投稿日: 2022/11/11

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

今週の月曜日は立冬でしたので、暦の上ではもう冬ですね。東京板橋では晴れの日が続いていて、火曜日の皆既月食もよく見ることができました。

いかがお過ごしでしょうか。

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、J.D.サリンジャーの小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『ライ麦畑でつかまえて』

(ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ)
“The Catcher in the Rye”

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー著

(Jerome David Salinger)

文芸作品を神秘学的に読み解く35

森和久のポートレート
森 和久

これは、カリフォルニア州の療養所で静養中のホールデン・コールフィールドが、昨年のクリスマスにニューヨークや地元のペンシルベニアで起きた自分のことを書いたという物語です。

ホールデンは、「大人なんて嫌いだ」と思っている今で言う「中二病」です。欺瞞に満ちた大人の世界を批判し、子どもたちだけがまともだと思っています。しかし自分もそんな大人になっていくという不安と不満でいっぱいです。ハリウッドで脚本家になっている退役軍人である兄のD・Bでさえも気に食わない存在です。

ホールデンは誰彼かまわず敵対的態度を取りますが、そのくせ喧嘩は弱いときています。世の中全てを嫌っているようでありながら、他人と積極的に関わりを持とうとします。しかし、その結果、幻滅し裏切られ失敗するという繰り返しです。

もし私が、知り合いなら、「くだらない話をベラベラとうるさいな、このおしゃべり野郎」とぶち切れるかも知れません。全く共感できない人物です。私は10代の頃に50~60ページ読んで、つまらなくて放り投げました。

ライ麦の畑

16歳の彼は、成績不良で寄宿学校を退学処分になることが分かると自分から学校を飛び出しニューヨークへ向かいます。両親に退学の連絡が届くまで会いたくなかったからです。彼が退学になるのはこれで4校目です。

ニューヨークの街をさまよいますが、10歳になる妹のフィービーの顔を見たくなり家に帰り忍び込みます。両親は留守でしたが、フィービーを起こしてしまい、退学になることを覚られ非難されます。

無目的な生き方を責められ、ホールデンは、「ライ麦畑で遊び回っている子どもたちが、近くの崖から落ちる前に子どもたちを捕まえて、助けるのが自分の役目だ」と言います。

ロバート・バーンズの詩の一節のように“Catcher In The Rye(ライ麦畑の捕手)”になりたいと。フィービーは、「それは、“もし誰かと誰かがライ麦畑で出会ったら”よ。」と正します。

両親に会うのを避けるため、彼は家を出て、かつての恩師を訪ねますが、裏切られたと感じそこも飛び出し、街をさまよいます。そして、知っている人のいない西部へ行って聾唖者のふりをしてひっそりと暮らすことを決心します。

翌日ホールデンは、昼食時にフィービーに会って別れを告げることにし、フィービーの小学校へ行き伝言を依頼します。彼が自然史博物館で待っていると、フィービーはスーツケースを持って現れます。ホールデンと一緒に行くつもりなのでした。

彼がそれを拒否するとフィービーは受け入れず、怒りだし気まずい雰囲気になります。ホールデンはフィービーをなだめようと動物園へ連れて行き、回転木馬に乗せます。そして、機嫌が直ったフィービーにもう一回乗るように促します。

そのとき、フィービーは言います、「本当にもうどこにも行かない? 本当にうちに帰る?」。「そうだとも」彼は答えます。本当にそのつもりだったし、実際に帰ります。

フィービーは納得し、もう一度回転木馬に乗ります。手を振る彼女に彼も振り返します。土砂降りの雨が降ってきました。フィービーは屋根の下で大丈夫ですが、ホールデンはずぶ濡れです。赤いハンティング帽を被っていたので幾分ましですが、びしょびしょになります。

でも彼は気にしません。可愛いフィービーがぐるぐる回っているのを見ていると突然言いようのない幸福感に包まれていました。ホールデン自身も同じように安らぎの世界に浸っていたのです。「神様、あなたもそこにいてくれたら最高だったのに」。彼はそう感じていました。

回転木馬(メリーゴーランド)

ライ麦畑の脇の崖から落ちそうになる子どもを助けるようになりたいと言っていたホールデンですが、実際は自分が妹のフィービーに救われたわけです。フィービーは全力でホールデンを助けようとします。

貯めていたお小遣いを全てホールデンにあげてしまいますし、ホールデンがお土産に買ってきたレコードを割ってしまっていても、その破片を大事そうに受け取ります。

ホールデンの弟アリー、つまりはフィービーの3番目の兄は白血病で死んでしまっています。フィービーにとってさらにもう1人の兄を失うことは耐えがたいことだったでしょう。

