投稿日: 2020/10/23
最終更新日: 2022/08/08

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

私の住居から日本本部の事務所に向かう途中に、帝京大学のキャンパスがあります。中央に大きなカエデの木が一本あり、葉が少しずつ色づいてきました。

植え込みの管理をされている方々が、最近はたびたび、地面に落ちた葉を掃き集めています。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、この時期にふさわしい文章を寄稿してくださいましたので、ご紹介します。

 

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(24)

『最後の一葉』 O・ヘンリー

森和久のポートレート
森 和久

 

グリニッジ・ヴィレッジと言えば、かつては「芸術家の天国」とも呼ばれ、それこそ世界中から一旗揚げようとする芸術家の卵たちが挙って集まった地区です。ニューヨークはマンハッタンのダウンタウンに位置し、一大芸術の発信地として世界中に名を馳せました。

そこを舞台に物語は起こりました。グリニッジ(Greenwich)とは「緑の地区」という意味を持ちこの物語にある意味相応しい名前と言えます。そのグリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエアの西にある「プレイス(Places)」と呼ばれる区域にあるレンガ造りの古いアパートの3階に、ジョンジーとスーは住んでいました。

ジョンジーとスーは5月頃にそれぞれここにやって来ましたが、言わずもがな二人とも貧乏画家であり、未来の成功を夢見る女の子たちで、そこに共同のアトリエを持っていました。スーはジョンジーに絆と愛情を感じていました。

 

ところが11月になると肺炎がグリニッジ・ヴィレッジ中をあたかも暴れ回り、人々を病に倒して歩きました。

作者はこの肺炎を「いかさま師の老人、ミスター肺炎」と擬人化して表現しています。「プレイス」も例外ではなく、カリフォルニア育ちのジョンジーも彼に襲われベッドに伏してしまいました。

 

ジョンジーは生きる望みを失い、死ぬことだけを考えるようになりました。まるで悪魔にでも取り憑かれたようです。そんなジョンジーをスーは力づけようと明るく振る舞いますが、ジョンジーは耳を貸しません。

死に神に魅入られたように、窓から見える蔦(つた)の葉が自分の命の炎と同じだと思い込み、最後の葉が落ちるとき、自分の命も消えるのだと当たり前のように思い込んでいます。

「悪魔」や「死神」などは往々にして自分が作り出したもので、さらに自分で増幅させてしまうものですが、ジョンジーのような人は聞く耳を持ちません。

蔦のからまるレンガの塀

 

見かねたスーは階下に住んでいる、これまた売れない「ミケランジェロの描いたモーセのようなあごひげがカールして、森の神サチュロスの頭から邪鬼の体へ垂れ下がっているような老人」画家のベールマンに相談します。

ベールマンは25年間に亘って「傑作を描く」と言いながら、酒浸りで、キャンバスに一筆も入れていない有様です。

ドイツ語訛りを話すベールマンは気難しい小柄な老人で、弱そうな相手には酷いあざ笑いを与えるような人物ですが、自分はジョンジーとスーを守る番犬のつもりでいるようです。

ジョンジーが最後の蔦の葉が落ちるとき自分も死ぬと思い込んでいることを聞くと、ベールマンは軽蔑と嘲笑の大声を上げるのでした。

「神様よ! こごはヨーンジーちゃんみでいな良い娘が病気で寝込むようなどころじゃねぇんだよ。(Gott! dis is not any blace in which one so goot as Miss Yohnsy shall lie sick.)」

 

打ち付ける雨と激しい風の長い夜が明けた次の朝、それでも蔦の葉が一枚残っていました。それは蔦の蔓に残った最後の一枚です。それを見たジョンジーは、「あの最後の一葉が落ちるとき私も死ぬ」と再び言いつのります。

本文で作者はこう述べます、「魂が神秘な遠い旅への準備をしているとき、その魂はこの世で最も孤独なのです。幻想が彼女を強く支配するにつれ、彼女の友人や地上との絆は弱くなっていくのでした。」

