、現在では多くの医者が同意しています。反対に、肯定的な思いと感情は体の代謝活動を助け、健康全般に有益な影響をもたらします。
感情が、健康に否定的な影響や肯定的な影響を及ぼすことは、どのように説明されるでしょうか。このことは昔も今も、バラ十字会の学習カリキュラムで必ず扱われる事柄になっています。
思いと感情は、さまざまな内分泌腺に影響を与えます。そして内分泌腺からは、アドレナリン、コーチゾン、インシュリン、メラトニン、チロキシンなどのホルモンが、血液やリンパ液に放出され体内を循環します。
これらのホルモンが適切なタイミングで適切な量分泌されていれば、それらは必要な働きを果たし、体にとって有益になります。一方で、ホルモンの放出が適切でなければ、つまり多過ぎたり少な過ぎたりすれば、それらは不足したり過剰であったりして、有害なことが起ります。
たとえば、アドレナリンの分泌は、激しい身体活動をする場合に必要とされますが、怒りなどによって必要以上に放出されると有害になります。
このことに関連して、指摘しておくのが重要な点がひとつあるように私は思います。
感情とは、特定のホルモンが作り出す結果であるという意見を時々聞きます。愛はオキシトシンの結果であり、幸福はセロトニン、喜びはドーパミンの結果である等々です。このような意見に従えば、私たち人間の感情は、単なる生理化学的な反応であるということになります。
この考え方には、科学全般、特に医学に現在広まっている物質偏重主義(materialism:唯物論)という傾向が影響しています。しかし、喜ばしいことに多くの医者の取り組みは、このような誤った意味で“科学的”でなく、人間の感情のことを、ホルモンの分泌であると単純化して考えることを拒んでいます。
これらの人たちの一部は、感情とは、魂という人間の内的な本質の表現だと理解しています。
物質偏重主義にとらわれている研究家が、理解することができず認めるのを拒絶しているのは次のことです。つまり、体によるホルモンの分泌が感情を作り出しているのではなく、反対に、私たち人間の感情が内分泌腺に作用して、その反応としてホルモンが分泌されているのです。
このような視点から見ると、愛や喜び、幸せなどの感情は、人間の魂から発し、内分泌系の働きによって具体的な形に変換され、私たち人間の意識の中に現れると考えることができます。
魂が一例ですが、このような非物質的で精神的な要素を根本に据(す)えてものごとを解釈する立場をスピリチュアリティと呼ぶことができます。スピリチュアリティには、人間を健康という望ましい状態に導く傾向があります。
なぜなら、人間の性質の中でも、崇高とまでは言わないとしても好ましい思考と感情を表現することが、スピリチュアリティによって促されるからです。
反対に物質偏重主義は、私の考えでは硬直した考え方であり、人間の本質についての解明をもたらさないので、遅かれ早かれ、不安という感情が必然的に生じることになります。
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
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再び本庄です。
いかがでしたでしょうか
この文章でも述べられていましたが、感情という心の働きは、自己の本質と極めて密接に関連しています。そのため、多くの人が自分の感情と自己を同一視しています。
このことは、たとえば財産や地位や、あるいは自分の意見と自己を同一視するよりは、はるかに健全な傾向のように私には思えます。
しかし突き詰めていえば、感情も自己そのものではなく、私たちは誰もがいずれ、この同一視の段階を卒業して、先へ進まなくてはならないように思います。
この話題は、「人間とは何か」というビッグ・クエスチョンに直結しています。
このことも、準備ができましたら、いつかこのブログで話題にさせていただきたいと思います。
前回のセルジュ・ツーサンの記事は次のURLで読むことができます。人気の記事で、多くの方に読んでいただくことができました。
参考記事:『エソテリシズムとは』
では、今日はこの辺で。
また、お付き合いください。
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