こんにちは。バラ十字会の本庄です。

水が冷たい日が続き、春が待ち遠しく感じられますね。来週はいよいよ節分、冬と春の境目です。

いかがお過ごしでしょうか。

 

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、浦島太郎の伝説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

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文芸作品を神秘学的に読み解く(32)

『浦島太郎』

森和久のポートレート
森 和久

 

浦島太郎の物語は日本人ならほとんどの人が知っている話です。童話として子どもの頃に親しんだ人も多いことでしょう。ストーリーのプロットはおおむね次のようになっています。

起)亀を助ける

承)竜宮城へ行く

転)故郷へ帰る(数百年経っている)

結)玉手箱を開ける

数多ある類似の物語と一線を画しているのは、「玉手箱」の存在です。乙姫はなぜ浦島太郎に玉手箱を渡したのでしょうか。それを考える前にまず、現在のようなストーリーとして世に広がったのはいつ頃なのかを見てみましょう。

浦島太郎と亀

 

明治43年の国定国語教科書には、次のようなストーリーで『浦島太郎』が載っています。

「海辺で子ども達が亀をいじめている。かわいそうに思った浦島は、亀を買い海へ放す。二三日後、釣りをしている浦島の前に亀があらわれ、助けたお礼にと海中の竜宮城へ連れて行ってもらう。竜宮城には乙姫がいて、そこで御馳走を食べ、色々な踊りを見たりしながら楽しく過ごす。そのうち浦島は飽きてしまい家に帰りたくなる。乙姫は別れを惜しみながら、決して開けてはいけないと言って、浦島に玉手箱を渡す。浦島が村に帰ると父母はいないし、家もない。知人もいない。悲しくなって、玉手箱を開けてみると白い煙が出て浦島は白髪のお爺さんになってしまう。」

今、本屋に行ってみると、それぞれが若干異なる『浦島太郎』童話や絵本が並べられています。しかし、これらを含めて、この国定国語教科書に載っているストーリーは私たちの知っている『浦島太郎』と多くの点で共通しています。教科書に載っているので教訓めいた内容であり、それが現在まで受け継がれてきています。お金で解決するというくだりもあり、俗っぽい感じは否めません。

『浦島太郎』は各時代に多数の改作やパロディが作られ、今でもその勢いは続いています。人々の心に訴えかけるプロットとして確立したもののようです。そんな中でこの国定国語教科書版は、主たる地位を今でも保ち続けています。森鴎外の『玉匣両浦嶋』、島崎藤村の『浦島』、武者小路実篤の『浦島と乙姫』、太宰治の『浦島さん』といった文豪たちも『浦島太郎』の改作を発表していますが、本命版とはならずじまいです。

この国定国語教科書版が参考にしたのが、明治29年に岩谷小波によってまとめられた『日本昔噺』に収められた『浦島太郎』です。これは子ども向けの本ですが、文体は江戸町人言葉です。舞台は丹後国水ノ江で、浦島太郎は漁師ということです。ストーリーはほぼそのまま国定国語教科書に引き継がれます。岩谷小波が教科書編纂に関わったことも関係するでしょう。

青い海を泳ぐウミガメ

 

さて、乙姫は「玉手箱」がどんなもので、中に何が入っており、開けたらどうなるかということも当然知っていたわけです。そして、それを愛する浦島太郎に渡したわけです。ですから乙姫は浦島太郎がどんな気持ち(精神状態)になったら開けるかも推し量っていたわけです。

端的に言えば、浦島太郎が数百年経った現世(俗界)に戻っても一人でやっていけるとしたら、浦島太郎は玉手箱を開けないでしょう。対して、生活の糧もなく、もう一人では生きていけないとなったら、孤独に打ちひしがれて浦島太郎は玉手箱を開けてしまうでしょう。これは人間のもろさであり、支えてくれる人の重要性でもあります。

人間の弱さと欲望により、浦島太郎は竜宮城へ行き、ぜいたく三昧の暮らしをします。しかし、元から熱望していたわけでもなく、自分の村には家族と生業があったわけです。乙姫とは束の間の恋だったのかもしれません。竜宮城には自分の存在理由が見いだせません。故郷に帰りたいと思うのは当然だったでしょう。

 

