投稿日: 2020/06/12
最終更新日: 2023/07/14

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋は、真夏を思わせる強い陽射しになっています。

いかがお過ごしでしょうか。

このブログは、掲載を始めてから6年半ほどになりますが、今回のタイトルはひらがなで3文字と、今までで最短です。

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人からの寄稿をご紹介します。

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文芸作品を神秘学的に読み解く(22)

『文字禍』(もじか) 中島 敦

森和久のポートレート
森 和久

「文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか」。この一文で物語は始まります。皆さんはどのようにお考えになりますか?

時は紀元前650年頃、場所はアッシリアのニネヴェの宮廷。「毎夜、図書館の闇の中で、ひそひそと怪しい話し声がするという」。不逞の輩の陰謀ではないようだし、これは書物か文字の話し声に違いないということになり、王国を脅かすものではないかと、アシュル・バニ・アパル大王は、家臣の巨眼縮髪の老博士ナブ・アヘ・エリバへ、このことについての調査研究を命じます。

アッシリアの壁の浮き彫り
アッシリアの壁の浮き彫り

老博士は文字の霊の存在を確かめるべく数多の書物に当たりますが、手がかりは見つかりません。そこで自力で解決しようと、文字を凝視・静観することを試みます。すると、「いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有(も)つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る」。このような情況に陥ります。

現在ではこの現象を「ゲシュタルト崩壊」(Gestaltzerfall)と呼んでいます。ゲシュタルト崩壊とは、図形などを見ればそれが何であるか知覚できるのに、注視し続けると全体的印象が崩壊し判らなくなってしまう症例です。これが健常者であっても文字などを注視し続けると全体像が崩壊し認知の衰退が起こるということです。皆さんも経験したことがあるのではないでしょうか。この作品が書かれたのは1942年ですが、ドイツ人神経学者V・C・ファウスト(V. C. Faust)がゲシュタルト崩壊と名付けた論文を発表したのは1947年のことです。

老博士は、「魂によって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有(も)つことが出来ようか」と、この現象は文字の霊の存在に因るものに違いないと思います。そして、調査を続けます。多くの聞き取り調査の結果、文字を覚える前と後では、その人に大きな変化があったことが分かります。ほとんどの人は文字を覚えた後、能力が衰えていたのです。老博士は、「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル」と書き記します。

楔形文字
楔形文字

老博士の見解は次のようなものです。一つは、「埃及(エジプト)人は、ある物の影を、その物の魂の一部と見做しているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。」

これは古代ギリシアの哲学者プラトンが述べたことにも相通じるでしょう。天上に在りて神が造ったもの(=イデア=実在)があり、職人はそれをまねて作るに過ぎず、さらにそれを絵に描いたり物語にしたりする人は、真実からさらに遠ざかっているということです。また、真似(まね)の術は「我々の内にある低劣な部分」と同調するとします。そして作家や詩人は卑怯・未練の友である感情に訴えるので劣悪なものであるとプラトンは述べています。(『国家』第10巻)

二つ目は、「文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。」ということです。

これはジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)による説『二分心』(Bicameral Mind)と共通します。意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかったということです。そのため古代人は直接神々の声を聴く心を持っていたという仮説で、1976年に発表されました。

最後に、老博士は「人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである」という結論に至ったのです。

また『歴史』ということについての老博士の考えは、「歴史とは、昔在(あ)った事柄で、かつ粘土板に誌(しる)されたものである。この二つは同じこと」で、「書かれなかった事は、無かった事」ということです。

現在においても、「検閲」―「黒塗り」―「焚書」ということが行われます。上記のことそのものではないでしょうか。今の社会や日常でも文字化されたことが絶対的に効力を持ち、約束も承諾も文字によることが優先されています。また逆に「言葉狩り」というのも文字の権力を畏れる行為なのではないでしょうか。文字の奴隷になってしまったかのようです。抗(あらが)おうとしても搦(から)め捕(と)られてしまって無力感に苛(さいな)まれてしまいます。

老博士はゲシュタルト崩壊が文字以外のあらゆる事柄にも起こっていることを突き止めます。例えば、一軒の家も人間の身体もじっと見つめ続けると細部に分析され集合体としては受け入れられなくなるのです。さらには目に見えるもの以外も同じことが起こり、人間生活自体も怪しくなることに気付きます。そしてこれは文字の霊の仕業に違いないと確信します。

一歩進めて考えると、五感もあるものの振動を変換し認識したつもりになっているに過ぎないのではないでしょうか。神秘学の教えに「宇宙鍵盤」というものがあります。要は全ての存在は、物質も音も光も精神も何もかも、その固有の振動数の違いに過ぎないということです。宇宙から発せられるエネルギーの一部ということです。

作中に、ある書物マニアの老人の話が出てきます。彼は文字になったことはすべて知っていて、しかし、それ以外は知らないという人物です。彼は文字を読みすぎたせいで、心も体もまともに働かなくなってしまいました。ところが彼は、人が羨むほど幸福そうに見えるのです。文字の魔力のなせる技のようです。

バラ十字会AMORCでは、文字を使った論文教本で考えを伝えていますが、『象徴』や『不可視の存在』の重要性も強調されています。物事の本質を捉えるには文字だけでは不十分なのです。

文字の禍(わざわい)に気付き危機感を覚えた老博士は大王に進言します。「アッシリアは、今や、見えざる文字の精霊のために、全く蝕まれてしまった」。このままでは祖国が滅んでしまいますと。ところが、当時一流の文化人たる大王の逆鱗に触れ、その結果、老博士は無残な最期を迎えることになります。

△ △ △

ふたたび本庄です。

『文字禍』は青空文庫に収録されていますので、インターネットで検索して無料で読むことができます。

中島敦(1940年頃)
中島敦(1940年頃) (from Wikipedia, Unknown author / Public domain)

私も読んでみましたが、不思議な語り口の文章です。

最初の数文を読むと、どうも続きが気にかかってきます。

さらに少し読み進めると、何だかこの内容は自分にとってプラスになるというよりは、微妙な毒が含まれているのかもしれないと思えてきます。

しかし、その毒のようなものと文体の心地よさに、読むのが止められなくなってきます。

また、文字の害として主張されていることは、どう考えてもフィクションなのにも関わらず、もしかして本当のことではと思えてきます。

皆さんも、中島敦さんの手練手管(死語?)に、どうぞやられてしまってください。

下記は、森さんの前回の記事です。こちらも怪しさたっぷりです。

記事:『平行植物

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

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