最初に考えていただきたい問いがあります。
人間であるあなたは、原子の集合からできている身体なのでしょうか、それとも身体の中に、魂と呼ばれる原子からできていない何か別のものが存在しているのでしょうか。
心身二元論とは
世界には、完全に異なる2つの実体(物と精神)があり、そのどちらも、もう一方によっては説明ができないという考え方は「二元論」(dualism)と呼ばれます。そして、二元論を人間にあてはめたのが心身二元論(mind-body dualism)です。つまり心身二元論では人間が、物質からなる身体と精神からなる魂という2つの実体からなると考えます。
このブログで以前にご紹介したことがありますが、バラ十字という象徴の中の十字は、人の体(物)を意味し、バラは人の魂(心)を意味しています。また、開きつつあるバラの花から放たれる薫りは、人生経験を経て洗練されていく人格を表わしています。しかしこれから説明していきますが、バラ十字会の哲学は、おそらく二元論ではありません。
デカルトの心身二元論
デカルトはバラ十字思想について深い知識を持っていたため、当時のバラ十字会員であったか、もしくは、会員と親しく交流していたと推測されています。
バラ十字という象徴から影響を受けたことが理由かどうかは分かりませんが、彼はこう考えました。物質というものは空間の中に広がっているが、人の心はそうではないので物質とは異なる実体である。
人は身体と魂という2つの実体からなるという考え方であり、心身二元論にあたります。
デカルトは著書『省察』の中に、人間の精神と身体は別個の実体として明確に区別することができ、身体が消滅しても、それは精神の死を意味しないと書いています。
また彼は、人間の精神的実体(魂)と身体が脳の松果体を通して相互作用すると考えていたようです。
プラトンの心身二元論
心身二元論を最初に本格的に唱えたのは、古代ギシリャの哲学者プラトンだとされています。たとえば、プラトンの対話篇の『国家』の最終章には「エルの物語」と呼ばれる逸話があり、魂は不滅であり、死後の魂は生きていたときの行為の善悪によって行き先が決められ、天上で楽しい生活を送るか、地下で苦しい生活を過ごし、その後に地上での次の人生を選び、そこに誕生するのだと説明されています。
天上で楽しい生活を送った魂は、次の人生を軽率に選ぶので、人間の魂は辛い人生と楽しい人生を交互に経験することが多いのだそうです。
参考記事:『エルの物語』
一元論とは
歴史的に見ると、二元論にはおおむね人気がありません。
その理由は、性質の異なる2つの実体が世界にあるとすると、その一方が、どのようにしてもう一方に影響を及ぼすのかということを突き詰めたときに、どうしても矛盾が起きてしまうと考えられるからです。
そこで、世界にはひとつの実体しかないという一元論(monism)が唱えられてきました。一元論には、世界には物質(物)しかないという唯物論(materialism)と、心しかないという唯心論(idealism)と、その中間的な立場の中立的一元論(neutral monism)があります。
唯物論と物理主義
唯物論では、デカルトの考えた人の心のようなものは、機械の中に幽霊がいるというような思い違いであるか、物質によって説明されるべきものだと考えられます。
ここから物理主義(physicalism)という考え方が出てきます。原子が組み合わされて分子ができ、分子が複雑に組み合わされて細胞ができ、細胞が集まったのが生命であり、神経の細胞が集まったのが脳であり、脳の中で移動する電気や化学物質こそが、人の心の正体なのだという考え方です。
ほんとうでしょうか。興味深いことに、一流の物理学者の多くは物理主義に賛成していないようです。
参考記事:「非科学的、科学的とは何を意味するか? 物理学の歴史の例からわかりやすく解説」
唯心論と「水槽の脳」
一方で唯心論は、なかなか説明が難しい考え方です。そこで、私たち人間の心の働きを、建物でたとえることにしましょう。心という建物を作っているブロックは、心の働きのうちの何にあたるでしょうか。
感覚によって得られた知覚と、記憶と想像ではないでしょうか。これらはすべて、自分の心の中にあります。現在とは実際には知覚であり、過去とは記憶であり、未来とは想像なので、世界のすべては自分の心の中にあるように思えます。
今、あなたの目の前には何が見えるでしょうか。パソコンの画面でしょうか、机でしょうか。それらは、あなたの心の中にある知覚像です。触ったとしてもこの事情は変わりません。触覚という知覚像が心の中に得られるだけで、自分の心の外に何があるのかは、決して知ることができません。
このことは自分の体についても同じです。知ることのできるのは、自分の体の知覚像だけであり、自分の体自体が何であるのかは、決して知ることができません。
