投稿日: 2023/05/19

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

昨日の東京は、五月晴れと言うよりは酷暑で、海に出かけたくなる陽気でした。

いかがお過ごしでしょうか。

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、松尾芭蕉の俳句についての文章が届きましたので、ご紹介します。

区切り

『古池や蛙飛びこむ水の音』

松尾芭蕉

文芸作品を神秘学的に読み解く38

森和久のポートレート
森 和久

喧噪を離れたひなびた地にあるひっそりとした古い池。そこは静寂に包まれ、周りの草木も生き物たちも同化し、世界と一体化しています。この池は淡々と水をたたえ、悠久の時を経てきました。

そこを訪れた人間も自然と一つになり、池の端に座り物思いにふけるのか、瞑想にいそしむのか、永遠と思える時の流れに身を任せてたたずみ続けていました。

そして突然、静寂を突き破る水の音が聞こえてきました。決して高い音ではありませんが、世界が静けさを保っていたので、響き渡りました。たたずんでいた人も現実に引き戻されました。一匹の蛙が池に飛び込んだのです。

しばらくして、わずかな余韻を残し、再び静寂の世界が訪れました。その人もまたしじまの中に溶け込んでいきました。

これは松尾芭蕉による1686年の発句です。世界的にも有名で、俳句と言えばこの句とも言われるほどで、結果数多くの解釈や深読みが行われてきました。ここではそれらについてはことさら取り上げることはしません。

この句の持つ幽玄な空間と時間を超えた世界観を味わっていただきたいと思います。そのための一つの視点を見てみましょう。

それはなぜ蛙が池に飛び込んだのかということです。一説には、平安時代後期の藤原清輔による『袋草紙』の逸話から、藤原節信に追いかけられた蛙が池に飛び込んだのをモチーフにしたという。これは滑稽過ぎるように思われます。

この句の蛙は草の葉か木の葉の上に乗っていたのでしょう。そこにそよと春の風が吹き、葉が揺らぎ蛙は飛び込みました。わずかな揺らぎが静寂の世界を一変させ、俳人を驚かせました。

これはまるでバタフライ・エフェクトのようでもありますが、心を静めていた俳人は動じることなく、再び自然と同化していきました。

では、どうしてそう考えられるのでしょうか。蛙は静止しているものを見ることができません。だから飛んでいる虫を捕食することはできても止まっている虫を認識することはできません。

そのため自分が動くことで周りを見ることができます。全てが静寂の中にあった古池の蛙も何も見えていない状態にあったのです。そこに風が吹き乗っていた葉が揺れ自分が動いたことで目の前が開き、思わず水の中に飛び込んだのでしょう。

実は人間の目も基本は同じ作りになっています。しかし、進化の過程で能力を身につけ、自分の目を常に細かく動かす(固視微動)ことで目を開けばいつでも見えるようになったのです。

松尾芭蕉像
松尾芭蕉像(岩手県西磐井郡平泉町 関山中尊寺)

もちろんこのことは近年になって科学的に証明されたことで、芭蕉が知識として知っていたわけではないでしょうが、自然と一体化し観察することで、体験的に判っていたのかも知れません。

また、私は作中の蛙を一匹と同定しました。これについても単複様々な論があります。英語に翻訳されたものにも単数にしているもの、複数にしているものどちらもあります。

どちらかと言えば単数にしているものが多いように思いますが、ギリシア出身で日本に帰化した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は複数にしています。

私は上記の内容を鑑みて一匹の蛙と考えました。昭和の頃は映画や小説の中で、静寂を表現するのにアナログ時計の針が動くチッチッという音を使ったり、普段は聞こえないはるか遠くで汽笛やクラクションの音を1回だけさせたりしたものです。

つまり何か対比となるものがあってその情景を表現できるというわけです。無だけでは無を表せないからです。わずかな光が一瞬光ることで、闇の深さを表現できるのです。

「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良
「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良、 Morikawa Kyoriku (1656-1715), Public domain, via Wikimedia Commons

この句の作りを見てみましょう。「古池や」と切れ字になっています。もし「古池に」であれば「水の音」が主体になりますが、この切れ字にすることで「古池」が強調され主体であることが判ります。

これを読む私たちの眼前に美しく静かなる世界が広がるようです。この点を深読みし、この古池は芭蕉の心の中に現れた想像の池だという研究者もいますが、観念的すぎますし、作品の世界をあやふやにしてしまいます。

たとえそのような読み方をしたとしても意味するところはそう変わりません。含意や分析が先行する鑑賞を良しとしたくありません。含羞(がんしゅう)を帯びて、自然の中で遊んだ喜びを語る少年の心を持ち続けたいです。

現代人はいつも時間に追われ、常にスケジュールを気にする生活をしています。自然と一体化する体験を持つことも大切なことではないでしょうか。

区切り

再び本庄です。名だたる方々が行った、この句の英訳をいくつか調べてみました。

Into the ancient pond / A frog jumps / Water’s sound!

(鈴木大拙訳)

The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.

(ドナルド・キーン訳)

Old pond – frogs jumped in – sound of water.

(ラフカディオ・ハーン訳)

ラフカディオ・ハーンの訳は、カエルが複数であり過去形であるところなどが独自で、特に興味深く感じました。

下記は森さんの前回の文章です。

では、今日はこのあたりで。 また、お付き合いください。

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