秋の空と最後の一葉

 

そしてまた雨風の凄まじい夜が過ぎ、新たな朝になりました。

すると、なんと蔦の葉はまだそこにありました。

 

ジョンジーは横になったまま長い時間その蔦の葉を見ていました。そしてジョンジーは言います、「何かがその最後の葉をそこに留まらせ、私がいかに邪悪だったかを教えてくれたの。死にたいと願うのは罪だわ」。

こうしてジョンジーは生きる希望を持つようになりました。ジョンジーは回復へ向かったのです。しかし、その最後の一葉は老画家ベールマンがレンガの壁に描いたものでした。

雨と風の吹きすさぶ夜中に彼は見事な蔦の葉を描き上げ、そのせいで肺炎になりあっけなく死んでいきました。最後の蔦の葉が散った夜に、その壁に描かれた蔦の葉が彼の生涯の傑作になったということです。

 

この作品は1907年に発表されました。まさにグリニッジ・ヴィレッジが「芸術家の天国、ボヘミアンの首都」と大いに世間で言われていた時代です。世界中の老若男女の芸術家が憧れましたが、光の部分だけではなく影の部分も計り知れないほどあったわけです。この物語の登場人物たちもそういった人たちです。

作品としては日本の小中学校の教科書にも長年収められているのでご存じの方も多いでしょう。絵本にもなって数多く出版されています。

オー・ヘンリーの写真
オー・ヘンリー(本名:ウィリアム・シドニー・ポータ)public domain, via Wikimedia Commons

 

しかしあまり取り上げられない点を見てみましょう。まず、ベールマンですが、それまでの言動からして、顕在意識では自分が死ぬことになろうともジョンジーのために本物そっくりの蔦の一葉を描いてあげようと思っていたわけではないでしょう。

結果的にはそうなってしまいましたが。しかし心の声、もしくは内部の自分自身、つまり下意識精神の促しを受け入れることが出来たということでしょう。

自己犠牲を受け入れたということで、描かれた蔦の葉が、それによりベールマンの唯一の傑作になったと作者は伝えたかったのでしょう。「傑作」とは必ずしも万人に対するものではなく、唯一の人のためでもあり得るということです。

「肺炎」を老人に準(なぞら)えることでベールマンとの対比構造を作り、あるべき老人の姿を描き出しています。

 

次にスーの存在です。実は最も重要とも言えます。スーの存在なくしてベールマンの行為とジョンジーとの繋がりもありえません。私たちが日常で出会う物事でもスーのような存在が顧みられない場面が散見されます。

その重要さは脳細胞で言えばシナプスのようなものです。私たちはベールマンのような行動は取れなくてもスーのような役割を担うことは積極的に試みるべきではないでしょうか。もちろんスーのような純粋な愛情を特定の誰かに注いでいなくともです。

 

 BGMはもちろん1963年のビルボード・シングル・チャートで第2位を記録したザ・ヴィレッジ・ストンパーズ(The Village Stompers)の『ワシントン広場の夜はふけて(Washington Square)』をどうぞ。

グリニッジ・ヴィレッジ出身の彼らはグループ名もグリニッジ・ヴィレッジからとっています。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

私もひさびさに、『最後の一葉』を青空文庫で読んでみました。さまざまな感情を呼び起こす優れた短編のように思います。

ふと思いついたことがあります。蔦の葉とはまったく似ていないのですが、「譲り葉」(ユズリハ)という植物は外国にもあるのでしょうか。その象徴的な意味は日本と同じなのでしょうか。

 

森さんの視点とは少し異なりますが、ベールマンのように、他の人、特に後の世代の人のために何かを行ったという思いを最期に得られたとしたら、それは幸せな人生ではないでしょうか。

オー・ヘンリー博物館
オー・ヘンリー博物館(米国テキサス州) Larry D. Moore, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

下記は、森さんの前回の文章です。こちらも、しんみりとした心にしみる物語です。

記事:『銀河鉄道の夜

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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