「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」の書き出しで知られる夏目漱石の代表作です。明治39年に書かれたので、ざっと115年前の作品です。
物語は全11章から成り、第1章は坊っちゃんの少年時代から東京で物理学校を卒業する23歳まで。第2章以降は坊っちゃんの赴任先でのこと。第11章の終わりに東京に戻ってからのことが触れられています。
坊っちゃんが自身で書いたという一人称の体裁になっています。そのため表面に現れて記されている事と表面には表されない坊っちゃんの心情を読み取るという深みもあります。
たとえば「親譲りの無鉄砲」ですが、両親共に無鉄砲な事に言及はされておらず、坊っちゃん自身の思い込みなのかもしれません。

坊っちゃんの仕出かす悪戯(いたずら)は度を超していて、もう立派な犯罪と言えるほどです。でもこれは一種の「試し行動」で、自分を見てほしいという親の気を引こうとするものでしょう。
父親はかわいがってくれないし、母親は兄ばかりをひいきにしていました。また兄は、弟の坊っちゃんに意地悪なことばかりしていました。
そんな中、清(きよ)だけが坊っちゃんの心根を理解し、無上の愛を貫きます。
そういう清の言動に坊っちゃんも初めの頃は戸惑い迷惑がります。
「この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のとき(注:ここでは徳川幕府の崩壊のこと)に零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。」
清の事をこう紹介しています。
しかし年月と共に清が自分の心の支えになっていることを感じ始め、その思いは募(つの)ります。ところが母親の死後6年、父親も卒中で死去します。清は暇を出され甥のところに身を寄せます。
「あなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょう」と清は坊っちゃんに言います。
土地家屋は売られ、20歳の坊っちゃんはたった1人で生きていくことになり、旧制中学を卒業し、23歳の7月、物理学校を卒業します。

その9月、数学教師としての職が決まり、四国に旅立つ日、清は坊っちゃんの元を訪れ、いろいろ世話を焼いてくれます。
「来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。」
二人の様子がありありと目に浮かびます。
駅のプラットホームでの別れの時、清は坊っちゃんの顔をじっと見て、『もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう』と小さな声で言います。
この別れの3日前に坊っちゃんは旅立ちの挨拶をしに清の家を尋ねます。清は北向きの三畳間に風邪を引いて寝ていました。これは清の死が近いことを暗示させます。
田舎へ赴任することを伝えられると清は、「非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫で」ます。
そこで坊っちゃんは、「来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めますが、清は「妙な顔をしている。」のです。清は自分の命が来年の夏までは続かないのを知っていたからでしょう。

汽車の別れのシーンで清は、「目に涙が一杯たまってい」ました。でも、「おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。」と坊っちゃんは自分の清に対する心情を堪えきれずに書き留めています。
汽車が動き出し、「もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。」
坊っちゃんの気持ちがまざまざと描かれています。もう立っているはずがないと自分に言い聞かせながら、期待を込めて振り向くと清はちゃんと立っていました。決して清は坊っちゃんの期待を裏切らないのです。
その時、坊っちゃんには清が大変小さく見えました。坊っちゃんの不安の表れです。清に対しても、自分の先行きに対しても。
「野蛮な所だ。」、「人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思った」、「気の利かぬ田舎ものだ。」云々。
赴任地に着いたときの坊っちゃんの印象と心地はこのようなものでした。もうハナから喧嘩腰で、この地に馴染もうという気はさらさら無いようです。
最初から対立姿勢で嫌なことだけを見ていたのではうまく行くはずもありません。ダメだダメだと拒絶の意識を持つことで自分の下意識は却ってその事を増幅させてしまいます。
案の定、坊っちゃんは2ヵ月ほどで東京にそそくさと逃げ帰ることになります。

物語の大半はこの四国の地(松山と同定されているようですが。)を舞台にしていますが、坊っちゃんの心は常に清のことでいっぱいです。清からの手紙がなかなか届かないとやきもきし、来たら来たで、読みにくいから意味が読み取れないと何度も読み返しています。
また事ある毎に清のことを思い出し、気に掛けます。さらには、「どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召び寄せてやろう。」とまで考えます。
赴任地で大暴れしたのち坊っちゃんは、その年の10月末に「この不浄な地を離れ」ます。物語の最後に、「清の事を話すのを忘れていた。」と坊っちゃんは書き添えます。決して忘れていたはずはないのに。
坊っちゃんは東京へ戻るとどこへも寄らずまっすぐに清の元へ「飛び込」みます。清は泣いて喜び、坊っちゃんは、「おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだ」と伝えます。
小さな家でも一緒に暮らし、清は満足したようですが、翌年2月、肺炎に罹り死んでしまいます。
死ぬ前日、「後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っております」と懇願されます。
来生のことを今生で語るということは、その時の想いの強さを表しているわけで、清の心緒が伝わります。この物語の最後はこう綴られます、「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
この物語は坊っちゃんと清の愛の物語です。言うなれば古代ギリシア語で言うところの〈アガペー (αγαπη)〉です。〈尊び愛す〉という新約聖書におけるイエスの思想に通じる愛です。
家族の愛を知らず無軌道に人生を送ってしまいそうな坊っちゃんを清はその溢れんばかりの愛で優しく包んであげました。それに坊っちゃんも気付くことが出来、受け入れました。
タイトルの『坊っちゃん』(原表記は『坊つちやん』)は、清が坊っちゃんを呼ぶときの名で、このタイトルになるべくして名付けられたと言えるでしょう。
確かに、同僚教師の教頭・赤シャツと画学教師・野だ(いこ)が「勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」と揶揄(やゆ)して呼称するシーンもありますが、これは同じ呼び名でも込められた気持ちで全く違うことになるのを作者はあえて示すために入れ込んだのでしょう。
表面的な事ばかりを見ていると物事の本質を読み取れないことになってしまいます。言葉狩りなんかもそうですね。
一度、声に出して「坊っちゃん」と呼び掛けてみてください。清の心が伝わってくるようです。

筆者紹介:

バラ十字会日本本部AMORC 理事、公認インストラクター
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