では『浦島太郎』のプロトタイプを見てみましょう。それは古代の『日本書紀』(720年)や『万葉集』(奈良時代)そして『丹後国風土記』(8世紀)に見ることができます。ここでは「浦島太郎」は「浦嶼子(ウラシマコ)」という名で、漁師ではなく、姿うるわしい風流な美男子として描かれています。ある日、彼が海で五色の亀を釣り上げると、その亀は美女に変身します。天上から来た亀比売(かめひめ)という名の仙女だったのです。亀比売は浦嶼子に結婚を申し込んで、二人は蓬莱山(ほうらいさん)に行き、夫婦となります。3年が経ち、浦嶼子は帰る決心をし、亀比売は決して開けるなと玉匣(たまくしげ)を渡します。浦嶼子は故郷に帰りますが、そこでは300年が経っており、浦嶼子は玉匣を開けてしまいます。そこから芳しき身体が風雲に乗って天に上昇していきました。浦嶼子は二度と亀比売に会えないことを知るのです。そうです、元々は箱に入っていたのは、亀比売(の魂)だったのです。

 

時代によって重要となるエンディングが変遷しました。『御伽草子』の頃から「浦島太郎」という名前になり、「竜宮城」と「乙姫」、「玉手箱」が登場します。室町時代に作られ、さらに江戸時代に幾度か改編された『御伽草子』の『浦島太郎』は、玉手箱を開けると浦島太郎は鶴になって飛んでいき、乙姫と共に「浦嶋明神」という神になるのでした。

しかし、前述のプロットに照らし合わせればどれでも同じといえるかもしれません。それはつまり認識の違いでしかないと言えるのです。たとえば、現代版は、浦島太郎が年寄りになってしまったので、これは悲惨な結末ということになっています。ところが、『御伽草子』では「めでたし、めでたし」で締めくくられます。当時、年寄りになるということはまれなことで、多くの人が知らないことを知れたわけです。するとこう考えられます。浦島太郎は誰も行ったことのないところへ行き、誰もやったことのない時間旅行をしたのです。つまり浦島太郎は空間的にも時間的にも超越しためったにない体験をした人ということです。

砂に埋まった多数の時計

 

ではここで付加的装飾部分をそぎ落とし純粋にプロットだけを見ることに立ち返ってみましょう。そうすると現代版の『浦島太郎』においても玉手箱の中に入っていたのは乙姫ではないかという着想が浮かび上がります。はたから見れば煙が立ち上り浦島太郎は白髪の爺さんになったように思われたのでしょう。しかし、浦島太郎は玉手箱の中に入っていたのは乙姫だと驚きとともに理解したのです。乙姫は自分が箱の中に入ったままでさえ浦島太郎と添い遂げたいと思ったのです。乙姫を失って初めて自分が乙姫を心より愛していたことを浦島太郎は痛いほど感じ、一気に老け込んでしまったのです。もう手遅れです。悲嘆のどん底で崩れ落ちる浦島太郎に、今も昔も人々は哀れみを感じるのでした。

 

BGMはあがた森魚の浦島シリーズ、『浦島64』『浦島65BC』『浦島65XX』『浦島2020』『浦島二千十年代選集』をどうぞ。

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ふたたび本庄です。

森さんのこの文章を読んでいて私が思い出したのは、爛柯(らんか)という中国の伝説です。爛は「腐って形が崩れること」を意味し、柯(か)とは斧の柄の部分のことです。

この伝説にもいくつものバージョンがありますが、そのひとつは以下のようになっています。

ある木こりが山奥に入ると、そこで数人の童子が囲碁をしているところを目にします。ひとりの童子がくれた棗(なつめ)の実を食べながら夢中で対局を見ていると、ふと自分の持っていた斧の柄が腐って崩れ落ちていることに気づきます。里に戻ってみると長い歳月が経っており、知っている人はひとりもいなくなっていました。

 

この話は囲碁の面白さを指摘した話だとされ、爛柯は囲碁の別名にもなっています。

しかし私には、浦島太郎も爛柯も、時間を超越した“領域”がこの世界にはあるということを物語っている説話に思われます。

そしてバラ十字会の哲学によれば、この領域は海中でも山奥でもなく、人の心の奥にあります。そして当会の通信講座の本科課程(学習開始から16ヵ月以降)では、この領域にどのようにしてアクセスしたら良いかが具体的に取り上げられます。

野原と謎の扉

 

下記は森さんの前回の文章です。

記事:『野菊とりんどう

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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