このことから水槽の脳という有名なパラドックスが生じます。
「実はあなたは、培養液に満たされている水槽に浮かんでいる、むきだしの脳なのです。そしてこの脳には、脳波を正確に操作することのできる電極が精密に取り付けられていて、高性能のコンピュータから、ヴァーチャル・リアリティを構成するデータの電気信号が送られています」と言われても、私たちはそれに反論できないというパラドックスです。
参考記事:「水槽の脳という思考実験をわかりやすく解説-映画マトリックスの赤い薬」
ちなみにこのパラドックスは、映画「マトリックス」制作のヒントになったとのことです。
中立的一元論とその実例
中立的一元論とは、物でも心でもない別のひとつの実体が、世界の根本だと考える立場です。
たとえば、日本の哲学者大森荘蔵(1921-1997)は、認識という現象そのものが世界であり、物質も心も、この現象から人間が考え出した観念であり、実体ではないと考えています。
別の例としては、唯識論が挙げられます。観光の名所として有名な、薬師寺、興福寺、清水寺は、法相宗という宗派の仏教のお寺で、そこでは唯識論が教えられています。
ちなみに孫悟空に登場する三蔵法師(玄奘)は、この宗派の経典をインドから中国に伝えました。唯識論も、認識が世界であるという考え方を採用しており、「心内の影像を心外の実境とみるな」という有名な言葉があります。
唯物論と唯心論と中立的一元論は、どちらが優勢であるかが、時代と場所によって、さまざまに変化しました。たとえば、マルクス主義の影響で、1970年代の日本では唯物論が有利でした。
心の哲学と性質二元論
心とは何かを解明しようとする、現代の思想家のひとりにオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズ(1966-)がいます。1990年代に彼は、意識が物質で説明できないということを示す「ゾンビ論法」を発表しました。この論法はそれほど難しいものではありませんので、インターネットで調べてみてください。手短にご説明すると、かえって難しくなってしまうのですが、この論法では、「ああ、夕焼けが赤いなあ!」というような認識の質感の有無を人間が想定できることを根拠に、唯物論が誤りだとしています。
唯物論を否定してチャーマーズが唱えている説は「性質二元論」(property dualism)と呼ばれています。二元論と呼ばれていますが、世界も人間も一種類の実体からなるという一元論であり、このひとつの実体が2つの性質を持つと考えます。
バラ十字会の哲学では、物質を構成しているエネルギーはスピリット、意識を生じさせているエネルギーはソウルと呼ばれています。ですからデカルトの二元論に近いように思われますが、この2つを統一するさらに根本的なエネルギーがあり、スピリットとソウルは、この根本的なエネルギーの、振動数の違う別の現れだと考えられています。
それはちょうど、光と音という現象に似ています。光も音もエネルギーですが、振動数が違うために、電磁波の振動と空気の振動という異なる現象として現れています。
ですから私の考えでは、バラ十字会の哲学のスピリットとソウルという説は、性質二元論に属するように思われます。
唯物論、唯心論、中立的一元論、性質二元論と、さまざまな説を紹介してきました(付記)。皆さんはこのうちのどれが正しいと考えるでしょうか。あるいは、これらとは別の考えをお持ちでしょうか。
付記:中立的一元論と性質二元論の間には、実は違いがないという説もあります。
最初の疑問に戻りましょう。あなたは物ですか、心ですか、その組み合わせですか、それとも、これらとは別の何かなのでしょうか。
世界は根本から謎に満ちていて実に面白いと、そう感じていただければ嬉しく思います。
追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。
体験教材を無料で進呈中!
バラ十字会の神秘学通信講座を
1ヵ月間体験できます
無料でお読みいただける3冊の教本には以下の内容が含まれています
第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について
執筆者プロフィール
本庄 敦
1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。
スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学(mysticism:神秘哲学)の普及に尽力している。
詳しいプロフィールはこちら:https://www.amorc.jp/profile/
コメントは受け付けていません。