さて、野崎孝訳による邦題の『ライ麦畑でつかまえて』について見てみましょう。誤訳と言うことが言われたりしていますが、観点が違うように思います。確かに“The Catcher in the Rye”を直訳すれば『ライ麦畑の捕手』になるでしょうが、実際の内容は、自分を助けてほしくて、関わる人みんなにちょっかいを出し、挙げ句は見捨てられるというホールデンの生きざまです。

どうしようもない不安感と挫折感のゆえに、溺れてしまいそうなホールデンは藁をもつかむ思いだったのです。

いじめられたり、ないがしろにされてきた捨て猫はなかなか新しい飼い主になじまず、試すようにいたずらを繰り返すようなことをするものです。唯一、あふれんばかりの愛情でホールデンに向き合ってくれたのが、妹のフィービーなのです。

1985年版の表紙
1985年版の表紙、Bantam, Public domain, via Wikimedia Commons

上にも記したように” The Catcher in the Rye”自体がホールデンの勘違いなのですから。「つかまえてあげたい」というのは、「つかまえてほしい」という心の叫びです。私たちはそういう人の心情をわかってあげるのも大切です。

ではなぜホールデンは西部へ行って人知れず孤独に生きようということに思い至ったのでしょう。

この作品は1951年に出版されました。当時のアメリカは第2次世界大戦に勝利したもののソ連との冷戦と朝鮮戦争により徴兵制も再度施行されていました。大人になるということは兵士になることでもありました。

ホールデンは映画館で戦争映画を見た後、「戦争に行かなくちゃならないなんてことになったら、きっと僕は耐えられないだろうと思う。間違いなくだめだね。もし連中が君をただ表にひっぱり出してずどんと撃ち殺しちまうとかそういうことだったら、まだ我慢できるんだ。でも君は軍隊にうんざりするくらい長いあいだ入っていなくちゃならない。それがなにしろ困った点なんだよ。」(村上春樹訳)。

さらに「今度また戦争があって、僕が引っ張り出されたら、いっそ、射撃部隊の前に立たしてもらった方がいいね。僕は反対しないよ」(野崎孝訳)と考えます。

つまり徴兵拒否者、特にアメリカで言われた良心的兵役拒否者という考えによるものと思われます。著者のサリンジャーはノルマンディー上陸作戦に参加し、激戦により精神衰弱で入院するという経験をしています。

このことは兄のD・Bの逸話という形で作中に取り上げられていますし、ホールデンの考えに投映されているのは間違いないでしょう。

しかし、妹によって逃亡せずにすんだホールデン自身は最後に、「私が判っているのは、私が話したすべての人がいなくて寂しいということだけだね。」と言っています。私もホールデンが世捨て人にならずに本当に良かったと思うわけです。

J.D.サリンジャーのポートレイト
J.D.サリンジャー、Public domain, via Wikimedia Commons

BGMは作中にも出てくる『煙が目にしみる (Smoke Gets In Your Eyes)』をどうぞ。なお、この煙はタバコの煙ではなく、恋する心が燃え上がっているときの炎の煙です。

その煙で恋は盲目になるけど、失恋した時に恋の炎は消えてしまい、その消える時も煙が出て、目にしみて涙が出てしまうと強がっているわけです。

△ △ △

再び本庄です。

私ごとで恐縮なのですが、高校時代に親友に勧められて、『ライ麦畑でつかまえて』と、サリンジャーの他の小説を読んだことがあります。

ですから、今回の文章に、懐かしさがこみ上げてきました。

高校時代から大学時代にかけて、その友と、哲学の激論を何度も下宿で闘わせました。今思うとあまりにも未熟な議論でしたが、私が神秘学(mysticism:神秘哲学)の通信講座の仕事を今しているのは、もう40年以上前のそこに原点があるのかもしれません。

主人公のホールデンが、妹のフィービーに「捕まえる」を「出会う」と正されたエピソードについて補足します。スコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩『Comin Thro’ The Rye』には、「ライ麦畑で誰かが誰かと出会ったら」(If a boy meet a boy coming through the rye.)という一節があります。

この詩は、スコットランドの伝統的な旋律に乗せられて、多くの人が愛する歌になっているのですが、ホールデンは、小さな子供がこの歌を口ずさんでいるのを道端で聞き、心がなごみます。しかし歌詞のこの部分を「ライ麦畑で誰かが誰かを捕まえたら」(If a boy catch a boy coming through the rye.)だと思い込んでいます。

「ライ麦畑で遊び回っている子どもたちが、近くの崖から落ちる前に子どもたちを捕まえて、助ける……、ほんとうになりたいものは、それしかない」の部分には、思春期の子供の、人生の目的に対するみずみずしい思いと無力感がよく表れているように感じ、当時、深く心を揺り動かされた覚えがあります。

下記は森さんの前回の文章です。

では、今日はこのあたりで。 また、お付き合いください。

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